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前編『ハガネ、入学する』(上)

6/19 細かい所を再度修正

 高校入学初日の朝。十五歳男子、八島鋼やしま はがねは魔女に追われていた。

 魔女とは比喩でも何でも無く、本当に魔女だ。

 見た目にはとても美しい褐色肌と金髪を持つ女性。耳は尖っており、コスプレのような黒衣のドレスを身に纏っている。手には死神を彷彿とさせる大鎌を携えていたが、鋼が「お前は一体何者なんだ」と問うと、「魔女だ」という返事をされた。

 何より、彼女は空中を飛んでいた。それだけでなく、魔法としか思えない非現実的な攻撃を鋼に向けて放って来ていた。

「ちっ、面倒くせぇ! いい加減当たれよ!」

 そう言って、鎌の持っていない左手を構え、聞いた事の無い言葉で呪文のようなものを唱えながら、掌の中に黒々とした球体を作り出す。

 やがて勢い良く放たれたそれを、鋼は咄嗟に自転車のハンドルを思いっきり右に切ることで回避する。

 直後、背後で大きな爆発音が上がる。構わず、というか振り返る暇も無く、ハンドルを切った先にあるコンクリートの階段を自転車で駆け下りる。

 ガタガタとそのまま壊れるんじゃないかと思われる程に激しく振動する車体。それ以上に勢いが強過ぎて自身の体が空中に投げ出されるんじゃないかという恐怖が背筋を駆け抜けるが、それよりも魔女に対する恐怖心の方が勝っていた。

 階段を下りきった先は公園になっていた。そこを突っ切って再び公道に出る。朝だというのに人影は見えない。

 鋼は警察署を目指していた。危機感を抱くこの状況下、焦る頭で思い付いたのがそこであり、着けば助かるだろうと漠然と思っていた。

 しかし、本当に助かるのか、と今更ながら思う。

 だって、先程から全く誰とも会わない。公道を走り続けても車一つ通らない。それから、魔女が放った魔法は一発や二発ではなく、爆発音は決して小さくないし、建物だって破壊されているはずなのに、パトカーの音は聞こえて来ない。

 不自然な程に静か過ぎる。

 背後を振り返ると、ずっと追って来ていた魔女の姿が無い。不気味な静けさにゾッとする。

 次の瞬間、風を切る音がして黒い球体が自転車の前輪を撃ち抜いた。

「うわあぁぁぁ!?」

 バランスを崩して、鋼は道路に身を投げ出される。背中を強く打って、鋭い痛みが走る。

「ったく面倒くせぇ、手間取らせやがって。こんなことなら最初からこうしておけば良かったぜ」

 そこから狙撃したのであろう、電柱の上から飛び降りて、重力を感じさせず、ふわっと着地する褐色の魔女。

「しかしまぁ、大したもんだよ。十分近く逃げたんじゃねぇか?」

「ぐっ……!」

 鋼は背中の痛みを振り切って、立ち上がろうとする。

「あ? まだ逃げようってのか? 言っとくが、幾ら逃げても無駄だぞ。何せここはアタシの結界の中だからな」

「結界……?」

「そう、戦闘用のな。この中には今、アタシとお前しかいない。そして、魔力を持たないお前は結界の壁を破ることは出来ない。だから幾ら逃げても、助けを求めても無駄だ」

「そんな……」

 身体から力が抜けて行く。

「分かったら大人しくしてろ」

 魔女の瞳が鋭く細められる。彼女は掌を鋼に向け、黒い球体を作り出す。

「あ……」

「恨むならお前の母親を恨むんだな」

 鋼の頭を過ぎるのは、これまでに放たれた魔法による被害。

 コンクリートは爆ぜて抉れ、建物には脆いハリボテのように大穴が開く。

 そんなものが人体に当たれば一体どうなるか――

 死ぬ、と思った。

 自身の顔から血の気が引いて行くのが分かった。

 ――どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。

 俺はただ、他の男子が思い描くようなものと同じ『高校デビュー』がしたかっただけなのに。

 何か部活に入って、夢中になれるものを見つけたり、好きな子が出来たり……そんな毎日が充実した学校生活を送れたらと思っていた。

 だというのに、高校入学初日、校舎に着くことも無くこの状況だ。

 魔女と名乗る変な女に襲われ、命の危機に晒されている。

 魔女の手から、黒い球体が撃たれた。

 悲鳴を上げる暇すら無く、球体は鋼との距離を縮める。

 極限まで長く引き伸ばされて感じられる時間。

 そんな中で鋼が思ったのは、ただ一つ。

 死にたくない、という当たり前のことだった。

 と、その時。

 視界が一瞬、真っ白な光に染まったかと思うと、黒い球体を打ち消した。

「何っ!?」

 魔女が驚きの声を上げる。

 白い光は一気に広がって、近くに居た魔女を弾き飛ばす。

 鋼も驚いた。白い光は自分自身から発せられているものだと分かったからだ。

 自分の手を見る。やけに小さかった。というか、白い光がそのまま変化したかのような滑らかな手触りの白い手袋をしていた。

 それだけじゃない。自身の身体を見やれば、可愛らしい装飾のされたフリル付きのドレスを着ていた。

 高校生になろうという男子にはお世辞にも似合うとは言い難い衣服。しかしどうしてか長年着慣れたもののように肌に馴染む。

「お、おい! 何をしやがった一体……!?」

 分からない。こっちが聞きたいくらいだった。

 気のせいではなく、身体まで縮んでいるようだった。加えて、おそらくこれは男の身体では無い。

 小さな手足、やや括れた腰、大きな胸の膨らみ。おそらく自分は今、女の身体になっているのだろう。

 しかし、不思議と違和感は無かった。なるべくしてそうなったという、ごく自然なことのように思えた。

 褐色の魔女は、未だ表情を驚愕の色に染めたまま、

「何なんだお前は……!?」

 ――そうして。


 八島鋼はその日、魔法少女になった。




 鋼が住んでいた現実世界と次元を隔てて『魔法世界イルミエール』が存在する。

 魔法少女になってからの一週間で、鋼はそのことを知った。

 そして、イルミエールには魔法少女を育成する学校が存在するということも。

 母親の八島ガーディアに連れられて、満開に咲き誇る桜並木――歩きながら母さんが教えてくれたが、正確には『シーズン』という魔法世界の品種で、季節毎に違う花を咲かせるらしい――を潜った先に校門が見えて来る。

「鋼ちゃん、どう? 立派な校舎でしょう」

 今年三十九歳になる母さんは、魔法少女に変身していない状態でもどこかで歳を経るということを忘れてしまったんじゃないかと思える程に若く見える。というより、幼く見える。

 大学生どころか、高校生ぐらい。現実世界では並んで歩いていると姉弟に間違われることもあった。

 男の身体でならもう母さんよりも背が高くなっていたのだが、鋼が魔法少女になったことで再び背が逆転してしまった。息子としては複雑な気分だ。

 新しく娘が出来たみたいで新鮮ね、と母さんがやたら嬉しがるものだから、更に複雑な気分だった。

「お嬢様学校っていうのは分かっていたつもりだけど、学校っていうか、まるで宮殿だね」

 イルミエール唯一の魔法少女育成の場『中立魔法少女学園』。

 整えられた芝生がどこまでも続く広大な敷地。校門から石畳の道が続き、奥に見えるだけでも相当な規模を持つ校舎には城のように荘厳な装飾がなされている。その周囲にも同等な大きさの建物が幾つも見える。

 母親から事前に聞かされた話では、森やら山やら海岸やらも敷地に含まれているのだそうだ。

 そのスケールの大きさを目の当たりにして、鋼は自身の場違い感を覚えずにはいられない。

「その認識で間違ってないわよ。イルミエールの王族、貴族が集まる学校だもの。縁があれば、お姫様と仲良くなれるかも!」

「貴族……お姫様……」

 学園に通うことが決まってから、鋼の中で『貴族』やら『お姫様』がどうにもイメージ出来なくて、その言葉ばかりが宙を浮いて彷徨っていた。

 だって、日本に住む一般人が貴族やお姫様に会うことなど、ほぼ無いと言っていい。実際に会ったらどう接したら良いのかも分からない。ノウハウなど微塵も無かった。

 考える度に、不安で気が重くなる。

 ふと、母さんの手が頭の上に置かれ、そっと撫でられる。

「ごめんね、こんなことになって。魔力制御を覚えるまでの辛抱だから。そうしたらすぐに普通の高校生活に戻れるから」

「うん、分かってる」

 母さんを見上げると、とても申し訳無さそうな顔をしていたので、精一杯笑ってみせる。

 ただ、良い笑顔とは決して言えなかっただろう。

 不安の原因は、そればかりではないのだから。




 魔法世界イルミエールにおいては、大昔から次世代の魔法少女の力を大きくする為に、魔法少女同士を結婚させて子供を生ませるのが一般的なのだという。

 その風習は王族、貴族だけではなく一般市民にまで広まって、今では女性と女性が結婚することが当たり前となっているらしい。

 それが世界中で、何世代にも渡って続けば、どうなるか。

「皆様ごきげんよう」

「「「ごきげんよう」」」

「昨日お伝えしておりましたが、本日から皆様と一緒に魔法を学ぶことになる転入生がいらっしゃっています。八島鋼さん、ご挨拶を」

「はい」

 担任の先生に促され、鋼は緊張で声を上ずらせながら、教壇の横に立つ。

 目線を上げて、教室内を見渡す。

 高貴な人達が通うこともあって広々とした部屋だった。中学の教室の二、三倍の大きさはあるだろう。奥に行く毎に段が高くなる講堂のような作りになっており、段の数は六。一番奥の段を除き、それぞれの段に二人で使う大きな机が二つずつ並べられていた。故に、収容人数は二十一人。

 このクラスの人数は見る限りだと十六人で、その全てが女生徒だった。

 魔法少女を育成する学園なのだから当然の光景だった。というか、これが魔法世界イルミエールの縮図だった。

 イルミエールは、女性しか存在しない世界なのだ。

 それだけでも鋼にとっては、先行き不安過ぎる状況だったが、問題は更にまだある。

 鋼はつい一週間前まで魔法の存在すら知らなかった初心者だ。だから、転入するクラスは歳相応のものとは行かず、この世界の少女達が魔法少女に覚醒し入学する一番下の学年――日本で言う小学校四年生に相当する場所へ通うことになっていた。

 初等級一年桃組。目の前に居るのは全て、魔法少女に覚醒する年齢――十歳の少女達だった。

 彼女達の好奇の視線が肌に突き刺さる。

 鋼は心を落ち着かせながら、口を開く。

「今日から皆様と魔法を学ばせて頂くことになりました、八島鋼と申します。よろしくお願い致します」

 無難な挨拶。出来ればこのまま終わらせたかった。

 しかし、担任のミカナエル・アルシュタイン先生が小声で言う。

「鋼さん、肝心なことを言い忘れてるわよ。ちゃんと説明しておかないと、万が一変身が解けた時に大混乱にも成り兼ねないし、だから――」

「は、はい……」

 誤魔化せるはずもない。鋼は大きく深呼吸をして、顔を上げる。

「えっと……淑女の皆様におかれましては、入学から一週間という半端な時期に、どうして転入して来るのかとお思いでしょうが、それには特殊な事情があります。今からそれをご覧に入れます」

 俄かにざわつき始める教室。

 これまでの人生でおそらく一番緊張している。ついこの間、高校受験の結果発表を見に行った時だってここまで緊張しなかった。

 鋼は目を閉じて、もう一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 一週間で母さんから習った魔力制御の基礎を思い出し、実行する。

 すると、鋼の身体に変化が起こる。白い光が鋼の身体を包み込み、広がる。

 その現象が終わった後には――

「こっちが俺……いや、私の本来の姿です」

 元の十五歳男子の身体に戻っていた。特注の魔法アイテムである可変式制服により、男用にデザインし直して貰った制服を着用した状態で。

 それを見た少女達は、全員目を丸くしていた。

 教室が静まり返ること数秒、

「き……」

 一人の女子生徒が口を開いた。

「きゃあぁぁぁ――ッ!」

 甲高い悲鳴が響く。それを合図にして、教室内は一気に喧騒に包まれる。

 教壇近くの席に座っていた女子生徒が逃げ出し、顔を青くしてガクブルと震える生徒もいれば、中には――

「いやぁぁぁ――! 先生! ユリイカさんが気を失ってます!」

 鋼はちょっと泣きそうになった。説明しておく必要があるとはいえ、この反応はかなり傷付く。

 というか既に、ミカナエル先生の言う大混乱を招いていた。

「は、鋼さん! いけない! 戻って! とりあえず魔法少女の姿に戻って!」

 先生は慌てて言い、ユリイカさんという生徒を介抱しに走って行く。 

「うっぷ……」

 言われずとも、鋼の身体も男の姿を維持するのが限界であり、眩暈がして吐き気に襲われる。

 今の技量ではせいぜい保って十秒が限界だった。それ以上は強烈な車酔いにも似た症状『魔力酔い』に陥って、無理に維持しようすれば『魔力中毒』とやらで死に至るという話を母さんから聞かされていた。

 深呼吸をして、魔力制御を止める。鋼の身体が再び光に包まれて、十歳の少女の姿へと変身する。

「ふぅ……」

 気分が楽になって、息を吐く。

 が、顔を上げると、気分は再び落ち込んだ。

 クラスの生徒達がドン引きしていた。鋼を見る視線には、得体の知れないものを見る恐怖や、警戒心、嫌悪感が浮かんでいるように思えた。鋼と目が合うと肩をビクつかせたり、露骨に後退さったりするのだから、自意識過剰や被害妄想などではないだろう(そうであって欲しかった)。

 困った鋼はミカナエル先生に助けを求めるべく目を向けるが、ユリイカさんの介抱でそれどころでは無い様子だった。

(最悪の自己紹介だ……)

 一説によれば、その人の印象を決めるのは第一印象が九割だとか何とか。

 ――さっさと魔力制御をマスターして、この学園から去ろう。

 心の底からそう思うのだった。




 結局、事態の収拾に一時間以上を要し、ホームルームの時間どころか一時間目の授業も潰れ、終いには――

「えっと……皆様にも、心を落ち着かせる時間が必要だと思うので、本日の以後の授業は全て無しとします」

 転入初日から学級閉鎖へと陥った。

 本当はあの後、鋼の中身が十五歳の男で、どのような事情で魔法少女になるに至ったのか、それから何の為にこの学園に転入したのか、ということをミカナエル先生がクラスの生徒達に説明してくれるはずだったのだが、そんなわけで「とりあえずまた明日、皆が落ち着いてからね」と言われてしまった。

 正直、そこが一番大事なところではないかと思うのだが、確かに話を聞いて貰えるような状況ではなかったので仕方が無い。

 そんなわけで、本来放課後になるはずだった予定を繰り上げて、鋼は人と会うことになった。

 職員室に行って、近くに居た女性教師に「ブレイズ・ヘルベルト先生はいらっしゃいますか」と尋ねると、鋼が男だということを知っているのか動揺した様子で「え、ええ!」と返事をされ、ロボットのようなぎこちない動きで場所を案内される。

「おう、お前が八島鋼か? ガーディア・グランアイゼンの息子の」

「はい」

 そこには褐色肌で、魔法世界ならではの深い紫の髪色をした女性が居た。

 耳はおとぎ話に出て来るようなエルフのように尖っていて、実際、母からはブレイズ・ヘルベルト先生――彼女がダークエルフという種族だということを聞かされていた。

 鋼にとっては、魔法少女になるきっかけの事件を起こしたのもダークエルフであったから印象深い種族だ。

 どこか不気味なようで居て、美しくも見える金色の瞳が鋼を一瞥する。それから口を開く。

「ふむ……試しにここで変身を解いてみろ。少しだけなら出来るんだろ?」

「は、はい。十秒くらいですけど……」

「構わん。師匠と顔が似てるかどうか、興味があるだけだ」

 鋼はクラスでやったのと同じように、自身の魔力を押さえ込んで魔法少女の姿を解く。

 切れ長の目が細められて、ブレイズ先生は「なるほど」と笑った。

「確かに師匠の息子だな。男の姿だと顔も雰囲気もそっくりだ」

「そうなんですか?」

 そこで限界が来て、魔法少女の姿に戻る。

「まあ、自分じゃ分からんだろうな。逆に魔法少女に変身すると、全然似てない」

「はあ……」

 やはりそれも自分では分からないので、何とも言い難い。

 ブレイズ先生は椅子から立ち上がって、鋼の頭に手を置いて撫でる。

「言っておくが、悪い意味でじゃないぞ。ダークエルフとしての感性で言わせて貰えば――」

 職員室の出入り口の方へと歩きながら、先生は言った。

「凄い美少女だと思うぞ、お前。中身が男という点を除けば、女子達に持て囃されるくらいにはな」

「び、美少女?」

 まさか男として生まれて、そんな風に言われる日が来ようとは。

 と、振り返った先生の鋭い眼光が、鋼のある部分に注がれる。

「あと十歳ボディーの癖に、胸も大きいという」

「ちょっ……どこ見てるんですか!?」

 思わず大きな声を出してしまった。

「鋼、教えといてやる。この世界にはな、男が居ない。それはつまり、女が下心を持って女に接するということだ。ちなみに私はおっぱいフェチだ」

「知りたくなかったその情報!」

 どこかクールでダークな雰囲気が格好良い美女、という第一印象があっという間に崩れて行く。

 ブレイズ先生の金色の瞳がギラリと光る。

「ズバリ、胸のサイズはDカップ。違うか?」

「恥ずかしいから、胸のことはあんまり言わないで下さい!」

 魔法少女になって、自身の胸が恥ずかしいという女性の気持ちが分かるようになった。

 他人の視線を集めるのは勿論、大きいとか何カップだとか尋ねられると顔が熱くなって仕方が無い。

 中身が男であるから尚更だ。

「そうか、Dカップか。実にけしからんな」

「ち、違います! というか、何をもってDカップと判断したんですか!」

「お前今、咄嗟に胸を隠したろう。その時の胸の潰れ具合でな」

「何それ怖い!」

 本当にDカップで当たってるから怖い。

 と、背後の方から視線を感じて、振り返る。

 そこには先程、動揺した様子ながらもブレイズ先生の所まで案内してくれた女性教師が立っていた。どうやらそのまま話を聞いていたらしい。

「馬鹿な……! 中身が男なのに美少女で、ロリなのにDカップですって……!?」

「え?」

 彼女は更に動揺した様子で、わなわなと震えていた。恐れるように、一歩二歩と後退さる。

「化け物だわ……中身が男ということも含めて、とんでもない化け物が現れてしまったわ……!」

「あ、あの……?」

「八島鋼さん、いずれまた会いましょう! 話はその時にじっくりと!」

 それだけ言い残して、女性教師は魔法を使用し、瞬時にその場から消えてしまう。

「い、一体何なんです?」と鋼がブレイズ先生に訊くと、

「あれは『メロンの会』の顧問をされているジーナ・グレイフル先生だ」

「メロンの会? やたら可愛い名前ですね」

「何かのグループ名に果物だったり花の名前を用いるのは、イルミエールではポピュラーなことだ。ちなみにメロンの会は、学園生徒で組織されたおっぱいフェチが集まる会だ」

「やってる内容が全然可愛くない!」

「お前、意外とツッコミ気質だな……。まぁ、いずれにせよ、これでお前の胸のサイズがDカップだという情報は、学園中に知れ渡ってしまったわけだ」

「ギャ――ッ!」

「まあ、そう悲観するな。胸の大きい美少女はモテるぞ。こっちの世界でもな」

 ブレイズ先生は楽しそうに言いながら、鋼の頭を撫でるのだった。




 ブレイズ・ヘルベルト先生は、闇魔法の使い手として魔法世界イルミエールではかなり有名な人であるらしい。

 また、母さんの弟子であるということも聞かされていた。

 鋼の母親である八島ガーディアは、旧姓をガーディア・グランアイゼンといって、こっちの世界では『鉄拳の魔女』という二つ名で呼ばれているらしい。

 さらさらとした紫色の長髪を揺らすブレイズ先生の後ろ姿を眺めながら、母さんと先生、どっちの方が有名なんだろうかという考えが頭の中を過ぎったが、そうしている内に目的地へと着く。

「着いたぞ鋼」

「ここは?」

 外に出て歩くこと十分程。鋼の目の前には、野球場を思わせる円形の巨大な建物があった。

「魔法少女達が実戦訓練をする場所さ。コロシアムってやつだ」

「校舎も宮殿みたいに巨大ですけど……。これまた馬鹿デカいですね」

「向こうでいう学校の体育館みたいなもんだ。行事にも使ったりするし、その関係で色んな魔法術式が組み込まれてる。中を見ると、もっと驚くぞ」

 ブレイズ先生に連れられるままコロシアムの中に入り、大きく荘厳な雰囲気を漂わせる廊下を歩いて行く。

 やがて大きく『七』の数字が刻まれた扉の前に辿り着き、先生は扉に手をかざして、しばしの間、目を閉じる。

「よし、準備出来た。訓練場に入るぞ」

「はい」

 扉が音を立てて開く。その先は真っ白の光に包まれていて何も見えなかった。

 こっちの世界に来る際に潜った転移魔法に似ている気がする。

 ブレイズ先生が躊躇無く入って行くのを見て、鋼も思い切って白い光の中に足を踏み入れる。

 一瞬、ふわっと身体が浮くような感覚に包まれて、光が消えたかと思うと――

「え!?」

 驚いた。そこは明らかに室内ではなく屋外。しかも魔法世界では無く、現実世界の都会を思わせるビル群立ち並ぶ街中だった。

 ただし、大通りの真ん中に立っているにも関わらず、人も見当たらなければ、車一つ通っていない。静かなビル群は違和感だらけで、とても不自然に見えた。

「驚いたか? こう見えて、ここはコロシアムの中なんだ。施設の魔法装置の一つで大規模な亜空間を作り出している。とりあえず、私が設定したのは現実世界の日本――東京池袋の駅前だ」

「凄い……! 本当に魔法ですね」

 実感としてそのことを肌に感じる。

 ――俺は、本当に魔法世界に来たのだ。

 ブレイズ先生は肩を交互に回して、慣らしながら言う。

「さて、改めて訓練の目的を聞いておくが……鋼、お前は魔力制御をマスターしたいんだったよな?」

「はい。俺が魔法少女の身体になってしまったのは、俺の中にある魔力炉が勝手に魔力を生成してしまっているからだと聞きました」

 魔力炉とは、魔法少女に変身できる人間が持つ魔力を生み出す器官のことだ。といっても、目に見えるものではなく、身体の中に概念として存在するものなのだそうだ。

 鋼には理解が難しかったので、とりあえず『心と似たようなもの』と捉えている。

 一週間前、魔女に襲われたあの時、鋼の身体は命の危機を感じて、自身を守るために眠っていた魔力炉を呼び覚ました。

 しかし、魔力は本来、人間の身体にとっては毒であり、常人では耐えることが出来ない。

 その為、鋼の身体は魔力に高い耐性を持つ姿――魔法少女へと変質したというのが魔法世界の医師から聞かされた検査結果だった。

「そうだな。私もお前の身体の検査結果は見させて貰った。お前の魔力炉が魔力を生み出し続ける限り、お前の身体は魔力の毒から自身を守る為に、魔法少女の姿を自動で維持し続けるってことなんだろう。魔力に対する免疫作用ってやつかな」

「だから、本来の男の身体に戻るには、魔力制御を覚えて、自身の魔力炉を停止させて魔力を作り出さないようにする必要があるんですよね?」

「その通りだ。ただ、はっきり言って出来るのかどうかは分からない」

「どういうことです? 過去にも男で魔法少女に変身出来る人は居たって、母さんは言ってましたけど……」

「何百年も前の話だ。それに、お前と違って魔法少女の姿になって戻れないなんてことは無かったらしいしな。というか、お前は男という以前に魔法少女としておかしいんだよ」

「え?」

「転換限界って言葉、お前はガーディア師匠から教わったか?」

「いいえ、特には」

「転換限界っていうのは、魔力を連続で生成出来る限界時間のことだ。魔法少女は魔力の毒に対して強いってだけで、無敵ってわけじゃない」

「それって……」

「つまりは、魔法少女の姿を維持出来る時間には限りがあるってことだ」

「そうなんですか? でも、俺は……」

「ずっとその姿を維持し続けている、と言いたいんだろう? 魔力の生成量を全く制御出来ていないにも関わらず、だ。先程、お前が無意識でどの程度の魔力を生み出しているのか、解析魔法で確認させて貰ったんだが――」

 真剣な眼差しで、ブレイズ先生は言う。

「尋常じゃない。ベテランの魔法少女が全力で戦う際に生み出すレベルの魔力量を常時生成し続けている。トップレベルの転換限界を誇る魔法少女でも保って二、三時間ってところだ」

「本当に? でも、そんな量の魔力を出し続けているなら、どうして俺の身体は平気なんでしょうか?」

「それは分からない。ただ、現実にお前は魔法少女の姿で居続けている。私に言えるのは、お前は男としてだけでなく、魔法少女としても特異体質ってことだけだ」

「何だか話が大き過ぎて、実感が湧かないです……」

 自分で望んだことでは無いし、努力で得たものでも無い。気付けばそこにあったもので、鋼は未だ戸惑うばかりだった。

 全くどうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 と、ブレイズ先生はそこで表情を崩し、ふっと笑って、

「だろうな。でも、凄いことだぞ鋼。やっぱりお前、この世界でモテるぞ」

「モテるって……またその話ですか?」

「いや、冗談とかではなく、マジでだ。転換限界が存在しない身体なんて、魔法少女誰もが望つつも手に入れられないものだ。今でこそまだ知られてないが、頭の良い奴だったら、お前がずっと魔法少女の身体で居ることがおかしいと気付くはずだ。そうなってみろ、お前の身体目当てで次々と女子達が押し掛けて来るぞ」

「え……身体目当てって……それってどういう……」

 嫌な予感がした。

「分からないか? お前の遺伝子を受け継いだ子供も同じような体質、そうでなかったとしても非常に高い転換限界値を持って生まれて来る可能性が高いってことだ。だから身体目当てってのは要するに――」

 ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて、先生は言う。

「お前と結婚して子供を産ませたいってことさ」

「俺が産む方なんですかっ!?」

 衝撃を受けた。

「だって、お前が母体になった方が優秀な子供が産まれそうだろう? ふふっ」

 先生は面白そうに笑ったが、鋼は全然笑えなかった。

 自分が子供を産むということが全然想像出来なかった。だって、一週間前まで完全に男だったし。

「お、俺……冷静に考えたら女の姿だから子供産めるのか……」

「ああ、産めるぞ」

 かなりショック。――そうだ、俺は今、女なんだ……。

「で、でも、女って言っても十歳だし……」

「変身魔法を覚えれば問題ないだろう。変身魔法の一種に成長魔法っていうのがあって、遺伝子を変化させずに年齢だけ変化させるっていう――」

「聞きたくない! それ以上聞きたくない!」

「お前の場合、ずっと魔法少女で居られるから、成長魔法使えばそのまま維持し続けられるだろうしな。あっ、でも仮に妊娠した場合、男の姿に戻るとどうなるんだろうな。確か前に聞いた話だと、妊娠した状態で男に変身した場合、お腹は膨らんだままだって――」

「いやあぁぁぁ――ッ! 怖い怖い!」

 思わずそうなった時の自分の姿を想像してしまったじゃないか!

 ブレイズ先生はやれやれ、と肩を竦めて、

「仕方の無い奴だな。なら、私と結婚するか鋼?」

「え……?」

 驚いて顔を上げる。

 ブレイズ先生は腰を屈めて、目線を鋼と合わせて来た。

 金色の瞳がとても綺麗で、吸い込まれそうで、鋼は思わずドキッとした。

「私の歳は今年で二十四だが、それが嫌じゃなければ、お前と結婚しても良い。お前が子供を産むのが嫌なら、私が子供を産んでもいい。どうだ?」

「ど、どどどどうだって言われても……」

 心臓がドキドキと大きく脈打って、顔が凄く熱くなるのを感じた。

 八島鋼、十五歳。当然だが、生まれてこの方プロポーズなどされたことが無い。

 そればかりか、女の子から告白を受けたことも無い。

 恥ずかしさで目線を外してしまっていたが、改めてブレイズ先生を見やる。

 とても綺麗な人だと思う。長い睫毛、不思議な魅力を放つ金色の瞳と褐色の肌、花のように甘くて良い匂いのする紫色の髪、最初少し怖いと思っていた切れ長の瞳もどこか優しくお茶目な人だと分かった今では彼女の魅力の一つだと分かる。

 あと、気付いてはいたがスタイルは良い。母さんの弟子だからだろう、武道の心得がある人なのだと分かるくらいには腕や足、腰などが引き締まっている。加えて背が高いから、鋼にはとても格好良く見えた。

 ただ、格好良くても一目で女性だと分かるグラマーな人でもあった。鋼のDカップが控えめに見えるくらい豊かな胸をお持ちなのだ。

「今なら、おっぱいフェチを自称する私が自慢出来るくらいには、形、大きさ、張り、柔らかさを兼ね備えた胸も付いて来てお得だぞ」

 自分で言っちゃってるし。

「そ、その……俺は……」

 それ以上言葉が出なかった。何て言ったらいいのか分からなかった。

 金色の瞳を見つめていると、ますます顔が熱くなって、鋼は目を伏せてしまう。

 すると、ブレイズ先生が口を開いた。

「冗談だ」

 先生が立ち上がるのを感じて、鋼は目線を上げる。

 ブレイズ先生は笑っていた。

「からかって悪かったよ。第一、私はダークエルフだしな」

「そ、そうですよね。ビックリしました」

 若干本気にしてしまっていた自分が恥ずかしい。先生が美人だから妙に意識してしまった。

 先生は背を向けて、

「さて、お喋りはまた後でにして、訓練を始めるとしようか」鋼から少し距離を開け、振り返る。

「あ、はい。でも、具体的にはどのような……? さっきの話だと、俺の魔力制御は上手く行かないかもしれないって」

「現状、分からないことだらけだ。だから、今日はとりあえず私が思い付いたことを試す。まずは鋼、制服から魔法少女の正装に切り替えろ」

「分かりました」

 鋼は頷いて、首に掛けている魔法アイテムのペンダントに触れる。『制服モード解除』と念じると、制服が光の粒子に変わってペンダントの中に収納される。

 残ったのは、魔法少女の正装。鋼の身体を包む、純白のドレスとマフラー。

「それがお前のドレスか。デザインはシンプルだが、綺麗じゃないか」

「あ、ありがとうございます」

 少女としての外見だったり、服装だったりを褒められるのは未だ慣れない。男の時は当然そんなことは無かったから。

 ただ一方で、嬉しいという感情も少なからずあって、鋼としては複雑な気分になるのだった。

「よし」

 と、ブレイズ先生の周りに何か力のようなものが集まって行くのを感じた。

 見れば、鋼が変身した時と同じように光の粒子が発せられ、先生の身体を包み込んでいる。

 やがて、光のシルエットが鋼の背と同じくらいにまで縮む。

 光の粒子が解けると、そこには十歳くらいの、褐色肌の少女が居た。

 鋼とは似ても似つかぬ紫色のドレスを着た魔法少女が。ただし、金色の瞳は不思議な魅力の色を湛えたまま。

「どうした鋼? 驚いた顔をして」

「あ、いや……」

 魔法少女は何歳になっても魔法少女なのだそうだ。

 それが何故かと言えば、魔力の毒に対し最も強い耐性を持つのが『十歳の少女』の姿だから。

 言い換えると、魔法少女へ変身するということは、十歳の少女に変身するということなのだ。

 だから、ブレイズ先生が変身すればそうなることも分かっていたはずだった。

「魔法少女への変身は、母さんにも見せて貰っていたんですけど……母さんは変身してもあまり印象が変わらなかったので。だから、ブレイズ先生の変身に驚いちゃって」

 背も高いし、いかにも大人の女性って感じの格好良さだったから、先生が十歳の姿になるとギャップが凄い。

 格好良さが可愛らしさに転換されて、口調は変わらないのに声色は高く幼い。先生は昔から美少女だったんだな、とそんなことを思った。

「まあ、確かにあの人は年齢を超越してるというか、全然変わらない人だからな。典型的な魔法少女体質ってやつだよ」

 そう言いながら、先生は両手を静かに動かし、構えを取る。

 周囲の空気が、変わる。弓をギリギリまで引き絞ったような、張り詰めた空気に。

 先生の構えた姿が母さんと重なる。師弟なんだということが、それだけではっきりと分かる。

 そして……先生が強いということも。

「行くぞ鋼」

 次の瞬間、先生の姿が消え、ワープでもしたかのように鋼の目の前へ現れる。

 反射的に両腕で防御の構えを取ったところに、先生の放った掌底が叩き込まれようとして、寸止めされる。

「っ……!」

 鋼はすぐに理解する。先生は実力を計ったのだ。

「よく反応した。師匠から体術を教わっていると聞いていたが、本当みたいだな」

「結構、無理矢理にですけどね……」

 魔法のことを知る以前から、母さんは俺をトレーニングの付き添いとして連れ出していた。

「なら、話は早そうだな。鋼、お前は今日までに師匠から何を習った?」

「えっと……身体の動かし方と、護身用の魔法を一つだけ」

「どんな魔法だ?」

「魔力砲です」

「護身用にも関わらず防御系魔法じゃない辺りが師匠らしいな。面白い。鋼、それを使って構わないから、私と全力で組み手をするぞ」

「えっ、でも先生、俺、まだ魔力砲の加減が全然分からなくて……」

「心配するな。この訓練場の亜空間で怪我するようなことは無い。危険が無いようにシステム管理されている。それに、システム云々が無かったとしても、魔力砲一発で死ぬような鍛えられ方はしていない。私は鉄拳の魔女の弟子だからな」

 再び構える先生。

 鋼も大きく息を吸ってから、今日までに母親から教わった構えを取る。

 わずかに間が空いて、先生が軽いジャブを放って来たのが合図となり、組み手が始まった。

 先生の連撃を裁いて、鋼はなるべく隙を作らないようタイミングを計って拳を突き出す。

「慎重だな。私の実力を計ってるのか? だったら!」

 その言葉を境に先生の動きが変わる。フェイントを入れ、隙が多くても力強い一撃を繰り出す。強引だが、上手い。隙があるのに踏み込めない。

 ――駄目だ、裁き切れない。

 やがて防御の体勢を崩され、鋼に隙が生まれる。先生はそこを見逃さない。

 体勢を低くして懐に潜り込んで来た先生の肘鉄が腹部に入る。

 しかし、かなりの衝撃を覚悟していたにも関わらず、不思議なことに攻撃を受けた場所は全く痛くなかった。

「なるほど、自動で防御魔法が発動しているのか」納得したように先生が言う。

「俺が……魔法を?」

「無意識でな。お前の身体が勝手に魔法少女の姿を維持し続けてるのと同じ理屈だろう。これで少し、訓練の方向性が見えて来た」

 先生が先程までとは違う構えを取る。

 先生の身体の輪郭が黒い光を帯び、その光が右手に集まり束ねられて行く。

 肌にビリビリ感じる波動。これが……この感じが魔力なのだろうか。

 やがて先生の右手に集まった光は、一つの形を成す。

 黒い刀身が美しい、ナイフだった。

 先生は言った。

「まずは、本気を出すところから始めよう」




 一体どれだけの時間、訓練を続けていただろうか。

「こんのぉぉぉ――ッ!」

 鋼はこれで何十発目になるのかも分からない、魔力砲の術式を頭の中に描いて右掌を前に突き出す。

 掌の先に魔法陣が展開し、光が収束し、目の前全てを覆うような白柱を作り出してブレイズ先生に撃ち込む。

「ふんっ!」

 先生は身体を捻り、ギリギリのところで砲をかわすと、右手に持った黒いナイフの刀身を砲撃の側面に接触させ滑らせる。

 そのまま駆けて、鋼に肉薄。握った左拳にありったけの黒い光を集めて、鋼のボディー目掛けて叩き込んで来る。

 鋼に防御魔法など使えない。しかし、自動で防御魔法が発動してくれることは分かっていた。

 それを利用する。

 防御魔法が発動して、展開された魔法陣が先生の拳を受け止める。魔力がぶつかり合い、衝撃波が巻き起こる。

 先生の拳が防御魔法の力を上回り、パリンと音を立てて魔法陣が砕け散る。

 が、一瞬の刻は稼げた。鋼はその時間を使って脳内に、もう一発の魔力砲術式を描いている。

 左掌の先に魔法陣を展開。至近距離から魔力砲を撃ち放つ。

 先生のナイフの切っ先が魔力砲に向けられ激突する。

 その切っ先ごと、魔力砲の光が先生を飲み込む。

 魔力砲の一撃が終わった後には……地面に肩膝を着いた先生の姿。黒い光の帯が先生を包み込み、傷付いたドレスや装飾を修復している。

 先生が一気に接近して来た。鋼は反撃すべく拳を振り被る。

 黒い光の集まった拳が迫り来る。鋼にそんな真似は出来ない。出来るのは、力を目一杯込めて拳を握ることのみ。

「はあぁぁぁ――ッ!」

 拳と拳が激突する。鋼の防御魔法が自動発動し、拳の前に展開される。先生の拳がそれを打ち砕くべく障壁に触れ、衝撃波が鋼の周囲に大きなクレーターを作り出す。

 防御魔法が音を立てて砕け散る……と同時に鋼は全身から力が抜けて行くのを感じた。

「ようやくか……」

 先生が大きく息を吐く。

 鋼の身体が白い光を帯びて、十五歳男子の姿に戻った。

 同時に、全身に激しい疲労感が押し寄せて来る。思わずその場に座り込んでしまう程に。

「これが……転換限界ですか……?」

「そうだ。鋼、その感覚をよく覚えておけ。身体の魔力腺が全て閉じて、魔力炉を停止させる感覚。それを自覚して出来るようになれば、男の姿を維持出来るようになるはずだ」

 先生も変身を解いて、大人の姿に戻る。

 鋼はそこで気付く。訓練中は集中して目に入って来なかった周囲の景色が変貌していることに。

「これは……!?」

 ビルに囲まれたコンクリートジャングルは周囲数キロに渡って綺麗さっぱり無くなって、瓦礫の山に書き換えられていた。開けた空の青色と地上に広がる灰色のコントラストが目に焼き付く。

「大した威力だよ、お前の魔力砲は。一発一発がまるで戦略級の広域殲滅魔法だ」

「こんなに……破壊してしまうのか……俺の魔法は……」

 母さんが魔力砲を教えてくれた時に、緊急時でも本当に危なくなった時以外には撃つなと言っていた理由が今ならば分かる。

 こんな惨状を引き起こすのでは、迂闊に使えない。

 ブレイズ先生が言った『特異体質』という言葉が、初めて実感を伴い、鋼に圧し掛かった。

 ――俺はもう、普通の人間じゃない。本当に、魔法少女になってしまったんだ。

 と、頭に手が置かれる。

 ふわっと優しく、温かい体温を感じる手。

 見上げると、ブレイズ先生が柔らかな笑顔を浮かべていた。

「大丈夫だ鋼。怖がる必要は無い。ここは仮想の空間だし、こうやって訓練して、大切なことを学んでいく為にある場所だ。魔力はこれから制御出来るようになればいい。入学初日なんだから、あんまり気にするな」

「先生……」

 そう言って貰えて、気持ちが楽になる。鋼は「はい」と頷き、笑ってみせた。

「さて、帰るか。何時間も戦って、私も疲れた。立てるか?」

「はい、大丈夫です」

 魔法少女の姿とは別物なのか、見たところ身体は汚れていないし、汗も掻いていない。

 しかし、精神的には家に帰ってシャワーを浴びたい気分だった。

 先生が空中に片手をかざすと、タッチパネルのようなものがそこに出現して、表示されたボタンを押して行く。

 少しして、近くの空間が縦長の長方形に切り取られ、この場所に入った時と同じような転移ゲートが完成した。

 先生の後に続いてそれを潜ると、元の廊下に出る。そのまま訓練場を後にして、外に出ると、空は夕日のオレンジ色に染まっていた。

 随分長い時間訓練していたらしい。集中して気付かなかったけれど。

「鋼ちゃーん! ブレイズちゃーん!」

 と、聞き慣れながらもやたら幼い声が耳に届く。

 見ると、魔法少女姿(見た目十歳とも言う)の母さんが嬉々とした笑顔で駆け寄ってくるところだった。

「仕事が早く終わっちゃったんで、迎えに来ちゃった!」

 テヘッと語尾に星マークを付けそうなテンションの母さんに、鋼は若干気圧されつつ、

「元気だね、母さん……」

「そりゃあもう! 今日仕事が終わったら、ブレイズちゃんを夕食に招待しようと思って楽しみにしてたの!」

 そういえば今朝、そんなことを言っていた気がする。

「えっ、夕食に? 私を?」

「うん! こうして直接会うのも久しぶりでしょう? だから、家で夕食でもと思って。……どうかしら?」

「お誘いは嬉しいですが……しかし……」

「ひょっとして……嫌だった?」

「いえ、そんなことは!」

 首をぶんぶんと横に振る先生。ただ、表情は浮かないまま。

 何かを心配しているような、不安そうな感じだった。

「もし嫌じゃなければ、夕食だけでも一緒に食べられたら私は嬉しいよ。せっかくまた、こうして会えたんだもの。どう? ブレイズちゃん」

 母さんが落ち着いた口調で言う。真面目なことを言う時の表情だった。

 二人の間に何かあるのだろうか、と鋼は思う。

 先生は少しの時間、目を伏せた後、口を開いた。

「……分かりました。お邪魔させて頂きます」

「うん!」母さんは心底嬉しそうに笑う。「じゃあ早速、家に行きましょうか!」

「あ」と先生が声を上げる。

「どうしたの? ブレイズちゃん」

「いえ、その、いざお邪魔するとなると、一旦家に帰って服を着替えないと、と思いまして。さすがにこのままでは……」

「大丈夫大丈夫! 別に貴族のパーティー会場に行こうって言ってるわけじゃないんだから! それに、こんなこともあろうかとブレイズちゃん用の着替えは既に買ってあったりして!」

「買ってあるんですか!?」

「下着までバッチリよ! 勿論サイズも!」

「サイズまで!? どうやって調べたんです!?」

「魔法でちょちょいっとね」

「……私以外にやったら捕まりますよ、師匠」

「テヘペロ☆」

 いつも以上にハイテンションな我が母であった。……というか、母さんが相手だとツッコミ役なんだな、ブレイズ先生。まあ、相手が母さんなので仕方が無い。

 一見呆れたような顔をする先生だが、どこか嬉しそうに口元が緩んでいることに鋼は気付く。

「ちなみに鋼ちゃんの新しい下着も買っといたわよ。ブレイズちゃんとお揃い!」

「俺のも!? というか、何でお揃いのやつにしたの!? 恥ずかしいでしょ!」

「えー、フリルが付いてる可愛いやつなんだけどなー」

「必要無い! 俺が男だってこと忘れてない母さん!?」

「馬鹿ね、男の子だからいいんじゃない」

「そこだけ真面目な顔して言わないで! 使う場面間違ってるから!」

「酷いわ、鋼ちゃん……お母さん、わざわざ鋼ちゃんの為を思って買ったのに。これが反抗期ってやつなの? お母さん悲しいわ……」

「反抗期関係無い! むしろフリル付きの下着買って貰って、満面の笑顔でわーいって喜んじゃう男子の絵面の方がマズイよ!」

 今はちょうど男の姿だし。

 母さんは鋼の言葉を遮って、

「とにかく、そうと決まったら早く家に行きましょう! 虎鉄さんもブレイズちゃんに会うのを楽しみにしてるのよ」

 ちなみに虎鉄というのは鋼の父の名前。自宅で花屋を営んでいる。

「ん? ちょっと待って下さい師匠。気付いたんですが、鋼とお揃いということは、私の下着にもフリルが付いてるってことじゃ――」

「レッツゴー!」

「ちょっ……聞いて下さい師匠! 履くんですか!? フリルを!? 私、今年で二十四なんですけど! 師匠ー!?」

 元気良く走り出す母さんを追い駆けるブレイズ先生は、何だか同い年くらいの少女のように子供っぽく見えて、可愛らしかった。




 母さん曰く、鋼の自宅周りにはお手製の結界が張ってあるのだとかで、そこでは魔法の使用に対して一般人が何の違和感も覚えないという効果があるらしい。

 だから鋼達は周囲の目を気にすることなく堂々と転移ゲートを開き、自宅の前に立つことが出来ていた。

 花屋『ホワイトガーデン』。住宅街の中に立つ、鋼が十五年間過ごして来た場所だ。

 今日は早めに店を閉めたのか、入り口に『CLOSED』の看板が吊り下げてあり、店の後ろ側に周って玄関を開けると、奥からエプロン姿の父さんが顔を出した。

「お帰り、ガーディア、鋼」

 八島虎鉄。鋼の父親で、息子が言うのも何だが穏やかで優しい人だ。ただ、怒る時は本気で怒る。

 鋼が昔、友達との遊びに夢中になって夜遅くに家へ帰った時に拳骨を喰らって、説教をされたことがあった。怒鳴り散らすのではなく、あくまで穏やかに、何かあったと思ってどれだけ心配をしたかということを、目を見て言う父さんに、鋼は自分を本気で想って言ってくれているのだと感じたのを覚えている。そういう人だ。

 父さんは後ろを付いて来ていたブレイズ先生の姿を見つけて、

「いらっしゃい。久しぶりだねブレイズさん」

「ええ」と父さんに頷くブレイズ先生。

 どこかぎこちないように感じたのは、鋼の気のせいでは無いと思う。

「ガーディアが連れて来るかな、と思って、料理を準備してたんだ。とりあえず、こちらの部屋へどうぞ。もうちょっとで出来るから」

「ほらほら、ブレイズちゃん、中に入って」

 若干遠慮しているように見える先生の背中を母さんが押す。

「はい、それじゃあ失礼します」

 先生は靴を脱いで、食卓のある部屋へと向かう。

 訓練で良い具合に減った腹を刺激する、美味しそうな匂いが鋼の鼻腔をくすぐる。

「父さん、今日はひょっとしてハンバーグ?」

 鋼が尋ねると、父さんは小声で、

「ついでにカレーもね。昔、ブレイズさんが遊びに来た時に振舞ったことがあるんだ。私が勘違いしてなければ、結構気に入ってくれてたと思うんだけど」

 父さんは料理の上手い人だと、鋼は思っている。昔からの趣味らしく、手が空くとキッチンに立って色んな料理を試している。

 そんな父さんが作るハンバーグとカレーは絶品だ。何度食べても飽きない。想像したら余計にお腹が減って来た。

 父さんを手伝って料理の準備をしている間、先生は母さんとテーブルの所に座って談笑をしていた。何を話しているのかは分からないけれど、先生はどこか嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「父さん」

「ん、何だい?」

「母さんがさ、ブレイズ先生と会うの、久しぶりだって言ってたんだけど、どのくらい?」

 少なくとも、鋼はこれまでブレイズ先生と会った記憶は無い。今日が初対面のはずだ。

 少し間が空いて、父さんは口を開く。

「……六、七年ぶりくらいかな。一度この家に招待したのが最後だよ。鋼がたまたま家を空けていた時にね。それからも何度か家に遊びに来ないかって母さんが声を掛けてはいたんだけど……」

「そう、なんだ」

「うん。ブレイズさんは色々考えてたんじゃないかなって思う。……でも、母さんの念願叶って、今日はこうして来てくれた。鋼のおかげだよ」

「俺の?」

「鋼が魔法少女になったおかげで、こうしてまた母さんとブレイズさんの繋がりが出来た。鋼は魔法少女の自分を良く思っていないかもしれないけど、少なくとも私は感謝しているよ」

 父さんは笑って、

「そういう意味では、この状況を作り出したのは鋼の魔法と言えるのかもしれないね」

「うわっ、クサい台詞」鋼も笑う。

 父さんはこういう恥ずかしい台詞を言えてしまう人でもある。

 でも、今は素直にそういう魔法だったら素敵だなと思えた。

 だってブレイズ先生、本当に嬉しそうだから。

「よし。おーい、ガーディア、ブレイズさん、料理出来たよー! 皆で食べよう」

「はーい」

 食卓を四人で囲む。母さんは先生の隣に座り、鋼は父さんの隣に座って、向かい合う形になる。

 四人で手を合わせ、「「「いただきます」」」と声を揃えて、夕食会が始まった。

 鋼は早速、ハンバーグを小さく切って食べる。口の中に入れた瞬間、適度なスパイスの香りとジューシーな肉汁の味が広がる。食べ慣れてはいてもやはり美味しい。このハンバーグの味を知ってしまっているから、外食でレストラン等に入ってもハンバーグを頼む気にならなくなってしまっていた。

 ブレイズ先生はどうだろう、と様子を伺う。見れば母さんと父さんも気になっているようで、ちらと視線を向けていた。

 ブレイズ先生はハンバーグをフォークで一口運ぶ。

 もぐもぐと食べているのを見て、母さんが尋ねる。

「どう、ブレイズちゃん? 美味しい?」

「ええ、とても」先生はそう言ってから、父さんに柔らかな表情を見せる。「相変わらず……いえ、以前よりずっと料理の腕前が上達されたようですね、虎鉄さん」

 父さんは嬉しそうに笑って、

「ありがとう、ブレイズさん。喜んで貰えて嬉しいよ。料理は私の趣味だからね」

 作っては少しずつコツコツと改良を加えている料理のレシピは、確かに十年以上ともなれば別物になっているのかもしれなかった。

 母さんも「良かった!」と笑顔になって、

「虎鉄さん、実は今日の為に気合い入れて準備してたのよ。ささ、カレーも食べて!」

「はい」

 先生は結構食べる人らしく、パクパクとハンバーグとカレーを平らげ、母さんが薦めるままに遠慮がちながらもカレーのお代わりを繰り返した。父さんもその度嬉しそうな顔をして、カレーを大盛りで盛り付けていた。

 鋼はなるべく喋らずにいた。先生、母さん、父さんが嬉しそうな顔をして話している。そこに自分が入るのは野暮だろうと何となく思ったからだった。

 食事が落ち着いてきたところで、母さんがブレイズ先生に言った。

「ところでブレイズちゃんは今、恋人とかいるの?」

「へ?」

 鋼は驚いて、母さんを見やる。

 普通聞くかそういうこと、と思わずにはいられない。いや、別に聞いてもいいけど、十五歳の息子、しかも同じ学校の生徒が居るのだから、せめて自分の聞いていないところで振って欲しい話題だ。

 しかし、気にならないかと言えば嘘になる。今日会ったばかりだけれど、先生のことは凄く魅力的な美女だと思っている。そういう相手が居てもおかしくはないだろう。

 ただ、そういえばイルミエールには女性しかいないんだっけ、とも思い出す。だとしたら、恋人が居るとすれば相手も女性ということになるわけで。

 想像して複雑な気分でいると、先生は首を横に振る。

「居ませんよ。そういうのには昔から縁が無いので」

「えー、勿体無い。美人なのに。ね、鋼ちゃん?」

「え?」

 ――そこで俺に振るの母さん!?

 ブレイズ先生と目が合って、鋼は顔が熱くなる。

「えっと……はい。美人だと思いますよ」

「本当に? お世辞だとしても光栄だな」

「いや、お世辞ってわけじゃ……」

 恥ずかしくて上手く言葉に出来ないだけで。

 母さんはポンと両手を合わせて、

「まあ、ブレイズちゃんが謙虚過ぎるのはいつものこととして。鋼ちゃんも満更では無さそうだし――」

 父さんに意味ありげな視線を向ける。

 それを受けた父さんは頷いて、

「ブレイズさん」

「はい、何でしょう」

「もしブレイズさんがよろしければなんですけど、鋼を嫁に貰っては頂けませんでしょうか」

「はああっ!? いきなり何言い出すの父さん!?」

 鋼はビックリして、椅子から引っ繰り返りそうになった。

「いやほら、もし鋼が魔法少女の身体から戻れなくなったとしたら、将来的にはその事情を知っている人と結婚しなくてはならないだろう? で、ブレイズさんなら父さんも母さんも安心して任せられるし。何より美人さんだし」

「早いよ! その将来設計は早過ぎるから! というか、俺が嫁なの!?」

「だって、鋼のお嫁さんになって下さいって言い方だと図々し過ぎるだろう? そこは鋼が嫁として貰われるのが筋かなぁと思って」

「そこだけ変に律儀! ていうか、俺戻るし! 訓練して将来的にはちゃんと男の姿に戻れるようになるし!」

 母さんが「まあ、鋼ちゃんはこんな風に言ってますが」と口を開いて、先生に向き直る。

「ブレイズちゃんの気が向いたらでいいから、その時は言ってね。お嫁さんとして喜んでプレゼントしちゃうから」

 鋼は恥ずかしさで顔面が炎上しそうな勢いだった。穴があったら入りたい気分だ。

 ちらと先生を見やると、再び目が合う。先生は柔らかく微笑んでから、母さんと父さんに言う。

「そうですね。鋼が学校を卒業して、私のことを気に入ってくれてたら、その時は是非ともお嫁さんに」

「だってさ鋼ちゃん! やったね、美人なお嫁さんゲット!」

「良かった良かった。さて、式場はどこにしようか」

「だから早い! 社交辞令だから! 先生空気を読んでくれただけだから!」

 やり取りを見ていた先生がクスクスと鈴を鳴らすように笑う。

「すみません先生。こんな両親で……」

「大丈夫、知っているよ。弟子だからな」

 社交辞令だとは分かっていても。先生の「是非ともお嫁さんに」という言葉を聞いた時、少しドキッとしてしまったのは、ここだけの秘密だ。

 それもこれも全部、変なことを言い出した父さんと母さんが悪い。うん。




 夕食を終えた後、母さんとブレイズ先生は居間へと移動して、昔話に花を咲かせていた。

 鋼は父さんを手伝って、夕食の後片付けをした。それが終わって、お茶を汲んで持って行くと――

「先生?」

 一人、居間のソファーに座っている先生にそっと声を掛けても、返事は無く。

 近くのテーブルにお茶を置き、様子を伺うと、目を瞑り、小さな寝息を立てていた。

「あら、鋼ちゃん」

 振り返ると、母さんが毛布を持ってやって来るところだった。

「先生、寝ちゃってるね」

「ええ。私が少し部屋を出ていた間にね。鋼ちゃんとの長時間訓練したからっていうのもあるかもしれないけど――」

「気を張っていたから……じゃないかな」

 先生に毛布を掛けた母さんは、ちょっと驚いたような顔をして、

「鋼ちゃん、分かってたの?」

「何となくだけどね。先生も、母さんも父さんも、互いに気を使ってたでしょ。それに父さんから久しぶりに会ったっていうのも聞いたし」

「そっか」

「でも今は、凄く安心してるみたい。そういう顔して眠ってるよ、先生」

 とても居心地が良さそうな、安らかな顔で。

「……鋼ちゃんには、少しだけ話したわよね。ブレイズちゃんがダークエルフって種族だってこと」

「うん」

「最初に鋼ちゃんを襲った魔法少女はダークエルフだったし、変な先入観を持って欲しくないから言わなかったことなんだけれどね……何て言ったらいいのかな……イルミエールでは、ダークエルフはあまり良く思われていないのよ」

「良く思われていない?」

「魔法世界には、魔族っていう呼ばれ方をされている種族が居てね――」

 母さんは教えてくれた。

 鋼が生まれてから暮らして来た『魔法の無い世界』に住む人間と同じような姿をした人達が、『人族』と呼ばれていること。

 一方で、尻尾や羽、獣の耳等を持っている種族が『魔族』と呼ばれていること。

 人族と魔族はお互いを嫌っていて、大昔からずっと対立を続けて来たということ。

 そして、ダークエルフはそのどちらでもない、中間に位置する種族なのだという。

「ダークエルフは、魔族のように本来人に無いモノが生えていたりするわけじゃない。けど、魔族と同じように闇魔法を行使出来る。そのせいで、人族からは魔族と同列の扱いを受け、一方で肌の色以外は人族と同じ外見だから、魔族からは人族と同じような扱いを受ける。そうやって、どっちにも受け入れて貰えなかった種族なのよ」母さんはブレイズ先生の頭をそっと優しく撫でる。「……こんなに綺麗な肌の色をしているのにね」

 鋼は思い出す。

 訓練の時、「私と結婚するか?」と聞かれ、上手く言葉を返せず、「冗談だ」と言って笑った先生の顔を。

 ――からかって悪かったよ。第一、私はダークエルフだしな。

 その言葉には一体、どんな気持ちが込められていたのだろう。

「ねぇ、鋼ちゃん」

 母さんに呼ばれ、顔を上げる。

「なに?」

「鋼ちゃんは、ブレイズちゃんのこと、好き?」

「……今日会ったばかりだけど――」

 そう、今日会ったばかりなのだ。まだ半日も経っていない。

 けれども、はっきりと答えることが出来た。

「うん、好きだよ」

「そう」

 母さんが嬉しそうに笑う。

「なにせ婚約した仲だものね」

「いや、それは母さんと父さんの脳内だけだから」




 鋼の朝は早い。原因は母さんが早起きだからで、昔から鋼は朝の四時くらいには叩き起こされて、トレーニングだ何だと外が真っ暗な内から連れ出されていた。

 子供の頃は――といっても今も子供だけど。加えて今は十歳の少女姿だし――外が暗くて怖いし更に眠いしで半ベソかいていたものだけれど、それで得したこともある。

 夜の暗闇は怖くて不気味なものだが、同時に穏やかで優しいものであると知った。朝が近くなって来て、次第に宵闇が晴れて行く時間に、そのことを実感出来る。

 静かで、柔らかく、冷たさがどこか心地良く、世界に光が差し込んで行く夜明けの時間帯。

 鋼はそれが好きだった。母さんにそのことを話すと「さすがは私の息子。考えることは一緒だ」と笑っていた。

 こんな御時世に幼い子供を夜明け前に外に連れ出す親ってどうなんだろうと思ったこともあったが、ついこの間、母さんの口から衝撃の事実が語られた。

「実は鋼ちゃんを幼い頃から連れ出していたこの山ね、イルミエールにあるのよ」

「は!?」

 街の付近にある山だと思っていた場所は、母さんの催眠魔法によってそう思わされていただけで、実際は転移ゲートを潜った先にある魔法世界の山だったのだ。

「だからこれまで一度も変質者と会わなかったでしょ? 幼い子供を連れ出すんですもの、私だって安全面はきちんと考えてるわよ」

「蛇やら狼やら熊にはよく遭遇してたけどね……」

 特に熊。どうやら山の主であるらしい、左目に大きな切り傷のある筋骨隆々とした奴。

「大丈夫よ、ここの魔獣は毒持って無いから」

「魔獣!? 今、魔獣って言った!?」

 いずれにせよ、身に付いた早起きの習慣は今日まで続いていて。

「いやー、鋼ちゃんが魔法少女に覚醒したことで、トレーニングで本気が出せてお母さん嬉しいわ」

「本気出し過ぎでしょ……」

 トレーニングでいつも連れ出されている山で、魔法少女衣装の鋼は泥だらけになっていた。

 登山コースに仕掛けられた無数の魔法トラップ、例の隻眼熊との因縁バトル、やっとの思いで頂上に辿り着いたと思ったらラスボスのごとく待ち構えている魔法少女姿の母さん。朝っぱらから全身全霊を賭けた組み手。

 そして今。泥だらけで眺める魔法世界山頂からの日の出。

 鋼と背の同じ、十歳の少女が両手を挙げて、ぐーっと背筋を伸ばす。

「んー、今日も気持ちの良い朝ね!」

「ちくしょう、朝日だけは綺麗なんだよなぁ……」

 トレーニングでどんなに酷い目にあっても、その景色を見るだけで許せてしまう。

 魔法世界イルミエールで迎える朝。

「さて、家に帰りましょうか。そろそろブレイズちゃんを起こしてあげないとね」

 先生は昨日あの後、ぐっすりと眠ってしまって、鋼の家に泊まっていた。

「そういえば、先生もこの山でトレーニングとかしたことあるの? 母さん、この場所、昔から使ってたんだよね?」

「あるわよ。ブレイズちゃんは私の弟子だもん。私が結婚してからは全然来なくなっちゃったけどね。でも、今度誘ってみようかなって思ってるの」

「へぇ」

 それはいいかもしれない。厳しいトレーニングも、先生のような美人が側に居てくれたら頑張れそうな気がする。

「ふふふ……ブレイズちゃんが参加するなら、もっと本気を出してトレーニング出来るわね。滾るわ……久方ぶりに私の魔法少女の血が滾る……!」

 ゴキゴキッと片手の五指を順番に鳴らす母さん。

 ――前言撤回。先生がトレーニングに参加したら、俺の身が保ちそうにない。




 家の鍵を開けて中に入り、母さんと二人で「ただいまー」と言うと、キッチンの方からいつものように「おかえりー」と父さんの声が聞こえて来た。

「そしたら私、二階に行ってブレイズちゃん起こして来るから、鋼は先にお風呂入っちゃいなさい。魔法で汚れは落としたけど、早くさっぱりしたいでしょ」

「うん、ありがとう。そうさせて貰うよ」

 鋼はそのまま風呂場に向かう。

 朝風呂に入るのはいつものことなので、出掛ける前に風呂場の前――脱衣場には着替えを用意してある。

 着ていたトレーニング用ジャージを脱ぎ、洗濯機に放り込む。脱衣場の棚を開けてバスタオルを取り出して置き、それからフェイスタオルを取り出す。

 続いて風呂場の換気扇の電源を入れようとして、気付く。

 電源が入っている。タイマーで残り四分で切れる設定。

「え」と思わず声を出した直後に、ガラリと風呂場に繋がる戸が開く。溢れ出る白い湯気の中から出て来たのは、美しい褐色の肌。

「お、鋼か。トレーニングから帰って来たのか」

 紫の艶やかな髪を濡らしたブレイズ先生が全裸でそこに立っていた。

「せせせせせせ先生!?」

 朝だから風呂場の照明が点いていなくて、完全に油断した。

 慌てて後退さった先は脱衣場の出口とは反対方向で、洗面台のある奥側。これまたしくじったと思うが、時既に遅し。先生が洗面台の近くへとやって来て、バスタオルを手に取る。

「悪いな、泊まっただけではなく、風呂まで頂いてしまった」

「い、いやそれは別に良いんですけど!」

「つい気が緩んでしまったようだ。鋼には恥ずかしい所を見られてしまったな」

 たゆんと揺れる豊かな胸やら、立派に六つに割れた腹筋やら、そこから続く艶かしい下半身へと視線が吸い寄せられて、危ういところで鋼は目を逸らし、背中を向ける。

「恥ずかしいと思うなら、早く色々隠して下さい! 落ち着き過ぎです先生!」

「ん?」

 羞恥心をまるで感じさせないきょとんとした表情で、目をぱちくりさせる先生。

 しばしの間が空いて、先生は「ああ」と納得したような顔をする。

「すまん。イルミエールには女性しか居ないから、これまた完全に油断してしまった。鋼は男だったな」

「はい! そうなんです!」

 魔力炉は絶賛稼動中で、今は十歳の少女の姿だけれども。

「少し待て。今すぐに服を……って、ああっ!」

「ど、どうしたんです先生!?」

「鋼……すっかり忘れていた……どうするか考えていなかった……」

「な、何をです?」

「下着だ」

「下着?」

「そうだ。師匠が用意してくれていた下着……フリフリのフリルが付いたヤツをどうするかだ……!」

「フリル付きの下着……!」

 鋼もすっかりそのことを忘れていた。

 はっとなって、鋼はちょうど手元の所にある自分の着替えが入った籠に目をやる。

 中を漁り、予想通り自身の下着が白いフリフリの物とすり換えられていることを知る。

「いつの間に……! 謀ったな母さん……!」

 一方の先生はうーんと唸りながら、

「色はよりによって白だ。私の黒い肌では目立つ……! どうしよう、今日は体育の授業があるんだ。学園の生徒にこの下着を見られようものなら、『先生、その歳と肌色で白のフリルは無いでしょー(笑)』と嘲笑されることは必至! そうして、その日の内に学園中に噂は広まって、翌日から私は白フリルの下着を常時着用しているという目線で見られることに……!」

「いや、さすがにそれは無いんじゃ……」

「甘い! 甘いぞ鋼! 女だけで構成されるコミュニティの情報力をお前は舐めている。例に出せば、お前が一週間前に魔法少女に覚醒した際、その噂は翌日には学校中に知れ渡っていた。女というのはそれ程に噂好きな生き物なんだ……!」

「そ、そういうものなんですか? 今日、教室で挨拶した時には、そんな風には感じませんでしたけど」

「男子が魔法少女になったという噂は立っても、まさか実際に学園へ入学して来るとは思わなかったってことだ。教師の間でもお前のことに関して情報規制を徹底するように言われていたしな。……とにかく! 今はこの白フリルをどうするかだ!」

「というか、学校の更衣室って、教師と生徒で別々じゃないんですか?」

「こっちの世界ではどうなのか分からないが、学園の更衣室は教師と生徒で共用だ。イルミエールにおける更衣室というのはただ服を着替える為だけの場所じゃない。戦場でもあるんだ!」

「せ、戦場!?」

「そうだ。中立魔法少女学園は、イルミエールの貴族、王族が将来の結婚相手を見つける場所でもある。そして更衣室というのは、互いの身体を見せ合い、その外見の美しさをアピールする場所なんだ。自身のプロポーションを磨き、そこで披露し、他の女子よりも見た目が優れていることを証明する。そうすることで、各家の淑女としての尊厳を保ち、かつ他の女子に将来の伴侶としてどうですか、と自身を売り込む。色んな意味でのお見合い会場ってわけだ」

「更衣室って怖い!」

「そんなわけで、成人のダークエルフであるところの私がこの白いフリフリを身に着けるのは非常に躊躇われるのだが……」

 鋼は明るく笑ってみせて、

「嫌なら無理に着なくても大丈夫ですよ。俺が母さんに他の下着が無いかどうか、聞いて来ます。息子としての勘ですけど、母さん、先生が本気で嫌がるようなことはしないと思うんです。だから、こういう時のことも考えて、普通の下着も用意しているに決まってます」

「しかし……」

 その声からは深い苦悩が感じられ、ちらりと横目で先生の表情を伺う。

 真剣に悩んでいる顔だった。

「これは師匠が私の為に用意してくれた物なんだ。せっかく用意してくれたのに……着ないのは申し訳なく思ってしまう……」

「先生……」

 先生はまだ母さんに気を使っているようだった。そんな程度のことを気にするような母さんでは無いと思うのだけど、それは自分が息子だからで、先生はやはり気にしてしまうのだろう。

 およそ六、七年という歳月。その間、会わなかった先生と母さん。想像して、それはきっと軽くないのだろうと分かる。

 だから鋼は言った。

「だったら、俺も着ますよ」

「え?」

「フリフリの下着、俺も着ます。俺は見た目十歳の少女ですが、中身はこれでも男なので大変に恥ずかしいです。しかし、先生の方がきっと恥ずかしいでしょう。だから着られます」

「鋼……」

「一人で履くよりは恥ずかしくないと思うんですけど、いかがですか?」

 本当はお揃いになるから、二人で着る方がよっぽど恥ずかしいのだが、咄嗟に思い付いた口上がこれだったので仕方が無い。

 先生が背後で、ぷぷっと噴き出すのが分かった。それだけでは済まなかったらしく、必死に笑いを堪えている声で、

「お前、言ってることが無茶苦茶だぞ。俺も着るって……!」

「笑わないで下さい。あと、ついでフォローしとくなら、大して悩む必要も無いと思います。先生、普通に似合うと思いますよ白いフリル」

「嬉しい世辞だな」

「お世辞じゃないです。本気です」

 一呼吸置いてから、はっきりと言う。

「俺、先生のこと美人だと思ってますから、先生に白いフリルはきっと似合うはずです」

 先生の笑い声がぴたりと止む。

 背中を向けたまま言ったので、先生が今どんな顔をしているのかは分からない。

 怒っただろうか。でも、嘘は言ってない。本心から出た言葉だ。

 やがて、先生が口を開く。

「……そうか、お前がそこまで言うのなら着てみよう。ただし、条件がある」

「条件、ですか?」

「私がこの下着を着けたら、ちゃんと似合ってるかどうか、確かめてくれ」

「え……いや、でも……」

「当たり前だろう? 似合うかどうかは、実際の着てみなくては分からない」

「……分かりました」

 鋼は頷いた。言い出したのは自分だし、ここで否定してはせっかく勇気を出して言った本音も嘘に変わってしまう気がする。

「少し待っててくれ」

「はい」

 鋼は、妙に落ち着いた心持ちでしばらく待った。

「いいぞ、振り返っても」先生が言う。

 鋼はゆっくりと回って、視線を先生の肢体に向ける。

 手を後ろで組んで、しかしどこか恥ずかしそうに、先生は立っていた。

 美しい褐色の肌に、純白のフリルが付いた下着。黒と白のコントラストが映えて、可愛らしいフリルがクールな大人の印象の先生に良いギャップを与えていた。

「……どうだ?」

 自信無さげな表情の先生。鋼は言う。

「ほら、やっぱり似合うじゃないですか」

「そうか? 本当に?」

「ええ。男の感性ではありますけど、ギャップ萌えを感じました……って、つい口から出ちゃいましたけど通じますかね? ギャップとか萌えとかって」

「大丈夫だよ。師匠が昔から良く口にしていたから。親子なんだなやっぱり」

「母さんもですか……」

 苦笑いせざるを得ない。

「ただ、うん。褒められてちょっと嬉しい」

 はにかむ先生がとても可愛く見えて、ドキッとしてしまう鋼であった。

 ――俺って実は年上好きなんだろうか。

「とにかく、約束しましたし、俺もちゃんとフリルの下着を着けますから。風呂入った後になりますけど」

「分かった、約束だぞ。そうだ、鋼、せっかくだから背中を流してやろうか」

「け、結構です」

「恥ずかしがるな恥ずかしがるな。これからお揃いの下着を着用する仲だろう?」

「せっかくスルーしてたのに、思いっきりペアルックだって分かってんじゃないですか! むしろ恥ずかしくなりましたよ!」

「背中だけでなく、胸も洗ってやるぞ?」

「……先生見てると、やっぱり母さんの弟子なんだなって思いますよ」

「え? どこが?」

「やたらオヤジっぽい発言をするところ」

「……そこは似たく無かったなぁ」

 先生は大人しくなって、鋼は一人で落ち着いたバスタイムを堪能した。

 で、着替えてリビングに向かうと、先生と一緒に朝食を取り始めていた母さんがニヤリと笑って、

「ペアルック?」などと聞いてきたので、

「可愛い下着をありがとう母さん」

 と満面の笑みを返してやった。

 母さんは面食らったのか目を丸くして、

「あれ? あれれ?」

 と不思議そうな顔をしていた。

 父さんは何も知らないらしく「ん? ペアルック?」と首を傾げており、先生は笑っていた。

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