後編『ハガネ、戦う』(2)
ダークエルフの女の子に案内された場所は、どこかの空き教室だった。
「よっと」
ガラリと扉を開けて彼女はその中に入って行く。
「勝手に入って、大丈夫なんでしょうか?」
鋼は教室の中を覗きながら、彼女に尋ねる。
教室内の構造は鋼が通うクラスと一緒のもので、中には誰も居る様子は無い。
「あ? いいんだよ、別に。誰も使って無いんだから」
右手をスカートのポケットに突っ込み、左手をひらひらとさせつつ言う女の子。
鋼が日本出身だからか、彼女の褐色肌と金髪、砕けた言動を見ていると、凄くギャルっぽく感じた。それ故に、十歳なのに大人びて見えるというか、妙な色っぽさがある。
「中に入って話そうぜ。ちょっと他人には聞かれたくない話だからな」
「はい」
鋼は頷いて、教室に入ろうと足を踏み出す……が、扉を潜る手前で止まってしまう。
女の子が首を傾げた。
「どうしたんだよ?」
「いや、その……やっぱりこの空き教室、入っちゃ駄目な場所なんじゃないかって思って」
「……どうしてそう思うんだ?」
女の子の問い掛けに対して、鋼は答える。
「この教室、何か他のとは違って、特殊な魔法の術式が張られているように見えるんです。さっきから魔法陣みたいのが薄っすら光ってて――」
「へぇ……」
教室内の壁に魔法陣の紋様が見える。いや、壁だけじゃない。天井も、床も、椅子や机といった備品にまでびっしりと施されているように見える。
その魔法陣が教室のごく一部に設置されているような小さいものだったら、別に何とも思わなかったのだろうが、これだけ多いとさすがに違和感を拭えない。
違和感といえば――
「あの、すみません。失礼なことをお訊きしてしまうんですが……」
「ん?」
「ひょっとして、ブレイズ先生のお知り合いとかだったりしますか?」
「ブレイズ先生……ブレイズ・ヘルベルトのことか?」
「ええ。ダークエルフの方は、第二学園の方に通っているというのを聞いていたので、だから――」
鋼がそこまで言ったところで、女の子はすぅっと目を細める。
まるで切れ味の鋭いナイフを連想させる目付き。先程までの小悪魔っぽい雰囲気が、悪魔そのものに置き換わるような雰囲気の違いに、鋼は背筋が冷たくなる。
少なくとも十歳の女の子がする目付きでは無い。彼女は溜め息を吐いて、後ろ頭を掻きながら、
「おいおい――」
カッと目を見開くと、目にも止まらぬスピードで廊下に飛び出して鋼に肉薄し、手の平を伸ばして来る。
反応が追い付かず、女の子は鋼の首筋を掴むと、そのまま絞め殺さんがごとき力を加えて来た。
「くぅっ……!?」
「教室に魔法が張られてるのを見抜きやがるから、あの先公になかなか鍛えられてると思ったが、そうじゃねぇ。お前、本当に全部見えてやがるんじゃねぇか!」
その姿は、血の様な紅のドレスを纏った魔法少女へと変わっていた。
ダークエルフの少女――ファントムは、鋼の瞳の奥に常人には有り得ない色――虹色の輝きが揺らめくのを見て、
(分かっていたことだが、本当にただの魔法少女じゃねぇな、こいつ……!)
改めて目の前の存在が、本来あり得ない異常な存在であることを知る。
八島鋼。数百年に一度生まれると言われる希少な男の魔法少女。
こいつの瞳は、空き教室に仕掛けていた魔法陣を知覚し、それどころか少女が最も得意とする幻影魔法が全く効果を為していなかった。
ファントムは第一学園に潜入する為に、自身の肌を通常の人族と同じ白さに見えるように魔法で偽装していたのだ。にも関わらず、鋼はファントムのことを『ダークエルフ』と言った。最初から鋼には、褐色肌の少女として見えていたということだ。
まあ、計画に何も支障は無い。このまま無理矢理教室に引きずり込めばいいだけだ。
ファントムは鋼の首を締めたまま魔法少女に変身し、腕に魔力を込めて鋼の身体を教室の方へと引っ張る。
その時だった。
「鋼さん!? そこのあなた、鋼さんに何をしているんですか!?」
「あ?」
ファントムは声のした方を見やる。
そこには、鮮やかなピンク色の髪をした少女の姿があった。
「鋼さんに何をしているんですか!?」
首を絞められつつも鋼が視線を向けると、声の主は美飛さんだった。
何故こんなところに居るのかは分からない。しかし、彼女が来てくれたおかげで、一瞬だけダークエルフの少女の握力が弱まる。
「だあぁっ!」
鋼はペンダントに向けて念じて制服を収納し、魔法少女姿に変身すると、あらん限りの魔力を全身から放出して、ダークエルフの少女を吹き飛ばす。
「ちっ、馬鹿魔力が!」
少女は舌打ちをして、空中で何かの魔法を使ったらしく、飛ばされた勢いを殺して地面に着地する。
鋼は彼女に問う。
「あなたは一体何者ですか!? いきなり首を絞めたりして!」
「は? まさかまだ気付いてねぇのか?」
「気付いて無い?」
「そうか、分からねぇか。まあ、すぐに思い出すだろうぜ!」少女が魔法で加速し、鋼に突っ込んで来る。「うぉらっ!」と拳を繰り出す。
鋼は応戦し、拳を手の甲で弾いてカウンターを放つ。
そのまま拳の打ち合いとなり、その状態を崩す為に少女が球状の闇魔法を放って来たところで、鋼は後ろに飛んで大きく距離を取る。
闇魔法が床にぶつかって爆発を起こし、廊下の窓ガラスが一斉に甲高い音を立てて砕け散る。
美飛さんは「はわわっ!?」と慌てた様子で魔法少女に変身し、大きな熊のぬいぐるみを召喚して、それを盾にして隠れた。
「なんだ、なんだよ八島鋼! 素人かと思ってたら、格闘戦出来んじゃねぇかお前!」
爆発の煙を引き裂いて、少女が肉薄して来る。あくまで戦うつもりらしい。
「止めて下さい! なんで生徒同士でこんな――」
そう思っていた。接近してきた彼女が右手に魔力を集めて、黒々とした大きな鎌を創り出すまでは。
戦いにより、気分が高揚しているのだろう。少女が白い八重歯を覗かせ笑う。
彼女のドレスは、血のように紅い。眩しい金糸の髪と、艶やかな褐色の肌を彩るその色。
鎌を切っ掛けにしてそれら全ての情報が結び付き、強烈な既視感に変わる。
――まさか。
全身に流れる血が熱くなり、逆に背筋は酷く冷却されていく。
鋼は強く拳を握り締めた。
「うおぉぉぉ!」
床が砕ける程、全力で踏み込み加速し、ダークエルフの少女に殴り掛かる。
全身全霊の、最速最大の拳。それを繰り出す必要があった。
目の前に居る相手を敵だと認識したからだ。
拳を振り抜く。相手の速度からして、鋼の拳は確実に当たるはずだった。
しかし、空を切る。
「消えた……!?」
一瞬前まで目の前に居た少女の姿が無い。
「速いじゃねぇか」
声は後ろからした。先程までとは違う声。それは聞き覚えのあるものだった。
鋼が振り向いた先には、
「でも、残念。アタシは大人のスピードだ」
かつて鋼を襲った、褐色の魔女が立っていた。二十歳の美しく妖艶な姿。以前母さんから教えられた彼女の名は――
「黒月の……ファントム!」
「吹っ飛べ!」
ファントムがアッパーカットのように下方から闇魔法の黒い球体を放つ。鋼はそれを受けて、天井に激突する。
「かはっ……!」
凄まじい威力だった。自動防御の魔法障壁はやすやすと打ち破られ、激しい痛みがくらった腹部とぶつけた背中を襲う。鋼はそのまま床に落ちて沈んだ。
「鋼さん!」
美飛は叫ぶ。
床にうつ伏せになっている鋼さんからの返事は無い。
美飛は鋼に駆け寄ろうとするが、
「おっと、そこまでだ」
鋼さんが『ファントム』と口にした、ダークエルフの魔女が立ちはだかる。
「う……!」
鋭利な刃物のような視線と、桁の違う魔力を感じて、ぶるると美飛の身体が震える。
(こ、これが魔女……!)
美飛は六大家の一つ、レインバード家の三女だ。魔力が覚醒するずっと前、幼い頃から魔法に関する様々な知識を両親から学ばされている。
故に、魔女についても詳しく知っていた。
ファントムは、首に着けているチョーカー『グロウギア』によって、魔法少女から更に一段階変身を行っているのだ。二十歳の成人した身体になることで魔力炉の出力、魔力転換の限界値を共に高めているのである。
しかし、グロウギアは身体に多大な負担を強いる危険な魔法アイテムで、誰でも使いこなせるわけではなく、極めて高い転換限界値を持つ魔法少女に限られるらしい。
それが本当なら、このファントムは仮にグロウギアを使わなくても相当に強力な魔法少女ということだ。
「部外者はお呼びじゃないんだよ」
ファントムが右手を美飛の頭にかざす様に構え、黒い球体を作り出す。鋼さんを攻撃した魔法だ。
(熊さん!)
美飛は熊のぬいぐるみ――全長二メートル三十五センチの巨体を動かして、魔女に向かって押し潰すように両拳を振り下ろさせる。
「遅い! 当たるかっつーの!」
ファントムは当然、避けようとするが、
(モグラさん!)美飛はすかさず念じる。
ファントムの真下、床を砕いて現れたモグラのぬいぐるみに、彼女の足を掴ませる。
「っ!?」
すぐに引き剥がされるが、一瞬その場に留められれば十分。
熊さんの一撃がファントムを押し潰した。しかし。
わずかな沈黙の後、ぐぐっと熊さんの両腕が押し返される。
「柔らかそうな見た目によらず、重い一撃放つじゃねぇかその熊」
「っ……!」
「しかし、あいにく今のアタシにはただの『ぬいぐるみ遊び』だ」
ファントムは熊さんの両拳を、片腕で受け止めていた。
もう片方の手には未だ闇魔法の黒球が留めてあり、
「遊びは終わりだ箱入娘」その一言で放たれる。
「きゃあぁっ!」
美飛は吹き飛ばされて、床を転がった。
やがて仰向けの状態で止まる。起きようとすると、頭がくらくらして、目がチカチカする。身体が激しく痛む。
それでも何とか上半身を起こす。
鋼さんを見やる。気を失っているのか、倒れ込んだまま動かない。
(駄目だ……勝てない……)
このままじゃ自分は殺される。そう思った。
ファントムが再び、闇魔法の黒い球を構えるのが見える。
美飛は――
初等部一年生にしてはかなり優秀だったのではないかと思う。そのピンク髪ピンクドレスの魔法少女は、面白い戦い方をした。
しかし、あまり戦いが続くと作戦に支障が出る。そろそろ終わりにしよう。
ファントムがそう思って、先程より強く魔力を圧縮した弾を放った時だった。
ピンク髪の少女が新たに白いモコモコのぬいぐるみを自身の目の前に出現させる。
(……羊か?)
低い等身でデフォルメされている為に、確証は持て無かったが、多分そう。
何をするのかと思いきや、羊のぬいぐるみはぴょんと跳ねると、自ら弾の射線上に飛び込んで行く。
(盾に使う気か。けど、そんな小さなぬいぐるみじゃ防げねぇよ!)
羊の大きさ直径五十センチくらいしかない。魔女の放つ攻撃なら、貫通して少女を殺すに余りある威力だ。
魔力弾が羊に迫り……モコモコとした体毛にスポッと吸い込まれた。貫通しない。
「何?」
すると、羊の体毛がみるみるうちに膨らんで、ただでさえ広い廊下を床から天井まで埋め尽くすような巨大な毛玉と化す。大きくなり過ぎた毛玉に埋まって、羊本体はもう見えない。
(アタシの魔法を吸収して大きくなったのか!?)
これで終わらず何かが起こると感じたファントムは、身構える。
次の瞬間、毛玉が大きな破裂音と共に弾け飛んだ。
パァンッという風船の割れるような音がして、鋼は意識を取り戻す。
「ぐっ……!」
起き上がろうとして、激痛が身体を襲う。
――そうだ、俺はファントムに攻撃されて……。
「お目覚めか?」
ファントムの声がして、ドレスの白いマフラーを掴まれ、無理矢理起こされる。首が絞まって苦しい。
と、地面から離れて開けた視界に無数の白い毛がふわふわと舞って落ちているのが見える。ただし、鋼の周囲にはバリアのようなものが張られていて、白い毛を弾いているので、吸い込んだり、頭に降り積もったりということは無い。おそらくファントムが発動している魔法なのだろう。
「せっかくだ。周りを見てみろよ。何が見える?」
「この白い毛は……何だ?」
「そいつはな――」
ファントムがニヤリと意地の悪い笑みを浮べて、
「お前のお友達が逃げる時に使った目くらましだよ」
「友達……美飛……さん?」
そういえば。見回しても、どこにも彼女の姿が無い。
「そう。あのピンク髪はな、お前を見捨てて逃げ出したんだよ。利口な選択だぜ」
「……」
――俺は美飛さんに見捨てられたのか。
少なからずショックを受けた。どこかにそのことを信じたくない自分が居て、鋼は拳に力が入ってしまう。
……いいじゃないか。美飛さんが逃げられたんだから。ファントムは魔女だ。魔法少女とは強さの次元が違う。美飛さんが鋼の目の前で、ファントムに殺されるよりはずっといい。仕方の無いことだ。
美飛さんが無事ならそれで……と思うのに。
こんなにも胸が苦しいのはどうしてだろう。
ファントムはフンと鼻を鳴らして、
「そろそろ夢から覚める時間だぜ、天使ちゃん」
亜空間から手の平サイズの水晶玉を取り出す。それが光り輝いたかと思うと――
鋼の意思とは無関係に、両手が身体の前で合わさるように浮き上がり、水晶玉からの光が両手首に巻き付く。光が消えた後、鋼の両手首は金属製の手錠に繋がれていた。同時に、
「っ……!?」
鋼の身体から急速に力が抜けて行く。この一ヶ月間、魔力制御の訓練を行っていたから分かる。
この感覚は、魔力炉が停止して身体から魔力が無くなる時のものだ。
果たして、鋼の変身は解かれ、十五歳の男子の姿へと戻る。
そのまま二の腕を強く掴まれ、
「おらよ!」
「うわっ!?」
空き教室の中へと放り投げられる。床へと着地する際、背中を強く打ち付けて、痛みに身体が痺れる。
鋼はファントムを睨み返す。
「ぐっ……俺の身体に一体何をした?」
「簡単なことさ。その手錠で、お前の魔力炉を停止させたんだ。万が一にも抵抗出来ないようにな」
「そんな……俺の魔力炉を制御出来るアイテムは無いって」
一ヶ月前に同じようなアイテムを試したことがあったが、鋼の魔力炉が暴走して、あっという間にアイテムをオーバーヒートさせてしまった。
「そうらしいな。だから完璧なアイテムってわけじゃない。あくまで一時的なものだ」
ファントムが教室の中に入って来て、扉を閉める。
「その手錠だけじゃ長時間は保たない。しかし、この教室に張り巡らしたような大規模魔法を組み合わせれば、お前の力を封じ込めることが出来る」
何をどうやっているのか分からない。ただ、鋼がどれだけ魔力炉に念じても、魔力は生まれず、魔法少女に変身することは叶わなかった。
ファントムは言う。
「観念しな、八島鋼。この大規模魔法と、その手錠を作り上げるのに、黒月が一ヶ月も掛けたんだからな!」
鎌の柄を床に打ち付ける。空き教室の至る所に描かれた魔法の術式が怪しく光って浮き出る。
と、外から爆音が響いて、校舎が大きく揺れた。
「な、何だ?」
「外でも始まってるんだよ、楽しいパーティーがな」
ファントムの不敵な笑みが、鋼の不安を駆り立てる。
職員室の窓からでも、学園敷地内の各所で魔法戦闘が行われているのを確認することが出来た。
「何が起こってる……!」
ブレイズは全身の神経を研ぎ澄まして、各所で発せられている魔力の波長を感じ取ろうとするが、少なくとも両手の指では足りない数の魔法少女の魔力が入り乱れていて、実際に目で見ないと何がどうなっているのか分からない。
最初の魔法戦闘が起き始めた直後に、他の先生が通信魔法で生徒会と風紀委員に指示を出して、事態の確認を急がせているが――
『失礼します。風紀委員通信係、ドルトリス・ワグナーです』
と、風紀委員からの通信魔法がブレイズの脳内に帰って来る。他の先生方も同様に目を閉じたりして、通信魔法に気を集中させている。
『事態が急を要すると生徒会長が判断されたので、高等部二年のサーチナ・ベルクリアさんに依頼して状況を確認致しました。結論から申し上げますと、敵は魔族の魔法少女組織・黒月です。黒いマントと仮面を付けた魔法少女が多数確認されています』
『黒月ですって!?』
先生方の表情が険しいものに変わる。
ブレイズはドルトリスに尋ねる。
『ドルトリスさん、ブレイズ・ヘルベルトです。黒月の幹部は誰か来ていますか?』
『それが……』ドルトリスの声が戸惑いに揺れる。
『どうしたのですか?』『早く報告を』
先生方の催促に対して、ドルトリスは一呼吸してから、
『……サーチナさん曰く、リーダーの黒騎士を除いた幹部全員が確認されています』
『ほぼ全員!?』『そんな馬鹿な! ありえないわ!』
『現在、学園敷地内の各所で、生徒達が幹部率いる黒月の部隊と交戦中。生徒会及び風紀委員のメンバーが別れて増援に向かっています』
それを聞いて、ブレイズの背中から嫌な汗が吹き出す。
黒月は馬鹿では無い。これまで幾度と無く魔族側と無関係のテロ組織を語って、人族側の政治活動を邪魔して来た。それには必ずと言っていい程、何か明確な目的があって、魔族側に利益をもたらす為に行われたものだった。
だから、無意味にこんな大規模な戦闘を起こしたりするはずがない。その目的が何なのかと考えた時、真っ先に思い浮かぶのは――
『ドルトリスさん、急いでサーチナさんと直接通信を繋いでくれるかしら』
『ブレイズ先生? いかがされましたか?』
悠長に構えている暇は無い。ブレイズは口調を本来のものに戻して、
『頼むドルトリス。時間が惜しい!』
『わ、分かりました。取り急ぎ……よし、行けます! 繋ぎます!』
一瞬ノイズが聞こえ、『はいはい、何ですかブレイズ先生』とサーチナ・ベルクリアの声に切り替わる。
『サーチナ。お前が探知魔法を使った時、鋼の姿は校内にあったか?』
『いえ、確認してませんね。というか、少なくとも私が魔法を使った時、学園の敷地内に天使ちゃんは確認出来ませんでしたよ。もう既に家に帰っているのでは?』
『いや、それはあり得ない。あいつはこれから私と魔力制御の訓練を行うはずだった。職員室から出て十分くらいしか経ってない』
『私が見逃したってことですか? でも、私があんな可愛い子見逃すはず無いし……』
『多分、お前のミスじゃない。そういう他人を欺く魔法のスペシャリストを、私は一人知ってる』
『……そうか! 黒月の――』
『幻影の魔女、ファントムだ』
間違い無い。
『これだけの大規模な戦闘を起こしたのは陽動。黒月の目的は、鋼を手に入れることだ』
鋼は数百年に一度の、男の魔法少女。しかも、常時魔法少女の姿を維持し続ける程の不可解な転換限界値を持っている。
それは、グロウギア等を研究開発しているように、戦力増強に拘る魔族側にとって、貴重な研究材料となるだろう。
『サーチナ。ドルトリスに頼んで、敷地内に残っている探知系魔法の得意な生徒を集めさせろ。総力を上げて鋼を探し出すんだ! こちらが鋼を助け出せば、連中は退き上げる!』
『了解。一丁気合入れてやりますよ!』
通信を終えた後、ブレイズは他の先生達と目配せをして、
「そういうわけです、先生方。私はこのまま、サーチナと直接通信をしつつ、鋼を探します!」
ジーナ・グレイフル先生が頷き、
「なら、私も行きます。鋼さんを渡して堪るもんですか」
「私も鋼さんの捜索に加わらせて下さい」
そう言って、前に一歩出たのは――
「ミカナエル先生」
鋼の所属する初等部一年桃組の担任、ミカナエル・アルシュタイン先生だった。
「私は……鋼さんの担任ですから。今度はちゃんと力になってあげたいんです」
その瞳には強い意志の光を見ることが出来た。ひょっとすると、鋼との間に何かあったのかもしれない。
「分かりました。お願いします」
他の先生は各所で黒月幹部の足止めをして貰うこととなり、各自職員室から出て行こうとする。
と、その時だった。
先生の一人が扉に手を掛けたところで、ブレイズは強力な魔力の反応を感じ取る。
『職員室』という空間が歪んで、廊下へと出る扉が消え去る。『職員室』がその大きさを変え、パズルのように別の空間へと組み変わって行く。
ブレイズはこの現象が何なのかを知っていた。
(結界……!)
黒月はおそらく、今日この日の為に、学園の敷地内へ色々と仕込みをして置いたのだろう。
鋼の居場所を探知させない魔法、職員室を結界の中に引きずり込む魔法、それらの魔法を発見されないようにする隠蔽魔法。一ヶ月という時間を掛けて、用意周到に。学園の厳重な警備システムに一切引っ掛からずにやって退けた、化け物みたいな奴が居る。おそらく幻影の魔女、ファントムだ。
ダークエルフという種族であるが故に幹部でこそ無いが、グロウギアを自在に使いこなす魔法少女。ここ数年内に起きた黒月関係のテロにおいて、施設に仕掛けられていた大規模魔法は、全て彼女の手によるものだと言われている。
果たして歪んだ空間は、百人以上が同時に踊れるような広さを誇るダンスホールへと姿を変える。赤い絨毯が敷かれ、二十メートル近くある高い天井からは幾つもの豪奢なシャンデリアが吊り下がり、ホール内を明るく照らし出している。
ブレイズを含む教師全員は、その中央に集められていた。
(くそっ、閉じ込められたか! しかし、ここで足止めを喰らっている暇は無い!)
一刻も早く鋼を見つけ出さなければ、学園の敷地外へと連れ去られてしまう。そうして魔族側の地域……例えば第二学園の敷地に入られでもしたら――
追跡は出来なくなる。勝手に魔族側の地域に侵入すれば、種族間の問題に発展し兼ねない。
黒月が人族側に侵入しているのは、あくまで『魔族とは関係の無いテロ組織』という体裁を取っているからで、逆は容易に出来ないのだ。
ブレイズは魔力炉を起動させ、魔法少女に変身する。
拳を強く握り、絨毯を蹴って一番近い壁に向けて、
「はあぁぁぁ!」
全魔力を乗せたパンチを放つ。
轟音と共に、壁が大きくへこむ。しかし、
(破れない……!)
壁が砕けることは無かった。
「さすがは黒拳の魔女として名高いブレイズ・ヘルベルト。たった一撃でそこまで空間にダメージを与えるとは、恐ろしいですね」
ダンスホール内に声が響き渡る。続いて、カシャンカシャンと金属の鳴る音。
「しかし残念ながら、そう簡単には破れませんよ。我が組織の同志、ファントムが作り上げ、私の魔力で維持している結界ですから」
ブレイズはダンスホールの奥を見た。ダンスホールの奥にある二階フロアへと続く階段。金属音がそちらから聞こえ、何より強大で禍々しい魔力を感じたからだ。
手摺りに手を添え、ゆっくりと階段を降りて来る人影が見える。外側は黒、内側は赤色のマントをたなびかせ、全身に闇を体現したかのような漆黒の甲冑を纏った騎士。
「黒騎士……!」
黒月を率いるリーダー。頭まで黒で多い尽くしたそいつは階段を降り終えると、大仰な仕草でブレイズ達に向かって頭を下げる。
「ごきげんよう、第一学園の先生方。今日は私の為にわざわざお集まり頂き、恐縮です」
その甲冑の背丈は成人女性のものだ。この黒騎士もまた、グロウギアを使用している魔法少女なのだ。黒い兜の、視界確保の為に開けられている隙間がこちら側を向いて、
「さて、時間は幾らでもございます」
前に出した両手に魔力が収束されて行く。魔力が形を為して、歪で巨大な双剣と化す。黒騎士の代名詞とでも言うべき武器だ。それをゆっくりと構えて、
「せっかくダンスホールにいらしたのですから、私と一曲踊っては頂けませんでしょうか?」
「先生方!」
ブレイズが拳を構えて叫ぶ。
見回すとわざわざ叫ぶ必要も無く、教師は全員魔法少女へと変身を行っている。
全員が全員、この黒騎士という存在の恐ろしさを周知しているからだ。
グロウギアを使用して変身した魔女は、魔法少女と次元が異なる強さを持つと言われる。けれども戦い慣れした魔法少女が何人も居て、力を合わせて戦略を練れば、決して対抗出来ない相手では無い。
だが、この黒騎士は違う。
有名な話だが、黒騎士は『強さの次元が二つ違う』と言われている。
だから今、ブレイズも含めて、教師達全員が魔力炉を全開にして構えていた。それに対し、
「ああ、もちろん――」
黒騎士はあくまで穏やかに、しかし隠し切れない愉悦を声に滲ませながら、
「ダンスのお相手は全員一緒で構いませんよ」
一瞬で黒い甲冑が見えなくなり、次の瞬間にはブレイズの背後、教師陣のど真ん中に出現して双剣を振るっている。
「うおぉぉぉ!」
ブレイズは黒いナイフを作り出し、自らの拳と共に黒騎士へと繰り出す。
先生達が各々に魔方陣を展開し、激戦が始まった。
(くそっ……!)
この結界は、黒騎士の魔力で維持されていると本人が言っていた。つまり、こいつを倒さない限り容易に脱出は出来ないということだ。
そして未だかつて、黒騎士が倒された事例は一度も無い。
仮にブレイズが黒騎士を倒せたとしても、それは全てを懸けた死闘になるだろう。体力、精神力、魔力――それから時間。
自分はどうなったって構わない。けれど、時間だけはどうにもならない。
ブレイズの心を深い絶望が襲う。自分にはどうにも出来ない『無力』という名の絶望。
サーチナとの通信も既に途切れ、今この瞬間、ブレイズに出来るのは――
(鋼……!)
強く、祈ることだけ。
(誰でもいい……! あいつを助けてくれ!)