【第48話】記憶に似た町の名前
商店街の小さな古本屋。
雨上がりの午後、待ち合わせまで少し時間があった僕は、ふと軒先のワゴンに目をやった。
並んでいたのは、文芸誌や昔の旅の雑誌。
色あせた表紙の中に、一冊だけ妙に目を引くものがあった。
『旅と風 ’89 春号』。
特集は、《加賀百万石の記憶、金沢を歩く》。
表紙には、土塀と黒瓦の街並み。
格子戸の並ぶ長町武家屋敷跡。
そして、しっとりと濡れた石畳を歩く和傘の女性の後ろ姿。
雑誌をめくると、中ほどにあった見開きに心を奪われた。
白黒写真。
ひがし茶屋街の入り口にある小さな喫茶店と、そこに差し込む斜めの光。
……ここ、知ってる気がする。
写真の中の空気が、僕のなかのどこか遠くの感覚を揺さぶった。
「ハルくん」
声に振り返ると、ケイコがいた。
ブラウスに、淡いグレーのカーディガン。春の光の色に似合っていた。
僕は、いま開いていたページを彼女に見せた。
「金沢って、行ったことある?」
「ない……と思う。
でも、私、ここ知ってる。……たぶん」
指差したのは、あの喫茶店の写真だった。
「夢で見た気ぃする。
木の扉の横に、小さな丸いベルがあってな。
それを鳴らすと、中からおばあさんが出てくるねん。
あったかい紅茶と、くるみの入ったケーキが出てきて──
……って、変な話やな?」
「変ちゃうで。
俺もちょっと、そこ行ってみたなって思ってたとこやった」
ケイコが、ゆっくりうなずく。
「行ってみたい。そこに行ったら、
もしかしたら“全部つながる”気がする」
•
出発は、次の土曜日。
目的地は金沢──夢と記憶と、まだ言葉にできない気配が向かう先。
もちろん、中学生の女の子を連れて一泊するわけにはいかない。
でも車の中には万が一の念のための寝袋。
後部座席には、紅茶のティーバッグと、懐かしい音楽を詰めたカセット数本。
「……まさか、1990年に“カリブで金沢”なんて旅するとは思わんかったな」
エンジンをかけながら独り言のように呟く。
でも、カーステレオに差し込んだ『キー・ラーゴ』が静かに流れ始めたとき、
この旅は「きっと意味のある時間になる」と、確信した。
ケイコの横顔を目の端に捉えながら、カリブは名神を上り、米原JCTに向かう。。
助手席の窓には、春の光がキラキラと反射していた。




