第一回 人形のこころ
テーマ:人形
禁則事項:主人公の「」による台詞の禁止
人に大切にされたものには魂が宿る。
当然、それが人形だとしても、何だとしても例外ではない。
そして、魂を宿した人形は——
ある日突然、羽夜の父親がそれを持って帰ってきた。なんでも、父の友人が半ば押し付けるような形で羽夜の父にそれを譲ってきたらしい。拒む理由もなかったので羽夜の妹である朝香の玩具にどうかと思って持って帰ってきた、と父は持ち帰ってきたものに興味津々な朝香に、父は取り出したそれを見せる。
それを見た時に羽夜が感じたのは嫌悪感だった。理性は関係のない、生理的な拒絶。
父が自分の鞄から出したのは人形だった。立たせると膝の裏までとどく波打った柔らかい金色の髪。耳はその髪に隠されて見えない。人間ならば真っ白と言われるような、僅かに色付いた肌。髪と同じ色の細い眉毛に、二重の瞼。碧いガラス玉に模様を付けたような大きな目。小さな鼻に、同じく小さな口。赤く染まった唇は厚くもなく、薄くもなく、絶妙な形に整えられている。服は、あちらこちらに細かい模様のレースがあしらわれた、淡い橙色のドレス。それからはみ出てしまったかように見える小さい手足。左手の中指にはハートの形がついた指輪をしている。足元は真っ白い靴下に、極薄いピンク色をした靴を履いている。その人形の印象を一言で表すとしたら、百人中九十九人は可愛らしいと言うだろう。
しかし、それは羽夜には人形というには躊躇いを覚えるほど人間に近く見えた。大きさや材質は明らかに人のそれとは違うのに、その顔立ちから何からが妙に生々しく、気味が悪い。そして何より、見るもの全てを品定めしているような、動かない碧い目が恐ろしかった。
そんな羽夜の隣で、朝香は父親に与えられた新しい玩具で早速遊んでいた。それを母と父も微笑まし気に見ている。羽夜としては今すぐにでもその人形を捨てほしいところだったが、とても嬉しそうに遊ぶ朝香を見ていると、そんなことは言えなくなった。
それが家に来てから、羽夜は食事のとき以外、リビングに寄り付かなくなった。リビングに行けば朝香がすっかり気に入ってしまった人形で飽きることなく遊んでいる。中学生にもなって人形が怖いだなんて、とてもではないが周囲には言えない。それでも、羽夜はその人形を見ると気分が悪くなり、目が合おうものなら悪寒が止まらなくなった。夜に眠っても、寝ている羽夜の顔を、覗き込むように枕元にその人形が立っている夢を見ては飛び起きることが常になった。
精神的な疲労と睡眠不足で、羽夜は目に見えるほど窶れていった。食欲が減り、夜に眠れない分、授業中に熟睡しては教師に叩き起こされ、眠気は一向に掃うことは出来なかった。朝香は弱っていく姉が心配になり、彼女なりに元気付けようとしたのだろう。妹に一緒に遊ぼうとせがまれた羽夜は、拒むこともできずにその人形で遊ぶことになった。そして、そのことがまた更に羽夜を精神的に追い詰めるのだった。
それが一週間ほど続いたある日。羽夜はいつもより大分早くベッドに入った。起きていられないと思うほど眠かったのに、寝ようとするとなかなか眠れなかった。意識はしていなかったが夢を見るのが怖かったのだ。電気を消して真っ暗な中、瞼を閉じていくら経っても眠りが訪れることがないように感じた。
それでも、羽夜はいつの間にか眠っていたようだ。夜中に気が付くと、横には羽夜にしがみつくようにして寝ている朝香がいた。何故朝香が羽夜のベッドで寝ているのかはわからなかったけれど、たまにあることだったので、羽夜はすやすやと眠る朝香を撫でようと布団から腕を出した。
しかし、その腕は目的地に届くことなく停止する。腕を出すときに少し捲れた布団の中に、朝香に大事そうに抱かれたあの人形がいた。黒の濃淡しかわからない闇の中で、一対の目だけが碧く爛々と輝いている。羽夜は恐怖で全身に鳥肌が立つのを感じた。
羽夜の錯覚かもしれない。それでも確かに、人形が視界に羽夜を捉えて嗤ったのが見えた。
“あぁ、やっぱり貴女が一番美味しそう”
翌朝、羽夜の様子がおかしかった。目は覚めているようなのに、一向に起きる様子がない。羽夜を起こしにきた母親に言われて漸く起き上がった。しかし、やはりそれから何をしようともしない。人に命じられたことは辛うじて行うものの、自ら何かをしようという意志がまったくなかった。
羽夜は一切の感情を失っていた。
人に大切にされたものには魂が宿る。
当然、それが人形だとしても、何だとしても例外ではない。
そして、魂を宿した人形は姿形が人に似せて作られているだけに、少しでも“より人間らしい人間”になろうと他の魂を喰らい、吸収するようになる。
初めは本能に突き動かされるように、次第にそれは娯楽となり、人形は満たされることはなく、飽くこともなく、魂を喰らい続けるという。