エピローグ『未来の白地図』
鋼が目を覚ますと、そこは室内で、薄暗かった。
どうやらベッドに寝かされているらしい。横には窓があって、そこから数多の星が浮かぶ夜空を見ることが出来た。
室内を明る過ぎず、ぼんやりと照らしているのは、ベッドの脇に設置された台に乗せられているライトスタンドだった。
そして、ベッド脇の椅子にピンク髪の少女が腰掛けている。心配して付き添ってくれていたのだろう。今は目を瞑って、うとうとと頭を小さく上下させている。
そのままだと倒れて危なそうな気がしたので、鋼は上半身を起こして、彼女の肩を軽く揺する。
「美飛さん」
「ん……ひゃっ!?」
目を覚ました美飛さんは鋼の顔を見るなり、瞳を丸く大きく見開いて、立ち上がる。
そこで鋼は、自身の手の平を見て、男に戻っていることに気付いた。
「あっ、ごめんなさい! 驚かせるつもりは無かったんです。自分が男の姿だって気付かなくて」
「い、いえ! こちらこそごめんなさい。失礼な反応でした」
すとんと椅子に座り直す美飛さん。恐る恐るといった様子で、ちらちらと視線を投げ掛けて来る。
「あの……美飛さん、訊いてもいいですか?」
「は、はい! 何でしょう?」
「ここってどこなんでしょう? 学園の中ですか?」
「学園の保健室です。私も今日、初めて中に入ったんですよ」
「そうか……戻って来たんですね。学園に」
それから美飛さんは、鋼が倒れてからのことを教えてくれた。
ファントムが敗れ、鋼が救出されたという情報が伝わると同時に、黒月は戦闘を止め、残らず撤収したらしい。鋼達はその後、生徒会の編成した増援部隊の生徒達により回収され、学園の保健室に運び込まれたというわけだった。
エルノアさんは治癒魔法が使えるようになるまで回復すると、後は自力で全快してしまったという。とんでもないお姉様だ。
ミーシャさんはずっと鋼に付き添ってくれていたらしいが――
「私と違ってかなりの重傷で、ちゃんと帰って休まなきゃ駄目だとエルノア様に連れて行かれてしまいました」
「そうですか。でも、良かった。二人とも元気そうで」
鋼は美飛さんと笑い合う。
ひとしきり教えて貰った後、会話が途切れた。
鋼が男の姿ということもあるが、それ以前にまだ仲直りをしていなかったのを思い出す。
「その……美飛さん、今日までちゃんと向き合って話そうとせず、色々とすみませんでした」
鋼は頭を下げる。美飛さんが驚いた声を出して、
「えっ、何言ってるんですか鋼さん! 鋼さんが謝ることなんて何も無いです!」
「でも、ちゃんと話そうと思えば話せたはずなんです。俺は――私は、美飛さんにこれ以上嫌われるのが怖くて、避けてしまっていたんです」
正直な気持ちを言った。美飛さんは首をふるふる横に振る。
「鋼さんは悪くないです。私が、エルノア様とミーシャ様に嫉妬してただけなんです」
「嫉妬……?」
「はい。鋼さんはその……本当は十五歳だから、歳の離れた私と居るより、エルノア様やミーシャ様と一緒に居たほうが楽しいのかなって、そんな風に思ってしまったんです」
俯き、両手の親指同士を擦り合わせながら言う。
「確かに、エルノア様、ミーシャ様と一緒に居る時と、美飛さんと一緒に居る時では違うって思いますよ。でも――」
鋼は美飛さんの頭の上に手を置く。そっとピンクの髪を撫でた。
「俺は美飛さんと居る時も楽しいですよ。美飛さんが居てくれたから、学園に通うことが楽しいって思えたんです」
美飛さんは何も答えなかった。ただ妙に大人しく、その場にじっとしていた。よく見れば肩が小刻みに震えている。何かに耐えているような――
「あっ」
鋼は気付く。自分が反射的に美飛さんの頭を撫でてしまっていたことに。
「ご、ごめんなさい! 男の俺にとって美飛さんは年下なので、つい手が……」
手を離そうとすると、美飛さんがそれを両手でぎゅっと握って来た。
「だ、大丈夫です。慣れてないだけで、嫌なわけじゃないんです。鋼さんの……手ですから」
「……怖かったら、無理しなくてもいいんですよ?」
鋼が言うと、美飛さんは首を横に振る。
「怖いというか……ちょっとドキドキしてるんです。優しいけど、力強くて、鋼さんはやっぱり男の人なんだなあって思って」
顔を上げた美飛さんは、照れたように顔を赤くして、
「その……私は、男の鋼さんも、女の子の鋼さんと同じくらい素敵だと思います」
鋼の好きな、満面の笑顔を見せてくれた。
それから鋼は、美飛さんと他愛の無い話を続けた。変なわだかまりが消え去って、些細な話題でも楽しく話すことが出来た。
ただ、途中で気付いたのだが、美飛さんは何か言いたげな顔をずっとしていた。タイミングを窺っているような、そんな感じだった。
一方で言い辛そうな様子でもあったので、鋼の方から助け船を出してみる。
「あの、美飛さん……何か言いたいことがあったりします?」
「えっ!? ど、どうして分かったんです!?」
「顔とか仕草に出ていたので。どうしても言いたいことなのかなって」
「そ、そのですね! 実は鋼さんと仲直りしたら、言おう言おうと思っていたことがあって……」
「はい」
鋼は頷く。美飛さんの言葉を待つ。
「えっとですね……その……私も、鋼さんともっと仲良くなりたいんです! だから――」
先程よりもずっと顔を真っ赤にして、
「こ、今度、私の家に泊まりに来ませんかっ!」
びっくりした。ただ、それもきっと嫉妬したからなんだろうと思った。
美飛さんが不安そうに瞳を潤ませ、ぷるぷると肩を震わせながら、返事を待っている。
ちょっと恥ずかしいというか、照れてしまうけれど、
「……美飛さんさえ良かったら、喜んで」
鋼は頷く。
ぱあっと花開くように、美飛さんは笑顔を咲かせた。
「はいっ!」
その後、鋼が目覚めたことを美飛さんが職員室へ知らせに行って、ブレイズ先生が保健室へやって来た。
先生は鋼に近付くと、唐突にハグをして来る。ぎゅうぅっと強く抱き締められて、苦しいやらはずかしいやらで戸惑う鋼に、先生は一言「おかえり」と告げた。胸がじんわりと温かくなって、鋼は「はい、ただいま戻りました」と答えた。
それから白衣を来た女医――リップ・ジュエリー先生がやって来て、「今日はもうこのまま安静にしてなさい」と言われ、保健室に泊まって行くことになった。
「じゃあ、私も付き添いで」と美飛さんが口にするが、「ダーメ。美飛さんはもうとっくに完治してるでしょ。家族を心配させない」とリップ先生に却下され、渋々家に帰ることとなった。先生に「ほら、帰った帰った」と背中を押されながら、「鋼さん、また明日!」と最後まで手を振っていた。
やがて一人になり、静かになった保健室で目を瞑ると、自分で思っている以上に疲れていたのか、あっという間に鋼の意識は眠りの中へ落ちて行った。
目覚めると、日はもうすっかり昇っていて、翌日の昼過ぎになっていた。ちょっと疲れていたどころの話では無かったらしい。
しかし、ぐっすりと眠ったおかげで、鋼は魔法少女の姿になっていた。魔力炉が再び動き始めたのだ。
昨日までだったら、十歳の少女に戻ってしまったことにガッカリしていたかもしれない。けれど今は、少し嬉しかった。
ちゃんと元の日常に戻って来れたのだと実感出来たから。
保健室で仕事をしながら、鋼が起きるのを待っていたリップ先生は「午後になっちゃってるし、今日はもう帰ってゆっくりしたら?」と提案する。
「せっかくですから、残りの授業を受けて行きたいと思うんですが……」
「でも、鋼さん、昨日からお風呂に入ってないでしょ?」
「あ……」
「魔法で綺麗にしてあげることも出来るけど、家に帰って洗った方がスッキリとするわよ。それにご家族にも早く元気な顔を見せてあげないと」
そこまで言われてしまうと、鋼は拒めなかった。
「分かりました」
「そうと決まったら、家までの付き添いを一人連れて来るわね」
リップ先生は椅子から立ち上がり、保健室の出入り口の方へ歩いて行く。鋼は首を横に振って、
「あっ、大丈夫ですよ先生。多分もう魔力は戻ってますから、自分で転移ゲートを開けられます」
「まあ、そう言わないで鋼さん」
先生はクスッと笑って、
「付き添いにでもしないと、落ち着かない子が居るのよ」
五分程して、リップ先生が連れて来たのは――
「あ……」
ミーシャさんだった。
保健室に入り、鋼の近くまで来た彼女は、感情の読めない瞳で見下ろして来る。
「……もう大丈夫なのか?」
「はい、おかげ様で」
「そうか」
リップ先生がミーシャさんに言う。
「じゃあ、鋼さんの付き添いをお願いするわね」
「はい」
ミーシャさんはいつもの無表情で頷いた。それから保健室の扉のところまで歩いて振り返り、
「鋼、行くぞ」
「あ、はい」
鋼は彼女の後に続いた。
玄関で靴を履き、校舎の外に出るまで、ミーシャさんは何も言わなかった。
鋼の方から何か話し掛ければ良かったのだが、彼女の様子を見ていると、どうにも気後れしてしまう。
昨日ファントムと戦った時は色々な表情を見せ、喋っていたミーシャさんが、元の感情の読めない無表情に戻ってしまっていたからだ。
ひょっとしたらあれは、戦闘中で表情や態度を気にしている暇など無かっただけなのではないだろうか。そう思うと、鋼はどんな態度を取ったらいいのか分からなくなってしまっていた。
ミーシャさんの表情を窺っていると、彼女が見返して来て、目が合う。唇が動いて、
「鞄」と言った。
「え?」
「重くは無いか? もしあれなら、私が持つぞ」
鋼は右手に持ったスクールバッグを見やる。ファントムと校舎内で戦った時に落としてしまっていたのだが、美飛さんがわざわざ拾って来てくれたのだ。
「大丈夫、重くないです。ありがとうございます」
「そうか」
――俺は今更、何を怖がっているんだろう。
彼女は身を挺して俺を守ろうとしてくれたんじゃないか。
「ミーシャ様」
鋼が呼ぶと、彼女はちゃんと目を合わせてくれる。
「昨日は助けに来てくれてありがとうございました」
瞳を瞬かせるミーシャさん。顔を背けるように進行方向へ視線を戻しながら、
「……気にすることはない。たまたま知り合った相手が攫われたと聞いたから助けに行った。それだけだ」
「はい。それでも……嬉しかったです」
「……その」
ゆっくりと、言葉を選ぶようにしながら、ミーシャさんは言う。
「それを言うなら、お前も私を守ろうとしてくれた。だから本当に……気にすることじゃない」
顔は無表情を保っていたけれど、口調からそれが照れ隠しなのだと分かる。
――うん、そうだ。ミーシャさんは、ちゃんとミーシャさんだ。
俺はもう、そのことを知っている。
「あと、今日も休み時間の度に、心配して保健室に足を運んで下さっていたと聞きました」
すると驚いたように、ミーシャさんの瞳が大きくなる。
「そ、それをどこで」声が震えていた。
「リップ先生から」
「っ……」沈黙するミーシャさん。
「だからやっぱり、感謝しなきゃって思います。ミーシャ様」
「な、何だ」
「これからも色々と、よろしくお願いします」
鋼がそう言うと、
「……ん」
ミーシャさんは照れが臨界点を超えたのか、顔を赤くして、微かに笑った。
それは鋼がいつか見てみたいと思っていた表情で。
決して以前までと同じじゃない。少しずつちゃんと前進していると、確かに思えた。
あれからしばらくが経つ。
とある平日の朝、鋼はいつものように早朝のトレーニングを終え、父さんの作った朝食を堪能した後で、洗面台の前に立ち、鏡に映る十歳の少女と向き合っていた。
そこへ母さんが鼻歌混じりにやって来る。いつものように身だしなみチェックに来たのだろう。
鋼を見て目を丸くする。
「あれ? あれあれ? 何それ、どうしたの鋼ちゃん!?」
「うーん、何ていうか……自分を好きになる努力って感じかな。ちょっと恥ずかしいけど」
「そんなことないわよ! ちょっと待っててね! 写メ撮るから! スマホ取って来る!」
「ちょっ、止めてよ! 恥ずかしいんだってば! 言ったでしょ!」
「ねぇねぇ聞いて虎鉄さん! 鋼ちゃんがね――」
「父さんにわざわざ言わなくていいから!」
そうして母さんの上がったテンションが落ち着くまでしばらく掛かってから、鋼は登校する為、玄関で靴を履く。
魔法少女の仕事に出掛ける母さんが、同じく横で靴に踵を入れながら言う。
「ねえ、今日の鋼ちゃんを見てて思ったんだけど」
「うん?」
「鋼ちゃんはさ、魔力制御が完璧に出来るようになって、男の姿に戻れるようになったらどうするの? 魔法少女学園からこっちの学校に転校する?」
「んー……」
答えるのにしばらく時間が掛かる。今の鋼にとっては、難しい質問だった。
「まだ分からないんだ。自分でも。多分、その時になってみないと」
答えは出ないと思う。
母さんはそれを聞いて、「そう」と笑顔で言った。いつもは何も考えてないんじゃないかと思える母さんだが、こういう時、実は色々考えている大人なんだなと思える。
鋼と母さんは玄関まで見送りに来た父さんに「行って来ます」と声を合わせて、家から出発した。「じゃあ、鋼ちゃん。今日も学校頑張って」と手を振って、母さんは別の転移ゲートを潜って職場に向かう。
鋼も鍵型の魔法アイテムを目の前にかざして、魔法少女学園への転移ゲートを作成すると、その中に入って行った。
鋼は未だ、自分のことを好きになれているとは言い難い。
というか、そんな簡単に好きになれるなら、そもそもこんなことを考えたりはしないのだ。
それでも魔法少女学園に通うようになって、分かったことがある。
『好き』というのは、探すものではなく、気付くものなのではないか。
十歳の少女という、十五歳の男子とは別の視点を得たからかもしれない。鋼は学園に通うようになって幾つもの『好き』に気付いた。
だからきっと、自分を好きになるってことは、自分のことを知って受け入れて行くことなのではないだろうか。
最近はそんな風に思うようになった。
「ごきげんよう、鋼さん」
「ごきげんよう、お姉様」
緑の葉と白い花を咲かせるようになったシーズン並木の石畳を歩いていると、見慣れない中等部の女生徒に挨拶をされて、鋼は笑顔を返す。
黒月の襲撃事件の後、こうやって近くを通る際に挨拶をして貰えるようになった。たったそれだけのことなのに、鋼にとっては凄く嬉しい。
挨拶を一つ貰う度に、とても明るい気持ちになれる。
教室に着いて自分の席に向かうと、離れた席から一人の女の子がやって来る。
元々隣の席だったシャリーナ・ミッチェフさんだ。襲撃事件の後、鋼の心配をして声を掛けてくれてから、自然と会話する仲になっていた。
「ごきげんようですわ、鋼さん」
「ごきげんよう、シャリーナさん」
「教室に入って来たお姿を見て、私びっくりしてしまいましたわ。今日はどうなさったの?」
「ちょっと、個人的な実験というか、そんな感じです。駄目でしょうか?」
「いいえ、決してそんなことありませんわ! 私が保障致しますですわ!」
シャリーナさんは両手の拳を握って、ぐっとガッツポーズ。ちょっと可愛い。
彼女は鋼の耳元に顔を近付けて、小声で続ける。
「それに……周りの方々も、ちらちらと鋼さんに色目を向けてらっしゃるでしょう?」
「そ、そうなんでしょうか?」
「とにかく自信をお持ちになって。ね?」
と、そこへ美飛さんが登校して来る。
「ごきげんよう、シャリーナさん、鋼さん。……って、鋼さん!? どうしたんですかそれ!?」
隣の席に一度は座った美飛さんだったが、鋼を見て驚き立ち上がる。
鋼的にはさり気なく試してみたつもりだったのだが、そんなにも劇的な変化だろうか。
「ちょっと試しにやってみようかなって……どうでしょうか?」
美飛さんは瞳をキラキラとさせて、言った。
「とってもお似合いですよ、その白いリボン! 可愛いです!」
シャリーナさんが頷く。
「美飛さんもやはりそう思いますわよね! ほら、鋼さん。怖がることなんて何もありませんのよ?」
「ありがとうございます」
一応この姿の自分は女の子なわけだし、試しに一度、お洒落というものをしてみようと思ったのだ。
色々考えた末に、恥ずかしくて、白い無地のリボンを一つ付けるので精一杯だったけれど。
美飛さんが思い付いたように両手をぽんと合わせて、
「そうだ! せっかくですから今度、鋼さんに合う素敵なリボンを探しに街へ出掛けませんか? よければシャリーナさんも一緒に、三人で!」
「まあ、それはとっても心躍る提案ですわね! 是非ご一緒させて頂きますわ!」
「行きましょう、鋼さん!」
美飛さんとシャリーナさんが輝く瞳を向けて来る。
鋼はやっぱり男だから、ちょっと戸惑って、不安になってしまう。
それでも、勇気を出して一歩を踏み出してみたら、また少し世界が違って見えるようになるかもしれない。
きっとそれは、いつか魔力制御をマスターして、元の男子高校生に戻るか、魔法少女を続けるかという選択をする時も同じなのだろう。
だから――
「はい!」
鋼はその時に後悔しないように進んで行きたい。
選んだ後、最高の笑顔を浮かべられるように。
了
ここまで読んで下さった方にはまず多大なる感謝を。
面白いものがちゃんと書けたかはともかく、2014年時点での自分を全て出し切った作品であることは間違いありません。
この作品を書きながら学んだことを自分の血肉に変えて、また新しい作品に取り組んで行きたいです。
読み返すと、誤字脱字、用語間違ってたりが散見されるので、これから直して行きたいと思います。
ちなみに、エピローグサブタイは自分が最も愛するライトノベル『マリア様がみてる』より。
いずれにしても、本当にありがとうございました!