後編『ハガネ、戦う』(4)
ファントムは『鋼を助けるべく結界内に侵入して来た魔法少女と交戦する』と現状が未だに信じられ無かった。
何故ならばファントムの計画上、そのようなことは本来在り得ないからだ。
(くそったれ! こいつ、どうやってこの結界を見つけやがった……!)
ファントムは自身の作る結界魔法に絶対的な自信を持っている。時間を掛けて作り出したこの結界は、幾つもの術式が組み合わさっており、その大きな効力は、
1.鋼の身体が空気中の魔素を取り込まないようにする。つまりは、鋼の周囲だけ魔素の真空状態を作り出し、魔力炉が動かないようにする。
2.鋼とファントムの気配を完全に消す。探知魔法を受け付けない。
3.結界の存在する位置を悟られないようにする為、結界自体も探知魔法を受け付けない。
4.鋼の逃亡を防ぐ為、ファントムが許可する、もしくはファントムが倒れない限り、内側からの結界脱出は不可能。要するに、ファントム自身と直結した固有結界。
以上の四つが挙げられる。故に、本来ならばミーシャというこの魔法少女が、鋼を探知して結界に突入して来ること自体が在り得ないのだ。
ファントムはミーシャの後方、手錠を付けた鋼を見やる。
(まさか、あの男が何かの魔法で……?)
細かい結界の効力で、内側から外側への魔法干渉も設定しているはずだから在り得ない。しかし、鋼には幻影魔法が効いていなかったという実例もある。
(つくづく面倒くせぇ……!)
第一学園の敷地を抜けて、魔族側の領域――第二学園の敷地まであと一キロメートルも無いというのに。
結界を移動させるには多大な魔力を使う。それが複雑で大規模な結界なら尚更だ。ここまで戦闘が一切無かったからこそ結界の移動に魔力を注ぐことが出来たわけで、戦闘を避ける為に極限までステルス性を追求したのだ。
その結界に敵の侵入を許した今、結界の移動は敵に無防備な背中を晒すも同じこと。数メートルずつなら隙を見て動かせなくは無いが、リスクを考えた時に行き着く選択肢は――
迅速に目の前の魔法少女を殺す。
それが最も安全で、手っ取り早い答えだ。
ファントムは肩と足に刺さった武器を抜き捨て、治癒魔法を使用する。ミーシャはこちらの出方を伺っているようだ。傷が塞がった瞬間、足裏に魔力を込めて、一気に加速し、真正面からミーシャに接近する。
相手はおそらくどこからでも武器を出すことが出来、それにより変則的な攻撃を繰り出す魔法少女なのだろうとファントムは予測する。ならば、背後に回って死角を取るような行動は無意味。魔女のスピードとパワーを活かして、正面から圧倒する。
ファントムは全力全速で鎌を振るい、連続で斬撃を繰り出した。ミーシャは両腕の袖から二振りの短剣を出現させて、それを捌く。更に肩のポケットから自動連射の銃――マシンガンを生やし、乱射による反撃をして来る。
最初はすぐに息切れをして、こちらのスピードに付いて来れなくなるだろうと思っていた。しかし時間が経つにつれ、むしろ動きの鋭さが増して行くように見えた。
(何だ、この動きは……?)
最低限の動きで避けているというわけではない。事実としてファントムの鎌は徐々にではあるが、ミーシャの肌を捉え、切り裂き、幾筋もの赤い線を作って行く。
だがファントムはミーシャの手数に押され、掠り傷ではあるが反撃を受け始めていた。
(これは……!)
そこで理解する。ミーシャは浅い攻撃は避けるのを止め、致命傷になる攻撃だけを避けて、残りの力を反撃に回しているのだ。
まさに身を削った攻撃手段。しかしそれ故に一撃一撃が鋭い。
(だったら!)
ファントムは斬撃を繰り出すスピードに魔力を集中する。ミーシャが対応し切れなくなって、身体に切り傷を増やして行く。
――ほら見ろ、限界だ。魔法少女が魔女のスピードに付いて来れるわけがねぇ!
やがて、一つの斬撃がミーシャの右肩を捉える。
(獲った!)
絶対に避けられない位置と距離。致命傷までとは行かないが、かなり深い傷になるのは間違いない。これで右腕は動きが鈍るだろう。両腕が満足に動かなくなれば、今度こそミーシャはファントムのスピードに付いて来れなくなる。
「その肩、貰ったぜぇぇぇ――ッ!」
果たして、ファントムの鎌がミーシャの肩を深く斬り裂いた。ファントムとミーシャの顔に鮮血が飛び散る。
ミーシャはここまで治癒魔法を使う素振りを見せていない。そういうのが得意なタイプの魔法少女では無いのだろうと、ファントムは考えていた。もっとも、予想が外れても治癒魔法を使う隙など与えはしない。
面倒臭いことになる前に、ここから勝利を確信的なものにする。
――そのはずだった。
ファントムは瞳を見開いた。肩が切り裂かれるのも構わず、ミーシャが無表情を崩さぬままに一歩、こちらへ踏み出して来たのだ。
「まさか!?」
あえて避けなかったというのか。
ミーシャの左腕がファントムの懐に潜り込み、裾から無数の銃身が生える。至近距離で一斉射撃が放たれた。
魔女の魔力を持ってしても防ぎ切れない火力に防御障壁を貫かれ、ファントムの身体は宙を舞い、地面に落ちて転がる。
ファントムはダメージを受けた腹部を押さえながら立ち上がった。治癒魔法を急いで使用する。今の一撃に対する防御障壁の展開と治癒魔法で魔力をごっそりと持って行かれていた。
「くそったれ……!」
ミーシャは肩から流れた血で足元を赤く染めながらも、左腕、両肩から展開した重火器を撃ち放って来る。
ファントムは防御障壁を作り出して銃弾を弾きながら、
「よくも綺麗な一撃を入れてくれたじゃねぇか! けど、テメェのダメージも軽くねぇはずだぞ魔法少女! それでもまだ捨て身の攻撃をするってか!?」
この期に及んでもミーシャは治癒魔法を使わない。だとすれば、ファントムの予想通り治癒魔法が得意な魔法少女ではないのだろう。そうなればファントムの有利は揺るがない。先程の一撃といえども致命傷を与えるだけの威力では無かった。
と、それまで微動だにし無かったミーシャの唇が動く。
「そうだな、代償に受けた傷は軽くない……が、回復出来るから問題無い」
「ハァッ!?」
次の瞬間、結界の壁が割れて、新たに二人の魔法少女が侵入して来る。
ミーシャは無表情のまま、二人を一瞥して、少し怒ったような声で言う。
「遅いぞ二人共、全然間に合っていない……!」
「違うわよ。ミーシャちゃんが先に行っちゃったから、戦闘に備えて、魔力を温存しながら来たの。事実、ミーシャちゃんボロボロじゃない」
「鋼さんは無事なんですか!?」
まさかの増援に、ファントムはここに至って焦りを覚えずには居られなかった。
「馬鹿な……!」
鋼はミーシャさんの防御をギリギリまで捨てた攻撃に、内心穏やかでは無かったが、増援として現れた二人の魔法少女を見て安心に変わる。
「エルノアさん! 美飛さん!」
片方の魔法少女は初めて見るが、優しげに細められた目元とミーシャさんへの口調で、それがエルノアさんだと分かった。
「鋼ちゃん! 良かった無事なのね!」
淡いグリーンのドレスを着た幼いエルノアさんが駆け寄って来る。幾つものフリルが付いた華やかながら落ち着いた雰囲気のドレスが可愛らしい。
もともと男子の鋼の方が背は高いが、今はエルノアさんが幼くなったことで相当な身長差になっている。鋼は腰を屈めて目線を合わせるようにしながら、
「その……男の姿ですみません。ミーシャさんのおかげで無事です」
「そう、これが鋼ちゃんの本来の姿なのね」
「はい……」
「ちょっと不思議な感じ。でも、一目見て私、鋼ちゃんだって分かったわよ?」
エルノアさんはいつも通りの優しい笑みを浮べて、
「鋼ちゃんが男の子に戻ったのを見たら、ひょっとしたら怖がっちゃうかもって思ってたけど、全然平気ね。思ってたよりずっと素敵よ」
「エルノアさん……」
そう言って貰えて、鋼はとても嬉しくなった。
と、ファントムへ銃撃を続けていたミーシャさんが口を開いて、
「どうでもいいが、治癒魔法を頼むエルノア」
「はいはい、分かったわよ」
エルノアさんの魔力が右手に収束して、杖を作り出す。その先端をミーシャさんの方へと向けて、
「まずは肩から優先でいい?」
「ああ」
ミーシャさんの周囲に緑色の魔方陣が展開される。ファントムもまたダメージを受けた腹部を回復すべく防御を固めていて、反撃をして来る様子は無い。
治癒魔法の使用を続けながら、エルノアさんが言う。
「あのね、鋼ちゃんがピンチだって教えてくれたの、美飛さんなのよ」
「え?」
「自分一人だけじゃ勝てないから力を貸して下さいって、助けを呼びに来たの」
「そうだったんですか……」
少し離れたところに立っている美飛さんを見やると、ちょうど目が合う。彼女は乗って来たヒヨコさんの影に、慌てたように顔を隠してしまった。
エルノアさんが微笑んで、
「ここから脱出したら、ちゃんと仲直りしないとね」
「はい」
あの時、美飛さんがあの場から逃げたのは、鋼を助ける為だったのだ。
疑ってしまった自分が恥ずかしい。美飛さんともう一度、ちゃんと話したいと思った。
ついでに鋼は、疑問に思っていたことも訊いてみる。
「そういえば、エルノアさん。気になってたんですが、どうやってこの結界を見つけたんですか? 内側からは声とかが全然届かないようになっていたみたいなんですが……」
「それが、私にも詳しくはよく分からないのよ。探査魔法は一切駄目だったんだけど、私や美飛さん、ミーシャちゃんの三人には鋼ちゃんがどこに居るかが何となく分かったのよね。もしかしたら、鋼ちゃん独自の力なのかも」
鋼が魔法少女になって以来、意思とは無関係に時折発生する不思議な魔法。
他人の通信魔法に干渉したり、鮮明な夢を見たり、魔法を見破ったり、自分の居場所を誰かに伝えたり。
未だ正体は掴めないが、魔法少女の身体に感謝しなくてはと思った。
変身出来なくなっても、見えないところで支え続けてくれているのだ。
エルノアさんは治癒魔法が得意というだけあって、ミーシャさんの傷はあっという間に塞がった。ファントムはまだ回復を終えていないらしく、防御魔法を展開し続けている。
ミーシャさんが攻勢に転じる。遠距離からの射撃を止め、距離を詰める。ファントムの周囲三百六十度に魔法陣を展開した全方位攻撃を放った。
「ちぃっ……!」
治癒魔法を中断したファントムが飛んで来る武器を捌く。
ミーシャさんは全方位攻撃に加えて、両腕の裾、スカートの中、ドレスにも設けられた五つのポケットから次々と武器を出現させての接近戦を仕掛ける。
エルノアさんの治癒魔法による後ろ盾があることを除いても、そこからの動きは圧倒的だった。
流れが変わったのか、ファントムが疲弊し始めたのか分からない。ただ、ミーシャさんの攻撃はどんどん勢いを増して行く。
剣、槍、大槌、鎖鎌、弓矢、ミサイル、手榴弾、手裏剣、クナイ、鉄扇、スパイク付きハンマー、数え切れない重火器類。
ファントムが武器で埋もれるんじゃないかと思うくらい近距離から攻撃し続ける。
「凄い……!」
思わず口にしてしまう程、ミーシャさんの動きは壮絶だった。
攻撃の度に無駄なく研ぎ澄まされて行く動作は流麗で、踊っているようにさえ見える。
魔法少女が今、魔女を追い詰めようとしていた。
(冗談じゃねぇぞ……!)
ファントムはひたすら防御を強いられていた。
完全に流れが変わったとしか思えない。新たに二人の魔法少女が侵入して来てからだ。
片方の細目は治癒魔法に特化しているようで、ミーシャの肩は相当深手だったはずなのに、あっという間に完治させてしまった。これ程の使い手は、黒月や第二学園でもそうは居ない。
それから学園の廊下で戦ったピンク髪。一対一なら大した脅威では無いが、他に仲間が居る状況なら話は別だ。おそらく戦い方からゴーレム使いだと考えられるが、ゴーレム使いは元々、集団戦で力を発揮するタイプの魔法少女なのだ。
前の戦いで見せたモグラのぬいぐるみみたいのが飛び出して、一瞬でも足を止められたら、今の状況では致命的なことに為りかねない。
無表情の魔法少女――ミーシャが極限まで動きのロスを削り、魔女のスピードに到達しようとしているこの状況下では。
(何がこっちの動きは捉え切れないだ……! ふざけんな!)
今では逆に動きを読まれてすら居る。元々強い魔法少女なのだろうとは、最初に傷を受けた時から分かっていた。
魔法少女に一瞬だけ変身し、魔法を使用してすぐに変身を解除する技術――クイックトランス。本来は日常生活でふとした瞬間に魔法を使う際の、小手先の技術でしかないが、彼女はそれを実践レベルにまで引き上げていた。ファントムですら変身した瞬間、魔法を使用した瞬間が見切れない程に。
要するに、他の魔法少女に比べて魔法発動のスピードが早いのだ。銃の早撃ちのごとく。
そのスピードは戦いが続くに連れて、研がれた刃物のように鋭さが増して行った。魔法発動だけではない。一つ一つの動作についても同様だ。
まるで何かの力に後押しされるように。
ミーシャは言っていた。「私はお前を許さない」と。
(鋼の為に、強くなっているとでもいうのか?)
馬鹿馬鹿しい。なんて下らない仲間ごっこ。反吐が出そうだ。
相手は男だぞ? 今は美少女でも何でもなく、現実世界に行けばどこにでも居るような、ありふれた少年でしかない。だというのに、何故そこまで熱くなれる?
まるで理解出来なかった。理解出来ないのに!
「ぐああっ!?」
ファントムは押されていた。ミーシャの攻撃がファントムの防御を越えて、ファントムの肌を切り裂き、突き刺す。
このままでは負ける、という思考が頭の中を過ぎった。
(負ける……!? 魔女になったアタシが?)
魔女の魔力は膨大だ。かなり消耗させられているとはいえ、魔法少女三人集まったとしても未だ劣るものではない。
にも関わらず、ファントムは間違いなく今、追い詰められている。
(こんな奴に……! 何の苦労も無く育ったお嬢様連中に……!)
――そうだとも。アタシはダークエルフ。ぬくぬく育った温室育ちのお嬢様連中とは違う。
勝って来た。勝って来たのだ。頭を使って、時間を掛けて準備して、どんな手段を使おうと勝利を手にして来たのだ。綺麗事だけのこいつらとは違う。
ファントムは鋼を見た。魔法少女に変身出来なくなった少年。
防御に裂いていた魔力を全て鎌へと集める。ミーシャが放つ武器の雨を生身で掻い潜り、全魔力が鎌に集中し切ったその瞬間、
「ふざけんなあぁぁぁ――ッ!」
叫びと共に、ファントムは全力の魔法を鋼に向けて撃ち放った。
――アタシは勝つ為だったら、どんな手段でも使う。
ファントムのその攻撃は、ミーシャにとって完全に予想外だった。
魔女の全魔力が込められた飛ぶ斬撃。それが鋼に向けて放たれたのだ。
「しまった!」
咄嗟に反応出来ず、攻撃を中断して鋼の所に向かおうとするが遅い。
斬撃が鋼に迫る。そこへ割って入るようにして、
「鋼ちゃん!」
エルノアが立ちはだかり巨大な防御魔法を展開する。治癒魔法と並んで、エルノアが得意な防御魔法。並みの攻撃ならものともしないはずだが、魔女の全力魔法は威力が余りにも違い過ぎる。
「きゃあぁっ!」
防御魔法は斬撃を止めはしたが、粉々に砕け散った。エルノアはその際の衝撃波で、結界の壁面まで吹き飛ばされ、壁に背中を強打し、地面に倒れてしまう。
「エルノア!」
はっとなる。集中が乱れたわずかな隙に、ファントムの姿が見えなくなっていた。
探知魔法を発動させて、目を凝らして探す。
「っ……美飛、後ろだ!」
「え!?」
鋼の方へ注意を向けていた美飛が背後を見やる。そこでファントムが鎌を振り被って立っている。
「ヒヨコさん!」
美飛のゴーレムであるヒヨコのぬいぐるみが、嘴を鋭く長く変形させ、弾丸のごとき速さでファントムに突撃する。が、嘴に貫かれたファントムの姿が蜃気楼のように消え去る。
「幻!?」
「相変わらず、とんでもないゴーレムを持ってやがる。フェイクを掛けて正解だったぜ!」
ファントムはまたしても美飛の背後を取っていた。鎌を振り下ろす。
「くっ!」その一撃は何とか避けるが、
「悪いがお前は――」
その動きを予測していたファントムの魔法による衝撃波が、美飛を地面に叩き付けた。
「一対一なら敵じゃねぇ!」
「くはっ!」
「美飛ッ!」
ミーシャは彼女に対する追撃を防ぐべく、重火器を撃ち放つ。
「これで二人!」
しかし、ファントムは最初からそのつもりは無いらしく、加速して向かったのは――
「くっ、鋼!」
彼の方だった。ミーシャは加速魔法を使って、鋼の元へと向かう。
だが、ここで魔女と魔法少女の魔力差が露骨に出る。
先に到達したのは、ファントムだった。鋼が後退さる。
ファントムがミーシャの方を見て、口角を大きく上へと歪めた。
褐色の魔女が手の平に黒い球体を出現させ、それが何の魔法なのか分析しろとでも言わんばかりにミーシャに見せつける。
ミーシャは全力疾走しながら、分析魔法で黒い球が何なのか把握する。
それは、爆弾だった。魔女の強大な魔力が小さく圧縮された魔法。解き放たれれば、魔力を封じられている鋼の身体は跡形も無く――
ポイッとファントムはゴミでも扱うように鋼の頭上へそれを投げ捨てる。
ファントムとミーシャの差は一秒も無く、ミーシャが鋼に到達するまで一秒も無い。
そんなゼロコンマの世界の中で、ミーシャは叫ぶ。
「間に合えぇぇぇ――ッ!」
そして無情にも、黒球は爆発を迎える。
とても大きな爆発だった。早過ぎて、ほとんど反応し切れなかった。
エルノアさんと美飛さんをあっという間に倒して、鋼に接近して来たファントムが何かを投げるのまでは見えた。
その直後、爆発は起こった。強烈な光と音。絶対に自分は助からないと思っていた。
ただ、鋼が目を開けると、そこにはまだ結界の術式が張り巡らされた天井が見えていて。自身が仰向けに倒れているのだということが分かった。
(助かった……のか?)
でも、どうやって。実感が湧かず、自分の身体を触って確かめようとして、
「え……?」
両腕が思うように動かず、鋼の身体を守るように覆い被さっている少女の存在に気付く。
「ミーシャさん……?」
「ぐっ……はが……ね……」
背丈が十歳で、鋼の胸の辺りに頭があるので気付くのが遅れてしまった。
「まさか俺を庇って!?」
慌てて鋼は起き上がり、ミーシャさんの様子を見やる。
ぬるっとミーシャさんの背中に触れた手が濡れていていて、確かめるとべっとりと赤い血が貼り付いていた。背中から大きな出血しているのだ。
「ミーシャさん、血が……!」
「大丈夫だ……私は……。お前は……無事なのか……? 怪我は無いか……?」
無表情が崩れ、辛そうな顔をしていた。大丈夫なはずがない。見れば分かる。
「はい、大丈夫です! ミーシャさん、自分で治癒魔法は使えますか? エルノアさんは――」
確認しようとして、鋼とミーシャさんのすぐ近くの地面に何かが当たって、火花を散らす。
飛んで来た方を見やると、
「ファントム……!」
「無事で良かったなぁ、鋼ちゃん。優しいお姉様が自らを犠牲にして守ってくれたってわけだ」
自身に治癒魔法を掛けつつ、左手の人差し指の先端に黒い球体を作り出しているファントムが、離れた場所に立っていた。爆発に巻き込まれないよう、一旦距離を開けたのだろう。
「さて、どうするお姉様。まだ立てんのか? とりあえず今から豆鉄砲程度の魔法を放つんで返事をよろしく。防げないと、愛しの鋼ちゃんも巻き込まれちまうかもなぁ」
左手を銃の形にして、人差し指から黒い球体を発射する。
鋼は何とか咄嗟にミーシャさんを守ろうと手錠の掛かった両手で彼女を覆い隠すが、
「くっ……!」
その下からミーシャさんが手を伸ばして、防御魔法を展開し、淡いブルーの膜が黒い球体を弾いた。
「ミーシャさん!?」
鋼の手を退けて、ミーシャさんが起き上がる。ぼたぼらと背中から血が垂れて、赤い水溜りを足元に作る。
彼女は鋼を守るとでも言わんばかりに、両手を広げて、ふらつく両足で立った。
それを見たファントムが破顔して、
「はは……はははは! マジかよ! 立ち上がんのかよ! 馬鹿じゃねーの!? 必死になっちゃってさぁ! 格好良い無表情がすっかり崩れてんじゃねぇかミーシャ!」
「……お前が鋼に攻撃したのは、私を倒す為だろう。私が庇うだろうと分かっていたから……だったら、私を攻撃しろ……。鋼を巻き込むな……!」
「いいぜ。約束してやるよ。次の一撃、お前が避けずにちゃんと受けたら、鋼にもう攻撃はしない。こっちにとってもこんな大規模な作戦やってまで手に入れたい貴重な研究材料だからな。出来れば無傷で欲しいんだよ。余計な抵抗さえ無けりゃあな」
「……分かった」
鋼は叫んでいた。
「何を言っているんだミーシャさん! 俺のことはもういいですから! おい、ファントム! お前の目的は俺だろう! もう抵抗しない! ちゃんと付いて行くから、ミーシャさんを攻撃するな!」
「駄目だ。ミーシャは殺す」
ファントムは鎌を振り被って、そこへ目に見える程に強大な魔力を集中させて行く。おそらくエルノアさんを防御魔法ごと吹き飛ばしたあの斬撃を放つ気なのだ。
「止めろ! どうして!」
「その女は危険過ぎる。少なくとも私は、その女を殺さないと安心出来ない。他の二人は見逃してやってもいい。だが、その女だけは駄目だ。今この場でぶった斬る」
本気の目だった。鋼は前に立って動かないミーシャさんの袖を引っ張る。
「ミーシャさん、逃げて下さい! ミーシャさん! 俺のことはいいから早く!」
「おい、ミーシャお姉様。そこの男が前に飛び出したりしないようにしとけよ。どっちにしてもお前は死ぬが、鋼も死んだらお互い意味がねーからな。分かんだろ?」
「……鋼」
ミーシャさんが振り向いて、こちらを見た。
無表情では無かった。悲しそうな表情がそこにあった。
「……ごめんな」
ミーシャさんが告げると同時に、防御魔法の壁が出現して、鋼とミーシャさんの間を阻む。壁は鋼を攻撃魔法の射線上から退避させるように動く。
「そんな……そんな顔しないで下さいよ! ミーシャさん! 逃げて下さい!」
鋼は無表情じゃない彼女の顔を、いつかもっと見てみたいと思っていた。
でもそれは、そんな悲しい表情じゃない。笑ったり、楽しそうだったりする顔が見てみたかったのだ。
「くそっ! くそぉぉぉ!」
手錠で防御魔法の壁を叩く。魔力の無い今の鋼がどれだけ叩いたところで、壁に罅一つ入らない。
ミーシャさんの表情が柔らかくなる。でも、それはやっぱり悲しそうな顔で、
「本当はもっと……色んなことを話したかった……」
「話は終わりだ、お姉様」
ファントムの言葉と共に斬撃が放たれる。黒々とした巨大な魔力の刃。それがミーシャさんを飲み込まんと迫り来る。
鋼は嫌だった。こんな終わり方。鋼だってまだミーシャさんと話したいことが沢山あった。少しずつでも言葉を積み重ねて行けば、必ず親しくなれると思っていた。
なのに、それがこんな酷い結末――鋼は認めたく無かった。
「駄目だあぁぁぁ――ッ!」
ファントムは勝利を確信していた。
増援に来た魔法少女二人を戦闘不能にし、残っているのは魔力を使えない鋼だけ。
そして今、満身創痍のミーシャに向けて全力の斬撃を放った。
ミーシャはこの攻撃を避けないはずだ。そのように誘導した。
(私の勝ちだ……!)
斬撃が一定のラインを越えたところで、ファントムは笑みを浮かべる。
仮に今増援が現れたとしても、もはや斬撃を止めることは不可能。仮にも魔女の全魔力を込めた魔法だ。咄嗟に張る程度の防御魔法では、この攻撃は防げない。ミーシャは確実に死んだ。
――そのはずだった。
鋼が叫び、彼を中心にして眩い白光が爆発的に広がった。斬撃はその光に飲み込まれ、どうなったか分からない。
ファントムはその光景に既視感があった。鉄拳の魔女との交渉材料に使うべく、鋼を誘拐しようとしたあの時だ。
白い光が収まって行く。斬撃は果たして、跡形も無く消え去っていた。
ミーシャは何事も無かったかのように立っていて、白い光が収束して行く先に目を向けている。
そこに……輝く白いドレスを纏った女の鋼が立っていた。抑え切れない魔力が溢れ出すようにドレスを発光させているのだ。
手錠は砕け散って、彼女の足元に破片が転がっている。
「な……」
何故変身出来たのか。それだけでも、ファントムにとっては驚愕の出来事だった。しかしそれ以上に、想定外の出来事が起きていた。
鋼は魔法少女に変身していなかった。
「何だ……その姿は……!?」
鋼の身長は、ファントムと同じくらいにまで伸び、手足が長く、胸のボリュームは更に大きくなって、各所のくびれがはっきりとして、ドレスの形もまるで大人の女性が着るそれのように形が変わっていた。
大人びた顔立ちは恐ろしく整い、絶世の美女と言うに値するだろう。
妙齢のその姿はまるで――
「魔女……なのか……!?」
グロウギアも無しで。
ファントムは目の前の存在を恐れ、後退さった。肌に感じる強大な魔力の波動。それは紛れも無く魔女に――自身に匹敵する。
白い魔女が両手の拳を握り締め、見て分かるほどに大きく深呼吸をする。それからゆっくりと構えを取る。虹色の輝きを帯びた瞳が開かれ、こちらを見た。
「……ファントム」
女性の艶やかな唇が、男性の力強さを持って告げる。
「お前を倒す!」
首に巻かれた白いマフラーの両端が、魔力の大きさに揺れた。