後編『ハガネ、戦う』(5)
鋼は未だかつて無い程、自身の中に魔力が満ち満ちているのを感じていた。
ファントムに匹敵する程の強大な魔力。おそらくそれの『毒』に対応する為に、鋼の身体は魔法少女より上の段階――魔女へと変身したのだろう。
そして、強大な魔力は自分一人の力では無いとも感じていた。
鋼が首に巻いている白いマフラーを通して、別の魔力が流れ込んで来ている。マフラーの一端がほつれるようにして、見えない糸を伸ばしているのが分かった。
その糸は鋼にも見えているわけでは無いのだが、実際にその細い糸を通して魔力が流れ込んで来ている感覚は確かで、間違いなく存在はしている。
そうやって魔力を貸して貰うことで、手錠をオーバーヒートさせ、破壊することが出来たのだ。
貸してくれているのはおそらく――
「ミーシャさん」
隣を見やると、彼女は頷いて、
「ああ、分かる。私の小指に魔力の糸みたいなものが結ばれてるな。そこから私の魔力が鋼に送られている」
「そうみたいです。自分でもどうやったのかよく分からないんですが、でもおかげで、ミーシャさんを助けることが出来ました」
「ん……悪かったな。……ありがとう」
気恥ずかしそうな表情を浮かべるミーシャさん。
もっと色々話したいところだが、その前に倒さなくてはならない相手が居る。
鋼は再びファントムに視線を戻す。
「ミーシャさんはそこで休んで居て下さい。俺が――私がファントムと戦います!」
足裏にありったけの魔力を込め、駆け出した。
魔法少女で訓練していた時とは比べものにならないほどのスピードで身体が動く。まるで背中に羽でも生えたかのような軽さだった。
しかしそれ故に感覚が違い過ぎて、
「ぐっ……!」
魔力の制御どころか身体の操作さえも難しい。ファントムの背後を取ろうとしたが、勢いが止まらず、行き過ぎてかなりの距離が開いてしまう。
ファントムがすかさず振り向いて、黒い球体による攻撃をして来る。
それを避けるのは容易だが、細かい制御が上手く効かない身体は、わずかに動いたつもりでも大きな距離を移動してしまう。
ファントムが鎌を振り被り、接近して来た。
「このぉっ!」
迎え撃つべく右拳のストレートを繰り出すが、大振りになってしまって当たらない。
直後に黒い鎌が迫り来る。だが、
(見える!)
鋼の視覚は確実に鎌の動きを捉えている。上体を大きく逸らし、そのままバック転をして避ける。
着地した後で、鋼は深呼吸をする。先程までの動きと身体感覚を思い出して、次の時にどの程度の感覚で動けば上手く行くか思考を巡らす。
――落ち着け。魔法少女になったばかりの時と同じだ。少しずつ修正を重ねて、実際の動きと感覚の差を把握するんだ。
「ちょこまか飛び回ってんじゃねぇ!」
ファントムが再びこちらへ向かって来る。
――もっとモーションの小さいイメージで。小さく、小さく、小さく……!
今、拳はどれだけ無駄に力を込めてもいい。魔力も。それを最小限の動きで相手にぶつける。身体感覚だけを極限まで研ぎ澄ます。
黒い鎌が襲い来るが、鋼は構わず拳を振り抜いた。
ファントムが瞳を見開いて、鎌を振るうのを止め、自身の前面に防御魔法を展開する。
鋼の拳が防御魔法に衝突する。有り余る程の魔力を乗せた拳は障壁を叩き割り、突き抜け、ファントムの横顔を殴り飛ばした。
「がっ!?」
結界の壁面までファントムの身体を吹き飛ばす。
「よし、当たった!」
鋼はぐっと拳を握り締めた。
ファントムは結界の壁に背中を叩き付けられた後、その壁を蹴って、相手に暇を与えず鎌の連撃を繰り出す。
(冗談じゃねぇ……!)
鋼はしっかりその一撃一撃に対応し、ここぞというタイミングで今度はミドルキックを放って来る。
魔女の目を持ってしても、捉え切れない神速の蹴り。防御魔法を張りつつ、全力でバックステップを踏み、距離を開ける。
そんな全力回避にも関わらず、鋼の蹴りはファントムの脇腹を掠めていて、一筋の血が伝った。
(完全にアタシのスピードに付いて来てんじゃねぇか……!)
魔女と魔法少女の間にあった絶対的な魔力の差は、もはや存在しない。
しかも接近戦に関しては、認めたくないが、鋼の方に分がある。
最初に魔法少女姿の鋼と交戦した時、既に感じていたことだ。
おそらく魔法少女に覚醒する以前から、鉄拳の魔女に鍛えられていたのだろう。明らかに動きが素人のそれでは無く、全力で拳を振るって来た際には、魔女に変身して加速しなければ避けることが出来なかった。
今度は鋼の方から仕掛けて来る。鎌を振るうだけでは手数が足りず、拳と蹴り、自動迎撃の魔法を周囲に展開して鋼と打ち合う。
先程のミドルキックよりも動きが鋭くなって、魔法の黒球を全部避けられ、打ち合いの隙を突いて繰り出された拳がファントムの頬を掠める。
「くっそおぉぉぉ!」
ファントムの魔力が消耗しているのもあるが、それが無かったとしても鋼の動きは速い。
加えて、少しずつ動作を修正して無駄が消えつつある。
向こうの攻撃はファントムを捉えつつあるのに、こちらの攻撃は当たる気配が無かった。
ならば、これ以上の接近戦は無意味だ。続ける程にこちらが不利になるだけ。距離を開けて、魔法で潰すしかない。
しかし問題は、魔女のスピードを手に入れた鋼にどうやって魔法を当てるか――
勝機を探るファントムの目に、傷付いた魔法少女――ミーシャの姿が映る。
――ああ、そうだ。あるじゃないか。もう既に一度成功した方法が。
口元が笑みの形になるのを感じながら、ファントムは接近して来ようとする鋼に、魔法を込めた鎌を振るった。地面に自身と鋼を隔てるように線を引き、そこに魔法の障壁を作り出す。
鋼は構わず拳で障壁を砕くが、そこにわずかな時間が生まれる。ファントムはその時間を使って、二つの魔法を使用した。
一つは、ミーシャを魔力の鎖で縛って動けなくする魔法。弱っているミーシャは避けることが出来ず、ファントムの思惑通り拘束に成功する。
もう一つは単純な魔法だ。掌にありったけの魔力を集める。そして、
(さあ、防いでみろ鋼!)
ミーシャに向けて魔力砲を撃ち放った。
鋼が気付いて、彼女の方へ駆ける。
ファントムは、鋼が自分の意思で防御魔法をまだ使えないという情報を手に入れている。攻撃された時に自動で発動してしまうのだ。故に強度もどの程度か、本人ですら分かっていないはず。それを発動したところで、本人はともかく背後のミーシャまで守れるかどうかという保障は無い。
そう考えれば、鋼が選択出来るのは、唯一使えるという魔法『魔力砲』での相殺だ。
(掛かった!)
果たして、鋼はミーシャの前に立ち、魔力砲を撃ち返して対抗して来る。
魔女同士の魔力砲がぶつかって、衝撃波で結界が震撼する。
ファントムは笑わずに居られなかった。知っていたからだ。
鋼が何よりも、魔力制御を苦手としていることを。
「終わりだ、八島鋼!」
鋼は焦らずに居られなかった。
「くっ……!」
土壇場で魔力砲の撃ち合いをすることになってしまった。学園に転入してから、訓練で一ヶ月間繰り返して来たことだが、一度としてブレイズ先生に打ち勝ったことは無い。
しかし、絶対に負けるわけには行かなかった。鋼の後ろには、ファントムの拘束魔法で動けないミーシャさんが居るのだ。
鋼が打ち負けてしまったら、自動で防御魔法が発動する鋼はともかく、ミーシャさんは助からない。
ファントムが魔力砲を収束させ、強度を高めて来る。鋼の魔力砲が押し負け始め、そのまま押し切られないようにこちらも集中して魔力砲の中心の軸に向かって、魔力を束ね、細めて行く。何とか拮抗させることが出来た。
背後のミーシャさんが言う。
「鋼、いざとなったら逃げろ。お前の速さなら避けられるはずだ」
「嫌です! ミーシャさんを置いてなんか逃げられない!」
「鋼……」
負けるわけには行かない。ミーシャさんの命が懸かっているのだ。
何と言われても絶対に退かない。諦めない。
――集中しろ、俺。
全神経を研ぎ澄まして、魔力砲に注ぎ込んでいる魔力の流れだけに集中する。
たとえこれまで一度も上手く行って無くとも、成功させる。
奇跡を信じてはならない。それはもう既に一度起きていて、鋼は魔女に変身し、ミーシャさんの窮地を救うことが出来た。
ファントムと互角に戦えるだけの力は手に入れている。
だから後は、鋼が自身の力を信じてやるしかない。
集中力と、それを切らさない根性で、
「絶対に勝つ……!」
ファントムを倒すのだ。
ミーシャは鋼の背後で、何とか拘束魔法を引き千切ろうともがいていた。
だが、魔女による強力な魔法だ。加えて今は、鋼に魔力の大半を貸している状態なのもあって、びくともしなかった。
(助けに来た私が、鋼の足を引っ張ってどうする……!)
情けなかった。先程から少しでもファントムの集中力を乱せればと魔方陣を展開して、武器を放っているのだが、魔女同士の魔力砲がぶつかり合い、下手な防御魔法より強力な衝撃波の嵐が吹き荒れているせいで、ことごとく弾かれてしまう。
(何か、何か無いのか! 鋼を手助け出来る方法は……!)
と、その時だった。
『ミーシャちゃん、ミーシャちゃん、聞こえる?』
通信魔法で声が聞こえて来た。ミーシャは振り向いて、
『エルノア! お前、意識が戻ってたのか!』
『ええ。正確には、最初から気は失って無かったんだけどね。意識が朦朧として、まともに思考出来るようになるまでに時間が掛かっちゃったけど』
『そうか、なら今の状況は分かってるな? どうにか私を拘束している魔法を解けないか? お前の魔法なら――』
結界の壁近くに倒れて、顔だけこちらに向けているエルノアは、首を横に振って、
『そうしたいのは山々なんだけど……ごめんなさい。さっきからずっと試してるんだけど、身体が全然動かないのよ。思ってたより傷が深いみたいで。高度な魔法は上手く行かなくて……この通信魔法を使うので精一杯』
だからこそ、ファントムと鋼の戦闘に介入せず、息を潜めていたのだろう。ファントムの標的になって鋼の足を引っ張らないように。
『っ……どうしたらいいんだ。このままじゃ鋼が……!』
鋼は自身の魔力が制御出来ないから学園に通っているのだ。魔女の魔力を自在に使いこなすファントムに比べて、圧倒的に不利だ。
『ねぇ、ミーシャちゃん。鋼ちゃんに魔力を送る以外に、私達に出来ることって無いのかしら。例えば鋼ちゃんの魔力制御を手伝うとか……』
『待て、エルノア』
ミーシャはエルノアの言葉の中に、大事な情報が含まれていることに気付く。
『お前も……鋼に魔力を送っているのか?』
『え、ええ。気付いたら小指に見えない糸が結ばれている感覚があって。そこから私の魔力が鋼ちゃんに流れてるのが分かったから、おそらくミーシャちゃんも同じだろうと思っていたんだけど……違った?』
『いや、その通りだ。だとしたら――』
ミーシャはこの場に居る、もう一人の魔法少女へと視線を向ける。
地面に叩き付けられて、うつ伏せの状態で気を失ってしまっているピンク髪の少女――美飛。ちょうど顔がこちらに向いていて、目は閉じられている。
鋼は例外だろうが、通常、魔法少女への変身とは自身の意思で行うものだ。そもそも意識しないと魔力炉というのは動かないようになっている。
故に意識が無い場合、魔力炉は自然と停止してしまう。現に美飛は変身が解け、初等部の制服姿に戻っていた。
つまり今、彼女の魔力は鋼に流れ込んでいないはず。
これしかない、と思った。動くことのままならないミーシャが、鋼を援護出来る最大の方法。
通信魔法を使って、ミーシャは美飛に呼び掛ける。
『美飛。起きてくれ美飛。鋼を助ける為に、お前の力が必要なんだ。美飛……!』
両手を握り、目を瞑って強く祈りながら。
私は鋼さんがエルノア様のお屋敷に泊まったという噂を聞いた時、凄く嫌な気持ちになった。
同時に、鋼さんがそれを了承したということを信じたく無かった。
聞けばエルノア様だけでなく、ミーシャ様も一緒だったという。そんな噂話、誰かが流した嘘だと思っていた。けれど、
「え、ええ。エルノア様からお泊り会のご招待を受けて――」
私の問い掛けに鋼さんは頷いて、そう答えた。どこか気恥ずかしそうに。
胸がチクチク何かに突付かれるようで、どうしようもなく腹が立ったのを覚えている。
そうして私は感情の赴くままに言ってしまったのだ。
「そういうの私は良くないと思います。不潔です」
後から冷静に思い返すと、それは『嫉妬』だった。
しかしそのことに気付いても、私はなかなか素直に謝ることが出来なかった。
そんなことが続いていた時、昼休みに中庭で、鋼さんがエルノア様、ミーシャ様と一緒に居るのを見かけたのだ。
エルノア様が鋼さんを連れて行った後、ミーシャさんは私に話があると残って、言った。
「お前は、鋼のことをどう思っているんだ?」
「え?」
「私はお前のことをよく知らない。こうして話すのも初めてだ。だから聞きたい。お前が鋼をどの程度に思っているのか」
「私は……」
「少なくとも、鋼はお前のこと大切な友達だと言っていた」
私は何も答えることが出来なかった。俯いて、ミーシャ様の言葉を噛み締めるように頭の中で繰り返していた。
「一応、鋼の名誉の為に言っておくと、エルノアの家に泊まったことについては、私達が単純に鋼と話をしてみたかっただけだ。鋼はその誘いに快く応じてくれた。色々とトラブルはあったが、女神に誓って鋼は純潔のままだ」
――だから、もしも鋼のことを同じように大切な友達だと思っているなら、早めに仲直りをしてやってくれ。
ミーシャ様はそう言って去って行った。
私にとって鋼さんがどのような存在なのか、それまでちゃんと考えたことは無かった。ただ、鋼さんが私のことを大切な友達だと思ってくれていると知って、胸が熱くなる。
少なくとも、エルノア様やミーシャ様が鋼さんを『鋼ちゃん』や『鋼』と呼んでいることに嫉妬するくらいには、既に大きな存在となっていた。
――そうだ。私は……鋼さんが好きなのだ。
男とか女とか関係なく。
だから――
鋼がファントムと魔力砲の撃ち合いを始めてから、一体どれだけの時間が経っただろう。
ひょっとしたら、五分と経っていないのかもしれない。しかし鋼には、もう既に一、二時間は経過しているんじゃないかというくらい長く感じられた。
集中力は今にも切れそうで、魔力の流れに対する感覚が次第に無くなって行くのを感じる。
ファントムが更に魔力砲を細くして威力を高めて来る。もう既に鋼の魔力砲は大分押し返されており、ちょっとでも集中力を散らせば一気に押し切られ兼ねない状況だった。
「くっ……!」
またファントムが魔力砲の強度を高める。鋼は必死に集中して、魔力を束ねる。が、
――駄目だ、もうこれ以上は細く出来ない。
もはや感覚が追い付かなくなるところまで来ていた。今の強度を保つので精一杯。
「ここまで来て……!」
ミーシャさん、エルノアさん、美飛さんが助けに来てくれて。必死に守ってくれて。それでやっと自分で戦えるようになったのに、結果がこの様だ。
両手が重くなる。ファントムの魔力砲がまた強度を増したのだ。おそらく目の前数十センチのところまで、押し返されている。
「くっそおぉぉぉ!」
辛くて、苦しい。でもここで投げ出すわけには行かない。背後にはミーシャさんが居るのだ。
耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ。
しかし、耐えてどうするのかと思う。それで状況が変わるわけではない。魔力の放出量は既に最大出力、それを圧縮出来る限り圧縮した上で押されているのだ。勝てる見込みはもう無いに等しい。
……終わってしまうのだろうか。ここで全部。
あの学園生活には、もう戻れないのだろうか。
「っ……!」
鋼は唇を噛み締める。この期に及んで、気付いたことがあった。
――俺はいつの間にか、魔法少女学園を好きになり始めていたのだ。
最初はさっさと出て行くつもりだったのに。馬鹿みたいな話だ。
もっと早く気付いていれば、世界が違って見えたかもしれない。
そうして、鋼の魔力を制御する感覚が無くなった。限界を迎えたのだ。魔力砲がじりじりと押されて行くのが分かる。
鋼の心が折れる、その寸前での出来事だった。
「鋼さん!」
一つの声が耳に届いた。
声の元を辿って、視線を動かす。魔女の魔力砲同士がぶつかって巻き起こっている衝撃波の嵐の中で、美飛さんが立っていた。魔法少女姿に変身して、彼女は叫んでいた。
「私、このまま鋼さんとお別れなんて絶対に嫌です! 私はまだ鋼さんに謝ってません! 仲直りしてません! だから!」
大きく息を吸って、言った。
「勝って下さいっ! 鋼さぁぁぁ――んッ!!!」
その言葉と共に、鋼は自身の中に彼女の魔力が流れ込むのを感じた。いや、それだけじゃない。
言い表せない力を沢山貰った。限界まで稼動していた魔力炉が更に熱を上げて、それとは関係なく心からも感情が爆発的に溢れて来るのを感じた。
どちらにしても胸が熱い。切れそうになっていた集中力が戻って来る。全身から無駄な力が抜けて、魔力の流れを読み取る感覚が研ぎ澄まされる。
今なら、出来る。直感的にそう感じた。
美飛さんから受け取ったものを全部、この一撃に込める。
鋼は一度、深呼吸をする。そして、
「行っけえぇぇぇ――ッ!」
全身に溢れる魔力を、戻って来た感覚の極限まで一気に圧縮した。
鋼の魔力砲が見えなくなった。細い糸のように、限り無く鋭く細くなったのだ。
見えない魔力砲がファントムの魔力を一瞬で押し戻し、そして直撃する。大きな爆発がファントムの身体を飲み込んだ。
やがてその爆発が収まって行き……ファントムは未だ立っていた。
「テメェ……やって……くれたじゃねぇか……!」
ドレスをボロボロにして、鎌を支えにして、
「ちく……しょう……!」
その言葉を最後にして、足から力が抜けて、地面に倒れ込む。ファントムが起き上がって来ることはもう無かった。
「勝……った……」
それを見届けて、鋼もまた全身から力が抜けて行くのを感じた。変身が解けて、首のマフラーが消えたのが分かる。
倒れ掛けたところを支えてくれたのは――
「ミーシャ……さん……」
同じく変身を解いたミーシャさんだった。そこにはとても柔らかく、優しそうな表情があって、
「よく頑張ったな、鋼」
彼女は鋼の身体をゆっくりと下ろして、膝枕をしてくれる。
「良かった……無事で……」
「ああ、お前のおかげだ」
ミーシャさんがそっと鋼の頭を撫でる。こそばゆくて、温かい。
鋼は目を閉じる。
「今は休め。それで起きたら、紅茶でも飲みながらゆっくりと話でもしよう」
薄れ行く意識の中で、鋼は頷いた。
大切なものを守れた喜びを噛み締めながら。
ブレイズ達教師陣と黒騎士の激戦は未だ続いていた。
亜空間のダンスホールは飛び交う魔法攻撃によって、見る影も無い程に破壊し尽くされている。
果てしなく続く大技の応酬で、ブレイズは魔力炉は悲鳴を上げ始めていた。息も切れて、他の教師達も同じように肩を大きく上下させている。
一方の黒騎士は全く疲れを感じさせない。ブレイズ達が全力を出しているにも関わらず、未だ誰一人として黒騎士にダメージらしいダメージを与えられて居なかった。
(まるで勝てる気がしない……!)
絶望的な状況だった。
黒騎士と戦闘に入ってから、余りにも時間が経ち過ぎている。外がどうなっているか分からないが、鋼はもう既に魔族側の領域に連れ去られてしまっているのでは無いか。黒騎士はそれを知った上で、教師陣を全滅させる為だけにここに残っているのでは無いか。そんな風に思ってしまう。
と、そこで双剣を振るっていた黒騎士の動きがわずかに鈍る。
ブレイズが分析魔法を発動して見やると、黒騎士は外の誰かと通信魔法を使っているようだった。
(ここだ!)
黒騎士が見せた唯一無二の隙。ブレイズは全力で加速し、黒騎士の懐に潜り込む。
「はあぁぁぁ――ッ!」
自身最大の魔法を拳に込めて、ボディーに撃ち放つ。
直後に黒騎士の姿が消えて、一瞬で壊れた階段の上、二階フロアへと移動している。
着地した黒騎士は笑った。
「クク……ククク……! 完全に避けたつもりでしたが……見事です……!」
黒騎士の胸部分の甲冑に罅が入り、バキィッと大きな音を立てて砕け散る。その下に着ている漆黒のドレスに包まれた豊かな胸が、雪のように白い肌の谷間と共に、その強大な存在感を主張した。
ブレイズはそれを見て、
「意外と良い胸してんじゃねぇか、黒騎士……!」
内心舌打ちをする。全力の攻撃にも関わらず、甲冑しか砕けなかった。
その白い肌には、傷一つ付けられていない。
黒騎士を倒せるかもしれない唯一のチャンスだったのに。
(鋼……!)
彼を助けに行くことが出来ない。何もしてやれない。
ブレイズは拳を握り締める。
その時だった。黒騎士が双剣を手放し、マントを翻す。
「本当はもっと皆様とダンスを楽しみたかったのですが、どうやら本日はここまでのようです」
「何?」
「ククク……なかなか面白い人物のようですね、八島鋼さん。興味深い」
黒騎士は転移ゲートを作り出し、
「次は、直接お会いしてみたいものですね」
そう言って、ゲートの向こうへと姿を消してしまった。
結界が解除されて、周囲の景色がダンスホールから職員室へと戻って行く。
呆気にとられたブレイズ達の元へ、風紀委員のドルトリスから通信が入ったのは、そのすぐ後のことだった。
『やっと繋がりました! 先生方、ご無事ですか!? ドルトリス・ワグナーです!』
『それよりも鋼はどうなった!? 無事なのか!? それとも――』
ブレイズが焦る気持ちを抑えられずに訊くと、
『はい、そのことですが……無事です! 高等部二年のミーシャ・アームネルさんとエルノア・キュアードさん、初等部一年の桃之木・美飛・レインバードさんがファントムの結界を発見して突入。その結果――』
ドルトリスは興奮の入り混じった明るい声で、
『ファントムを倒し、見事、鋼さんの救出に成功したとのことです!』
それを聞いた教師達から、わっと大きな歓声が上がった。
ブレイズの横に立っていたミカナエル先生の変身が解け、その場に座り込んで、両手で顔を押さえる。
「良かった……無事で……!」
その瞳から涙が溢れ、膝に零れ落ちていた。
ブレイズも魔法少女の変身を解き、ミカナエル先生の肩に手を置く。
「ええ、戻って来ますよ。またこの学園に」
鋼が戻って来たら、例えそれが男の姿でも女の姿でも力一杯抱き締めてやろうと思う。
恥ずかしがろうともセクハラと言われようとも逃がしてはやらない。心配を掛けた罰だ。
それから言ってやるのだ。
「おかえり」と――。