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夢めくり 〔風〕

作者: mm

 俺は日野への道を歩いていた。

 担いだ竹刀や木刀に防具がとても重かったけれど、そんなこと忘れてしまうくらいに、今日は気持ちの良い日だ。

 田んぼには菜の花や蓮華が咲き乱れていて、黄色や白の蝶が舞っていた。

 街道の道なりに(ほお)の白い花が咲いていて、すがすがしい香りが胸を満たした。

「少し休もう……」

 正午を回った頃だろうか。

 太陽はすっかり(そら)高く昇っていた。

 丁度良いくらいの切り株を見つけたので、俺はそこへ腰掛け、竹筒と、竹の皮に包まれた握り飯を取り出した。握り飯は二つ入っていて、そのどちらもとても大きかった。お腹がすいている俺にとっては、ありがたいことだ。

 一口かじった。

 塩加減が丁度よくて、自然と笑みがこぼれた。

 景色もいいし、とても最高だ。幸せだ!

 さらにほお張ると、梅干が入っていた。姉さん自慢のお手製梅干だ。

 俺は姉さんの漬ける梅干が、昔から大好きだった。

 一つ目を食べ終わり、竹筒から水を一口飲んだ。そして二つ目へ手をかけようとしたその時、不意に子どもの声が聞こえた。

「だめ! 泣かないって、おにいちゃんと約束したもん!!」

 辺りを見渡すと、道の先で、子どもが泣いていた。

 まだほんの小さな、女の子だ。

 迷子だろうか。

 俺は握り飯を包み直し、竹筒と一緒に懐へ入れた。木刀と竹刀の入った袋に、防具一式の入ったでかい袋をつり下げると、肩に担いで女の子の元へ向かった。

「おにいちゃん……おにぃちゃぁ……!」

 女の子はしきりに「おにいちゃん」を呼んでいた。

 俺のことかと思ったけど、どうやら違うようだった。

 女の子の目の前まで来ると、俺は懐に入れた握り飯を取り出し、その子に差し出した。

「どうしたの? 迷子? はい、これ食べなよ。おなかすいたでしょ」

 女の子はびっくりしたように顔を上げると、握り飯をじっと見て、それから俺を見た。

 涙で顔はべとべとだ。

 今にも再び泣き出しそうだ。

 けれど、その子は袖で涙を拭くと、おそるおそる俺の手から握り飯を受け取った。握り飯が一段と大きく見えた。

 女の子はしばらく握り飯を眺めていた。不審な物が入っていないか疑っているらしかった。

「梅干だよ。姉さんお手製のとってもおいしい梅干なんだから!」

 俺の昼飯だったけど、この子が元気になってくれるならいいかな? なんて思った。姉さんの梅干はもったいないけど、また小石川に戻れば食べられるからいいとしよう。

 女の子は握り飯を一口かじった。どうやら疑いが晴れたようだった。俺は安心した。だけどやっぱり梅干はまだ少し未練がある。

「ねぇ、どこからきたの?」

 俺は尋ねた。

 女の子は悲しそうな目で俺を見上げて、それから首を左右に振った。揃えられた髪の毛がそれにあわせて扇のような形を作った。

 俺はどうしたらいいのか分からなかった。

「う〜ん……どうしようかなぁ……?」

 今から佐藤さん家に行って、稽古をつけなくちゃならない。一緒にこの子の家を探すことなんて到底できない。どうしよう? まさか置いていくこともできないし……

「あ、そうだ!」

 いいことを思いついた!

「俺、今から稽古をつけに日野へ行くんだけど、君も一緒に来る? そうしたら、分かるかもしれないし」

 俺って天才かもしれない。

 佐藤さんとこに一緒に行って、佐藤さんに尋ねてみる。そして協力してこの子の家を探せばいいんだ!

 いいね、この考え!

 俺って、サイコーだ!!

 女の子は一瞬驚いたように俺を見たが、こくん、と首を縦に振ると、

「……行く。」

と小さく答えた。

「よかったぁ!」

 俺はひとまず安心した。

 それから女の子を肩車して、片肩に竹刀と防具を担ぎ、佐藤さん家を目指した。


「ねぇ、きみ、名前はなんていうの?」

 そう言えば名前をまだ聞いていなかった。

 女の子は大きな握り飯を黙々と食べていた。

「ハナ。わたし、ハナって言うの」

 さっきとはぜんぜん比べものにならないくらいに明るい声が返ってきた。

 ハナ、とは、今の季節によく似合う名前だなぁ、と思った。

 よく見れば、辺りは菜の花ばかりが咲いていた。菜の花は、なんだかおハナちゃんによく似合う。

「へぇ、ハナちゃんかぁ。かわいいね。菜の花のおハナちゃん」

 そう言うと、肩の上のおハナちゃんは恥ずかしそうに笑った。

 笑顔のとても似合う子だ。

 本当にかわいいなぁ。

 まるで妹のようだ、と思った。

 妹がいたら、こんな風に散歩したり、おしゃべりしたりしたのかな?

「おにいちゃんはなんていうの?」

 おハナちゃんが聞いてきた。

 俺は自分の名前が気に入っていたから、自信を持ってこう答えた。

「俺は宗次郎! こう見えても『試衛館(しえいかん)』って道場の塾頭をやってるんだ」

 言ってから、この子に分かるかなぁ? と思った。

「……て言っても分からないよね……」

 小さい子と話すのなんて、あまりないことだから……何を話したらいいのかよく分からない。

 俺は少し落ち込んだ。

 しかし、俺の心配をよそに、どうやらおハナちゃんには通じたらしい。

「宗次郎は強いの?」

 握り飯を食べ終わったおハナちゃんが言った。

 俺は感激した。

「うん、強いよ!」

「おにいちゃんより?」

 おハナちゃんの言うお兄ちゃんとは、誰だろう? きっと、きょうだいのことだろうけども。

「おにいちゃん? そうだなぁ…多分強いよ。だって、俺は天才だから」

 自信を持って答えた。

 だって、本当に俺は強いんだもの。

 若先生だって、周斎先生だって「宗次郎は強いな、天才だ」て言ってくれる。

 だから俺は強い!

「ふーん。宗次郎は強いんだ。おにいちゃんが知ったら、きっとびっくりするよ」

 おハナちゃんはそう言って笑った。

 俺は嬉しかった。

 おハナちゃんが元気になってくれたし、よく笑ってくれるし。

 握り飯のことは未練だったけど、でも、おハナちゃんが元気になってくれたのだから、もう握り飯のことなんてどうでもいいや。

 佐藤さん家に着くまで、いろんなことをおハナちゃんと喋った。菜の花のこととか、竹馬のこととか、ご飯のこととか、剣術のこととか。それからおハナちゃんのお兄ちゃんのことも、そして俺の大好きな若先生と、恥ずかしがり屋で頑固者の歳三(としぞう)さんと、俺に剣術を教えてくれた周斎先生のこと。

 短い時間だったけれど、本当の妹を持ったみたいで、俺は本当に楽しくて、嬉しくて、幸せだった。


 佐藤さん家に着いた。

「ごめんくださーい、試衛館の沖田です!」

 開け放たれた扉から大きな声で名乗った。

 けれど返事はない。

 もう一度呼んでみた。

「佐藤さーん、いますかー?」

「はーい、ただいまぁ!」

 家の奥から、この家の長男・勝之さんと、弟の源之助と二人の母・おのぶさんが出てきた。

「ああ、沖田先生! ようこそいらっしゃいました。どうぞお上がりください…て、ハナ? あんたどこ行ってたの!」

 おのぶさんが突然驚いた様子で、俺の肩の上のおハナちゃんを見て言った。

「へ? おハナちゃんとお知りあいですか?」

 俺はおハナちゃんを見上げた。

「知り合いもなにも、うちの娘ですよ! もう、本当にご迷惑おかけしました……ハナ、先生の肩から降りなさい。勝之、源之助、先生のお荷物を運んで差し上げて」

 それまで唖然としていた勝之さんと源之助はふと我に帰ると、

「お荷物を預かります」

と言って、部屋へ運んだ。

「源之助! それ、修理出したヤツ。もう使えるぞ」

 源之助が重そうに抱える防具を指差すと、嬉しそうに目を輝かせていた。

 おのぶさんは俺の肩からおハナちゃんを抱きかかえて地面へ降ろすと、

「もう、心配かけないで。ああ、でも本当に良かった……」

と、無事を確かめるように抱きしめていた。

 それからおのぶさんは何度もお礼の言葉を述べてくれたけど、お礼を言いたいのはこっちの方です、て言いたかった。

「おハナちゃん、よかったね」

 声をかけると、おハナちゃんはにこりと笑った。「でも本当にびっくりしたなぁ……おハナちゃんが、佐藤さんとこの娘さんだったとは。世界は不思議だ……」

 本当にびっくりした。

 これもなにかの巡りあわせなのかなぁ?

 俺は神様を信じていないけれど、神様にお礼を言わなくちゃいけないな。

 俺はそれから四日間佐藤さん家に泊り込みで、兄弟二人の稽古をつけた。

 おハナちゃんは毎日、道場の片隅で稽古を見ていた。

 静かに、じっとして。

 そうしていると、まるで人形の様だと俺は思った。


 四日間の出稽古も終わり、小石川へ帰る日がやって来た。

 おハナちゃんは朝から俺に着いて回っては、さびしそうな顔をしていた。

「ねぇ、宗次郎」

 帰り支度をしていると、おハナちゃんが袖を引いた。

「ん? なに?」

「宗次郎と、もう会えないの?」

 俺は笑顔でおハナちゃんへ振り向いた。

 けれど、本当はさびしかった。

「また来るよ。今度は六月だ。それまで元気にしているんだよ、おハナちゃん」

 おハナちゃんはさびしそうに笑った。

 小さな子どもでも、こんなに複雑な顔ができるんだ。

 けれど、おハナちゃんのそのさびしそうな笑顔は、本当に透き通っていて、とても印象的だった。

「えらいぞ」

 おハナちゃんの頭を、何度も何度も撫でた。

 おハナちゃんの顔が、今にも泣き出しそうな顔に変わった。

 けれど、おハナちゃんは泣かなかった。

 また会える

 俺はそう自分に言い聞かせて、佐藤家を後にした。

     * * *


 黒猫がいた。

 うららかな陽射しの溜まる縁側に。

 春の風が部屋を吹きぬける。

 あの頃の風。

 黒猫の向こうに、小さな少女の影が見える。

 少女は「宗次郎!」と菜の花のような明るい声で呼んだ。

 もう俺のものでない、俺の名を。


 今行くよ、おハナ……


 黒猫がいる。

 俺の目の前に。

 邪魔をしている。

 再会を。

 俺はそろそろと枕元へ手を伸ばし刀を掴んで、夜具から抜け出した。

 震える手で刀を抜いた。

 俺の相棒は冷たく笑っていた。

 多くの戦場を、こいつと共に切り抜けてきた。

 平正眼に構える。

 黒猫は俺を見据えたまま、動こうとしない。

 ……嫌な眼だ。

 じりじりと、間合いを詰める。

 そして俺は刀を振り下ろした。

 空が地面になった。

 黒猫は消えた。

 おハナは……

「あれ、旦那様っ!」

 母屋から人が来た。

 転倒してもなお立ち上がろうとする俺を、必死に押さえつける。

 こんな所で死んでたまるか

 俺は生きるんだ

 俺は生きなければならないんだ

 俺は会いに行かなければならないんだ……!


『もういいよ、宗次郎。』


 おハナが笑った。

 世界が光に包まれた。

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