【第13話】十三歳の記憶のかけら
ときどき、自分が夢の中にいるような気がするときがある。
電車の中で、駅のベンチで、教室の窓から空を見ているとき。
周りの音が急に遠くなって、自分の存在だけがふわっと浮いているみたいに感じる瞬間。
そして、気づくと必ず、どこか懐かしい風景を思い出している。
それはまだ経験していないはずの記憶。
でも、確かに“知っている”感覚。
——たとえば、ベースの弦を指で弾く感覚。
——食卓で猫が膝に乗ってくる温かさ。
——誰かと手をつないで、海の音を聞いていたあの夕暮れ。
ありえない。だって、そんな経験、していないのに。
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土曜日の午後、私は図書館にいた。
最近、静かな場所が落ち着くようになった。
友だちと騒ぐのも嫌いじゃないけど、本のページをめくる音のほうが、なんとなく安心する。
棚から引き抜いたのは、詩集だった。
特別に好きな詩人がいるわけじゃない。でも、言葉のひとつひとつを追っていくと、少しだけ心のノイズが消えるような気がした。
そのときだった。
誰かの視線を感じて、本の影からそっと目を上げた。
ひとりの男の人がこっちを見ていた。
背は高くも低くもなく、肩と胸が厚く、コートのポケットに手を入れたまま、やさしそうな目で微笑んでいた。
「その本、面白い?」
少し驚いたけれど、なぜか怖くはなかった。
むしろ、どこか懐かしい声だと思った。
「うん……ちょっと難しかったけど、面白い」
そう答えたあと、彼は一冊の本を手渡してくれた。
『ことばの手ざわり』
変なタイトル。
でも、ページを開いた瞬間、胸が少しだけきゅっとなった。
その人が言った。
「触れるというより、沁みるって感じかな」
“沁みる”って、あんまり普段使わない言葉だけど、
なんとなくそのときの空気にはぴったり合っていた。
「読んでみる」
それだけ言って、私は席を立った。
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帰り道、図書館を出たあともしばらく心臓が落ち着かなかった。
カバンの中に入れたその本の表紙が、妙に温かかった。
なぜだろう。
あの人と話していたとき、ふいに“思い出しそうな何か”が、胸の奥から浮かんできた。
——彼と笑い合っている記憶。
——彼と猫を撫でている記憶。
——彼と、どこか知らない場所で並んでコーヒーを飲んでいた記憶。
ありえない。そんな人、知らないはずなのに。
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その夜、眠る前に日記を開いた。
書くことはたくさんあったのに、なぜか言葉がうまく出てこなかった。
結局、一行だけ書いた。
今日、たぶん昔、好きだった人と話した気がする。
自分でもよくわからなかったけれど、その一文を書いたら、少しだけ落ち着いた。
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ベッドの中で、風の音を聞きながら目を閉じた。
遠くで、レコードのような音楽が流れている気がした。
年の離れた姉がよく家でかけていたサザンだったか、達郎だったか……それすらも、わからない。
でも、そのメロディはたしかに“私の記憶のどこか”にあった。
そして、その記憶の隣には、あの人の顔があった。




