労働後の風呂の気持ちよさは格別(2/4)
本日二話目。次話の投稿は18時頃です。
水堀の補修工事を終えて街へと帰還した。依頼を終えたなら武侠者組合に行って受領書を換金するのが仕事の流れだが、何日も泥水に浸かって土木作業をしていたので先に風呂でさっぱりしたい。組合に寄ってから飲みに行くという連中の誘いを断って、俺はお寺さんが運営する湯屋と呼ばれる銭湯に行くことにした。
お寺さんが湯屋を運営するのは、庶民に浴室を開放して入浴を促すという施しの一つらしい。まあ施しといってもタダではなく、お布施という名目で利用料金は取られるそうだが風呂に入れるのは素直にありがたい。お湯を沸かせる程度の弱い神通力を持つ人間を集めて運営しているそうで、蒸し風呂とかではなく肩まで浸かれる湯が常にあるらしい。いやあ楽しみだ。
お寺さんの経営する湯屋は、坊さんが寝泊まりする僧房に併設されていた。この時代は混浴が普通だが、尼僧の僧房の方には規模は小さいが女性専用の湯屋があるらしい。なのでこっちの混浴の湯屋には男に裸を見られても気にしないおばちゃんとか、湯女という身体を洗ってくれるサービス+αを提供する商売女しかいない。
浴場に続く広間には棚があり、そこに脱いだ服とか荷物を置いて入る。このあたりの造りは現代に通ずるものがあるな。といっても防犯とかモラルとかは期待できないんで貴重品は持って入るがな。
広間に入っていくとぎょっとした感じの視線がそこここからやってくる。この時代の人間とは大人と子供なみに身体の大きさが違うから、こちらにその気がなくとも威圧されるんだろう。シャツ代わりの小袖と腹巻き、七分丈洋風ズボンとふんどしを脱いでまっ裸になる。ふんどしは泥水でヤな感じに色が変わってしまった。水で濯いだが色は落ちなかったのだ。湯屋の表に開かれた屋台から洗剤代わりの糠袋を買ったので風呂で洗おうと思う。俺はふんどしと糠袋とレンタルされてた湯桶を持って浴場に入っていった。
「──うん、まあ、わかってたけどね」
目の前にはごった返す裸の男の群れ。湯船には芋洗いどころか赤福餅なみにぎっちぎちに人が詰まっている。サウナと違って木戸が開け放たれ、外の光が入ってきて浴場の中は明るい。給湯槽から流れ出る湯が樋を伝って湯船に注がれ、その樋からひしゃくで湯を掬って洗い場で身体を洗うという仕組みらしく、意外に衛生的なシステムでそこは嬉しい。給湯槽には湯を沸かせる神通力持ちが外から給湯しているのだろう。
気を取り直して洗い場に向かう。ここも混んでいるが湯船ほどじゃない。並んでる人の隙間に身体をねじ込んで場所を確保。怪訝な顔をされるが俺の筋骨隆々な肉体が目に入るとそっと目を背けてスペースを空けてくれた。鍛えてて良かった。いや、わざと威圧して嫌な気分にさせたいわけじゃないんだ。すまん。
桶に柄杓で湯を溜めて頭からざぶっとかぶる。暖かい湯が頭頂から流れ落ちる感触が気持ちいい。何回か湯で身体に着いた泥や垢を流し落としたら、糠袋を桶でちょっと揉んで湯を含ませてから身体をこすって洗う。頭から顔から全身を糠袋一つで洗う。シャンプーとかトリートメントとか無いからしゃあない。
身体を洗ってる途中で後ろからベテランっぽい湯女さんが洗いましょうかと背中をさすりさすり声をかけてきたが断った。俺は風呂では純粋にゆっくりしたい派なんだ。
身体を洗ってピカピカになったら、ふんどしを洗う。糠袋では漂白できないが最初よりは多少マシになった気がする。…古着屋で替えを買った方がいいかもな。
身体を洗ってさっぱりしたが湯船は相変わらず人が多い。ろくに身体も洗わず風呂に浸かる馬鹿が多いから湯も汚くなる。この民度見ると切実に道徳教育をして欲しいと思うよな。せっかくきれいにしたのに汚い湯に浸かるのは気分が下がるので残念だが出ることにした。
夕暮れ時になり日中の暑さも和らいだ湯屋の外に出て、屋台で味噌を塗って焼いた餅とお茶を買って長椅子に腰かけて食う。高台にある境内から赤く照らされた街並みを眺めるのも乙なものだ。
湯上りのけだるさを楽しんだら街へ降りて武侠者組合へ向かう。日が落ちても街は明るい。魔物を資源とした光源が普及しているからだ。街灯に照らされた通りには沢山の人々が行きかい、運河を進む船にも荷物が満載され、商店も開けたまま暗くなっても仕事をしているようだ。
光源のおかげで人の活動時間は飛躍的に伸びた。だからこそ「堺」は史実よりも発展したのかもな。いや、偉そうなこと言ったけど俺も実際の史実は知らんけど。ただどう考えてもこの世界の「堺」は進歩しすぎやろ。丁髷や日本髪に着物姿の人が基本ではあるが、近代的な髪型で洋服の人とか外国人とかが街中を普通に闊歩してるし。明治維新でも起きました?ってぐらいには発展しているな。まあ便利な分には大歓迎やからええけど。
武侠者組合の入り口の両脇には灯篭のような明かりが据え付けられていて、日は落ちたが組合もまだ開いていることを表している。中に入ると朝ほどは混んでいないが職員も忙しそうに働いていた。美人受付嬢のナツメさんの窓口が空きそうだったので列に並んだ。
「──次の方どうぞ」
「お疲れさん。精算よろしく」
髪を後頭部で纏めてお団子に纏めた黒髪と、顔の脇に流れるおくれ毛がセクシーで美しい受付嬢に受領書を渡して支払いをお願いする。
「こんばんわ。お疲れ様ですサバさん」
ナツメさんは俺を憶えているのか、こちらを見てニコッと笑って返事を返してきた。
「堀の補修工事の件ですよね?聞いてますよ大変でしたね」
「白い厄介な魔物のせいで現場がてんやわんやで大変だったよ」
ちょっと大げさにヤレヤレのポーズをとってみる。
「ふふっ、くねくねですよね?アレが討伐されるのは珍しいんですよ。近寄ろうとすると逃げるし、稀に近づいてくるのは好戦的で危険度が跳ね上がりますし、被害なく倒してしまったサバさんは凄いです」
被害0ではないが素直な賞賛が気持ちいいので訂正しないでおく。ナツメさんは魔物に詳しいようだ。聞いてみると、この街近辺に現れる魔物の生体はすべて頭に入っているそうだ。
「魔物のことはこの仕事には必須知識ですからね」
はにかんで謙遜するように答える彼女の態度に好感が持てる。こんな荒くれの多い職場で仕事してることが心配になるピュアさだ。他の職場紹介しよかって老婆心がわきそうだわ。他の職場紹介する伝手なんてないのにな。
「──補修工事の報酬はこちらになります。上乗せ分と魔物の討伐報酬については査定が済み次第お支払い致しますので、こちらの査定票を持って明日以降、こちらの窓口で確認していただけますか?」
さすがナツメさん、雑談をしつつも事務作業はしっかりと進めていたようだ。金額に間違いがなかったので査定票と一緒に腹巻に突っ込んでおく。ナツメさんに礼を言って武侠者組合の建物を後にした。
今日の晩飯は市場通りのうどん屋台に入ってみた。かつお出汁っぽいスープに甘辛く煮込んだ鯨肉(?)がトッピングされた肉うどんだ。鯨ではなく海魔の肉らしいが味の違いはあんまわからんかった。ちなみに堺では庶民向け屋台に黒糖が出回るぐらい琉球貿易も盛んだ。この街の食文化の豊かさはこの和風異世界でも日の本一なんじゃないだろうか?他の戦国大名の支配地って争いばかりで景気の良い噂話を聞かないし。
そう、ここは織田信長が活躍する戦国時代真っただ中なのだ。詳しいことは知らんが近畿は三好家ってのが支配してて、奇特にも堺の商人自治も保障してくれてるから他に比べて自由で住みやすいらしい。
前世でも歴史はラノベ知識ぐらいしかなかったし、そもそも魔法や魔物ありの和風異世界が同じ歴史を辿るかわからんから、これからの情勢の動きが前世の史実通りに三好が織田に敗けるとも限らん。俺としては堺での暮らしは気に入ってるので、なるべく今の平和が続いてほしいなぁ。
出汁の効いたうどんスープを最後まで飲み干して、ごっそさんと言って屋台を出る。代金は先払いだ。前世の夜とは大違いのクリアな星空を眺めながら宿に戻る。宿では女将さんが通りの街灯を明かりに水仕事をして起きていた。俺は挨拶をしてすぐ部屋に引っ込むと労働の疲れがあったので、すぐ眠ってしまった。
次の日、大いに寝過ごした俺は太陽が中天を傾いたころに起きだした。女将さんの朝飯を食い損ねたので近所の屋台で串に刺した焼き魚を10本買ってすませた。
ちょっと筋トレをしてから武侠者組合へ行くと、午後の時間帯の割には人が多い。銅級の掲示板に張られた複数の求人票が目当てのようだ。鉄級の俺には関係ないので人ごみかき分けて見に行くほどじゃないが、昨日の査定結果を聞くついでにあの人ごみについても聞いてみるかと、受付嬢のナツメさんの窓口を見てみると、案の定No.1受付嬢は順番待ちの列が一番長い。しょうがなく隣のうらなりびょうたん青年の列に並んで順番を待ってると、ナツメさんと若い武侠者達の会話が耳に入ってきた。
「──なあなあ、大人気の寄席の良い席が取れたんだ。ナツメちゃんも一緒にいかねえ?」
「ああ、あの面白いって話題の寄席ですかぁ、興味はあるけど仕事が忙しいのでちょっと遠慮しときますね」
ナンパ野郎に言い寄られてるみたいだ。やんわりと断るナツメさんに脈ありと勘違いしたのか、しつこく誘うナンパ男。それを止めるために俺が割って入るタイミングを計っていると、そのナンパ男のツレの男が先に止めに入った。
「おい、いい加減やめとけ。ナツメさんの旦那さんにシバかれるぞ」
「えっ!?既婚者なの!?」
「銀級で武侠者組合の重鎮だ。下手に目を付けられるとヤバいぞ」
「マジかぁ」
いやほんとマジかよ。ナツメさん人妻だったのか……まあ美人だもんな。そら、男どもが放っとくわけないわな。ちょっとショック。何が始まってたわけでもないんだがなんとなく。俺は前世を引き摺ってるんで所帯を持つ気はないキリッ!とか言ってたが、まあ美人に会うとなんか期待しちゃうんだよな。これが男の性質か。
なんとなくいたたまれなくなって、うらなりびょうたん青年から査定票の報酬を受け取るだけで、掲示板前の人ごみのことを聞いたりせずに、さっさと武侠者組合を出てきてしまった。まだ晩飯には早い時間なので市場を冷やかしに行くかな。
市場の金物屋で前世でも使ってたような片手鍋を見つけた。雪平鍋だっけ?こういった形の鍋がこの時代からあったとは知らんかったが便利そうなので買っておく。宿の厨房も薪代を出せば使わせてくれるらしいから前世でも料理は好きだったのでちょっとやってみるかな。俺が他にも調理器具を探していると、後ろから知った声が話しかけてきた。
「──サバさん、お久しぶりです。先日は道中ありがとうございました」
「ん?ああ、堺まで護衛したときの…」
「はい。水元屋の主人の与三郎と、その荷物持ちでご一緒させてもらった弥吉です」
以前住んでいたところから堺の街まで旅する時に、案内の礼に護衛してやった商人のお付きの若者だった。名前も聞いてたはずなんだが記憶に残ってなかったわ。
「主人があの時のお礼をと言っておりましたので、あっしどもの店はすぐそこなので、ご迷惑でなければご足労いただけませんか?」
やけに丁寧な物腰の若者だ。歳は今世の俺と同年代だろうか。月代もキレイに剃って手入れされている。主人と二人旅をしてたということはそれなりに腕っぷしもあるんだろう。キッチリ着こなした着物の上からでも鍛えた筋肉がうかがえた。特に断る理由もないので弥吉について水元屋に案内してもらうことにした。
「──お久しぶりです。サバさん。先日はありがとうございました」
「お久しぶりです。与三郎さん。お元気そうで何よりです」
無頼漢の見た目の俺が丁寧に挨拶を返したことが面白いのか、にこやかに主人が自ら店の奥に案内して、上がり框に腰を下すのを勧めてくれた。水元屋は庶民が使う焼き物の販売店だが、陶器など高価なものも扱っている。店の奥はブースが分かれてそういった高価なものが集められているようだ。俺が陶器を眺めていると、下女がお茶を持ってきてくれた。お茶は水出しで、この暑い季節には嬉しい心遣いである。
茶を飲みながら堺に来てからのことを話していると、どこかに出ていた弥吉が戻ってきて書類を主人に手渡した。仕事関係ならジロジロ見るのもまずかろうと視線を店の表に向けるが、俺の動態視力は書類に書かれた「鉄級武侠者サバ」の字を拾っていた。武侠者組合の資料だろうか?なんとなく履歴書を見られてるような気になって気恥ずかしくなる。与三郎が数秒で書類に目を通すと、こちらに顔を向けてきた。
「すみませんサバさん。ちょっとお願いしたいことがあってサバさんの武侠者組合の経歴を読ませてもらってました」
やっぱり履歴書だった。今の時代にプライバシーとかは無いよね。まあ正直に謝罪するだけ人間的に出来た人なんだろう。与三郎は話を変えるように居住まいを正すと、俺を店に招いた経緯を話しだした。
「サバさんにお仕事を依頼したいのですが、10日ほどご予定は空いていますか?」
「ええ、予定はないので仕事内容によっては受けてもいいですが」
与三郎の話によると、俺に頼みたい仕事は祭祀の警護役とのことだ。弥吉が武侠者組合に銅級依頼を出しに行ったが、一時的な人材不足のせいで人が集められなかったらしい。途方にくれた弥吉が帰り道で俺を見かけて、以前の護衛の時の腕を見込んで店に連れてきた。急遽、武侠者組合の資料を照会して、鉄級だが実力に問題なしとなって仕事の話をしているということだった。
「祭祀というのはこの地に集まる陰気を祓う儀式で、今回は街の東にある沼地の陰気を祓うついでに使えるようにしようという話ですね」
「ほうほう、その祭祀は水元屋さんが行っているんですか?」
「いえ、私どもではなく、祭祀は寄り親である和泉屋さんが仕切られてますね」
水元屋は和泉屋の傘下の商店の一つで、和泉屋から傘下に警護人材の斡旋の依頼が下りてきたらしい。堺の街は会合衆と呼ばれる四つの大商会の合議制で運営されており、祭祀をつかさどる和泉屋がその大商会の一つとのことだ。定期的に行われる祭祀では銅級武侠者に警護依頼が出されるのが通例だったが、今回は同時期に大口の依頼が重なったために銅級の人材が不足してしまったらしい。
「会合衆の仲の悪い商会同士の角の突き合いに、和泉屋がとばっちりを受けた感じです」
「武侠者組合の掲示板に人が集ってたのはソレですか」
水元屋からは弥吉と、もう一人として俺に出てほしいとのことだ。高確率で魔物との戦闘があるが、俺の実力なら問題なかろうとの判断だということだ。話を聞いて無理な仕事ではないので受けることにした。武侠者組合を介さない仕事なので簡単な契約書を交わして、前金に半分の金額が貰えることとなった。目の前に置かれた紙幣の詰まった熨斗紙の中を見てちょっと思考が横道に逸れる。
「どうされました?」
「ああ、いや、紙幣の絵が緻密で美しいなと…」
今までさらっと触れずに流していたが、なんと大阪の都市部では紙幣が使われているのだ。通貨単位が「銭」で金額の桁数も現代と同じと、わかりやすさ優先の異世界日本と思っていたが、硬貨しかなければ余裕で足りなくなるし、持ち運びに不便すぎて破綻するわな。紙幣の新しさから発行元が近場にあると思われるが、通貨発行権とか凄い利権のヤバい臭いがする。
「この紙幣って堺で刷ってるんですかね?」
「はて?会合衆の預かりとは聞いてますが、どこでとは…」
うん、あんまり突っ込まないでおこう。水元屋さんが堺でどんなポジションかわからんが、どこぞの間者と疑われても嫌だしな。
後日、水元屋前に集合して弥吉と現場に向かう約束をした。日も落ちたので夕餉に誘われたが固辞して俺は店を後にしたのだった。
次話の投稿は18時頃です。