【第66話】春の終わりと、ふたりでつくるはじまり
小さな猫と別れてから数日後、
季節ははっきりと“夏の手前”に差しかかっていた。
僕たちは、あいかわらずゆるやかに会い、
紅茶を飲んで、音楽の話をして、
未来のスケッチを少しずつ重ねていた。
でも──
その中でふと感じた。
このままでは、いずれこの時間は途切れてしまう。
ケイコはまだ中学生。
僕は、それなりの年齢と、それなりの生活と、仕事と、責任を持っている。
だから、今のこの時間が“奇跡の延長”であることは、
ずっと分かっていた。
そして、ある午後。
彼女のほうから、先にその話を切り出した。
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「ハルくん」
「ん?」
「私、もうすぐ期末テストあるねんけど、
終わったら、いっこ考えてることがあんねん」
「なに?」
「高校、遠くてもええから、
好きな勉強できるとこ行きたい。
進学しても、夢、諦めたくないから」
僕はうなずいた。
「ええと思う。遠くても、関係あらへんよ。
ケイコが決めたなら、ちゃんと応援する」
「ありがとう。
それと──もうひとつ」
「ん?」
「少し、距離を置こうと思う」
ケイコのその言葉を、僕は静かに受け止めた。
理由はちゃんとあった。
お互いを大切に思うからこそ、それぞれの道を一度歩こうとする。
そんな静かな決意と覚悟の共有。
けっして“別れ”ではなかった。
それはむしろ、“会えなくても続けていく”という、覚悟の言葉だった。
「私、ちゃんと未来でハルくんに再会したい。
そのときに、“選んで来た”って言いたい。
だから──今は、ちょっとだけ、時間をください」
「俺も、いまのままじゃなくて、“これからの自分”で会いたい」
彼女が小さく笑った。
それは、泣きたいのをこらえているような、
でも、きちんと強い人間の表情だった。
•
帰り道。
並んで歩いた最後の五分間。
その間、僕らはなにも話さなかった。
でも、言葉にしない約束が、ちゃんとその沈黙に宿っていた。
駅前の交差点。
「ここからは、また“自分の道”やな」
「うん。でも、
“どこかで”じゃなくて、“またここで”って信じてるから」
僕はうなずいた。
ケイコは少しだけ手をあげて、
そのまま、駅へ向かって歩き出した。
その後ろ姿を見ながら、
僕は確かに思った。
**
この春の時間は、もう過去じゃない。
いまを支える、確かな始まりだったんやって。
だから、その日ふたりは静かに別れた。
……けれど。
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その数日後、僕たちの意志とはまったく関係のない場所から、
“終わり”がやってきた。
通っていた中学校に、一本の通報が入った。
「生徒の不純異性交遊について、確認してほしい」
差出人不明の、正義感とも悪意ともつかない電話。
それは、春の終わりを告げる、静かで冷たい雷鳴のような通報だった。




