初日
むかしむかしあるところに、シンデレラというかわいそうな娘がおりました。
お城で舞踏会の開かれる夜、屋根裏部屋のベッドに横たわり、天窓から星空を見ながらつぶやきます。
「今頃お母様とお姉さまはお城でダンスを踊っている頃かしら」
「泣くのはおよし、シンデレラ」
どこからともなく響いてきた声にシンデレラは体を起こしました。
中空に光の粒がきらきらと現れたかと思うとそれが集まって大きくなり、人の形になりました。
真っ黒なつばの大きい三角の帽子、同じ色のローブに木でできた杖。魔法使いがそこにいました。
「かわいそうなシンデレラ、私があなたに魔法をかけてあげましょう」
「え、いいです遠慮します」
「…奥ゆかしいのですね、シンデレラ。遠慮することはないのですよ。お城の舞踏会に行きたいのでしょう」
「別に行きたくないのでいいです。そろそろ眠いのでお帰りいただいてもいいですか魔法使い様」
「泣いていたではありませんか。あれは舞踏会に置いていかれたからでしょう」
「眠くてあくびをしていたのです魔法使い様」
「まったく、本当に心持ちの優しい子。いいのですよ、本当は綺麗なドレスを着て王子様とダンスを踊りたいのでしょう?」
「いやもう本当にそんなことはないので、お引き取りください。綺麗なドレスも王子様も興味無いです」
「かわいそうに、そうして意地を張らないと辛くて生きていけなかったのですね。いいのですよ、素直になっても誰も咎めはしません」
「素直に本心です、そして眠いのも心からの本心です、寝かせてください私は10時には寝る派なのです。そもそも魔法使い様は不法侵入です、訴えたら勝てます」
「うるせえとっとと家から出ろ!舞踏会で踊ってガラスの靴落としてこい!」
「嫌です!私はできるだけ引きこもって生きるのです!お母様お姉さま助けて魔法使いが私を外出させようとする!」
「フハハ、無駄無駄ァ!叫んでも誰もこねえよ。お前の姉も母親も城の舞踏会に行っているし、使用人には眠りの魔法をかけておいたからな!オラいいからおとなしく魔法にかかれ!」
「ファック、いいでしょうかかかってこい魔法使い!私は絶対家から出ない!」
シンデレラはある意味でかわいそうな娘でした。
***
10分後、そこにはじりじりと距離を測りつつ睨み合う魔法使いとシンデレラの姿がありました。
「くそっ!ちょこまかとこの女…」
「フフフ、昨日読んだ本が役に立ちました。服だけ変更する、みたいな細かい変身の魔法は対象物の座標が大幅にずれると効力がないそうですね、つまりずっと動いていれば平気ということ…!」
「ちっ…!」
ドヤ顔シンデレラを睨みつつ舌打ちをする魔法使いはどう見てもそこらのチンピラでした。
「なあ、さっきダンスを踊っている頃かしらって呟いたじゃねえか、本当は行きたいからだろう…?」
魔法使いの押して駄目なら引いてみろ作戦です。優しげな声で気遣うように囁きます。
「いえ、王子様にお姉さまが見初められて結婚してくださればもっと引きこもっていられるなと思って」
王族と姻戚関係になれば将来は安泰です。クーデターか陰謀に巻き込まれて姉が罪人にさせられることでもあれば別でしょうが。
「私はこれからも引きこもって!楽に!面倒くさいことはできるだけ避けて生きていきたい!」
「ダメ人間だなお前!」
「よく言われます」
シンデレラは良く言えばインドア派、包み隠さず言えば引きこもり、基本方針は面倒臭いことはしない、でした。
生まれがそこそこの貴族でよかった、毎日外出しなくても生きていける。
父が再婚してくれてよかった、面倒くさい夜会やらのお付き合いを継母と姉二人に任せられる。
父が遠くの領地にちょくちょく視察に出てくれる人でよかった、頭の固い父に令嬢らしくさせられない。
などなど、シンデレラは常々自分の境遇に感謝していました。
何か外にトラウマがあるのかというと特にそういうこともなく、ただただ単に面倒くさいからというダメ人間ぶりでした。
「ほら、舞踏会で王子様とダンスを踊ってなんやかやあって最終的に嫁になれば家事もしなくて済むぞ。面倒な事が一つ減るじゃないか」
「なんやかやが胡散臭すぎます、あと家事は趣味なので面倒くさいことじゃないです。むしろ王妃さまとしての勤めのほうが面倒くさすぎます、他国や自国の貴族を接待とか考えただけで胃が痛くなります。私はできるだけ人に会わずに生きていきたい」
「綺麗なドレスも宝石も思いのままだ」
「家事で汚れるのでドレスはいりません、あとコルセットは苦しいですし。宝石はなんか邪魔なので…綺麗だなとは思いますけどちょっと体につける意味がわかんないっていうか…」
「王子様は美形だぞ、美形。ひと目見てみたいと思わないか」
「肖像画で見たことはありますよ、綺麗なお顔でらっしゃいました」
「ほら、それを生で見れるんだぞ!行きたくなってきたろ?」
「だからもう肖像画で見たからいいですって」
「画像を見ただけですべてわかった風に思うのは現代っ子の良くない風潮だぞ」
「何を急に真面目に諭してきてるんですか」
「実際に会って話してみればきっとお前も気が変わる、あの王子は人格者だと評判だし」
「一介の下級貴族の娘程度が舞踏会だからってホイホイ王子様と話せますかね」
「…まあ、お前なら可能なんじゃないか…なんだ、行く気になったか?」
「いえ、そんなにおすすめ物件ならなおのことどちらかのお姉様とお話して意気投合してゆくゆくは結婚してくださったらいいなあと」
「人に頼るな!」
魔法使いはがっしりと両手でシンデレラの頬を挟むと、じっと目を見つめます。
「ほら、想像してみろ!王子と自分が結婚しているところを!」
「…………」
「城での贅沢な暮らし、素敵な旦那、可愛らしい子供…光りあふれる未来!これが今外出して舞踏会に行くだけでお前のものに!」
「…………………………………………」
シンデレラはそっと目をつぶりました。
「え、ちょ、し、シンデレラ?」
「…………」
魔法使いは慌てました。思わず手を出してしまいましたが自分とシンデレラの姿を客観的に見ればキスをしようとする態勢そのものです。
そしてそこで相手が目をつぶったということは。
ごくり、と自分がつばを飲み込む音がやたらに大きく聞こえます。
「そ、そんなわけないよな、えーと…あ、想像してるのか!なるほどな!」
「……」
「どうだ、思い描けたか?舞踏会に行く気になったか?」
「……」
「…シンデレラ?」
あまりの長さに怪訝に思った魔法使いがシンデレラの顔を覗きこむと、すうすうと規則正しい息遣いが返って来ました。
「立ったまま寝てる…だと…!?」
愕然と呟いたあと、行き場のない憤りをぶつけるべく魔法使いはシンデレラをベッドに放り投げました。