【第74話】猫たちのしっぽ、風のなかで
春が、もうすぐ終わろうとしていた。
朝起きると、リビングには薄い日差しが差し込み、
ゴローちゃんはテーブルの脚に頭を押しつけて寝ていた。
シロさんは窓辺で、じっと外を見ている。
そのしっぽが、ぴん、と立った瞬間──
私は、不意に**“あの日の光景”**を思い出した。
あの春の夜。
埠頭の風のなかで飲んだ、濃いセイロンティー。
そして、突然飛び出してきた猫。
……しっぽが、まっすぐだった。
まるで、「こっちやで」と導くみたいに。
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紅茶のポットを出そうと、棚を開けると、
奥の方に一冊のノートがあった。
昔、ふたりでつけていた「未来のアイデア帳」。
紅茶のお店のスケッチ、
ゴローちゃんとシロさんの似顔絵、
古い地図にマーカーで書き込んだドライブコース。
その1ページのすみに、ふとした走り書きがあった。
“一緒に暮らしている春、風が吹いたら、また行こう”
“猫たちが合図してくれるはずやから”
その字は、あの頃の私たちのものだった。
けれど──記憶にはない。
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ハルくんに見せると、
彼はしばらく黙ったあと、うん、と小さくうなずいた。
「なぁ、ケイコ。今度の土曜、行こか」
「うん。行こ。あの海まで」
ふたりとも、何も言わなかったけど、
たぶん同じことを感じていた。
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猫たちは、何も語らない。
でも、あの春の日から今日まで、
ちゃんと、私たちを“今”へと導いてくれていたんだと思う。
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シンタが学校の宿泊学習に出かけた週末の朝。
ゴローちゃんとシロさんは、何かを知っているような顔で、
車の後部座席に収まった。
カリブではなく、ハスラーでのドライブ。
それでもいい。
もう、どの車でも構わない。
「ちゃんと、またここから始める」
「もう、誰にも言われなくても、大丈夫やから」
助手席で私がそう言うと、
ハルくんは静かに笑った。
Bluetoothから流れてきたのは、
“懐かしいけど、たぶん今作った曲”だった。
ゴローちゃんのしっぽが、風に揺れていた。
そのリズムに合わせて、私たちの春がまた始まろうとしていた。




