XX. 一番好きで一番嫌いな君に捧ぐ
【某総合病院201号室】
――コンコン「どうぞ」、コンコン「あ?」、コンコン「いい加減に」、バンッ!
「よっ、ご機嫌いかが? 唯一入院組の日賀野大和くん。そう、今回の喧嘩で唯一頭から血を流して、俺に助けられちまった日賀野くん、お元気? 俺は超元気。マージ愉快過ぎて腹が捩れてきたんだけど。あ、お構いなく。勝手に上がらせてもらうから」
執拗にノックをした挙句、個室の扉を開けてみればあらびっくりド不機嫌不良が寝台の上にいた。
頭に包帯を巻いているキャツはヨウの姿を見るや否や、「帰れ」片眉をつり上げてノット大歓迎してくれるが、ヨウは怪我人の許可無くズカズカ病室に入り、どっかりとスツールに座る。怪我人の言うことなどお構いなしだ。
ドドド不機嫌にランクアップする怪我人に、ニヤニヤと口角をつり上げてヨウは片手を挙げて挨拶。
「そんなに歓迎してくれなくても、用事が済んだら帰るって。おっとその包帯いかすぜ」
ピキッと青筋を立てるヤマトにへらっと笑い、ヨウは足を組んで膝の上で頬杖をつく。
「学校は?」問い掛けに、「不良が学校を心配するのか?」ヨウは能天気に笑った。鼻で笑うヤマトは、さっさと帰れとオーラで脅してくる。それで屈するヨウではない。
「まあ、いいじゃねえか。見舞いに来てやったんだし。三日後には退院できるんだろ? 大事に至らなくて良かったじゃねえか。いやぁ、俺が助けてやったおかげだな。体を張って助けてやって良かった。俺はお前の恩人だよな? なー? 今日から“さん付け”させてやってもいいぜ?」
「取り敢えず、一発かまして貴様を病室から放ることにする」
「うわぁお物騒だな」ヨウはおどけ口調で話していたが、お遊びは此処までだと一変。真顔で向こうチームの頭を見据えた。
「ヤマト。五十嵐との決着はついた。今度こそあいつは俺達の前にはもう姿を現さないと思う。作戦でも実力でも俺等が上回ったからな。勝利と力がすべてだったあいつのプライドもズタズタだし、あいつについて来る輩もそうはいない筈。五十嵐との対峙は仕舞いだ。きっとな。ま、断言はできねぇが、あいつが姿を現しても結局は返り討ちにするだろうか大丈夫だろう」
怪我人は相槌を打ち同意した。
「で、どうする? 一応俺等の契約は“五十嵐を倒すまで”だったが、これからまた一から仕切りなおしてみっか?」
苦々しく笑みを零すヨウに、ヤマトは間を置いて一言。「興ざめしている」
今更本来のゲームを盛り上げる気にはならない。上体を起こしていたヤマトは力なく寝台に沈みに、頭の後ろで手を組んだ。
何故ならば、決着が付く前に『漁夫の利』作戦が決行され、自分達の決着は水に流されてしまった。もう一度盛り上げるにはそれなりの歳月と根気、やる気を要するだろう。「やり合いてぇなら考えるが?」投げやりな問い掛けに、「俺的に今更やり合う意味、あんのか疑問を持ってきたんだが」ヨウは率直な意見を口にする。
「このまま、なあなあにしていても後味が悪い。だからって決着をつける。それも今更、だ」
だってそうではないか。
最初は五十嵐の倒し方でどうこう口論をして仲違いに。ついには分裂してしまった自分達だが、五十嵐の一件で手を結ぶことができた。小さな亀裂が次第に大きくなっていったのは、情けないことに裏で手を回していた五十嵐のせい。皆、踊らされていた。
責任転嫁みたいな言い方だが、五十嵐の手回しで二グループはどんどん仲が悪くなった。
最初は分裂して終わると思っていたのに、各々仲間を傷付けられ、頭に血が上ぼり、やり返してやり返されてエンドレス。
高校に進学しても、過激する一方。
ついには本格的に仲間達が傷付いた。現在進行形で傷付いている。
高校で出来た仲間と一緒に小競り合いをしていた自分達。先に宣戦布告をしたのは荒川チーム、受けたのは日賀野チーム。決着を付けるまでやり合っても良いが、お互いがお互いに負ける気などしない。仲間と一緒なら相手を伸せると双方思っているのだ。負けん気の強い奴等ばかりだから。
けれど、やればやり合うだけ結局は傷付く。お互いに。
仲間が傷付くのは正直、リーダーとして見ていられない
「ヤマト、俺は馬鹿みたいに自己主張をするのをもうやめにしようと思う。俺達には俺達のやり方や考えがある。リーダーがこんなんだから直球・真っ向勝負ばっかするチームだ。この考えを変えるつもりねぇ。そうやって真っ直ぐに仲間を守るのが俺のポリシーだったりするわけだ。
だからテメェ等のやり方を今まで散々認められなかった。作戦を使って、効率的に勝利をおさめようとするまどろっこしいやり方が俺の肌に合わなかったんだ。まあ、俺は馬鹿だから? 頭より体を使う方が好きだったりするわけだし? ……けどテメェ等を否定する権利は結局無いんだと思い直した。
テメェ等の力があってこそ、今回は勝てたんだしな。いつぞか俺はテメェやテメェのチームを認めねぇっつったけど、そりゃ撤回する。また五十嵐みてぇなのが出てきたその時のことを考えると……ヤマト、俺の言いたいことはもう分かるな?」
「……フン、俺は俺のやり方を変えるつもりはねぇ。貴様の言う“卑怯”が仲間を守れるためなら、俺は喜んでそれを使う。いいな、荒川。俺達は貴様等に負けるつもりはねぇし、考えを改めるつもりもねぇ。仲間を傷付ける日がくりゃ、俺は容赦なく貴様等を潰す。だが貴様の案に妥協はしてやってもいい。どうせこっちの仲間にも言ったんだろうしな。貴様の考える、協定継続と停戦案に乗ってやる。ま、これが何処まで守れるか。俺には疑問なところだがな」
まどろっこしい言い方だ。
そこはストレートに受け入れると言ってくれたら良いものを。
「テメェって偏屈ばっか言うけど、あれだな。ただ単に捻くれているだけだな。フツーに返事すりゃいいのに」
「単純馬鹿ノミクズよりはマシだ。話が終わったなら、さっさと帰れ。俺は寝る」
ヒクリ、ヨウはこめかみを軽く痙攣させた。
この男、やっぱりいけ好かない。実力や考え方は認めるが、だからと言ってそいつのことに好意感を持てるかと問われると、それは否である。怪我人でなければ喜んでその態度に喧嘩とつばを吐きかけてやりたい。
「ったく」ヨウは鼻を鳴らし、持参していたビニール袋を相手の腹にのせて立ち上がる。
「あ゛?」何だこれ、ヤマトの疑問に見舞い品だと肩を竦めた。
「テメェは一応怪我人だからな。手ぶらで来るわけにもいかないだろ」
「なるほどな。すると明日は地球の破滅か。そうか。人類は滅びるんだな。短ぇ人生だった」
にゃろう、人の好意を。
一々々々いけ好かない態度を取ってくる男を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、どうにかこうにか感情を抑え込む。相手は怪我人、怪我人、怪我人、喧嘩を売ったらこっちが大人げないと馬鹿を見ることになる。落ち着け、俺。
こめかみに青筋を立てつつ、ヨウはベッドの住人に告げる。
「協定継続と停戦はするが、仲間には手ぇ出すなよ。テメェが俺に言ったように、俺もテメェ等が仲間に何かしようもんなら……こりゃすぐにでも白紙にする」
軽く敵意を剥き出すヨウを鼻で笑うヤマトは、「どうだか」生返事をしてきた。
ムッと眉根を寄せるが、刹那、ヨウは一変して微苦笑を浮かべると扉の取っ手に掴み話題を切り替える。
「そうそうヤマト。俺、フラれたから。せーっかくテメェが負傷している隙に、セフレを取り戻そうとしたのに。あーあーあー、いっぱい食わされたぜ」
「は?」何のことだと険しい顔を作るヤマトに、「セフレのままなら、また狙っちまうかもしれねぇぜ」ニヤッと悪どい顔を作ってヨウは扉を開ける。
そこには丁度、ペットボトルを土産に病室に入ろうとしていた元セフレが立っていた。「ヨウ」軽く驚いている彼女の肩を叩き病室を出て行く。そしてそのまま立ち去ろうと思ったのだが、思い止まり、病室の扉に背を預けた。
気付かれぬよう扉を少しだけ開け、中を覗き見。
隙間の向こうでは自分の座っていた場所に帆奈美が腰掛け、怪我人に飲み物を手渡しているところだった。
「ヤマト、気分はどう? あ、これ、ヨウが? 中身は?」
「さあな。まだ見てねぇ。気分は最悪だ」
いっちゃん好かん男に見舞われたのだから、と非常に失礼なことを口にするヤマト。
危うく、「ンだと?!」病室の扉を開けて乗り込みたくなったが、グッと堪える。苦笑いを漏らす帆奈美は素直じゃないと彼に綻び、中身を確かめてあげるとビニール袋を手にした。一連の動きを見ていたヤマトだが、不意に彼は彼女に尋ねる。「フッたのか?」と。
帆奈美は動きを止め、たっぷり間を置いて首を横に振った。正しくはちゃんと別れ話をしてきたのだと返事する。
「一方的に私、相手を責めて終わったから。今度こそ区切りつけたくて……ヤマトとも、ちゃんと区切りつけたい。ヤマトのセフレ、やめて良い?」
彼女は前触れもなしに彼に申し立てた。セフレをやめて良いか、と。
ヤマトにだって何か思うことがあるだろう。
けれど、「好きにすりゃいいさ」彼はぞんざいに言い放った。強がりと言えばそれまでかもしれない。彼はいつかこうなる日を覚悟していたことかもしれない。帆奈美は彼の台詞を聞いた後、また間を置いて、「その代わりにヤマトの居場所になりたい」と彼に告げる。
これにはヤマトも予想だにしていなかったのか、ペットボトルの蓋を開けようとしていた手が止まった。大層間の抜けた顔で彼女を凝視している。してやったり顔で帆奈美はヤマトに言うのだ。
「ヤマト、私の居場所……いつも作ってくれようとした。今度は私が作ってあげたい」
扉の向こうで盗み聞きしていたヨウは、数十分前の彼女とのやり取りを思い出す。
ヤマトの病室に来る前、ヨウは個別に帆奈美と会っていた。駅前のベンチに彼女を呼び出して。すべてに終止符を打つために。
会えば嫌いだと念頭のどこかで感情が過ぎるものの、やっぱり本気で嫌いにはなれないのだとヨウは彼女と対面して痛感する。それはきっと彼女も同じなのだろう。全面的に表情が出ていた。最初こそ会話なくベンチに座って時間を過ごしていたヨウだったが、自分から話を切り出し、まずは詫びを口にした。いつぞか彼女に向けた暴言のことを。
「テメェに誰とでも寝ちまう女っつった。あー……なんだ、あれだあれ。謝る。ンなわけねぇのにな、悪い」
ぶっきら棒な物の言い方になったが、性分だ。ご愛嬌として受け止めて欲しい。
自分の詫びに帆奈美はかぶりを振る。「謝ること無い。本当のこと」諦めたように言葉を返した。割り切っている、という表現の方が適しているかもしれない。
「私、自分が一番可愛い。浅ましい女。だから不安を感じたらすぐに、誰かに構って欲しくて。ヨウも、ヤマトも、傷付けた。二人に甘えていた」
最初からヨウに不安だと正面からぶつかれば良かった。
ウジウジと落ち込んで、いつか気付いてくれるだろうと淡い期待を寄せた。愚かな判断だった。少しは気持ちを出せば良かった。それだけできっと、未来は変わっていた。
「ヨウのこと嫌い嫌いきらい、プライドばっかり取る男、罵っていたけど、違うって分かっていた。自分の非、認めたくなくて貴方に責任、押し付けていた。私、とても弱かった。今ならヨウに謝れる。ごめんなさい。傷付けた」
果敢なく笑みを浮かべる帆奈美を横目で見ていたヨウだったが。「悪かったな」再度詫びを口にし、ぶっきら棒に唇を結ぶ。
「俺、あいつほど女のことを……分かってねぇ奴だから。テメェの不安を分かってやれなかった。言い訳すりゃ、自分のことで手一杯だったんだ。当たり前のように傍にいるって思ってたしな」
ボソボソッと呟けば、「ヨウ。今日は変」いつもだったら強気に勝気な態度を取るのに、と帆奈美が一笑してくる。
変で悪かったな変で。こっちとらぁこれでも緊張しているんだよ。鼻を鳴らすヨウはブレザーのポケットに手を突っ込み、「もうスんじゃねえぞ」そっと彼女に告げてやる。何が? 問われる前に、ヨウは言葉を上塗りする。好きでもない男に媚びたりキスしたりするんじゃないぞ、と。
「テメェは見た目以上に好意を寄せてる相手に一途だからな……好きなんだろ? ヤマトのこと」
口を噤む彼女に気遣わなくても良いから、とヨウは目尻を下げる
彼の事が好きだから自分の足止め役を買ったり、五十嵐の条件を呑もうとしたりした帆奈美。きっと彼女はセフレではなく、ヤマトと別の関係を望んでいる筈。聞かなくとも、彼女を見ていれば分かる。だって自分はまだ未練がましく彼女を好いているのだから。
自分にとって世界でいっちゃん嫌いな女、でも世界でいっちゃん好きな女なのだ。帆奈美は。
「好きだと言っても大丈夫だろ。あいつは惚れた女を庇うくらいゾッコンなんだ。両手を挙げて喜ぶだろーぜ」
足を組み、ヨウは広場に集まる鳩に目を向けた。
オスがメスをしきりに追いかけている鳩をぼんやり見つめながら、「これからもあいつとセフレのままならさぁ」話を続ける。
「俺にもチャンスあるじゃんとか思うだろ? マージ、俺って痛い男。しつけぇ。乙女な俺、どんまい」
「ヨウ……」
「正直にテメェと別れてショックだった俺がいる。それって、つまりそういう意味ってことだろう? セフレだった頃、テメェにちゃんと言ったこともなかったけどな。一度でも良いから言えていたら……後悔しているよ」
一変して笑顔を浮かべると、「テメェは汚くない」彼女の後ろめたい気持ちを摘んでやる。
不安だからとヤマトに付いたことも、縋ったことも、彼とセフレになったことも、汚い行為ではないのだ。確かに嫉妬心は抱くし怒りだって覚える。
でも、そう仕向けてしまったのは誰でもない自分だ。お互いに言葉足らずだったから、こんな未来を掴んでしまったのだ。もう繰り返して欲しくない。ヨウは切に思う。
帆奈美のことだ。
ヤマトの優しさに漬け込んでしまっている、自分を手酷く裏切った、その負い目に心苦しさを覚えているのだろう。だから前に進めない。だったら自分だって……もうやめよう。お互いにしがらみに囚われるのは。
「テメェとセフレでも付き合えて良かった。そう思っているよ。いっちゃん嫌いな女だけどさ、傍にいると……いっちゃん安心する女だよ。お前」
敢えて好きは言わない。
だって自分にはもう、勝ち目など無いと分かっているのだから。
せめて心にでも置いてもらおうと、こうやってカッコはつけるけれど、彼女を見つめれば見つめるほど思う。やっぱり帆奈美が好きだ。どこかで悔しい思いを噛み締めている。しかし、こうやって半分以上気持ちを告げられるだけでも儲け物だと思っている。あの頃は自分の気持ちを言える機会すら掴めることなどない、と思っていたのだから。
クシャリと泣き笑い顔を作る彼女に、「終わりにしようぜ」ヨウはあどけない笑みを向けた。前に進んでいいのだ、お互いに。
すると帆奈美が人目も気にせず飛びついてきた。反射的に体を受け止めたヨウに彼女は上擦った声で言う。
「嫌い、うそ。本当は、好き。昔とカタチは違う、でも貴方のこと嫌えなかった。今も好き……一番じゃないけれど」
余計な一言を付けてくる彼女に「うるせぇ」不貞腐れつつ、軽く抱擁した。
これで最後。本当に最後。自分達の関係は本当の意味で終止符を打たれた。気持ち的にほろ苦さ半分、甘酸っぱさ半分。お互いに傷付け合った。暴言も吐いたし、憎んだりもしたけれど、今をもって自分達は終わりを迎えたのだ。
もういい。帆奈美は苦しまなくていい。今度は幸せになって欲しい。
「やべぇ」
ヨウはおどけ口調で彼女に一言。
「抱き締めたら、放したくなくなった。ヤマトにやりたくねぇ。あーあー、どーしよう。このまま掻っ攫うか?」
「ヨウ。やっぱり変。いつもだったらそんなこと、絶対に言わないのに」
変で悪かったな、ちっとだけ素直になったんだよ。ヨウは柔和に綻ぶ
後悔はなかった。この関係に、否、この気持ちに後悔はなかった。いつかまた別の恋をすることがあっても、帆奈美との恋は無駄に終わらない。必ず糧になってくれる。そう、強く信じている。
――大丈夫、テメェ等なら上手くいくさ。
帆奈美の告白を耳にしていたヨウは苦笑を零し、彼女に人知れず声援を送る。悔しい反面、彼女に声援を送りたくなるのは、帆奈美の笑顔を自分も望んでいるからだろう。居場所になりたいと告げる彼女は、ヤマトに重ねて気持ちを告げる。「ヤマトが好き」と。
「最初はヤマト、支えてくれてたから、優しさに甘えて好きだと思っていた。でも違うと気付いた。ヤマトが好きだって。不安だから傍に置いてもらっていた。だけどこれからは……ヤマト、好きだから傍にいて良い?」
真ん丸お月さんのような目をして硬直していたヤマトだったが、ふーっと息を吐いて頬を掻く。
「メンドクセェ女だな」キュッと開けかけのペットボトルの蓋を閉め、ベッドサイドテーブルにそれを放り投げた。
「いつもそうだ、お前はメンドクサイ。世話バッカかけやがる。それに掻き乱される俺がいっちゃんメンドクセェ」
「うん」
「あ゛ー……いいか帆奈美、俺の居場所になったら最後、今度はもう自由にしてやれねぇぞ。どっかの男を想いやがったら、多分俺はキレる。いやぜってぇキレる。てか嫉妬? ……はぁ、そんな俺ってマジクソメンドクセェ。だがお前に対してはそんな気持ちだ。いいのか?」
うん、帆奈美は花咲く笑顔を作った。
本当に自分のことを好きだと察したのだろう。ヤマトは彼女の言葉を信じ、撤回は認めないと素っ気なく言い放つ。
それでも幸せそうに笑う彼女が好きと言葉を送ると、「もう一つ条件だ」己の感情を隠すように彼は命じた。
「もう……ヒトリで泣くな。裏でこそこそ泣かれてもメンドクセェからな。泣くなら、俺の前で泣け」
「ありがとうヤマト」
帆奈美を直視できなかったのか、ヤマトは手荒に彼女の持っていたビニール袋を掻っ攫う。照れ隠しなのだろう。彼女は気付いていないが、ほんのりとヤマトの耳が赤く染まっている。捻くれでも気持ちまでは誤魔化せなかったようだ。
思わず笑いそうになったヨウが、廊下で大笑いしたのはその直後。
「ンだこれは?!」
ヤマトが素っ頓狂な声を上げて、ビニール袋の中身を引っくり返した。
中から出てきたのは『ビーフ・ジャーキー』の束と、犬のポストカード十枚。その一枚に『元気になるんだワン。じゃないとブッコロしゅん(肉球)』とメッセージ入り。それを見たヤマトはあの野郎と握り拳を作る。自分が犬嫌いだと知っていて、嫌がらせの如く犬を連想させるジャーキーを押し付けてくるとは。しかもメッセージ……最悪過ぎるっ!
体を微動させるヤマトの傍で帆奈美がクスクスと笑い、廊下でヨウの大爆笑が聞こえた。
「ゲッ、あの野郎、まさか……!」ヤマトの表情が強張り、帆奈美が軽く驚き、扉の隙間からひょっこりとヨウが顔を出す。パーン、指でヤマトを撃ち、ぶりっ子にウィンク。
「デレ顔になっているぜ? ヤマト。恋人は犬っころだと思っていたのになー」
「き、貴様! ブッコロスぞ!」
「ブッコロしゅんだろ?」
大笑いしてヨウは急いで病室から逃げた。
これくらいの意地悪は許されるだろう。こっちはフラれた身分なのだから。
笑声を漏らしながら、ヨウは頭の後ろで腕を組んだ。さてと、これから学校に行って仲間にでも慰めてもら……ワタルだけには黙っておこう。ネタにされるだろうから。
学校に向かうため、軽い足取りで病院を出た。フラれたというのに気持ちは澄み切った青空のように晴れ渡っていた。
同じく病室。
「ったく、あの野郎。デガバメかよ。おい帆奈美、グルだったんじゃないだろうな?」
「それは言い掛かり。私、無関係」
クスクスと絶え間なく笑声を漏らしている帆奈美はビーフ・ジャーキーやポストカードを仕舞って綺麗に口を縛る。と、足元にもう一つビニール袋が。ヨウの忘れ物だろうか? 帆奈美はそれを取って中身を開く。ついつい綻んでしまった。
「ンだよ……」不機嫌な眼を向けるヤマトに、「これ」中身を差し出す。
帆奈美の手にはセブンスターという銘柄の入った煙草と缶ビール。ヨウがこっそり置いて行った、もう一つの見舞い品だった。一応彼なりに心配の気持ちはあったようだ。
「ッハ……胸糞悪い奴。明日はやっぱり地球が滅びるんだろうな」
素直に好意を受け止めないヤマトに一笑し、帆奈美は目尻を下げた。
少しだけ皆、あの頃の関係から脱皮して前進している。そんな気がする。