08.だからね、ご機嫌取りをしよう
「田山圭太さん、良い名前ねぇ。歳はこころと一緒だそうだけれど。何でもお習字が得意だとか! おじいさん、丁度お葉書を出そうとしていましたし、圭太さんに宛て先を書いて頂きましょうか?」
「そうしてくれると助かりますのう。何せこの老いぼれ、筆ペンを持つと手が震えて震えて。頼まれてくれますか?」
五枚ほど書いて欲しいのだけれど、とココロのおじいさん。あ、ちげぇ昭二おじいさん。
「じいじ!」何を言っているのだと俺の隣に座っているココロが昭二おじいさんを咎めた。いいじゃないか、おじいさんは気に素振りも見せず箪笥に向かう。
俺は今、ココロの家の居間にお邪魔させてもらっている。
長方形の短脚テーブルを挟んで、おはぎとお茶をごちそうになっているんだけど、いやはやココロのおじいさん、おばあさんはとても優しい。
二人はガッチガチに緊張している俺に愛想よく話し掛けてくれるし、自分達のことを昭二、おトキと呼んでくれるようお願いしてきた。だから俺、友好を深めるために昭二おじいさん、おトキおばあさんと呼ばせて頂くことにした(じいじ、ばあばでも良いと言われたけど流石に……な?)。二人も孫が増えたって喜んでくれたし。
……孫が増えたの意味は深く考えないようにするけど。
畳の香りで包まれている居間は大層居心地良く工夫をされている。
その香りを楽しみつつ、俺は昭二おじいさんから筆ペンと葉書、それから住所と名前の書いたメモを受け取った。
「すみません」ココロが謝罪してくるけど、これくらいなんてことない。おはぎとお茶を横に置くと筆ペンの蓋を取って、早速作業開始。皆が見守る中、集中も集中して、努めて綺麗な字で書くようペンを走らせる。習字、中二でやめたんだけど、まだそれなりに字は綺麗に書けるようだ。達筆を努めて、俺は五枚の葉書に各々宛名と宛先を書き上げていく。
だがしかし、ひとつ思う事がある。これは一体全体何の苦行だろうか。
彼女宅で御家族に見守られながら、習字(硬筆)の腕前を披露するなんて。手ぶら田山圭太、彼女宅で習字の腕前を披露するの巻。次回は手ぶら田山圭太、彼女宅で談話するの巻だ。来週もまた見てくださいね、ジャンケンポン、うふふふふふっ。的気分だぞ!
ちなみに今のは日曜の六時半からある国民的大家族アニメの次回予告フレーズなんだぜ! 次回もチクショウも現段階じゃないんだけどな!
あ、駄目だ駄目だ集中を切らすな。
習字は一刻一刻、一字一句が勝負なんだからな! 自称習字伝説を持つ、この田山圭太の名に懸けて、五枚の葉書は綺麗に書き上げてみせる!
「うわぁ、ケイさん。本当にお上手ですね。文字の大きさが均等です。こんなにも字、上手だったんですね」
「一応小学校低学年から中二まできっちりと習わされてたからな。少しは文字が綺麗じゃない、と。よし、終わり」
キュッと『様』という字を書き上げて、俺は筆ペンに蓋した。乾くのを待って昭二おじいさんに差し出す。
「このような感じで宜しいでしょうか?」
「すみませんな。ほぉ、お見事です。お若い男の子がこんなにも達筆に書かれるとは凄いですのう。よほど習字に力を入れてたんですのう」
結果を出さないと母さんが鬼角を見せたからな。
「習字くらいなんです、俺の取り得って。あとチャ……ゴッホン、自転車も少々」
ぎこちない畏まった物の言い方にも気にせず、昭二おじいさんは「お見事ですな」二度も三度もお褒めを口にしてくれた。
は、は、初めて習字を習って良かったって思えたぜ! よ、よ、良かった。マジ習字を習っていて良かった。向こうの好感度が上がってくれたみたいだ。おトキおばあさんも綺麗な字だと喜んでくれているし。彼女にも褒められたし、習字も捨てたもんじゃないよな!
弟の浩介よ。お前は今、習字をやめたいと嘆いているだろうけど中二までは頑張れ! お得な特典も付いてくるぞ!
おはぎとお茶を元の位置に戻すと和菓子フォークを手に取り、おはぎを半分に更に四つに切り分ける。
「イタダキマス」三人に挨拶しておはぎを口に運ぶ。うん、美味しい。粒餡おはぎ美味いよ。隣の青のりおはぎも美味そうだし、何だか手ぶらでお邪魔して悪い気がする。いや、だってこんなことになろうとは。誰が予測したよ! 神様だって予想外だったに違いないぜ!
「すみません、ごちそうになってしまって。俺、何も持って来ていないのですが……次回、必ず」
「いいのよ、圭太さん。お心遣いありがとう。ほんと、こころも良い彼氏さんを持ったわね」
「うん」小さく頷くココロはあからさま頬を染めている。
そ、そんな反応をするなって……俺も気恥ずかしくなってきたんだけど。嗚呼っ、心臓うっるせぇ!
必死におはぎを噛み締める俺に、おトキおばあさんは微笑ましそうに頬を崩してきた。
「こころからよくお話は聞いているの、圭太さん。貴方がこころに優しくしてくれていること、大事にしてくれていること、支えになってくれようとしてくれること。こころったら、毎日楽しそうに話してくれるのよ。一番笑顔になる時かもしれませんね、おじいさん」
「そうじゃのう。こころから響子さんや弥生ちゃんといったお友達も耳にしますが、一番はやはり圭太さんですかな」
「ば、ばあば! じいじ! ……あ、電話。け、ケイさんに余計な事は言わないでね!」
しっかりと、もういっちょしっかりと釘を刺してココロが居間を飛び出す。
うわぁー、具合が悪そうだったココロさんはどこへ行っちゃったのかなぁ。凄いスピードで出て行ったんだけど。
苦笑する俺に、「圭太さん」おトキおばあさんが名前を呼んで綻んでくる。孫を大事にしてくれてありがとう、なんて言われちまって、俺はもうしどろもどろもいいところなんだけど。まだお付き合いをさせて頂いて月日も浅いのに。
そんな俺に構わず、おトキおばあさんは目尻を下げた。
「こころはとても引っ込み思案なところがあるから……何かとご迷惑を掛けてないかしら?」
「いいえ、周囲に気配りする優しい子ですよ。ココロ」
「そう言ってくれると此方も安心ねぇ。こころは昔からとても繊細な子で……なんてことのないことですぐに落ち込んだり、嘆いたり、泣いたり。お友達にも物事にも消極的な姿勢が多いの。自分の意志を押し通す力が弱いというか……だけど、ああ見えて私たちには我が儘な子なのよ。両親をうんと小さい頃に亡くしてから、こころは私たちが育てているのだけれど、甘えたがり、それにとても寂しがり屋。構って欲しいのに口では中々言わなかったりするの。言わなくても分かって欲しいって思ってるのかもしれない。
そういう消極的なところが、こころの短所だったりするんだけれど……圭太さん、何かと世話を焼くと思うけれど、仲良くしてあげてね。言いたい事が言えず、モジモジばかりする子だけれど、大目に見てあげて下さいな」
おトキおばあさんに微笑まれ、俺は笑みを返しつつちょっと思案する。
今はこの状況が忙し過ぎてデートとか、そういう恋人らしいことをしてあげられるのって少ないけれど……ココロはもっと恋人らしいことしたいんじゃないかな。俺もそうだし、ココロだって女の子だ。健気で恋愛に消極的姿勢だとしても、きっと今の状況……満足していない。
キスの時だって、その、なあ? 期待しちゃ駄目かと言われたし……ヨウも言っていたな。女の子は意外と期待しているものなんだって。
恋愛初心者の俺には何とも女の子の気持ちを察してやれない部分が多いけど、もうちょい甘えさせてあげよう。俺も、何かしてやりたいしな。
守りたい守ってやりたい。チーム一丸となって向こうチームを伸す。そんな気持ちばかりを優先にして、舎弟の俺と彼女の距離を置き、ココロの気持ちを蔑ろにする。
それはきっと彼女に寂しい思いをさせるんだと思う。逆の立場だったら絶対に寂しいと思う。二人きりになれる時間、過ごせる時間も少ないしな。うーん、他校同士で付き合うって難しい。同じ学校だったら、もうちょい時間取れただろうに。
青のりおはぎを半分に和菓子フォークで裂いて、更に四つ切にしながら、俺はおトキおばあさんと昭二おじいさんに率直な感想を述べる。ココロに対する率直な感想を。
「確かにココロはちょっと気持ち的に引っ込んでしまうところがあります。でも誰より、人に優しくできる子です。差別なく平等に人に優しくできる、そんな彼女の面を見て俺はココロを好きになったんだと思います」
「安心じゃのう、ばあさん。こころにこんな彼氏さんができて」
「本当に。これからもこころを宜しくお願いね」
「はい」俺は作業の手を止めて柔和に綻んだ。極々自然と出る笑みだった。
程なくして電話を終えたココロが戻って来る。
変なこと言ってないか、とオーラを醸し出すココロに、おトキおばあさんも昭二おじいさんも悪戯っ子のように笑う。「こころの幼少の話をしていたのよ」昔、畑に毛虫が出てビィビィ泣いたことを話した、なんておトキおばあさんがからかうものだから、「もう!」ココロはムッと脹れた。
まだおはぎも食べ終わっていないのに(嗚呼、青のりおはぎ! 超美味いのに!)、俺の腕を引っ張って「お部屋へ行きましょう」と強制連行。
俺の背中を押してズンズンとココロは自室に招いてくれる。よっぽどおトキおばあさんや、昭二おじいさんにからかわれるのがヤだったんだろうな。半ば強制的にココロの自室に入った俺はムーッとしている彼女に微苦笑すると、グルッと彼女の部屋を見渡した。
いや気になるじゃん? 初めて彼女の部屋に入ったんだし? ……別に疚しい気持ちで言ってるわけじゃないぞ! ほんとだぞ! ほ、ほんとだからな! ちょ、ちょっぴりあるかもしれないけど。
ココロの部屋は俺の自室と同じ和室。
畳み部屋で敷布団で寝ているのか、部屋にベッドらしきものは見当たらない。
でも、あちらこちらにぬいぐるみは沢山置いてある。ぬいぐるみスキーさんみたいだ。机や窓辺、棚、目に留まるところ留まるところにぬいぐるみが飾ってある。
「へえ、可愛い人形いっぱ……ココロ、この謎の宇宙人人形は?」
棚にクマ、ウサギ、ネズミにペンギン、可愛らしい人形が並ぶ中、なんともこの場に相応しくない人形一体。
目ん玉真っ黒の銀色宇宙人を手に取って俺は遠目を作った。メルヘンを侵略するであろう宇宙人が何故此処に? プチインデペンデンス・デイか? それともこれは彼女のご趣味? いやいや、ご趣味でも蔑視しない。しないぞ。ちょい戸惑うけどさ!
「あ、それはゲームセンターで初めてUFOキャッチャーで取れた子なんです。だから記念に
それを部屋に飾るのもどーかとココロさん。
「なるほど。これまた奇抜な子を手に入れたな」
宇宙人人形を指で小突いて机に移動する。
整理整頓されている机の上には写真立てが場所を陣取っていた。弥生と響子さんが映った写真がおさまっている。三人で海に行った時の写真みたい。みんな私服だ。
「初めての写真なんです」隣に立ったココロが嬉しそうに語ってくれる。記憶上、友達と遊んで写真を撮った思い出がココロにはないらしい。集合写真はあるけれど、プライベートでの写真はそれが初めてだったと教えてくれる。
「それまで友達がいなかったですから」
ココロは自嘲をする。
だけどすぐに笑顔を零し、新しい写真立てを幾つか買っているのだと俺に教えてくれる。
「今度はヨウさん達みんなで写真を撮ろうと思うんです。昔は昔です。これからを大事にしていきたいですから。今度ケイさんも一緒に撮りましょうね」
今度じゃなくたっていいじゃんか。今からだって出来るよ、ココロ。
「じゃあさ、今撮ってみる?」
「え? 今ですか? 家にカメラなんてあったかなぁ。私、デジカメは持っていないんです。使い切りカメラがあったかどうか」
「カメラはこれ」俺はブレザーのポケットから携帯を取り出して、思い出作りの道具を取り出す。
なるほど。納得して手を叩くココロに笑って俺達は写真撮影開始。ちょい難しいけど、二人で寄るように詰めて座ると携帯を翳した。「いくよ?」「はい」、せーのでイチ足すイチはニィっとピース。音と同時に携帯ランプが赤く光る。翳していた携帯を手元に戻し二人で出来栄えを確認。
あ、なかなかよく撮れていると思う。大事に保存しておこう。俺の大事な思い出だ。この画像を赤外線でココロの携帯に送り、「ヨウ達に内緒な」秘密だと口元で人差し指を立てた。
「響子さんや弥生にはいいけどさ。男どもにこれがばれたら、ネタにされちまうから! ……まーじヨウ達は人の恋愛を弄くるの好きなんだよな」
「はい。二人だけの秘密ですね。大事にします」
ココロは嬉しそうに綻んで携帯を胸に押し当てる。
そんな彼女と寄り添うように肩を並べて、壁に背を預けて、他愛もない会話を開始。
でも暫くすると各々口を閉ざす。二人っきりという空間に俺達はまだ慣れていない。俺達はチームで動いているから、必ず誰かが傍にいる。こうやって二人だけで時間を過ごすって滅多にないし、他校同士だから会える時間も少ない。
どこかで満足していない自分がいるのは、俺が貪欲だから……かな?
「体調平気?」無難な俺の問い掛けに、「……はい」間を置いて返すココロ。
また沈黙が流れた。ココロの部屋にある掛け時計からチックタックチックタック、一刻一刻を刻む音が耳に纏わり付いてくる。馬鹿みたいに纏わり付いてくる。向こうに見える襖を見つめていた俺だけど、不意に「二人だけですね」ココロが緊張した声音で話を切り出してくる。
ほんとにな、二人だけだな。チームメートはいない、奇襲を掛けてくるかもしれない不良の目もない。ココロの祖父母も居間にいる。今此処には俺とココロの二人だけだ。ふたりっきり、か。
「ケイさん……ずっと言いたいことがありました。一つお願いがあります」
ふとココロが俺を見上げ、硝子玉のような瞳に閉じ込めてくる。
一変して半泣きの顔をするココロは俺のブレザーの裾を掴んで握り締めてきた。
「これから先、怪我するな……は無理だと思います。不良のチームメートになっているんです。怪我はして欲しくないです、でも、してしまっても仕方がない状況下にいますから、絶対するなとは言いません。だけど! 今度、逃がしてくれる時は一言……私に言って下さい。あの時、ケイさんが何も言わず廃工場に残って……凄く心配しました。一言、残るって教えて下さい」
「ココロ……」
「じゃないと怒ります。怒りますから。今も本当は……ちょっと怒りたいです。あの時のこと」
口をへの字に曲げる彼女の、その真摯な気持ちに小さく鼓動が鳴る。
約束しろと怒る彼女に、破ったら今以上怒るかと俺はちょい意地悪く尋ねた。
当たり前だと彼女は声を鋭くする。俺は間を置いてその時、どうしたら機嫌が直るのかと更に質問を重ねた。予想していなかった質問なのか、ココロはうーんっと首を捻って考える。
「甘えさせて下さい」
そしたら機嫌が直るかもしれない、彼女の恋人らしい我が儘に一笑を零す。それは機嫌の問題じゃない気がした。今現時点の状況に対する、ちょっとした欲求不満を口走っている。俺にはそんな風に捉えられた。
ココロは何も言わないけれど、取り巻く空気が何となく俺に教えてくれる。構ってくれ、甘えさせてくれ、期待したいって。
おトキおばあさんが言うように、言わなくても分かって欲しいって思っているのかもしれない。
それってずるいよな。言わなくても分かって欲しいなんて……ほんとうにずるい。
だけど惚れた弱みなのかもしれない。彼女の我が儘な一面を受け止める自分がいる。
「ココロ。目を瞑ってよ」
いきなり仕掛けるほど度胸があるわけじゃない。俺もデキた奴じゃないから、敢えて聞くんだ。隣に座る彼女の顔を覗き込み「今、ご機嫌取りをさせて」
ブレザーの裾を握っているココロがちょいちょいっと引っ張ってきた。合図だと思う。
瞼を閉じる彼女に目で笑い、俺は後頭部に手を回して自分側に引き寄せた。ふたりっきりの空間で交わすそれは、最初交わした時間より、ちょっとだけ長い時間。密室を満たす時計の音。伝わってくる微熱と緊張で震えているその息遣い。
そっと瞼を持ち上げてくる彼女と視線がかち合い、思わず目で笑い合う。
軽く頬を染めつつ、交わしたキスの余韻に浸って抱き合う俺達は少し子供の皮が剥けた気がした。最初交わしたキスよりは羞恥がなく、だけど最初交わした以上に緊張が高まる。そういうもんなのかな、キスって。子供の俺には分からないや。
肩口に顔を埋めてくるココロが「ケイさんの匂いがする」小っ恥ずかしいことを言ってくるもんだからマジ勘弁。心臓がバクバクいっているよ。
「ドキドキしてますね」「余裕がないもんで」「……私もですよ?」「うん、ドキドキしているな」「同じですね」「おう、同じおんなじ」他愛もない会話を交わして抱き合う。
「機嫌直してくれた?」
俺の問い掛けに、こっくり頷くココロ。
「でも約束ですからね」もう二度と黙って行かないで、ヒトコト言うと約束して。切な彼女の願いを聞き入れ、俺はココロのぬくもりを感じるために腕の力を強くした。「ごめん」心配掛けたことを真摯に詫びる。何も言わない彼女は顔を深く埋めるだけ。甘えているんだと容易に分かった。
今この空間には二人だけ、ココロと俺のふたりだけ。この時間は俺達だけの内緒話になりそうだ。
その夜。
俺は彼女に前触れもなしに電話を掛けた。
先にメールでもした方がいいかな? と思ったけど、考えるより行動。無遠慮に電話を掛けた。軽く体調を聞いて電話を切る予定だったんだ。
でも電話に出てくれた彼女は今日はありがとうございました。また遊びに来てください、祖父母も待ってます。ああ、そうそう。ケイさんって確かコロッケがお好きだったんですよね。他に好きな食べ物は――なんて長話に縺れ込んでくる。
喜んで付き合う俺は彼女とひと時を楽しんだ。心休まる恋人の時間ってヤツをひと時、楽しんで過ごした。