【第69話】監視と沈黙
それからの日々は、
誰かが見ていなくても、誰かに見られているような毎日だった。
家の中には沈黙が満ちていた。
食卓には会話がなく、テレビの音だけが流れている。
母は何も言わない。姉も黙って、私の部屋のドアの前を時々通る。
兄は、私の外出の予定をいちいち訊くようになった。
父は、朝になると一番に出て、夜遅くに帰ってくる。
顔を合わせることは、ほとんどなくなった。
……でも、それでもわかった。
父は、怒っていた。
まだ、怒っていた。
いや、それ以上に、きっと──失望していた。
•
ハルくんのことは、話さなかった。
話せる空気でも、言葉でもなかった。
たまにカセットを再生すると、
彼と一緒に聴いた音楽が流れ出した。
達郎のメロディ。ユーミンの歌詞。
どれも優しくて、どこか遠かった。
ノートを開いてみても、ペンが進まない。
「紅茶の店」という言葉すら、今の私には遠くて冷たく感じられた。
•
でも、そんな中でも、時々ふと、
彼が今どうしているかを想像してしまう。
元気でいるかな。
ちゃんとごはん、食べてるかな。
あのあと、泣いたりしてないかな。
……私が泣かなかったのは、
たぶん、泣いてしまうと本当に終わってしまいそうだったから。
•
ある日、部屋の窓から外を見ていたら、
ひとりで歩いている野良猫を見かけた。
茶トラで、体の下半分と顔の鼻と口の周りが白かった。しっぽがまっすぐ天に伸びていた。
不意に涙が込み上げた。
誰にも見られていないことを確かめて、
そっと目をぬぐった。
•
「……また会いたい」
声に出すと、心の中で鍵が開いたような音がした。
そしてその音だけが、
私の中の春を、少しだけ留めてくれた。




