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後編『ハガネ、戦う』(3)

 鋼はファントムが作り出した亜空間の中で、大きなシャボン玉のような透明の膜に包まれ、ふわふわと浮いたまま動けないでいた。

 亜空間は半球形の形をしており、鋼を中心に半径二十五メートル程の規模で展開されている。空き教室で発動させた大規模魔法から作り出されたものらしかった。

 それが一体どのような魔法なのかというと――亜空間の外に居る人は、亜空間の存在を知覚出来ない。校舎の外に出て駆け抜けるファントムと、その動きに合わせて移動させられている鋼を誰も見ることが出来ないのだ。

 実際に黒月のメンバーであるらしい仮面を付けた魔法少女と、学園の生徒が戦っている横を何度も通り抜けたが、鋼がどれだけ呼び掛けても気付くことは無かった。

 ファントムが走りながら不敵に笑う。

「無駄だ無駄。どれだけ叫んでも、内側からは絶対に聞こえねぇよ。ここは外と別の空間なんだからな」

「くっ……!」

 救いはファントムが転移ゲートを使えないことか。イルミエールという世界自体に設定してある概念として、人族側から魔族側の地域――その逆も同じだが――転移ゲートを開くことが出来ないようになっていると母さんから聞いていた。

 だが、学校の敷地を抜けてしまうのはもう時間の問題で、戦闘の音も大分遠くに聞こえる。

 不意にファントムが口を開いた。

「……仮に誰かが助けに来たとして、そいつは今のお前を見てどう思うんだろうな?」

「どういう意味だ」

 ファントムは進行方向を見つめたままニヤリを口角を上げる。

「分からねぇか? 可愛くも何ともない、冴えない男の姿に戻ったお前を見て、助けたいと思うのかって話だよ」

 いつからか十歳の少女の姿で居ることに慣れてしまい、自身が今、元の十五歳男子に戻っているということを忘れ掛けていた鋼は、自らの手の平を見つめてから、

「……助けてくれるさ。俺だったらそうする」

 そう答えると、ファントムはフンと鼻を鳴らして、

「本当に? お前の友達のピンク髪は、現に逃げ出したじゃねぇか」

「それは……!」

「その時は女の姿だったから関係ないってか? もしそう考えたんなら、お笑いだな。認めてるようなもんだぜ、男の姿じゃ自信が無いって!」

 鋼は言葉を返せない。ファントムの言う通りのことを思ってしまっていたから。

「お前は勘違いしてんだよ。最初から」ファントムは続ける。「この一ヶ月、お前は何だかんだで楽しそうだったよな」

「見ていたのか……!」

「暇だったんでな。まあ滑稽だったよ、見た目に釣られてお前に寄って来る連中も、それで調子に乗るお前も。……なあ、勘違いしてるぜ、鋼くん」

 ファントムは『鋼くん』という呼び方を強調した。 

「お前に友達が出来たのも、先輩達から可愛がられていたのも、全部、魔法少女としてのお前が可愛い見た目をしていたからだ。美少女だから愛でられていた。誰も中身の男としてのお前なんか見ちゃいねぇんだよ」

「そ――」

 そんなことない。言い返したかった。でも、言葉が出て来なかった。

 鋼はその代わりに、首を横に振る。

「じゃあ、一つ訊こうか。鋼くん、お前――」

 ファントムが鋼の目を見て、問う。

「そいつらの前で、男の姿になったことはあるのか?」

「っ……!」

 鋼は答えることが出来なかった。首を横に振ることも出来ない。

 ファントムの言う通り、美飛さんやエルノアさん、ミーシャさん達と男の姿で接したことは一度も無かった。

 鋼はそのことを想像するのが怖くて、考えないようにして来た。男の姿を見せたら、皆離れて行くんじゃないか。そう思うと、怖くて仕方が無かった。

 ファントムは嘲笑って、

「やっぱり無いんだな。そりゃそうだ。どんな顔されるか分かったもんじゃねぇもんなぁ」

 淡々と告げる。

「……お前が見てたのは、夢みたいなもんだ。自分が美少女になってしまうという夢。乙女の園で、周りから注目されて、友達が出来て、先輩から可愛がられて。そういう楽しい夢から今、目覚めた。ただそれだけのことさ」

「夢……」

「所詮は上っ面の付き合いだったんだよ、全部」

 ファントムの言葉に、鋼の心は急速に温度を吸われて冷めて行く気がした。

 冷静になって、鋼は自分の身体を見た。十歳の少女とは似ても似つかない手足と、肌の質。

 今更ながら思い知る。自分が男なのだということを。

 つい先程まで十歳の少女の身体で居たことが、嘘のように思えて来る。

「俺は……!」

 ――確かに、上っ面だったのかもしれない。

 他でも無い俺自身が、十歳の少女という見た目を利用していたように思える。

 そういう上っ面が無かったら、俺は美飛さんと仲良くなろうとすることも、ミーシャさんに話し掛けることも出来なかったんじゃないか。

 俺は今、女の子になっているのだから大丈夫、と心のどこかで思っていたのではないか。

 結局俺は、自分に自信が無かったのだ。男の自分が好きでは無かった。好きになれなかった。

 そして今この瞬間、俺は思ってしまっている。

 こんな男の俺を助けに来てくれる人が本当にいるのだろうか、と。

 まさに上っ面以外の何物でもない。俺は親しい人達が助けに来てくれると本気で信じてなどいないのだ。

 男の俺が育んだわけではなく、女の『鋼』が育んで来たもの。

 自分で考えてやって来たことであるはずなのに、それを信じられなかった。

 上っ面――十歳の少女の姿でしか接して来なかったからだ。

「どいつもこいつも上っ面でしか人を見ようとはしない。中身なんてのは二の次なのさ。特に魔法少女って生き物は、皆そうだぜ。プライドが高くて、格式や体裁に拘るから、そこから外れる存在を毛嫌いすんのさ」

 俯いた鋼にファントムの顔は見えない。

「だから、この一ヶ月のことは全部忘れちまえ。お前が楽しいと感じたことは、全部嘘っぱちだった。たまたま運が良かっただけ。運良く美少女になれたから体験出来た夢だ。あそこのお嬢様は、男のお前なんざどうでも良かったんだよ。鋼ちゃんが可愛いからお近付きになりたかったってだけなのさ」

 鋼は拳を握り締める。爪が手の平に食い込む。

 転入から今日までのことが蘇って来る。正直、今までの人生で最も濃密な一ヶ月だったんじゃないかと思う。女の身体になってしまったから悩んだことも沢山あったし、女の身体になったおかげで楽しいと思えることも沢山あった。

 ――忘れたくないな。

 そう思った。今日までのことが夢とか嘘だったとしても、自分にとっては大切なものが沢山あったから。

 だから鋼は――

 深呼吸をして、腕を大きく振り被って、

「ふんっ!」

 おあつらえ向きにデカい手錠を透明の膜――自分を覆っている泡にぶつけた。何度も叩き付ける。

「は?」

 ファントムが信じられないものを見る目で鋼を見た。

「何やってんだお前? まだ抵抗するってのか!?」

「うん、そうすることにした」

「意味が分からねえ! 一体何の為に抵抗すんだ!」

「そんなもの、自分の為に決まってる!」

 ここで何もしなかったら、学園での生活が無意味なものになる。ただの夢だったというだけで終わってしまう。

 そんなのは嫌だった。鋼自身が納得出来ない。

 自分のことは未だ好きになれない。しかし、ここで諦めてしまったらもっと好きになれなくなる。嫌いになって、一生後悔するだろう。

「何より俺は――」

 魔法少女学園にやり残していることがある。それは――

「まだ美飛さんと、ちゃんと仲直りしてない!」

 だから、ぶつけた反動で手首に痛みが走っても、手錠を打ち付けるのを止めない。

 いや、まだだ。まだ足りない。

「誰かぁぁぁ――ッ! 八島鋼はここに居ます! 聞こえてたら助けて下さい! お願いします!」

 大きく息を吸って腹の底から叫ぶ。見っともなくたって、情けなくたっていい。諦めるよりずっといい。何度も叫びながら、手錠を鈍器として振り回す。

 ファントムが苛立たしげに、鋼に負けない大声で叫ぶ。

「うるせえぇぇぇ――ッ! 外には聞こえねえっつってんだろ! 魔力の無いお前じゃ、その膜も絶対に破れねぇ! 諦めろっつーの! 鬱陶しいんだよ!」

「絶対に嫌だ!」

「仮にも初等部の天使ちゃんって言われたんだろうがテメェ! 一ヶ月もお嬢様学校に通って、美少女に成り切ってたんだろうが! 往生際が悪過ぎて、醜いんだよ!」

「俺がその美少女になったのも、男に引き戻されたのも、全部お前のせいだろうがぁぁぁ――ッ!」

 叫びと共に全身の力を込めて、手錠を振り被る。

 その時だった。

 『鋼』という名前を誰かに呼ばれた気がした。

 はっとなって、鋼は手を止める。

 刹那、上方らガラスの割れるがごとき甲高い音がして、結界の一部が破られた。

「何ッ!?」

 ファントムが驚愕の声を上げる。

 結界の砕けた破片が割れた鏡のように光を反射しながら降り注ぐ。

 その破片の中で、亜空間の地面にふわりと降り立つ人影があった。

 それは――




 私にも、感情というものは人並みにあった。ただ、それを表現するのが人一倍苦手なだけだ。

 正直日常生活に支障を来たしていないのかというと嘘になるが、別に誰かに自分の全てを知って貰おうという願望があるわけでも無し、この先もこのままで何とかやって行くのだろうと思っていた。

 ――とある魔法少女に出会うまでは。

「あら、ブレイズ先生。ごきげんよう。今朝はお早いのですね」

 一ヶ月前、登校中に学園でも名物となっているダークエルフの先生と出会った。

 怖いもの知らずの幼馴染みが先に声を掛けて、私もまた挨拶をする。

 何気なく先生の横に並んでいた初等部の制服を来た少女に視線を移して、私はその子に心奪われた。

 大げさな表現でも何でも無く、本当にしばらくの間、心ここに在らずな状態になってしまった。

 その少女はこの世のものとは思えない程、美しかったから。

 初等部一年の赤リボンを付けている十歳になったばかりの少女に対して、美しいという表現はどうなのだろうと自分でも思う。しかし、最初に思ったことがそれなのだから仕方が無い。

 人形のように整った顔立ち。しかし血の通った生き物なのだと分かる、赤みの差した柔らかそうな頬と若干緊張したような表情。髪は枝毛の一本も無く緩やかに下へと流れていて、自ら輝きすら放っているように見える。特徴を一つ挙げると、やや太めの眉がとても愛らしく感じた。

 並木道をピンク色で覆うシーズンの木々よりも、私にとってはその少女一人の方が何倍も鮮やかで眩しかった。

 そんな少女の大きな瞳が私の方に向けられている。見ているとそのまま吸い込まれてしまいそうな牽引力に溢れた瞳。

 ただ、余りにも長い時間私が見過ぎたのかもしれない。戸惑うように瞳が揺れ、困ったような顔をして、ちらちら視線を逸らし始める。

 それでもこちらを見ようとしてくれている少女に、私は自分でも表現しようの無い感情が溢れて来るのを感じた。

 名前を聞いてみようか。珍しく自分から、そんな風に思った。

「あ……」

 唇は自然と動き「あなたの名前は?」と続けるはずだった。しかし、

「ところで先生、そちらの可愛らしい方はひょっとして……噂の転校生さんですか?」

 先に言葉を紡いだのは、幼馴染みの方だった。

 ダークエルフの先生――ブレイズ・ヘルベルトは頷いて、

「ええ、そうです。八島鋼。もう知ってるとは思いますけど、中身は十五歳の男の子なんですよ」

 私はそれで思い出した。全然興味が無くて聞き流していたけれど、昨日クラスメイト達が「例の魔法少女に変身出来る男の方が初等部に転入されたんですって!」と騒いでいたのを。

 それがこの子だったのだ。男という生き物は文献の中でしか知らないが、目の前の存在はどう見てもとびきり可愛い少女でしかなく、全然しっくりと来なかった。

「まあ! 本当でしたのね! でも、可愛らしい魔法少女に変身する方は沢山居ますけれど、鋼さんはとびきりの美人さんですわね。何かこう、ぎゅーっとしたくなる愛くるしさと神々しい美しさが一体になってる感じで!」

 幼馴染みが瞳を輝かせながら、腰を屈めて鋼という少女の視線と同じ高さで見つめる。

 鋼はいきなり近付かれて戸惑っているようだったが、一度深呼吸をしてから、スカートの裾を両手で摘み、頭を下げた。

「ご、ごきげんよう、エルノアお姉様。お初にお目に掛かります。八島鋼と申します。これからよろしくお願い致します」

 幼馴染み――エルノア・キュアードは「まあっ!」と驚いたように瞳を瞬かせる。

 そんな光景を見ていて、私は強い既視感を覚えていた。

 エルノアはいつも、私より先に誰かに話し掛けて、すぐに仲良くなる。昔からずっとそうだった。

 あっという間に誰とでも親しくなるのだ。

 だからきっと、鋼とも仲良くなってしまうのだろう。私より先に。私よりずっと。

 そう思ったら、

「何でしょう、聞き慣れた挨拶なのに、鋼さんにお姉様って言われた瞬間、何かこう胸がドキッとしましたわ! 男の方だからかしら?」

「エルノアッ!」

 ありったけの大声で幼馴染みの名前を呼んでいた。

 自分でも何故だか分からない。こんなこと今までに無かったのに。

 エルノアが驚いた顔をして、

「ど、どうしたのミーシャちゃん? そんな大声出して」

「……それ以上、その子と話すな」

 自然と口から零れ出た。

 そう、私はエルノアに、鋼と仲良くなって欲しく無かった。そうなのだと、言って初めて気付いた。

「え? どうして?」

「いいから。こっちに来て」

「よ、よく分からないけど、ミーシャちゃんがそう言うなら」

 そんな見っともない自分を鋼の前で曝け出してしまったことが無性に恥ずかしく、私はエルノアの手を取ると、早足で校舎の方へ歩き出していた。今は一刻も早く、この場から離れたかった。

 それでも振り返って鋼を見てしまう。未練というか、あの子はどんな顔をしているのだろうと思ってしまって。

 そこで見た鋼は……どこか暗い表情をしていた。

 私は気付く。先程の私の言い方だと、まるで鋼を嫌って、エルノアを遠ざけたようじゃないかと。そんなつもりは無かった。

 でも、今更戻れない。戻ったところで何と説明すればいいのか。今は自分で自分がよく分からない状態になってしまっているというのに。

 失敗した。私はあの子を傷付けた。

 そう思うと、胸が酷く締め付けられて痛んだ。




「それって、もしかして一目惚れなんじゃないの?」

 数日の間、鋼を傷付けたことを後悔し続けて、教室で鬱々としていたら、

「いい加減、事情を話さないと怒るわよ」とエルノアが瞳を見開いた本気モードで言うので、私が鋼と出会った時のことを話すと、とんでもない言葉が返って来た。

「そ、そんなわけあるか」

「声が震えてるわよ、ミーシャちゃん」

「一目惚れなんて在り得ない。そんなことあるわけがない。エルノアみたいに女の子らしい女の子ならいざ知らず、私だぞ? 私みたいな奴が一目惚れなんて……」

「女の子らしい女の子って……ミーシャちゃん、私のことそんな風に思ってたのね。知らなかったわ」

「とにかく、一目惚れなんてものが起こりえるはずがない」

 エルノアは肩を竦めて、

「まあ、それは後で確かめればいいんじゃない? とりあえず、ミーシャちゃんは鋼さんに謝りたいんでしょ?」

「あ、ああ……」

 それから、エルノアに手伝って貰い、私は何度も鋼に話し掛けようと試みたが――

「鋼さん。ごきげんよう」

「あっ……ごきげんよう、お姉様方」

 エルノアが挨拶をすると、鋼は会釈だけして、私の方をちらりと見て、恐れるように足早に立ち去って行ってしまう。

 時には擦れ違おうとすると、進行方向を変えて避けられることもあった。

「駄目だ……完全に怖がられている」

「こうなったら、ちょっと強引にでも押し掛けて、ミーシャちゃんの気持ちを伝えるしか」

「無理だ」

「え?」

「家で何度も試したが、柔らかい表情を作ることが上手く出来ない。こんな無表情で謝ったところで、気持ちは伝わらない」

 今更ながら、私は後悔をしていた。

 これまでずっと自分から人と関わる努力をして来なかったこと。アームネル家の技術を言い訳にし、表情を作る必要なんて無いと自分に言い聞かせて、諦めていた。

 いざこんなことになって、私はどんな顔をして鋼に会えばいいのか分からない。まさに、鋼に合わす顔が無かった。

 エルノアは溜め息を吐いてから、

「嘘ね」

「え?」

「ミーシャちゃんの言う無理は、表情が作れないからじゃないでしょう。そうじゃなくて、ミーシャちゃんは単純に、表情の作れない自分ってものを鋼さんに知られたく無いんじゃないの? 格好が付かないから」

「そんなこと……」

「じゃあ、私が鋼さんに説明して来てあげるわ。ミーシャちゃんが無表情である理由。そうすれば、気にせず謝れるでしょう?」

 エルノアが背中を向けて、歩き出そうとする。

 私は反射的にその手を掴んでいた。

「ま、待て」

「なに? 何か問題でも?」

「っ……」

 返す言葉が見つからない。エルノアの言うことが図星だったからだ。

「……時間をくれ。私が自分で、鋼に話し掛ける」

「……分かったわ。ただ、いつまでも待つつもりは無くてよ? 私だって鋼さんに興味あるし、あんまり遅いようだと、私が先に鋼さんと仲良くなってしまいますからね」

 それ以降、私はチャンスを見計らっては何とか鋼に話し掛けようと試みた。

 しかし、いざ鋼を目の前にする度、緊張して、勇気が沸かず、もたもたしている間にタイミングを逃してしまうこと数知れず。エルノアの溜め息も何度聞いたか知れない。

 気付けば、日付は五月に替わり、鋼が転入してから一ヶ月が経過してしまっていた。

 そんなある日の朝。

「ごきげんよう、お姉様方」

 登校途中、鋼の方から突然、声を掛けられた。

 正直驚いた。半ばもう二度とまともに話せないと諦めかけていたから。

 鋼はエルノアに挨拶をした後、私の目を真っ直ぐに見つめて来る。黒色の奥に、何かの魔力が流れているのか虹色の光を湛えている瞳。私はそれに釘付けになって、視線を外すことが出来なくなってしまう。

 エルノアは話しかけられたことが余程嬉しかったのだろう。いつも以上に、にこにこしながら言う。

「私達、てっきり鋼さんに嫌われてしまったんじゃないかと思っていましたのよ」

「え?」

「この一ヶ月、何度か校内で擦れ違ったことがあったでしょう?」

「確かに……そうですね」

 鋼は何かを考えるように、目を伏せる。しかし顔を上げて、

「でも、私がお二人を嫌っていたなんて、そんなことはありません。この前、ミーシャお姉様を怒らせてしまったようだったので、その……ちょっと怖くて。会って話すのが」

 やっぱりそうか。怖がられていたのか。

 こんな鉄仮面では仕方が無いと思う。分かっていたことではあったが、実際に言われて胸がズキリと痛んだ。

 エルノアがうんうんと容赦無く頷いて、

「そうよね。怖いって思っちゃうわよね。……ということなのだけれど、ミーシャちゃん。どうするの?」

「え……」

 いきなり話を振られて、胸を痛めている暇など無く、心臓が驚きで跳ねる。

 どうするもこうするも。……いや、そうだ、鋼に謝らなくてはならないんだった。

 しかし、この期に及んで、私の口は動かない。

 何も問題は無い。鋼がこうして話し掛けてくれた。エルノアがお膳立てをしてくれている。ならば素直に謝ればいい。

 だというのに。これだけの好条件が揃って居ても、私は一語たりとも言葉が出て来なかった。

 心臓がばっくんばっくん脈打って、制服の内側が嫌に汗ばんで布が貼りつくのを感じる。

 鋼の真摯な瞳に見つめられて、喋れない私は視線を落とすことしか出来なかった。

 ……私は、こんなにも勇気の無い女だったのか。

 素直に謝ることも出来ない自分に、反吐が出そうだった。

 エルノアが私を見て、「あらあら」と肩を竦めて、

「ミーシャちゃんがそういう態度を突き通すならそれでもいいけれど、私はもうそれには付き合わないわよ? 一ヶ月も待ったんですもの、私はこれから鋼さんと仲良くさせて貰いますからね」

「なっ、エルノア……!」

 思わず顔を上げる。そんなのは駄目だ、という強い感情が自分の中に渦巻いていた。

 鋼がエルノアと仲良くして、笑い合う姿を想像して、とてつもない焦燥感に襲われる。

 エルノアは首を横に振って、

「怒ったって駄目よ。どうしても許せないなら、ミーシャちゃんが自分で選びなさい。これからどうするか」

「っ……!」

 どうしろというのか。私はエルノアと違う。エルノアみたいにあっさりと他人との間にある壁を乗り越えられるわけではない。

 それこそ、私にとっては魔法のように思える。エルノアには使えて、私には使えない。『人と仲良くなる』という魔法。

 エルノアは鋼に向き直り、

「ごめんなさいね。ミーシャちゃんはともかく、私も本当はね、鋼さんともっと早くお話をしてみたかったの。だから、これから改めてよろしくね、鋼さん」

「あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。でも……」

 鋼が私を見る。気にしてくれているようだった。

 こんなにも気にしてくれているのに、私は何も言えない。他人との距離の縮め方を、私は知らなかった。

 エルノアが私を見ていた。考えるように人差し指で自身の唇をなぞっている。意図が分からぬ内に「そうですわ」と両手を合わせた。

「鋼さん、今日の放課後は空いていますかしら?」

「放課後ですか? 身体の事情で魔力制御の訓練はありますが……はい、時間を作ることは出来ますよ」

「そうですか」

 微笑むエルノア。何を考えているのかと思いきや――

「でしたら、空いてしまった一ヶ月分の代わりにってわけではないのですけれど、私の家に遊びに来ませんか、鋼さん」

 一瞬、私の思考が完全に停止した。

 お泊まり会。イルミエールにおいて、それは様々な意味合いを含んだ言葉だった。少なくとも普通は十歳の相手に言ったりしない。

 他のことを全て聞き流せたとしても、これだけは絶対に許容出来なかった。

「エルノア! いくら何でもそれは……!」

「あら、ミーシャちゃん、何か問題でも? 私はただ、鋼さんとの親交をじっくり深めたいだけですわ」

「問題あるだろう。親交を深めるだけなら、別の場所でも出来る。それをわざわざ家に呼ぶ理由は――」

「じゃあ、鋼さんに訊いてみましょうか」

 エルノアはあくまで笑顔だった。鋼に問い掛ける。

「鋼さん」

「あ、はい!」

「鋼さんは、私の家に来るのはお嫌かしら?」

「えっと……」

 鋼は私の顔を伺って来た。私が否定的な態度を取ったからだろう。

 鋼は……エルノアのことが好きなんだろうか。贔屓目かもしれないが、嫉妬するほど美人で可愛らしい容姿、魔法のように他人とすぐ仲良くなれる私の幼馴染み。人気者の彼女に対して好意を持っている女子は少なくない。だから、もしかしたら鋼も――

 ……そう考えると、嫌な気持ちになった。鋼と出会う前の自分……いや、それよりずっと前の自分に戻って、やり直したいと思った。

 表情を作る練習。人と接する練習。どんなに練習したって、エルノアのようになれるとは思えない。

 でもせめて、普通に話せるだけの力が私にあったなら。

 鋼ともっと良い出会い方が出来ていたかもしれない。

「私は――」

 鋼が口を開いた。その先を聞きたく無い。聞いたら全部終わってしまう気がした。けれど、身体が動かなかった。

 その瞳が不思議な力を持って、私を見たからだ。鋼はそれからエルノアに向き直って、

「ミーシャお姉様が嫌だと仰るなら、エルノアお姉様のお家には行かないことにします。エルノアお姉様と仲良くしたいと思っておりますが、それと同じくらいミーシャお姉様と仲良くしたいとも思っております。なので、ミーシャお姉様に嫌われるようなことはしたくありません」

 はっきりとそう言った。

 その後のことはよく覚えていない。エルノアが「おーい、ですわ」と視線を遮るように手をひらひらしていたような気もする。

 私はただただ、鋼を見つめ続けていた。

 胸がドキドキして、全身が熱くて、ただ一つのことだけを考えていた。

 一目惚れなんて在り得るはずがない。ずっとその言葉だけが頭の中で反芻され続ける。

 一目惚れなんて――




 仮に一目惚れなんだとしたら、鋼が男の姿に変わって、それを見た私は一体どうなってしまうんだろうか。

 鋼のちょっとした言動に一喜一憂させられる私の感情は、一気に冷めてしまうんだろうか。

 あの時から、そんなことを考え続けている。

 もしも私が十五歳の男子に戻った鋼を見て、同じような感情が抱けないのなら、『一目惚れ』とはなんて浅はかなものだろうかと思う。その感情は偽物じゃないのか。

 だから私は、男の鋼を見るのが怖かった。

 自分の抱いている感情が『恋』なのか、正直未だに分からない。

 私は何となく、将来はエルノアと結婚するのかな、とそんな風に考えていた。嫉妬はしつつも、エルノアは私にとっての理想の女の子像で、好きという感情は少なからずあった。エルノアに付き合ってと言われたら、きっと二つ返事で頷いていただろう。

 ただ、鋼と出会って抱いた感情は、エルノアに対してのものとは大きくかけ離れていた。

 これまで抱いたことの無い熱い感情。火傷しそうで触れるのも一苦労な代物。持っていても悩んで疲れるだけ。他のことに手が付かなくなって、良いことなんて一つも無い。

 元々欲しくも無かったし、一生知らないで済むなら、そっちの方が良かったと思う。

 それでも私は知ってしまったのだ。鋼と出会って、胸に忘れようの無い感情を持ってしまった。

 だから。どうせ持ってしまったものならば――

 一目惚れなどではなく、どんなことがあっても揺らがない本物の『恋』であって欲しいと、私は思う。




 鋼は瞳を見開いた。

 結界の破片が煌き舞い落ちる中、ふわりと着地してスカートを緩やかに揺らす、魔法少女学園高等部の制服を着た少女。

 それは――

「ミーシャさん!」

 普段無表情のはずだが、顔を上げた彼女はどこか辛そうな顔を歪めていた。よく見れば、息も荒く、肩を大きく上下させている。ぽたりと顔から汗の雫が落ちる。

「間に……合った……!」

 ――ああ、そうか。俺の為に全力で追い駆けて来てくれたのか。

 そう思ったら、胸が締め付けられるようになって、言葉が出なかった。

 ミーシャさんが息を吐いてこちらを向き、ゆっくりと歩いて来る。

 と、その背後に捉え切れないスピードで接近し、鎌を振り被るファントムの姿。

「ミーシャさん! 危ない!」

 鋼は叫ぶ。ミーシャさんが振り返ろうとする。

 ファントムが悪魔のような笑みを浮べて、

「変身もしないで飛び込んで来やがってよぉ! 馬鹿かテメェはぁぁぁ――ッ!」

 鎌を振り下ろしたその時。

 ファントムの真横に魔方陣が出現し、そこから射出されたスパイク付きのハンマーがファントムの脇腹にめり込んで、盛大に吹っ飛ばした。

「がっ!?」

 褐色の魔女は結界の壁に激突し、地面に沈んだ。

 ミーシャさんは横目でそれを見つつ、乱れた呼吸を整えながら、一言。

「邪魔」

 そうして再び鋼の方に向き直り、近付いて来る。

 喜びや驚きで、どこかに忘れてしまっていたが、ミーシャさんが近付くにつれ、鋼は自分が今、男の姿であることを思い出す。

 ――どうしよう、状況的には俺が鋼だと分かるだろうけど、ミーシャさんはこの姿を見てどう思うだろうか。

 それ以上考えている時間はなく、彼女は鋼の前に立つ。どこからか小さなナイフを出現させて、すっと結界に走らせると、ぱちんと泡が弾けるように消えて、

「わっ……とと……」

 足場を失った鋼は慌てて着地し、何とか転ばずに済む。

 顔を上げたところで、

「っ……!?」

 ふわっとミーシャさんの柔らかい両手が鋼の頬に触れる。

 ちょっとだけ汗ばんだ両手が、鋼の顔の輪郭を沿うように撫でる。

 明確な表情があるわけではない。ただ、ミーシャさんの顔は走って来た後だからなのか、少し柔らかく見える。唇が動く。

「鋼……なのか?」

「は、はい。鋼……です」

「そうか。これがお前の、本来の姿なんだな」

「はい……」

 自信が無くて、鋼は目を伏せてしまう。

 ミーシャさんは頬に触れたまま言う。

「ん、大丈夫」

 その言葉に鋼は視線を上げる。

 ミーシャさんと目が合う。覗き込むようにして近付いた瞳には、男の鋼が映っている。

 ひょっとしたら鋼の気のせいだったかもしれない。

「鋼だ」

 そう言った時、ミーシャさんがわずかに微笑んだように見えた。

 鋼の頬からそっと両手が離される。ミーシャさんが一度深呼吸をして、その後には見慣れた無表情に戻った彼女の姿があった。

「鋼、まずはその手錠を外す」

「はい、お願いします」

「じっとしていろ」

 ミーシャさんは魔方陣を展開して、そこから巨大な槍を取り出すと、手錠を真っ二つにすべく振るう。が、手錠は火花を散らしただけで、びくともしない。何度か試すが、結果は同じ。

「無駄だ。そんな簡単に壊れる代物じゃねえよ」

「……そのようだな」

 声のした方へ、ミーシャさんが鋭い視線を向ける。

 結界の淵で、ゆらりと立ち上がったファントムがミーシャさんを睨み返す。脇腹は魔法で治癒させたのか、傷一つ見えず、手で押さえる様子も無い。

「ったく、面倒くせぇことになったぜ。全くよぉ」

 気だるげな言葉に反して、ファントムの瞳は明確な殺意を帯びている。

 ミーシャさんが槍を回転させ、先端の刃を魔女へと向けた。

「鋼の手錠を外せ。さもなければ、お前を倒す」

「うっせーんだよ。さっさと変身しろ、魔法少女。舐めてんのか」

「舐めているのはお前の方だ」

「ハッ!」

 ファントムが笑って、瞬間移動のような速さでミーシャさんの槍の先端より前に肉薄する。

「威勢は良くとも、全然反応出来てないぜお姉様!」

 ミーシャさんは微動だにしない。ファントムを真っ向から睨み付けたまま。

 と、ファントムの真横に魔方陣が出現して、先程と同じようにスパイク付きのハンマーが射出される。

「馬鹿が! 同じ手は喰わねぇよ!」

 最小限の動きでハンマーを避け、ミーシャさんの首に向けて鎌の刃を振ろうとするファントム。

 しかし、その時だった。

「なっ……!?」

 ファントムを三百六十度取り囲むように無数の魔方陣が出現した。

 ミーシャさんが一歩も動かず、眉一つ動かさずに告げる。

「確かに私の目じゃお前の動きを捉え切れない。ただ、それならそれで手はある」

 全ての魔方陣から一斉に無数の武器が射出されて、ファントムに襲い掛かった。

「スピードだけじゃどうにもならない物量を一度に叩き込めばいいだけだ」

「こなくそぉぉぉ――ッ!」

 鋼には、ファントムの鎌が幾つにも分裂したように見えた。次いで無数の火花が飛ぶ。攻撃を裁いているのだ。

 やがてミーシャさんの全方位攻撃が終わった後には――

 周囲の地面に武器が転がり、突き刺さる中で、ファントムが肩膝を着いていた。魔法障壁も展開していたらしく、身体の周りには幾つも魔法陣が張られている。

 だが、全ては防げておらず、地面に肩膝着いた方の足には剣が、肩には槍が突き刺さっていた。

 ファントムが苛立った様子で、ミーシャさんを睨む。

「やってくれたなテメェ……!」

 そんなファントムに怯まず、ミーシャさんは睨み返し、

「それはこっちの台詞だ、ファントム」

 鋼はミーシャさんの身体から強い魔力が放出されるのを感じた。魔力は次第に大きな光に変わって、ミーシャさんの身体を包み込んで行く。

 光の色は涼やかな青。氷のように冷たく、しかし水のように柔らかな淡い色。その光がドレスの形を成して、ミーシャさんの幼く変化した身体を華やかに彩る。

 両腕部分とスカートの裾が、大きく広がっているドレスだった。一目で分かる特徴的な部分として、胴体を覆う布地に複数のポケットが付いている。お腹に一つ、胸に二つ、両肩に口が前側を向くようにして一つずつ。

 あどけなくなった顔が無の表情を作って、ファントムを見据える。

「舐めている、舐めていない以前に――」

 何が引き金になったのか分からないが、はっきりとした怒気を孕んだ声で、魔法少女に変身したミーシャさんは言った。

「私はお前を許さない」

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