ベネディクト7
リルが屋敷を出てからは屋敷が静まり返ったように寂しくなった。
「・・・・・リル・・・・・・」
ポツリと零れる愛しい名前から返事が返ってくる事はない。
あれから、やれ男爵に手紙を書けだの果物屋のおかみ(以前は私の乳母だった)から、一体どういう事だと怒鳴りこまれるなど、一時、屋敷も賑わったが今はひと段落して落ち着いている。
しかし、そうなるといつも傍にいたリルの姿が見えない事が際立ち私の心にぽっかりと穴があいたようだ。
「ベネディクト。窓辺で浸るのは勝手だが、今日はまだ仕事が終わっていない」
声がする方を見れば、いつの間に来たのか、私の仕事を手伝ってくれているレイチェルがそこに立っていた。
「・・・レイか」
「レイか・・・。じゃない、良く見ろ。机の上に溜まっている書類は今日中に仕上げなければいけないものだぞ!?」
目を吊り上げそう言うレイを横目に再び溜息が零れた。
「・・・そこにあるものは全て終わらせてある。許可できないものは対処法をもっと詳しく提示させ、私の印を押してあるものはすぐにでも取りかかる様に伝えてくれ。足りないものがあればこちらで用意をする」
そう言うと、レイは深いため息をついた。
「はぁ・・。本当に仕事に関してはソツがないな。同じくらいリール嬢にも上手く立ちまわればよいものを・・・・」
「・・・やれるものならばやっている」
ぎろりとレイを睨むとレイは書類を持ったまま両手を上げた。
「おい、やめろ。その顔で睨むな。俺は騎士で鍛えられた訳じゃないんだぞ?その顔を見るだけで背筋がぞっとする」
レイの言うとおり、レイは戦いを好まない。いや、言い方が悪いな。レイの戦う分野はこういった机の上や人に対してその実力を発揮する。だからこそ現在は私のパートナーとしてやってもらっているのだが。
反対に、私は血なまぐさい場所での戦いでその実力を発揮し、騎士団での団長も任された。こういった仕事が嫌いなわけではないが、私には身体を動かす方が性に合っていた。
「・・・だったら、お前が侯爵にでもなればいいものを・・・・」
「・・・・そんな立場に縛られるなんて嫌だね。侯爵家次男の肩書きだって煩わしいのに侯爵当主なんてもっての外だ。自由に動き回れやしない。俺みたいなのがいるから、兄貴だって仕事がしやすいんだよ」
そう、弟のレイチェルは自分の腕を良く知っている。
「・・・お前の自由さがうらやましいよ・・・」
「そうだね。俺は兄貴みたいに筋肉隆々じゃなくてよかったよ」
あははと笑いながらレイは書類を抱えて部屋を後にした。
再び、静けさを取り戻した部屋で深いため息をつくと私は再び机に向かった。
今日分が終わったとは言え仕事はまだまだある。
現在、抱えている問題に目を向けると私は思わずため息が溢れた。
「・・・・・人身売買か・・・・・」
我、マルサス公爵家の領土内ではまだ行われていないが、すぐ隣の領土ではそれが問題となっている。
「・・・だとすると、ここに入ってくるのも時間の問題か?」
人が人を売るなどあってはならない。現在、この国でそのようなことがあればもちろんそれは処罰の対象となる。
法の目を掻い潜りそれを行う組織があると、先日私のところに報告が来た。
人を売るということはそれを買う奴もいると言うことだ。
「・・・・腐れ貴族がまだいたとはな・・・・」
いつになっても金を持っていると腐った奴が出てきてしまう。
今はまだ我土地でそのような事はないが、もしそれがこの土地に一歩でも足を踏み入れたのならばそれは見逃すことはできない。
だから・・・・。
「それまでに、リルには私のところへ戻って来て欲しいのだがな・・・・」
果たして、それがいつになるのかわからない事に再び深いため息を付くしかなかった。