表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の向こうに、君がいた。  作者: 宮滝吾朗
5/77

【第5話】十三の街と、25歳の靴音

道がやけに広く見えた。

いつもなら混んでいるはずの交差点に、タクシーが一台、ゆっくりと信号待ちしているだけだった。

車体には「電話予約可」という文字。見覚えのあるフォントだったが、どこか古くさく感じた。


「……なんかおかしいな」

そうつぶやきながら、僕はスプリンターカリブを停め、ドアを開けて外に出た。


風が冷たい。指先がかじかむほどの空気の中に、焼きそばとバターの香りが漂ってくる。

十三の高架下。あのごちゃっとした居酒屋街が、やけにすっきりと整っていた。


「あれ?“いっとく”って、こんなとこにあったか?」


ふと気づくと、駅前のコンビニがローソンではなく「サンエブリー」になっていた。

壁に貼られたポスターには、《少年隊・初ドームライブ決定!》の文字。


自分の脳内がどうにかなっているのか、それとも街そのものがおかしいのか。

なんとなく歩き出すと、足元がやけに軽かった。靴が新しい。

ふとしたはずみで、ガラス戸に映った自分の姿を見て、胸がざわついた。


肩にかかるジャケットのライン、ジーンズの腰の位置、髪のボリューム。

どう考えても最近の自分じゃない。

「まさか……」


急に喉が乾いて、自販機を探した。

駅のホーム下にあったベンダーは、昔懐かしい「アクエリアス」や「ピンクレモネード」の缶がずらりと並んでいる。

財布を取り出すと、千円札の顔が野口英世ではなく、夏目漱石だった。

僕は慌てて、十三駅の売店に並ぶ新聞を無造作に手にとって日付を見た。


1990年1月6日(土)


ここまできてようやく、僕は思った。

——これは夢じゃない。

でも、理由もルールもわからない。

ただ、ひとつだけ確かなのは、この世界がかつて自分が確かに生きていた1990年そのものだということだった。


喫茶店「バンビ」の赤いテントを見つけて、ふと足を止めた。

大学時代、よくここで広告研究会の打ち合わせをしていた。

今でもチョコレートパフェが信じられないくらい大きかったことを覚えている。


扉を開けると、小さなベルが鳴った。

奥の席に学生服のカップルが並んで座っていた。テーブルにはパフェとクリームソーダ。

BGMはFM大阪。スティービー・ワンダーの「I Just Called to Say I Love You」が、ゆったりと流れていた。


僕は窓際の席に腰を下ろし、ブレンドを頼んだ。

カップを持つ手が少し震えた。


「俺、どうしたらええねん……」


思わず漏れた声をかき消すように、扉が開いて冷たい風が入ってきた。


制服姿の少女が、一人で入ってきた。

すっと視線を向けると、彼女は一瞬、こちらを見たような気がした。

けれどすぐにカウンター席に腰を下ろし、ホットミルクを頼んだ。


妙な既視感に飲み込まれつつ、僕はまだ混乱していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ