【第50話】夜の入口、カリブの胸騒ぎ
午後四時すぎ、
カリブは金沢の市街地を出て、国道8号線を南へと走り始めた。
今からなら、ケイコを遅くなったとしても九時までには送り届けられるだろう。
中学生としては、なかなかにギリギリの時間ではあるけれど。
陽はまだ高かったけれど、
帰り道に入ったという事実が、
ふたりの間にどこか名残惜しさのようなものを流し始めていた。
助手席のケイコは、
さっきまで夢のようなまなざしで街を見つめていたのに、
いまは窓の外に流れる田園風景をぼんやりと見ている。
「……帰りたくないな」
ぽつりと、彼女が言った。
「うん。
でも、帰らなあかん日って、どんなにええ旅でも来るんよな」
「私、今日のこの日が、終わるの怖いわ。
そしたら、さっきまでのことが“思い出”になってまうやん」
僕は黙って頷いた。
その気持ちは、僕の中にもまったく同じかたちであった。
だからこそ、まだ“今日”を引き延ばしていたい。
そう思いながらも、道はゆるやかに家路へと戻っていく。
•
高速に乗るつもりで、白山インターの手前まで来たところで、
カリブのアクセルに、違和感を覚えた。
踏んでも、すこしだけ反応が鈍い。
しかも、赤信号で止まった瞬間、
エンジンの回転数が不自然に低く落ち込んだ。
「……あれ?」
気づいたときには、ボンネットの向こうからうっすらと湯気が上がっていた。
「なんか、ニオイせえへん?」
ケイコが言った。
僕は路肩に車を寄せた。
「ちょっと見てくるわ」
ボンネットを開けると、
ほんのり甘いにおいとともに、ラジエーターのキャップの周囲がうっすら濡れていた。
「たぶん、オーバーヒートぎみやな……。
冷却系、どっか抜けてるかもしれん」
近くに修理工場はなく、
ナビもない時代。
スマホももちろんない。公衆電話を探すにも、この辺りはほとんどが田園と倉庫。
「とりあえず……ちょっと休ませよか」
しばらくその場に車を停め、窓を開けて風を通した。
ラジオからは、懐かしい女性ボーカルのAOR。
知らない曲だったけれど、不思議と空気に合っていた。
ケイコが、静かに言った。
「私ら、帰られへんかもな」
「……せやな。
最悪、車中泊やな。
寝袋、積んできててよかったわ」
「ほんまに寝る気やったん?」
「いや、なんとなく。……でも、たまにこういう旅もええんちゃう?」
ケイコは笑って、
窓から差し込む夕陽に目を細めた。
「私、怖くないよ。
ハルくんがおるから。
それに……今夜は、まだ“今日”の続きやもん」
•
ふたりは、
その日が“終わらない日”になることを、
まだ信じていた。
そしてそれが、
翌朝、ふたりを待ち受ける“現実”の強さを、まだ知らずにいた。




