13.ダセェ
◇
ヨウは携帯を眺めていた。
十五分ほど前に舎弟から電話が掛かってきたのだが、訳の分からない言葉を残して切れてしまった。一体全体何の用だったのかと首を傾げていたが、気にすることも無いだろうとエアホッケーを楽しんでいた。
しかし、やはり不自然に切れてしまった電話に気掛かりを覚える。順番待ちをしている間、ヨウは椅子に腰掛けて何度もケイに電話を掛けてみた。発信はしているものの、一向に繋がらない。
膝に肘を付いて、軽く吐息をついた。気になって仕方がない。あの電話、一体なんだったのだろうか。
ヨウの様子に響子が微笑しながら「電池でも切れたんだろ」煙草を口に銜える。
「いやコールは掛かる。ケイの奴が取らないだけだ」
「何か急用でも出来たんだろ。ケイが来られるんだったら、エアホッケーの相手してもらいたいな。来れることは言っていたのか?」
「来たいとは言っていた。けど結局、ハッキリ返事せず切っちまいやがった。はぁー……あいつ一体何だったんだ」
「ヨウさんが気にすることありませんよぉおおー! あいつのことなんて!」
子犬のようにぴょんぴょんとヨウに纏わり付いてきたのはモトだった。
ヨウと同じ色をしている金髪に目をやりながら、響子は「随分な言い草だな」と悪態付く。
「ゲーム貸してもらったらしいじゃねえか。それでその言い草は道理に反するってもんじゃねえのか?」
「ウグッ、響子さん。いやでも! オレ! 舎弟は認めていませんけど、仲間としては……まあ。認めてやっても、いいけど…みたいなカンジ…ゲームは貸してもらいたいし」
唇を尖らせてそっぽ向くモトに、響子は呆れ返って言葉も出ないようだった。やり取りを眺めながら、ヨウは携帯に目を落とす。連絡はまだ無い。
響子は百円ライターを取り出して煙草の先端に火を付ける。
「ヨウ。ヤマト達の動きが最近、目立たなくなってきている。不可解だと思わないか? ハジメの件じゃ、あんな風にヤッてはくれたが」
「ヤマトのクソなんざ知るかよ。ハジメを……病院送りにしやがって」
「病院送りっつっても、入院するような大袈裟な怪我じゃねえんだ。そんなに熱くなるな。相手の思うツボだぞ。あんたの悪いところだぜ、それ」
「ウルセェよ」ヨウは吐き捨て携帯を握り締める。
ヤマトのことを思い出しただけで反吐が出る。青のメッシュを入れた髪にも、ドクロのピアスにも、ヤマトの言動にも存在にも。
「ヤマトの奴、何をたくらんでいるんだろうな。読めねえ野郎だ」
「響子、それ以上奴の名前を出すな。胸糞悪い」
「……ったく、ガキみてぇな態度とるなよ。分かった、この話は仕舞いにする」
急降下していくヨウの機嫌に、モトが響子に視線を投げかけ余計なことを言うなと訴えるが、響子は何食わぬ顔で煙草をふかしていた。
様子を見ていたココロがおろおろとしながら、この空気をどうにかしようと口を開くが、何も言葉が出ずに自然と口を閉じてしまう。欠伸を噛み締めているシズが助け舟を出すように、ヨウ達に声を掛けた。
「ホッケー。次は……ふぁ~……誰だ? ……眠い」
「ヨウさん、オレとしましょうよ! オレと! オレと!」
「あー? 俺かよ」
「だってさっき負けましたし! リベンジです! 今度は勝ちますよオレ!」
「ったく、仕方ねぇな」
モトの気遣いに幾分明るくなった表情を滲ませるヨウは、携帯をポケットに捻り込んだ。
きっとその内、連絡が来るだろう。明日学校でも聞けるしな。
自分に言い聞かせ、ヨウが腰を上げたその時、三階のフロアに誰かが上がってきた。
外に出ているワタルが戻ってきたのかと思ったが、上がってきたのは見るからに地味そうな少年だった。顔を顰めて腹部を押さえている。此処はよっぽどの事がない限り、彼のような人物が足を踏み込むことは無いのに。間違って上がってきたのだろうか。不良の溜まり場になっていることを知らないのだろうか。
しかし、ヨウはあの少年を見たことがある。確かあの少年はいつもケイと一緒にいた……、名前は知らないが、確か一緒に……、
フロアに足を付けた瞬間、少年はその場に膝を突く。
ココロがおろおろしながら、少年に「大丈夫ですか」と声を掛ける。少年は頷いて腹部を押さえながら、ヨウの元へ向かう。が、途中でまた膝を突く。自分に用があると察し、ヨウは少年に歩み寄って膝を折った。
此方が声を掛ける前に、少年が弾かれたようにヨウを見上げて腕を掴んで名乗ってきた。少年は利二というらしい。利二は縋るようにヨウを見つめた。
「田山。田山をッ、助けて下さい……田山をッ、」
血の気が引く。たった今まで念頭に置いていた舎弟の話題を振られると思わなかった。
「ケイ……ケイに何かあったのか!」
「日賀野大和が田山を狙ってッ、あいつ、舎弟になれとか言われて、けど……あいつ、貴方を裏切れないからッ……舎弟を断って。あいつ、このままじゃ日賀野に、日賀野に殺されるッ…殺されてしまうッ」
息絶え絶えに言葉を紡ぐ利二を凝視して、ヨウは彼の両肩を掴んだ。
「ヤマトがケイを狙ってきたんだな! ヤマトの野郎ッ、舎弟に目を付けてきたんだな?!」
「さっき電話があったでしょう……あれッ、日賀野と一緒で」
じゃあ、あの時電話が不自然に切れたのは、ヤマトと何かあって……腕を握り締めてくる利二が苦言した。
「貴方をッ、裏切れないからって思って、あいつ、苦渋の選択の上で断って。そんなことしたらどうなるか分かっていたから……自分だけ逃がしてくれて……あいつ、このままじゃッ、助けてやって下さいッ! あいつ、あいつ、貴方のように喧嘩出来ないし、不良じゃないしッ、ハッキリ言って足手纏いかもしれません…だけど、貴方の顔に泥を塗らないようッ、」
何があっても自分で対処しようと努力しているんです。
あいつ変なところでカッコつける馬鹿だから、不良相手でも自分で対処しようとしているんです。
言葉を吐き捨てた利二の両肩を掴んで、ヨウは真っ直ぐ彼を見据えた。
「ケイは、ケイは今何処にいる?!」
――田山は、古本屋の近くの人通りの少ない自販機にいます。
真っ向から吹きつける風を受けながら、ヨウは目まぐるしく過ぎていく景色を睨み付ける。
見事に染まっている金髪と交じっている赤メッシュが、吹き付ける風によって大きく揺れ靡くが一切気にする余裕が無かった。
自分の舎弟があの日賀野大和に目を付けられた。
しかも舎弟になれと迫られ、ケイは自分を裏切れないからと断った。
ケイは友だけを逃がして今もヤマトと共にいるだろう。ヤマトのことだ、断ったケイをどうするかなんて目に見えている。「俺の舎弟になれませんか。そうですか。うんじゃこの話はなかったことに」なんて軽く事を済ませてくれる奴ではない。断ったら最後、無傷で済む筈がない。
ヤマトの性格を知っているからこそ、ケイの安否が気になる。下唇を噛み締め、ヨウはポケットから携帯を取り出す。ケイからの連絡はまだ無い。
ケイとは成り行きで舎兄弟になった。
自分は不良、相手は普通そうな少年、正反対の自分達が舎兄弟になった理由は単純。ケイという存在が面白かったから。チャリ爆走させて自分達にぶつかってきそうになったあの日、タコ沢を踏ん付けてチャリを飛ばしていたケイが妙に可笑しかった。
翌日、ケイの姿を見かけて同じ学校だと知った。礼がてらに話してみたら意外と馬の骨が合う奴だった。地味で日陰な奴なのに、話してみれば自分と同い年なんだって思った。不良の自分と話が合わないなんて思い込んでいたからこそ、ケイと話が合ったことに何となく新鮮さを覚えた。
タコ沢と一緒に逃げた時、チャリに乗せてもらいながら「こいつマジで面白い」という気持ちは一層高まった。
ケイのようなタイプとつるんだことが無かったせいだろう。
こういうタイプを舎弟にすれば面白いんじゃないか、なんて軽はずみな気持ちで舎弟を作った。それがケイだった。
自分達不良の間では“舎弟”は自分の後継者とか背中を預けるとか、そんなことを言われているが実際そんな能書きなんて気にしたことも無かった。
こいつは面白い、だから今日から舎弟にしてみた。
それだけだ。ケイとの関係は舎兄弟、というよりただのダチ関係。肩書きだけの舎兄弟関係だった。
そんなケイが、自分の後を追いかけて来てくれたことがあった。ハジメと弥生のピンチだと知ってナリ振り構わず飛び出した自分を、チャリに跨って追いかけて来てくれた。
“舎弟って舎兄の後を追うもんだろ。違うか?”
言葉が脳裏を掠る。ヨウは掌が白くなるまで携帯を握り締めた。
ケイのピンチに自分は間に合うのだろうか、いや、
「頼む。間に合ってくれ……ッ、シズ! もっと飛ばせねぇのか!」
「……警察沙汰にさせるつもりか」
背中を小突いてスピードを出すよう催促すれば、シズが欠伸を噛み締めながら肩を竦めた。
今、ヨウはシズと共に利二の言う自販機に向かっていた。古本屋の近くの人通りの少ない自販機にケイとヤマトがいる。その情報を頼りにバイクで向かっているのだが、気持ちが先走っているせいか五分ほどで着く場所がやけに遠く思える。
「モトや響子を連れて来なくて良かったのか? ヨウ」
「大人数で行ってどうこうなる相手じゃねえ。五木の話じゃ、ヤマトの単独行動みてぇだしな。俺とお前の二人で十分だ」
「……いや、三「人だな」
重なる声音は運転手のものではない。
チラッと横を一瞥するシズに、ヨウも右横に視線を向けた。片手を軽く上げてくるのはワタルだった。
「ワタル……あいつ、いつの間に」
「モトか響子かココロが連絡を入れたんだろう。ヨウ、お前、自分と一緒に警察沙汰になる覚悟はあるか?」
シズの問いにヨウは愚問だとばかりに背中を小突いた。軽く吐息をついてシズは速度を上げる。吹き付ける風の強さに、ヨウはやや目を細めてしまった。
車通りの少ない道路に差し掛かる。人の姿も疎らに見る程度で、此処一帯の通りの人気の無さを思い知らされる。バイク音が響き渡る中、道路を突き進んで行くとヒトリの歩行人と擦れ違った。弾かれたようにヨウが後ろを振り向けば、歩行人も足を止めて此方を見ている。既に姿形が小さくなっているが表情が窺える。
皮肉った笑みを浮かべている、日賀野大和の表情が。
ヨウが何かを思う前にシズがバイクを停めた。例の自販機の前に到着したようだ。
三台並ぶ自販機うちの一つに部活帰りであろう女子高生の集団が群がっている。「酷い怪我」「喧嘩かな」「救急車呼ぶべきかな」聞こえてくる声に、ヨウは誰よりも早くバイクから降りて女子高生の集団を掻き分けて行った。
女子高生の黄色い悲鳴が聞こえたが、今のヨウには気にする余裕がない。
群がっている女子高生達を押し退け、ヨウは自販機の前に立った。掻き分けた先に待っていたのは、ボロ雑巾のように怪我を負い自販機に凭れ掛かっている舎弟だった。
「ケイ……おいッ、ケイ!」
片膝を突いてケイの両肩を掴み、怪我に響かないよう揺すった。
気を失っているのか微動だにしない。「ケイ!」ヨウは何度も、そして必死にケイに呼び掛ける。
「あの人、大丈夫かな。やばいんじゃ」
様子を見守っている女子高生達に、後からやって来たシズとワタルが見世物じゃないからと此処から去るよう催促した。
「此処から先は男の子の領域だから、ごめんねんころりん」
「ウザイのは気にしなくてイイ……悪いが、此処から去ってくれないか? あれは自分達の仲間だから」
「ちょ、シズちゃーん! ウザイって?!」
非難の声を無視してシズは女子高生達に去るよう頼み込んだ。
女子高生達は心配や同情の眼を向けながら去って行く。どうやら此方の気持ちを汲んでくれたようだ。
その間もヨウはケイを揺すって名を呼んだ。擦り傷が、垂れている血が、紫色に変色している痣が顔や身体にデカデカと存在している。それが痛々しい。間に合わなかった自分への憤りを感じながら、ヨウがケイを呼び続けると漸く反応を見せる。
声を張って名前を呼べば、薄っすらと目を開けた。
何度か瞬きをして呻き声を上げながらヨウを見てくる。焦点の合っていない視線にヨウは軽く頬を叩いた。
すると朦朧としていた意識がハッキリしてきたのか、ケイはしきりに瞬きしながら状況を確認し始める。
「ケイ! 大丈夫か!」
「……あれ…ヨウ。お前、なんで此処に……」
「お前のダチが知らせてくれたんだ。とにかく話は後だ。立てるか? 手ぇ俺の首に回ッ、ケイ?」
傷に障らないようケイの腕を自分の首に回させてようとした瞬間、ケイが拒むように腕を掴み返してきた。手が震えている。目で見て分かるほど、震えている上に体温が低い。血が通っていないのではないか? と思うほど、手が冷え切っている。
顔を歪めてケイは「悪い」と謝罪を口にした。
「俺……おれ、お前を…裏切ろうとした。一度は日賀野の脅しに乗ろうと、したんだ。お前、裏切ろうとした……おれッ……こんな情けねぇ負け方して、情けねぇッ」
下唇を噛み締めるケイは早口に言葉を発してくる。傷に障るのではないか、と心配するほど。
「おい落ち着け、ケイ。傷に」
「俺はっ! 俺は、お前に合わす顔がないんだ。関係ねぇ利二巻き込んじまったし……ッ、向いてねぇよ……お前の舎弟…俺なんか……ぜった……いっ、なあそうだろ! ヨウ! 俺は最低だっ…」
「……ケイ」
「ちくしょう…チクショウッ……情けねぇッ…なさけねぇ…」
自分の膝を叩いて自分に対する憤りをぶつけるケイの隣に腰を下ろし、ヨウは落ち着けと首に腕を回した。振り解くことさえしないケイは、隠すように片手で顔を覆ってしまう。「最低だ」肩を震わして自分への憤りを口にしていた。
それでも彼は気丈だった。敬意を払いたいくらいに気丈で、強かった。
怒りと悔しさを噛み締めているケイにヨウは掛ける言葉を探したが、何も見つからずただ様子を見守ることしか出来なかった。何が言える、舎弟のピンチにさえ間に合わなかった自分に。脳裏に皮肉った笑みを浮かべるヤマトの顔が掠った。
奴を喜ばせる結果になってしまったことが悔しくて、何も出来なかった自分に腹立たしくて、今のこの状況に苛立って、知らず知らず身体に力が入る。
回している腕に力を込め、自分の悔しさと舎弟の悔しさを吐き出す。
「ダッセェよな……テメェも、俺も………なあ? ケイ」