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鐘を撞くだけの仕事だったので追放されましたが、なぜか城の時計が全部狂い始めて私を探しているそうです  作者: 月雅


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第8話「推薦状」

カミルさんが工房に来た。ノアさんがいない時間を見計らって。


午前中、ノアさんは港の船長から預かった航海時計の部品を仕入れに出ていた。戻るのは昼過ぎになると言っていた。カミルさんが表の扉を開けたのは、ノアさんが出て間もなくだった。


「お嬢さん。少し話がある」


いつものゆったりした声だった。けれど茶菓子は持っていなかった。杖も突いていない。まっすぐ入ってきて、工房の椅子に座った。


「カミルさん。お茶を——」


「いらん。座ってくれ」


私は作業台の前の椅子に座った。ノアさんが私の高さに合わせた椅子だった。


カミルさんはしばらく黙っていた。壁の時計の音だけが流れた。朝の鐘撞きから三時間。まだ正確に揃っている。


「先日、時間の魔力の話をしたな」


「はい」


「あの話には続きがある。わしがあの日言わなかったことが」


カミルさんの目が、いつもの穏やかな観察ではなかった。覚悟の据わった目だった。


「ノアのことじゃ」


心臓が鳴った。


「あの子は三年前まで王城の宮廷時計師だった。それはもう分かっておるな」


分かっていた。カミルさんが初めて工房に来た日、「あの子は昔、城で」と言いかけてノアさんに遮られた。あの言葉の先が、今ここにある。


「ノアは城を辞めた。辞めた理由は——お前さんじゃよ、お嬢さん」


私の手が膝の上で握りしめられた。


「どういう、ことですか」


「五年前、城が新しい鐘撞き係を募集したとき、ノアが推薦状を出した。時間の魔力を持つ者が必要だと上申し、お前さんの名前を挙げたのはあの子じゃ」


工房の時計たちが刻を打った。正確な、揃った音。その音が、急に遠くなった。


「ノアさんが——私を」


「ノアは時間の魔力の研究をしておった。城の時計を正確に保つには校正波が必要で、校正波を出せるのは時間の魔力の保持者だけじゃと。お前さんがその力を持っていることを、ノアは調べ上げて突き止めた」


五年前。私が城に来た年だった。男爵家の三女で、どこにも行き場がなくて、城の鐘撞き係の募集に応じた。あのとき推薦があったとは知らなかった。父が何か手を回したのかと思っていたけれど、父にそんな気遣いがないことはすぐに分かった。


推薦したのは、ノアさんだった。


「ノアは二年後に城を辞めた。推薦はしたが、お前さんを鐘楼に一人きりにした。誰にも知られず、誰にも感謝されず、毎日鐘を撞かせた。その罪悪感に耐えられなくなったんじゃ」


カミルさんの声は静かだった。責めているのでも、庇っているのでもなかった。事実を、そのまま置いていく声だった。


「ノアに口止めされておった。じゃが、お嬢さん。お前さんがあの子の嘘に気づいて、時間の魔力の話を聞いて、それでもまだ何も知らされないまま——もう限界じゃと、わしは思った」


私は黙っていた。


声が出なかった。頭の中で、この二ヶ月の全てが組み替わっていくのが分かった。


ノアさんが私を即座に雇ったこと。身元を詮索しなかったこと。小鐘を棚に置いていたこと。鐘を撞いたときのあの表情。港の大鐘の許可を先に取っていたこと。椅子の高さ。窓の向き。家賃を取らなかったこと。時間の魔力の話をカミルさんがしたとき、ノアさんが一言も発さなかったこと。


全部、つながった。


全部——五年前の推薦から、一本の線でつながっていた。


「カミルさん」


「うん」


「ノアさんは——私の力を、最初から知っていて、この工房に」


「ああ。知っておった。お前さんが追放されたと聞いて、この町に来ることを見越して、助手の看板を出した。あの看板は、お前さんのために出したものじゃ」


表の扉が開いた。


ノアさんが立っていた。仕入れの荷物を片手に持ったまま、敷居の上で止まっていた。カミルさんと私の顔を見て、何が起きたかを瞬時に悟ったのだろう。荷物を持つ手が白くなるほど握りしめられていた。


「師匠」


「言ったよ、ノア。全部な」


ノアさんの顔から色が引いた。荷物を作業台の上に置く動作が、ぎこちなかった。


カミルさんが立ち上がった。


「後は二人で話しなさい。わしが言えるのはここまでじゃ」


カミルさんは私の前を通り過ぎるとき、一度だけ立ち止まった。


「お嬢さん。あの子を恨むなら恨んでいい。じゃが、あの子がお前さんを大事に思っていることだけは、嘘ではないよ」


表の扉が閉まった。工房に二人きりになった。


時計の音が響いていた。揃った、正確な音。私の鐘が作った音。ノアさんが最初から知っていた、私の力が作った音。


「全部、話してください」


声は震えなかった。怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からない感情が胸の底に沈んでいた。


ノアさんは作業台の前に立ったまま、こちらを見た。逃げなかった。目を逸らさなかった。


「……五年前。城の大鐘を正確に校正するために、時間の魔力の保持者を探していた。俺が見つけたのが、お前——トーンさんだった」


声が低かった。いつもの短い言葉ではなかった。一語一語を選ぶように、絞り出すように。


「推薦状を書いた。城務長官に上申した。鐘撞き係の新任として、トーンさんを推薦すると。時間の魔力については伏せた。言えば政治的に利用される恐れがあったから」


「それで私は城に来た」


「ああ。俺の推薦で、城に来た」


「五年間、鐘楼に一人で」


「……ああ」


ノアさんの声が掠れた。


「二年で辞めた。耐えられなかった。お前が——トーンさんが毎日鐘を撞いているのに、誰にも評価されない。俺が送り込んだのに、俺が何もしていない。城を辞めて、この町に来て、せめて近くにいようと思った」


「近くにいて、何をしたんですか」


「……聞いていた。城からの鐘の音を」


私は息を呑んだ。


「港町まで届くはずがない。城からここまで馬で五日の距離がある。でも——ごく微弱に、残響が届く。精密な時計と、俺の耳があれば聞き取れる。三年間、お前の鐘の残響で工房の時計を合わせていた」


三年間。


ノアさんは三年間、私の鐘の音を聞いていた。城の鐘楼で一人きりで撞いていた私の音を、馬で五日離れたこの工房で。


「なぜ、言ってくれなかったんですか」


「言えなかった。言えば——お前を城に送り込んだのは俺だと言わなければならない。お前が城で五年間、代わりがいると言われ続けた場所に送ったのは俺だと」


ノアさんの手が震えていた。工具を握る手が、精密な作業をこなす手が、今は何も掴めずに震えていた。


「すまなかった」


頭を下げた。深く。


私は立ち上がった。椅子が床を擦った。ノアさんが私のために高さを変えた椅子が。


言いたいことが溢れていた。怒りがあった。五年間の鐘楼の孤独を、この人が作ったのだという事実。けれど同時に、この人がその孤独を三年間かけて聞き続けていたという事実。


何を信じればいいのか分からなかった。


「ヘルツさん」


名前が変わった。自分の口から出た瞬間に気づいた。「ノアさん」ではなく、「ヘルツさん」。距離が、戻った。


ノアさんの——ヘルツさんの肩が、わずかに揺れた。


「今は——整理がつきません」


それだけ言って、私は工房を出た。


夕方の鐘の時刻が来た。


港を歩き回って、何も考えられないまま時間が過ぎて、気づけば工房の前に立っていた。


鐘を撞かなければ。夕方の鐘。一日三回。それが私の仕事だ。ヘルツさんに雇われた仕事だ。ヘルツさんが——最初から、私の力を知った上で用意した仕事だ。


工房に入った。ヘルツさんは作業台にいなかった。奥の部屋にいるのかもしれない。いないほうがよかった。


小鐘の前に立った。撞木を手に取った。


手が震えていた。


五年間と同じように。城の鐘楼で、朝と昼と夕方、毎日毎日繰り返した動作。あのとき私は知らなかった。この手に魔力があることを。この鐘の音が時計を校正していることを。そして、私を鐘楼に送った人がいることを。


仕事だから撞く。それだけだ。誰のためでもない。この町の時計のために。マルタの市場のために。船長たちの出港時刻のために。


撞いた。


音が広がった。小さく、澄んだ——けれど、いつもと違った。


音が震えていた。


鐘の音に、私の手の震えが乗っていた。時計たちは動いた。針は揃った。校正は機能した。けれど音の輪郭が、ほんのわずかに歪んでいた。いつもの真っ直ぐな音ではなかった。


これが、私の音だ。


感情が乗る。手が震えれば、音も震える。正確にしようと思えば正確になり、乱れれば乱れる。私の鐘は、私そのものだ。


撞木を鐘の横に戻した。手のひらに汗が滲んでいた。


港の桟橋に座っていた。


夕日が海に沈んでいく。波が桟橋の柱を叩く音が規則的に繰り返される。


あなたが私をあの鐘楼に送った。五年間、代わりがいると言われ続けた場所に。私の鐘が特別だと知っていて、それでも誰にも教えず、私一人にあの塔を任せた。


恨むべきだろうか。感謝すべきだろうか。


分からなかった。分からないまま、波の音を聞いていた。


工房の窓に、灯りが点いた。ヘルツさんが中にいる。いつもの時間に、いつもの場所で、いつものように時計を直している。


あの灯りの下で、三年間、私の鐘の残響を聞いていたのだ。


今日、ヘルツさんは私を「お前」と呼んだ。一度だけ。言い直す前の、一瞬だけ。


私は「ヘルツさん」と呼び直した。距離を戻した。戻さなければ、自分が壊れると思った。


波の音が続いていた。鐘の音はもう消えていた。震えた音の残響も、とうに海に溶けていた。

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