12.「ヨウを裏切れ、と?」
――日賀野 大和。
拝啓、母上様。俺に声を掛けてきて下さいました青メッシュの不良さまのお名前は、利二の話してくれたアノ日賀野大和さまだったらしいです。ご丁寧にお名前を名乗って下さいました。
出来れば日賀野大和でないことを願っていたのですが、残念なことにこの方は日賀野大和。ヨウと非常に仲の宜しくないあの、噂の日賀野大和さまなようで。
噂をすればナンタラカンタラ……きっと今日、このお方の噂をしたのが悪かったのですよね。
きっと噂には魔力とかそんな未知な力が宿っているんだと思います。でなければ、休日という安息の日にこんな恐ろしい不良の方にお会いするなんて無いと思うんです。
嗚呼、ヨウの舎弟である俺は、今、命の危機に曝されている状況です。
だって一緒にいる方がいる方ですし「暇だろ? 付き合えよ」とか言われたんですよ。
母さん、無事に家に帰れるか、正直言って分かりません。無傷で帰ってきたら奇跡だと思って下さい。
あ、蛇足ですが利二も成り行きで一緒にいます。
先に帰るよう言ったのですが「帰るタイミングが掴めない」と、顔を渋めてきました。確かにそれは言えます。俺が利二の立場だったら、同じようにタイミングが掴めず取り敢えず一緒にいることでしょう。気持ちは十二分に分かります。
「胃が痛いな。お前はいつもこんな痛みと闘っているんだな」
利二が腹部を擦っている。
お前の気持ち、痛いほど分かるぜ。そして俺の気持ち、分かってくれて嬉しいぜ。
「胃どころか心臓も痛いって。ついでに嫌な汗が出てしょうがないだろ?」
「……ああ。些か明日命があるか不安になってきた」
「だいぶん、の間違いだろ? どうにかお前だけ帰せる流れに持っていくよう努力するから」
流れが作れるかどうかは分からないけど努力はする、努力は。
だけど努力で成せないこともあるからそれは、ご了承頂きたいぜ。利二。
まあ、全力でその流れには持っていくつもり。利二には関係ない奴で関係ないことだしな。どうにか日賀野との関わりを俺で止めておきたい。
俺、自分のことで手一杯だから不良達のゴタゴタに巻き込まれて利二に災難が降りかかっても、守ったりしてやることは出来ないと思う。守るって言ったらちょっと格好付けた言い方だけどさ、本当に利二にはこの騒動に関わって欲しくないんだ。
巻き込まれれば巻き込まれるほど、自分の身と立場が危うくなっていくって分かっているから。俺がそうだしさ。
利二は勿論、透や光喜にだってこの騒動には関わって欲しくない。薄情者と言っているけど、こんな面倒な騒動、巻き込みたくないじゃないか。何だかんだ言って俺を心配してくれている友達なら、尚更。利二は俺の泣き言を親身に聞いてくれた。励ましてくれる為に奢ってもくれた。巻き込みたくなんてねぇって。
とはいえ、どうもっていくかな。この流れ。
やや薄汚れている三台の自販機を目の前にして、何を飲もうか迷っている日賀野に目をやる。
俺達、今、人気のない道路の脇に設置されている自販機の前にいるんだ。いかにも此処は人が通りませんっていうような場所。車通りも少なくてスッゲェ静か。時々歩行人を見かけるけど、ワタシは何も見てませんよオーラを出しながら速足で通り過ぎていく。俺達からは目を逸らして歩いていることバレバレだっつーの。
まあ……この様子じゃ俺達、不良に絡まれているようにしか見えないよな。
俺が歩行人だったら同じように通り過ぎるぜ。
被害に遭うなんて真っ平ごめんだもんな! 気持ちは分かるンだ。分かる。でもされると妙に腹立つのも本音!
「チッ、マイナーなメーカーばっか置いてやがる。シケてんなー。なぁ?」
「そ、そうですね。そっちのサイダーの名前とか、聞いたことないや。俺」
「……コンビニに行きますか? そっちの方がメジャーな商品あると思いますけど」
「メンドーだから此処でいい。しっかし……」
「品揃えワリィな」愚痴る日賀野が、自販機を軽く爪先で小突いた。
本人は軽くのつもりだぜ? かるーく自販機を蹴っている。
だけど俺達はその行為に縮こまっているんだ。いやだって恐いじゃないか! ヨウと対等の力を持つ不良が目の前にいるんだぜ? しかも自販機に向かって苛立っているんだぜ? 舌打ちなんかしちゃっているんだぜ? 自販機蹴っちゃったりしているんだぜ⁈
矛先がいつこっちに向くかと思うと、ビクビクしちまうって!
ちなみに俺達、ビビッてるけどチキンじゃない! 縮こまっちまうのは極々普通の生理現象。誰だって不良を前にしたら俺達のような態度を取っちまう筈。不良相手に臆しない奴って、そうはいないと思う。
俺達はアイコンタクトを取りながら、日賀野の様子を見守っていた。
この隙に逃げるって手もある。俺、チャリだから後ろに利二を乗せてさっさと退散! なんて余裕で出来ると思うんだけど、後々のことを考えると逃げるに逃げられない。
ふと日賀野がこっちを見てきた。
俺と利二は自然と背筋を伸ばしてしまう。
一種の条件反射だよな、これ。俺達のビビリ心情に気付いているのか気付いていないのか、日賀野が鼻で笑ってきた。何を思ったか隣の自販機に小銭を投入してボタンを押す。
ガランゴトンッ、飲み物が落ちてくる音が自販機から聞こえた。
日賀野はペットボトルを取り出して俺に投げ渡してくる。
びっくりしたけど片手でどうにかキャッチ。日賀野は同じ動作を繰り返して利二にも投げ渡していた。これは奢ってもらっているってことだよな。俺と利二は日賀野に礼を言って、ペットボトルに目を落とした。
野菜ジュース。何故、野菜ジュース?
チャリをその場にとめて、俺はおもむろにペットボトルの蓋を開けると一口野菜ジュースを飲む。うん、野菜ジュースって感じ。これはアレだ。歌いたくなる。
「ビタミンはー歩いてこない。だーから毎日飲むんだねー。一日1本。三日で3本。毎日飲んでビタミンC」
「……田山、まさか一昔前の牛乳のCMの替え歌か?」
「……し、しまった。ついノリで」
利二が呆れ返って俺を見てくる。馬鹿じゃないか、そんな眼差しを投げかけて来た。傷付くぞ。その目。
「ククッ、お前なら何かやってくれると思ったぜ。プレインボーイ」
笑いながら日賀野が缶コーヒーを自販機から取り出している。
クッソ。馬鹿にしやがって。なんで自分は缶コーヒーで俺達は野菜ジュースなんだよ。奢ってもらっている身分だから贅沢は言えないけど、せめてジュースならコーラとかサイダーとか、この際オレンジジュースでもイイ。お子様が好みそうな飲み物を買ってくれたって良いじゃないか。同じ値段で飲み物買ってくれるなら、俺達の好みそうなジュース買え。
しかもこの展開、前にも経験したことあるぜ!
確かヨウと一緒に授業ふけて、あいつに奢ってもらった時だ。あの時もヨウが何故か俺に豆乳を奢ってきたんだよな! 「なんで豆乳なんだよ」って聞いたら、
「有り難く頂けよ? カラダには良いんだしな、プレインボーイズ」
それだ、それ!
ヨウも「カラダに良い」とかほざいたんだ! 忘れもしねぇ!
不良はそうやって地味な俺達をからかうことがお好きなようだな! 地味な奴等がみーんな健康飲料水を好むと思ったか? そりゃ違うぜ! 俺はミックスジュースも野菜ジュースも豆乳も嫌いな類に入っているんだ。いたいけな地味ボーイズをからかうなんて悪趣味だぜバッキャロ。
心の中で精一杯、俺は悪態を付いてみた。三年分くらいの悪態を日賀野にぶつけてみた。
当たり前だけど、日賀野に届いているわけなく笑声を漏らしっぱなし。俺の悪態を聞いた瞬間、きっと拳が飛んでくるんだろうな。想像しただけで身震い。口には出せないな、今の悪態。
「おい、そっちのプレインボーイ」
日賀野が利二に声を掛けた。
利二が強張った表情で「何でしょうか」と返事、日賀野はニヤリと笑って財布を投げ渡してきていた。紛れも無くそれは利二の財布。
何時の間に盗られたんだ、目を丸くする利二は財布をキャッチして首を傾げている。ってことは、この野菜ジュースも日賀野の飲んでいる缶コーヒーも利二の金かよ!
「有り難く頂けよ?」
偉そうに言っておいて、これ利二の金か? おまッ、さっきの礼の言葉と金返せよ! こんなこと口が裂けても言えないけどさ!
「荒川と俺の関係、アイツから聞いているか?」
突然、日賀野が俺に話題を吹っ掛けてきた。
俺は内心大絶叫を上げながら、表では愛想笑いを作って首を傾げ「関係?」って聞き返す。
さっき利二から軽くは聞いたけど、ヨウから日賀野のことは聞いてないし、どういう関係を指して言っているか分からなかった。仲が悪いとか、そういう関係を聞いているのか?
「んじゃ、もう一つ。前回の騒動の経緯を、アイツから聞いたか?」
「前回っていうと、あの喧嘩騒ですか? いや、俺は何も」
「舎弟だっていうのに、何一つ聞いていないのか」
「確かに俺はヨウの舎弟ですけど……」
あの騒動のこと、ヨウの口からは何も聞いていない。俺から安易に聞ける雰囲気でもなかったし。自販機に寄り掛かって缶コーヒーを飲んでいる日賀野は、俺の返答に「アイツは相変わらずだな」って鼻で笑う。
「救いようのねぇ馬鹿っつーか、能天気っつーか、ありゃミジンコ以下の脳みそだ。いっそくたばった方が世の中の為、お社会さまの為だな。考え方一つひとつが甘ぇんだよ、クズめ。死ね」
今、どれだけ、ヨウと日賀野の仲に溝が、あるか、たっぷりと見せ付けられたような気がする。
極力ヨウの話題は避けた方が良い。絶対良い。じゃないと、俺、マジで殺されるって。
「お前もそう思うだろ?プレインボーイ」
「ッ、うえぇ?!」
お、俺に振るか! ヨウの舎弟の俺に!
「ククッ、荒川の舎弟の俺に振るか? ってツラしているな」
「……あ、あははは。いやぁ、一応、俺、ヨウの舎弟ですし、ね。わ……悪くは言えないみたいな? あはははは」
心の中を読まれた。こりゃ下手なこと思えないし言えないし行動できないぞ。
冷汗タラタラの俺は懸命に愛想笑いを浮かべて、日賀野からの視線を避ける。隣にいる利二の顔色、土色になっている。俺もきっとそんな情けない色してるんだろうな。
そんな俺達を面白そうに日賀野が眺めている。甚振っていることに歓喜を覚えている、そんな顔。視線がかち合うと、痛いくらいに背筋が凍った。悪寒がする。何かが起こる気がする。本能が喧しいくらい危険信号を出している。
早く利二を帰さないと。帰さないと不味い気がする。
「利二。お前、時間迫っているだろ。行けよ、俺はまだ此処にいるから」
「……田山」
「グズグズするなって。いいから早く」
「何か起きる前にダチは帰す、って魂胆か。察しが早いな」
大袈裟なくらいに肩を竦めて、日賀野と視線を合わせる。
面白おかしそうに俺を見ている日賀野が自分の頭を指差して、口角をつり上げて不敵に笑った。
「本当にあの野郎の舎弟なのか? ってくれぇ、ココが回っているな」
皮肉った褒め言葉になんか一切、情を感じない。息を呑んで声を振り絞る。
「……単刀直入に聞きます。俺に何の御用ですか?」
「前に言ったろ、プレインボーイ。俺のテリトリーに大歓迎してやるって。その約束を果たしにな」
「それだけじゃ、ないでしょう?」
「鋭いな。気に入った」
俺は気に入られたくないし、気に入られても迷惑だっつーの。寧ろ早く家に帰してくれ! ついでに休日という時間を俺に返してくれ! ナゲット奢ってもらった時のルンルン気分返せ!
目を細めて笑う日賀野が中身を飲んでしまった空き缶を放り投げた。
ポイ捨て禁止って常識の言葉、日賀野の辞書には無いと見た。
くぐもった笑いを漏らして歩み寄ってくる日賀野が、俺の肩に腕を乗せて寄り掛かってくる。近くにいるだけで体の芯が冷えていく気がする。完全に俺、この男に恐れをなしているんだ。唾を飲み込んで恐怖に耐える。
どうにかこの間にも利二には無事に家に帰ってもらいたい。でも利二、帰るに帰れないんだろうな。視界の端でどうすれば良いか分からずに困惑して佇んでいる利二が映っている。気持ちは分かる、分かるぜ。
だけどお願いだから今のうちに帰ってくれ利二。お前が帰っても俺は恨まないから。そうしてくれた方が俺的に嬉しいんだ。お前を巻き込みたくない。
日賀野は俺が今まで出会った不良の中で1番ヤバイんだ。いつも何を目論んでいるか分からないワタルさん以上に、日賀野の考えていることが分からない。それが堪らなく恐ろしさを感じさせてくれる。恐怖に耐えている俺に日賀野がフッと笑いを漏らした。
「不運だな。荒川の舎弟になんざなっちまうなんて。まあ、そのおかげで? お前はラッキーなことに俺に出会えたんだがな」
ヒッジョーにアンラッキーだよ、チクショウめ。精一杯毒を吐く。あくまでも心の中で。
「荒川と俺の関係、噂くらいだったら知っているだろ」
「あ……あまり仲が宜しくないとかナントカって程度なら耳にしましたけど」
「それだけ知っていたら上等だ。俺と荒川は、噂以上の仲でな。互い顔を合わすだけで虫唾が走る。無論、荒川とつるんでいる奴等も虫唾が走って仕方がねぇ」
んじゃ、つるんでいる俺も非常に虫唾が走るのでは? 見透かしたように俺の疑問に日賀野は答えてくれる。
「舎弟がこんなプレインボーイとは思わなかったからな。正直言って拍子抜けって気分だな」
「ひょ、拍子抜け……」
「なんだ? 虫唾が走るって言われた方が良かったか?」
面白いヤツだな、日賀野が小ばかにしてくる。
いつもだったらカチンくるところだけど、恐怖の方が勝って頭にくることはなかった。早くコイツから解放されてぇ。家に帰りてぇ。不可能に近いことを懇願してしまった。
「プレインボーイ。俺達の中で舎弟を作るってどういう意味か分かるか?」
なんでそんな質問してくるんだろう? 疑問を抱きながら答えた。
「……弟分を作ってことですか」
「ま、弟分ってのも半分当たっているが、俺達が舎弟を作るってことはソイツに“背中を預ける”ってことだ。分かるか? クッサく言えば誰よりもソイツに信頼を寄せるんだよ。自分の後継者を作ったことにもなる」
「じゃあ、俺は今ヨウの背中を預かっていることですか? そりゃちょっと荷が重いっつーか、無理っつーか…こ、後継者? 俺がヨウの⁈」
「なんだ。それさえ教えてねぇのか、アイツは」
あの喧嘩の強い、顔がイケてて女の子にモテモテのヨウの後継者だって? 地味で平凡で喧嘩に弱い俺が後継者。女の子にモテないし、彼女作ったコトだってないし……嫌味だ。そんなの、嫌味の他に何もねえよ。ヨウは俺に嫌がらせをしたかったのか。
……いやヨウの場合は、
「多分面白半分に舎弟にしたんだろうな、俺のこと。うん、あいつならきっとそうだ」
「だろうな。アイツはそういうヤツだ。フツーはプレインボーイを舎弟にしないしな。ま、お前が面白いっていうのは分かるがな」
全体重を肩に乗せてくる。ハッキリ言って重てぇ。スッゲー重てぇ。
「なあ、プレインボーイ。背中を預けた奴から刺されたら、アイツはどんな顔をすると思う?」
感じていた重たさが吹き飛んだ。
恐れていた日賀野の顔を凝視して、俺は言葉を詰まらせる。察しがいいとばかりにニヤ付いてくる日賀野は、俺の耳元でそっと囁いた。
「意味、分かるな?」
「ッ、ま、ま、待ってくれよ! 俺、ヨウの舎弟なんだ。そこらへん……分かって……ヨウを裏切れってことか?」
「ああ、分かっているぜ。アイツにとって苦痛の一つは信頼を寄せていた奴に裏切られること。プレインボーイ、お前、俺の舎弟になれ」
日賀野の舎弟、に、俺が?
「ヨウの舎弟……やめろってことかよ」
「別にアイツの舎弟なんざやめろとは言ってねぇだろ? 今までどおり、表ではアイツの舎弟に成り下がっとけばイイ。ただし裏では俺の舎弟にも成り下がっとけっていうことだ」
日賀野の考えていることが手に取るように分かる。表面上はヨウの舎弟に成り下がっておいて、実は日賀野の舎弟として動けって言いたいんだろ。ヨウの舎弟の立場にいる俺を利用して、あいつを何かしらの方法で貶めようとしているんだ。心臓を射抜くような視線が俺に教えてくれる。
俺は目を背けた。
そんなこと出来る筈ないじゃないか。そりゃヨウのせいで災難ばっかり降りかかっているけど、ヨウを憎むほど恨みなんか無いし、ヨウを裏切るようなことはしたくない。知り合って日は浅いけど、あいつが仲間思いだってことも知っているし、馬鹿みたいにひとりで突っ走ることも知っている。
あの騒動のことで礼を言ってくれたヨウを思い出すと、俺、尚更裏切るなんて。黙り込む俺に日賀野が口笛を吹いて、口角をつり上げる。
「現状を見ろよ。このままだとお前、どーなりそうだと思う?」
「でも……」
「利口になった方がお前の為なんだがなッ、と!」
「と、利二!」
日賀野の踵が隣にいた利二の腹部に食い込んだ。利二は息を詰まらせてその場に座り込む。
眉を寄せて喰らった蹴りに悶える利二は、擦れた声で俺に大丈夫だと告げてきた。やせ我慢だってのは誰が見ても一目瞭然。喧嘩慣れしている日賀野の蹴りだぜ。痛いを越えている筈。日賀野はニヒルに笑って俺を見下してきた。
「カワイソーに。さっさと返事を出さないから、オトモダチがおイタな思いしてるじゃねえか。どうする? もう1発、オトモダチに蹴りお見舞いしてやってもいいが」
「これは俺とあんたの問題ッ、利二は関係ないじゃないか! 利二は不良でも、俺みたいに舎弟でも」
「お前と関係を持っている。理由はそれだけで十分じゃねぇか?」
言葉に詰まった。
きっと俺がまた黙り込んで迷う素振りを見せれば、日賀野は利二に危害を加える。俺だけの問題が利二にまで降りかかるなんて。
下唇を噛み締めて、俺は握り拳を作った。
ヨウ……お前のこと、嫌いじゃないぜ。お前、不良で母音に一々濁点付けて恐いとこあるけど、話していて俺と同じ普通の高校生だってのも分かったし、仲間の為に必死こいて走る姿、知れて良かったと思うし。遠回し礼を言ってきてくれたこと、正直スッゲェ嬉しかったんだ。お前のこと、やっぱ裏切りたくなんかねぇ。
でも俺にとって利二も大事な友達なんだ。薄情だけど、親身になって俺の話に耳傾けて、純粋に心配してきてくれる大事な友達なんだ。
だから。
答えを出した俺は日賀野を見据えた。
返答を待っている日賀野が俺の心を見透かしたように目を細めてくる。何考えているか分からない眼に臆しながら、重たい口を開いた。瞬間、胸倉を引っ掴まれた。日賀野に掴まれたんじゃない、腹部を押さえ悶えていた利二に掴まれた。
「フザけるな。許さない、お前の考えている返答は絶対に」
「と、利二」
「おいおい。邪魔をするのはナンセンスじゃねえのッ、か、!」
日賀野が利二の横っ面に拳を入れた後、腹部を思い切り蹴り飛ばす。
倒れる利二に思わず俺は肩に乗っている日賀野の手を振り払って利二に駆け寄った。蹲っている利二を抱き起こせば、キッと怒りの含んだ眼差しを俺に向けて胸倉を掴んでくる。唇が切れたのか、それとも口の中が切れたのか、口端から血が出ている。それに構わず利二は擦れた声を振り絞ってきた。
「日賀野の、望んでいる……答えを選べば、お前は……ただの腰抜けだ」
「このままじゃ関係ないお前がッ、今以上に怪我するんだぞ! 分かっているのかよ!」
「分かってないのは……お前だ、田山! ……どちらを選ぶべきかッ、馬鹿でも分かるだろ」
掴んでくる手が震えている。
利二、やっぱお前やせ我慢しているじゃないか。日賀野に次どんなことをされるか、スッゲービビってるじゃないか、スッゲー怯えているじゃないか。
「馬鹿はどっちだよ。この場を乗り切る方が先決だろ。どうせ、俺、成り行きで舎弟になっただけだ。日賀野の舎弟になろうとも、ヨウの舎弟になろうとも変わりやしないッ、俺は別にどっちの舎弟でも」
「それで、お前は良いのか…? ……良くないだろ……後悔するぞ、絶対に。カッコつけるな」
「かッ…カッコつけているのはどっちだよ!」
手ぇ震えているくせに、俺と同じように怯えているクセに、何が“後悔するぞ”だよ。
不良恐いだろ、お前……痛い蹴り喰らってるだろ。これ以上、怪我したくないだろ。なのに何で止めるんだよ。決心鈍るじゃないか。俺だって本当は日賀野の望んでいる答えを出したくなんかないぜ。出したくない。出したくないけどさ。
「後悔するのはお前だけじゃない……」
利二が胸倉を掴んでいる手を握り直す。
「自分も後悔する……絶対に、ぜったいに」
上擦った利二の声を耳にした俺は目を見開いた。
言っている意味を理解して俺は思わず泣き笑い。利二の気遣いと優しさと我が儘と勝手さと、色んな感情を向けられて俺の気持ちは混乱に近い。困惑に近いっつーのかな。途方に暮れているっつーか。
どうすれば良いか分からないって感じ。何が正しくて何が間違いなのか、今の俺には分からない。
ただ一つだけ、ヤラなきゃいけないことがある。日賀野に聞こえないように声を窄める。
「利二。チャリ、鍵掛けっぱなしだから。俺に構うな……」
「た、ッ、待て」
掴まれている手を払って俺は立ち上がると、日賀野を見据えた。「終わったか?」目論見を含んだ不気味な笑みに目を背ける。利二の声が聞こえたけど無視した。
態度で答えが分かったのか、日賀野が携帯をポケットから取り出して中を開く。
よくよくその携帯を見ると、アレ、俺の……てッ、嘘だろ。いつ盗られたんだよ! ロックを掛けていないから、簡単に中を開ける。凄く焦って返すよう言ったんだけど、日賀野は「エロ画像でもあんのか?」って俺の焦りようを鼻で笑ってくる。
そ……そんなのはねえけど、いや、そういう系サイト光喜と見たことは……って、チガウ! 人様に携帯弄くられるって良い気分しねぇじゃんかよ! っつーか泥棒だよお前!
取り返そうとしたその瞬間、俺に携帯を突きつけてきた。
「今、荒川の携帯にかけた」
「なぁああッ、ちょ、イキナリ、」
「荒川と貫名が、俺のテリトリーで暴れたみてぇでな。応酬してやりてぇから荒川を此処に呼び出せ」
携帯を押し付けられる。小さな器具から聞こえてくるのは舎兄の声。
俺は深呼吸をして恐る恐る携帯に耳を当てる。携帯越しから聞こえてくる喧しいBGM。ヨウは駅前のゲーセンにいるみたいだ。
このまま成り行きに任せて日賀野の言うとおりにしていれば、俺の想像する最悪の事態は避けられる。呼び出せば、ヨウを此処に呼び出せば俺の恐れている最悪の事態は逃れられる。
『ケイ、ケーイ。何だよ』
舎兄の声がゲーセンの喧騒に消されそうになる。
「あ、おう、悪い悪い。ヨウ。今イイか? 声聞こえ辛ぇな……駅前のゲーセンにいるのか」
『ああ。今、シズとエアホッケーしている途中なんだよ。用件なら手短に……ってか、お前も来るか? っつーか来いよ。お前が来ると盛り上がる』
「俺が来るって、いやー……」
呼び出す筈が、呼び出されちまった。あれ? どうしてこんな流れになっちまうんだ?
俺は真剣に悩んで日賀野を横目で一瞥。日賀野は「適当に呼び出せよ」と命令してくる。
利二にも一瞥。蹴りを喰らった腹部を擦っている。二度も痛烈な蹴りを喰らったんだ、そう簡単には回復できないと思う。鋭い利二の視線に、俺は視線を返して背を向けた。
「行きたいけど、その前に俺の用件イイ?」
『あーそうだそうだ。お前、何しに電話を掛けてきたんだ』
「うーん……それがさ」
苦笑が漏れた。
なんでかなー。やっぱ俺、お前を裏切れねぇよ。利二のおかげで、お前に背を向けようとした一時的な気持ちが消えちまった。友達をこれ以上巻き込みたくない一心で腹括ったのに、決めた筈なのに、情けねぇよな俺。
「――謝りたいことがあるんだよ。お前にしようとしたことにさ! ッ、利二!」
携帯から耳を離して利二に向かって叫ぶ。
俺の声を合図に弾かれたように利二は素早く立ち上がって俺のチャリに跨ると、顔を歪ませながらペダルを漕いで自販機から去って行く。
無事に逃げてくれよ、利二。
片眉を軽くつり上げる日賀野の前に立って、俺は残念でしたと携帯の電源を切った。
「貴方様の舎弟、俺には荷が重過ぎます。一つで手一杯ですし」
「ククッ、ほんとオモシレェなプレインボーイ。やっぱこういう選択をすると思ったぜ。簡単に事が運ぶとは思わねぇからな」
すべて計算のうちだったと肩を竦める日賀野に軽く頭にきた。
結局、日賀野の掌で踊らされていただけかよ。利二を怪我させたのも、俺が苦悩することも、全部、こいつの計算のうちだったのかよ。逃げた利二を追わなかったのはわざとか。わざと見逃したってことか。
鼻を鳴らしてせせら笑う日賀野が俺を捉える。
「一つだけ計算外だったことがある。舎兄に助けを求めねぇってことだ」
「それは不良を頼るのが恐いから……じゃなくて、ピンチの時だけヨウにヘコヘコと頼る舎弟にだけはなりたくないもので」
「ッハ、泣かせる台詞。そんなお前に免じて荒川とっての苦痛を、もう一つ教えてやるよ」
それはな、信頼を寄せていた奴が傷付くことだ。
前回の騒動で知っただろ? アイツは単細胞だからな、喧嘩に巻き込まれていると知っただけでソイツのもとに突っ走る。日賀野がそう俺に言った。
「呼べばアイツは直ぐに来てくれただろうにな。惜しいことをしたな、プレインボーイ」
「俺、成り行き舎弟なもので。不良でもないし」
別に俺はモトみたいにアイツを尊敬しているわけじゃないし。
アイツのことをビビッてる俺が、こういう時にだけ助けを求めるなんて筋違いだ。っつーか俺がカッコ悪い。もともとカッコ悪いんだけどさ、俺にだってプライドくらいあるぜ。ちっさいプライドだけどさ。
「さてと、ま、話はこれくらいにして、どーするかな」
「……ッ、ど、どーするつもりだよ! い、言っとくけど俺! あんたに負ける自覚はあっても覚悟は出来てねぇからな!」
「ククッ、オモシレェことばっか言うな。まあビビるなって。俺にも情くらいあるぜ? そう大安売りみてぇに手や足を出さねぇぜ」
どの口がンなことを言っているんだよ。笑っている時点で信用ならねぇって。
「ま、ゲームは面白くなきゃな。俺と知り合っちまったラッキープレインボーイ、いや……ケイ。これから色々諸々仲良くしてくれよな。俺を楽しませろよ」
日賀野が一歩足を前に出してきた。
俺は逃げ腰になる。これから何をされるのか、こっちたらぁ想像が付いているんだよ。チックショウ、恐ぇっつーの!
獲物を狙うような眼差しを向けられて、俺、メッチャビビッてる。足が竦むっていうか感覚が無い。逃げるって言っても足じゃきっと追いつかれるよなぁ。参ったね、これ。
「質問だプレインボーイ。チャリを取られたらお前、何が残る? 俺に勝てそうなもの、あるか?」
ホーラきた! 『そう大安売りみてぇに手や足を出さねぇぜ』って言った手前にこれだもんなぁ! ヤになっちまう! 歪んだ笑いを浮かべてくる日賀野に、俺は怯えながらも反論した。
「勝てそうなもの、ひ、ひひひひ一つだけある!」
「ほぉー、それは何だ?」
「習字、中二までしていたもんで」
冷汗を流しながらも俺は舌を出した。
これでも大真面目に言い返したつもり。