【第54話】会えない日の祈り、閉じたノートと消せない星
朝、制服の襟を整えて、
ごく普通の顔で学校に行く。
教室では笑って、ノートもちゃんと取って、
友達の話に頷いて、先生の質問にも答える。
「ふつうの中学生」の一日。
でも、家に帰って部屋のドアを閉めた瞬間、
世界の音がすべて遠くなる。
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机の引き出しには、ポストカード。
見つからないように、何枚かの便箋に挟んでしまってある。
でも毎晩、灯りを消す前に、それをそっと取り出して、
小さな星印をなぞるのが習慣になった。
「また、ここで」
そう思った場所は、
もう、“ここ”ではなくなった。
でも、それでも──
想いだけは、ここに残っている気がして、手放せない。
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ハルくんの顔が、思い出せなくなるのが怖い。
声も、目線も、
紅茶の湯気越しに見た横顔も、
助手席でふと笑ったときの目尻のしわも。
だから、全部をノートに書いてみようとしたけど、
書いたそばから泣きたくなって、ページを閉じた。
代わりに書いたのは、こういう言葉だった。
「好きやって、書いたら消せへん気がして。
でも書かんかったら、消えてまう気がして。
だから星印にしとく。
星は、誰かが見上げたら、また光るから。」
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夜、ベッドの中で、こっそり耳にイヤホンを入れて、
久保田のバラードを聴いた。
ラジオから録音したカセットの、ちょっとこもった音。
でも、その曇り具合が、今の私の気持ちにちょうどよかった。
“叶わないものならば いっそ忘れたいのに…”
曲が終わるころには、
ハルくんの声が、胸の奥に浮かんできた。
「俺、ちゃんとおるように頑張るわ」
今すぐじゃなくていい。
でも、ちゃんと、また会いたい。
できれば──
笑って「久しぶり」って言える距離で。
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目を閉じると、また夢にあの街が出てきた。
金沢。
ひがし茶屋街。
木の戸を開けたときの、あのベルの音。
でも、夢の中の私は、もう一度あの扉を開けるのを、
なぜか迷っていた。
だけどそのとき、背中に“ふわり”とあたたかい毛の感触。
振り向くと、ゴローちゃんだった。
……いや、ゴローちゃんに似た猫。
その猫が、私の脚にすり寄って、
小さく「ニャ」と鳴いた。
そして目が覚めた。
夢は終わったけど、
その猫の感触だけが、なぜかリアルに残っていた。
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「また、会える」
その根拠のない感覚だけを信じて、
私はまた、星をひとつ増やした。
今度は、
ふたりで見上げる夜空の星を、
ノートの片隅に小さく描いた。




