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風の向こうに、君がいた。  作者: 宮滝吾朗
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【第10話】コピーと、コードと、ビルの風

朝の地下鉄は、人の気配で満ちていた。

大阪の冬は、コートの襟を立てた人々が肩をすぼめて歩く。

出社ラッシュは、言葉のない行進のようだった。


地下鉄新大阪駅。

改札を抜けた先にそびえる、どこにでもある中規模ビル。

エレベーターの扉が開いた瞬間、コーヒーの香りとコピー用紙の匂いが混ざって鼻をくすぐった。


「……懐かしいな」


“スタジオ・フォーカス”のオフィス。

薄いカーペットの上に、パーティションで仕切られた小さなデスク。

電話がひっきりなしに鳴り、Macintosh SE/30が唸っている。


「おはようございます!」「うっす!」


そんな元気な声の中に混ざって、僕も「おはようございます」と声をかけた。

スーツの肩が、まだ少しごわついて感じる。


今年初出社。そしてこの時代にやってきた僕の初出社。

僕は“営業部”に配属されていた。

——あのときも、そうだった。


「なんでコピーライターちゃうねん……」


自分でも思わず笑ってしまう。

面接では、村上春樹と糸井重里を混ぜたような熱いエッセイを書き上げて臨んだのに、なぜか「まずは営業から」ということになった。


でも、それが悪かったわけじゃない。


昼休み。近くの中華屋で、同期4人で天津飯を囲んだ。

そのうちの一人、少し天然っぽい眼鏡の男が「俺、昔バンドやっててさ」と言った。


「え、楽器なに?」

「ギター」


心臓が一瞬だけ跳ねた。


「あ、俺も。中高のときやけど、ずっとやってた」


「うそ、今度スタジオ行こうや。○○もギターやるし、ドラムも一人おるねん」


話が進むのが早すぎて、少し笑った。


——ああ、やっぱりここから始まるんや。


その夜、会社の先輩に誘われて“まっこい”という名前の赤ちょうちんの居酒屋に連れて行かれた。

瓶ビールがすぐにぬるくなり、トリスのハイボールが思ったより強かった。


グラスの向こうでは、先輩が熱弁をふるっていた。


「広告っていうのはな、言葉と映像で人の心をズブズブにする魔法や。コピーやりたいって? じゃあなおさら、まず営業やってみ。人の心、現場で掴め」


それは今なら何のこともない言葉かもしれなかったけれど、25歳の身体に染み入るような熱だった。


帰り道、夜風に当たりながら、ふと鼻歌が出た。

それはいつかの、バンドでカバーした「Ride Like the Wind」だった。


ホテルに戻ったのは0時過ぎ。

布団に入っても、眠気がこなかった。


ポケットの中に、同期からもらったスタジオの割引チケットがあった。


「……ほんまに始まるかもな」


目を閉じると、まだ見ぬ仲間たちと深夜のリビングでアレンジについて語り合っている光景が、ぼんやりと浮かんだ。


そしてその中に——

まだ姿を見せていない、13歳の“ケイコ”の面影が、遠くの光のように揺れていた。

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