2:マリーグレイス、生まれた。
安産の願いを込めて、産屋は城南面の一番日当たりの良い一室を選んで設えた。
———というのは建前で、過去の経験を鑑み、ソフィーリアの産後の肥立が最悪だった場合を考慮して厳冬季に最適な病室となりうる一室を本人が選んだ、というのが正解だったのだけど。
陣痛が始まったのは、昼を過ぎてそろそろおやつにしましょうかという頃だった。思ったよりもお腹の子が降りてくるのが早いと、老齢熟練の産婆エッダの指示で出産用の簡易ベッドに移動し、傍で控えていた腹心の侍女メアリが、城に滞在してもらっていた領都神殿の老神官長を呼びに走ったのが夕暮れ前。
薄暗い夕暮れどきの雲が割れて居城を薄い金色の光が照らし出した時、産屋の窓辺に淡い黄金の明かりが満ちたかと思ったら、驚くほどあっけなくお腹の子供が出てきた。
「ふんぎゃーーーーーーーーーーーァぁぁぁぁっっ」
その第一声の元気なことったらなかった。
とっても元気な産声をあげる赤ん坊を取り上げた産婆のエッダは、驚愕に目を見開いた次の瞬間には、子供を胸に隠し、背後にいた助手に退出の指示を出していた。
「あぁぁーーーんぎゃぁーーーんぎゃぁぁぁぁぁーーーーっ」
何事かと、ソフィーリアは肘で体を支えるようにして体を傾け生まれたばかりの赤子を胸に隠すエッダを見た。陣痛の始まりから傍に侍り額の汗を拭ってくれていた腹心の侍女メアリが食い入るようにそんなソフィーリアの容態を確認している。
「エッダ?」
息は上がっているけれど、思ったより楽に声が出たことにソフィーリア自身、驚いた。陣痛はそれはそれは痛かったけれど、覚悟していたほどではなく。エッダの指示でいきんだのもたったの1回。その1回で驚くほどあっけなく、お腹の子供は外に出てきた。
出産は回を重ねるごとに楽になるというけれど・・・
これはちょっと楽すぎるのでは? と思う。過去2回の出産が恐ろしく過酷で、2回ほど死にかけたことを思えば、奇跡と言っていいだろう。
わずかの不調をも見逃すものかと鬼気迫る視線でソフィーリアを凝視していたメアリーがそっと安堵の息を吐いた。
戸惑うエッダの腕の中で「んぎゃぁんぎゃぁーーんぎゃぁーー」と、赤ん坊は力一杯泣いている。
「エッダ?」
メアリーに支えられて体を起こしたソフィーリアの2度目の問いかけで、エッダはハッと顔をあげてソフィーリアを見て、困ったように眉根を下げた。
「メアリー様、申し訳ございません。助手を退出させてしまいましたので、ご助力をいただけますでしょうか」
「・・・ええ、何なりと」
「ありがとうございます。では、生湯の用意をお願いいたします」
エッダが己の背後を目で指し示し、メアリーをソフィーリアの傍から移動させると、覚悟を決めたようにソフィーリアの傍に立ち胸に隠した、まだ羊水に濡れた赤子をそっと見せた。
「あらまぁ」
生まれたてほやほやの赤ん坊の肌は、赤ん坊というくらいで、赤い。
顔も体も真っ赤にして、小さな手を握り締め、顔を皺くちゃにして大きく口を開いて元気よく泣いている。
そう差し出された赤子の、生まれたてにしては多めの髪の色に、ソフィーリアは瞬く。
ワイズロッド家の月色でもなく、夫フーファスのロアン伯爵家の銀でもない。
王国でも例を見ない、少なくともソフィーリアは見たことがない。
特異の黒髪。
—————ああ、でも。
顔立ちは間違いなくあの人似だわ。
息子2人は、良くも悪くも自分にそっくりだ。
長男のアレクシスは、ワイズロッド公爵家の象徴である月色の髪に、母よりも深い翠の瞳を持ったソフィーリアに瓜二つの子供だった。
次男のジョシュアは、髪色は父系の銀髪である。けれど、瞳の色は母よりも兄よりも濃いワイズロッドの緑だ。銀鼠色の髪と紫紺の瞳をもつ父親に似ているのは、髪の系統色と瞳の色の濃さだけ。線が細く繊細で美しい顔立ちは、母ソフィーリア譲りだった。
ソフィーリアは自分ではなく夫のルーファスに似た子供が欲しかった。
息子2人が母親似なら、女の子ならルーファスに似た子が生まれるのではと考えた。出産に命をかけているなんて意識はなかった。ただただ、彼の子供を産みたいと願っていただけだ。うっかり死にそうにはなったが死ぬ気はなかった。だから、王国の則妃ガブリエラの妊娠が公表されたのを盾にとり、もっともらしい理由を並べて渋る夫ルーファスに子作りを迫ったのも、自分としては当然のことだった。
夫に似ている子供が欲しかった。
そして三度目の正直で生まれたのが、この子、マリーグレイスだ。
ソフィーリア待望の、夫似の女の子。類稀に見る髪の色のオマケ付き。
さすがルーファス似ね。
生まれた途端に最大級の困難に直面しているなんて。
「ふふふ」
思わず小さく笑い声を溢したソフィーリアに、エッダはそっと息を吐いて体の緊張を和らげた。
「産湯を使い、神官長に誕生の立会いをお許しになりますか?」
「もちろんよ、エッダ」
ソフィーリアは晴れやかに笑う。
「この子の名前はマリーグレイスです。そうサイラス様にお伝えしてください」
「・・・公に、このお子をお出ししてもよろしいのですね?」
「ええ、構わないわ。夫と私の間に生まれてくれた子ですもの。きっと強かで逞しいとびっきりの淑女に育てあげてみせます」
そう宣言した時、俄かに扉の向こうが騒がしくなった。
産婆の2人の助手が室外に出されていたことが、彼を狼狽させたのだろう。
「ソフィーリア!」
扉の向こうから夫ルーファスの悲痛な声が上がった。




