自信を持ってください!(私の未来のために)
「こ、ここまで来たら大丈夫かしらっ……」
荒く息を吐きながら後ろを振り返り、殿下が追いかけてきていないことを確認してホッと大きく息を吐く。
そんな私とは対称的に、隣にいた彼……カイル様は疲れたような素振り一つ見せず、唯一見える薄く形の良い唇で紡いだ。
「あの」
「っ、はい!?」
「手、離して頂けますか」
「あっ……」
咄嗟に殿下から逃げようとカイル様の手を引いてきたままだったことに気が付き、パッと手を離すと、彼はその手を下ろし、辺りを見渡す。
私が咄嗟にカイル様を連れてきてしまったのは、色とりどりの花々が見頃を迎えている学園の広大な庭園だった。
「ごめんなさい!」
「何がですか」
「折角のお昼休みを、うるさくしてしまって」
きっと物静かな彼も、同じように喧騒から逃れるため校舎裏にいたのだろう。
それなのに、カイル様がそこにいたことに気が付かず、私がその場所に昼食を摂りに来てしまったせいで殿下と口論になってしまったのだ。
(全然気付かなかったわ……)
カイル様がモブのように影が薄いというのはこのことか、と前世の設定を思い出している間に、カイル様の視線が私の足元に落とされていることに気が付く。
「何か?」
「……足」
「足?」
「痛くないんですか」
その言葉に、あぁ、と笑みを浮かべ口を開く。
「足はもう、全く痛くないんです。ほら」
その場で軽くジャンプして見せると、彼は「そうですか」と口にする。
それに対し、私はあれ、と首を傾げた。
「なぜ私が怪我をしたことをご存知なのですか?」
「貴女は有名人ですから」
「……あぁ」
その言葉に思わず遠い目をした私に、カイル様もまた首を傾げた。
「でも、変ですね」
「何がです?」
「貴女は本当に、噂通りの方なんでしょうか」
「あぁ……」
それにもまた頭を抱えたくなる衝動に駆られながらも、何とか答える。
「怪我をして目が覚めたんです、色々と」
「色々と」
「はい」
私が察してくれという思いを込めて頷けば、カイル様はそれ以上何も言わずもう一度景色を眺めた。
そんな彼を見つめて思う。
(……何だか不思議な人)
会話のテンポもゆっくりだし、表情は顔から下半分しか分からないし、笑みを浮かべることはしないし、殿下に真っ向から「うるさい」と言ってしまうし。
でも。
(居心地が悪いということはない)
むしろ……。
「そういえば」
「は、はい!」
不意に声をかけられ、驚きつつも返事をすれば、カイル様は心底戸惑ったように口を開いた。
「どうして貴女のような方が、僕に婚約を申し込んだのですか」
「私のような方?」
それって私が悪女(今は違うけれど)だということを言っているのかしら? とそんな私のことを見透かしたのか、カイル様は付け足した。
「公爵家のご令嬢である貴女が、まさか辺境伯家を継ぐことのない三男の僕に婚約を申し込むとは誰も思わないでしょう」
「……継ぐことのない?」
何を言っているのだろうか。
「どうして、そう思うのですか?」
「え?」
私の言葉に、彼はポカンと口を開けている。
それを見て首を傾げた。
(カイル様は誰とも結婚はしなかったけれど、確かに最後は辺境伯という地位を得ていたはず)
だというのに、どうして自分は辺境伯にはなれないと断言しているのだろうか。
前世の小説の記憶を持っている私からしたら不思議に思ってしまうのに対し、カイル様もまた戸惑ったように言った。
「え? いや、だって三男ですよ? 次男でもない三男は、長男のスペアにもなりませんし」
「そんなことはないと思いますわ!」
「!」
何かを諦めたような言い方をするカイル様を見ていてもたってもいられず、思わず身を乗り出して熱弁する。
「そんなの、誰にも分からないし決めつけられるものではないと思います!
現に、カイル様だってそれでも努力をなさっていらっしゃるではありませんか」
今朝のように。
(前世の小説で彼に関することは描写が少なかったけれど、それでも知っていることもある)
その知識を活用して、私は後ろ向き発言をする彼に向かって言葉を続けた。
「カイル様は寝る間も惜しんで魔法の特訓をなさっていらっしゃいますよね。
それは誰にも負けない、貴方の強みだと思いますし、それに」
私は人差し指を立てると、彼の顔の前で振った。
「未来をそう簡単に思い込みで決めつけるのは良くないと思います。
でないと言霊と言って、言葉には力があると言われているので、後ろ向きな発言を口にしてしまうと出来るものも本当に出来なくなってしまいますよ」
「……!」
その言葉に、ハッとカイル様が息を呑む。
そして、小さく口を開いた。
「……今朝のことといい、どうして、僕が魔法の特訓をしていることを知っているのですか?」
「っ、そ、それは」
(いけない、前世の知識が仇になっている!)
何と言い逃れをしようか考えた末、ふと思いつく。
「そんな努力されているカイル様のお姿を見て、婚約を申し込もうと思ったからです!」
「……つまり、努力している僕の姿を見ていた、と?」
「はい!」
「その割に、一度も気配を感じたことはなかったような」
そう呟いたカイル様の言葉を聞いて驚く。
(カイル様って観察眼が鋭いのね! 確かに、今朝も私が隠れていたらすぐに見つかってしまったし……って感心している場合ではないわ!)
そんなカイル様の言葉に、慌てて口にした。
「それでも、努力をなさっているのは間違いないんですもの!
その努力は、必ず報われますわ!」
「……!」
その言葉に、カイル様が再び息を呑んだのが分かる。
(小説の未来が変わらない限り、カイル様は勇者パーティーに選ばれ、無事に帰還し、その後王家から多大な報酬を受ける。そして、辺境伯という地位を授かる)
その未来を知っている私からしたら、彼に後ろ向きになってもらうわけにはいかない。
何せ私の未来もかかっているのだから!
そんな私に、カイル様は俯き気味に言った。
「どうして、そこまで僕のことを……? 貴女はもしかして、僕のことが、その」
「好ましいと思ったからですよ」
「え……」
彼が顔を上げたタイミングで、私は笑みを浮かべて言った。
「私の一時的な婚約者として!」
「…………は???」
そんな彼のたっぷり間が空いた返答は、丁度鳴り響いた予鈴を告げる鐘の音にかき消されてしまったのだった。