カイル様からの提案
「……ま、バレッタ様」
「はい!?」
そう呼ばれ、反射的に顔をあげるが。
「「……っ」」
あまりの近さにどちらからともなく顔を背ける。
何か言わなければ、と慌てて視線を教科書に移すけれど、こういう時に限って上手く言葉が出てこなくて。
その理由は分かっている。
それはあの日……、彼に初めて名前を呼ばれた日から。
『アリシア様』
「……っ」
その声を、表情を思い出すと、顔が熱くなり胸が苦しくなる。
だから最近は、カイル様の顔を直視することが出来なくて。
(でもそれは、多分カイル様も同じ)
私と同じ気持ちだとは思わないけれど、私の名前を呼んで以来、どこか態度がよそよそしいし、その上。
(また“バレッタ”様呼びに戻ってるし……)
それが何だかホッとする反面、残念なような、でもやっぱり心臓に悪いような……、落ち着かない気持ちになる。
そんなカイル様を教科書越しにこっそり盗み見していると。
「バレッタ様」
「っ!」
いつの間にか接近していたカイル様に顔を覗き込まれ、息を呑む。
そんな私に、カイル様は怒ったように続けた。
「勉強する気、ありますか」
「ありますあります!」
「集中して下さい」
カイル様の言葉に、そうだ今は他のことに現を抜かしている場合ではない、と自分を叱咤し、真面目に教科書に視線を戻す。
クララと話をしてから一週間、そして夏休み前最後の試験まで一週間を切った。
この試験は年に三回あり、三日に渡る座学(魔法学以外の授業も含む)、四日目には実技が行われ、それらを加味して順位がつけられる。
その順位によって、クラス替えが行われるのだ。
(大体殿下とクララのいるトップのクラスはメンバーが変わらない。それはどの学年も同じ)
でもせめて。
「クラスが上がりたい……!」
これだけカイル様が時間を作って勉強や実技を教えてくれているんだもの、それに見合った成果を見せたい!
と張り切る私に、カイル様はクスッと笑って言った。
「では、モチベーションを上げるために、お互いに何か“ご褒美”をかけませんか」
「”ご褒美”をかける……?」
教科書から顔を上げた私に対し、カイル様は頷く。
「えぇ。目標を設定して、それを達成出来たら相手の願いを一つ聞く、というものです」
「え!? 良いんですか!?」
カイル様の言葉に思わず食い気味になる私に対し、カイル様は仰け反りながら言う。
「え、えぇ。……そんなに喜ぶことですか?」
「もちろんです!!」
グッと拳を握り、笑顔で頷けば、カイル様は戸惑ったようにしながらも尋ねた。
「仮に、もし貴女が僕に願うとしたら何が良いのですか?」
「カイル様に?」
うーんと考え込みながら、ふと彼を見やれば、こちらをじっと見つめているような気がして。
私はその視線を受け、居た堪れなくなって尋ねる。
「な、何ですか?」
「……驚きました。貴女のことですから、例の“一時的な婚約”の話を持ち込むかと」
「そう、なんですけどね」
「?」
カイル様が首を傾げたのに対し、私は軽く伸びをしながら言った。
「何となくそれは違うというか。カイル様はもしかしたら許してくださるのかもしれませんけど、私がそれを許さないというか……」
「……は?」
「何でもないです」
私は笑みを浮かべて誤魔化す。
(確かに、カイル様が一時的でも婚約者のフリをして下さるのであれば、それは素敵なことだと思う。けれど……、彼の意志を無視して婚約者になってもらうというのは、何か違う気がしてしまう)
その代わりに、カイル様にお願いするとしたら何が良いんだろう……とそんな彼を見つめてから、閃いて咄嗟に口にした。
「カイル様のお顔を見てみたいです」
「!!」
その言葉に、カイル様がピタリと静止してしまう。
それを見て、私はハッとし慌てて弁解する。
「じょ、冗談ですよ! 半分は本気ですけど……、でもずっと不思議だったんです。
なぜカイル様のお顔は前髪に隠れてしまっているんだろうなあって……」
「…………」
目の前にいるカイル様の口元から表情が消え、静止していることによって初めて気付く。
完全にやらかした、と。
「ほ、本当に! 冗談ですから! というか私にはご褒美など不要です!
カイル様がこうして時間を作って一緒にいて下さるだけで十分、幸せですから!!」
折角のカイル様からのご提案だけど、ご褒美制度はいらないときっぱり断りつつ、内心焦りながら、誤魔化すように再度開いた教科書に頭を埋める。
(な、何言っちゃってるの私! 地雷にも程がある!!
原作でも一切そのお顔を見せなかった方が、私なんかにそのお顔を見せてくれるはずがないでしょう!?)
カイル様にとって、もしかしたら顔を見せるということはコンプレックスなのかもしれない。
それを見せて欲しいなんて馬鹿なことを言って……、嫌われてしまったらどうしよう!
(……ん? 嫌われてしまったらってなに?)
そんな胸中で自問自答をしていると。
「……良いですよ」
「へっ!?」
カイル様の言葉に弾かれたように顔を上げれば、彼はじっと私を見つめて言う。
「それが貴女の望みだと言うのなら」
「えっ……、い、いや、良いですよ! カイル様はお嫌なのでしょう?
だとしたら、私は望みません!」
そう首を横にぶんぶん振ったのに対し、彼は私の手を不意に握る。
それにえ、と驚き彼を見ると。
「貴女になら見せても良いと思います」
「えっ……」
「僕のことを、もっとよく知って欲しいから」
「……!」
(それは、どういう……)
カイル様が何を考えているのか分からず、ドギマギしてしまうけれど、前髪に隠れている瞳に見つめられていると思ったら、どうにも落ち着かない気分になってしまって。
咄嗟に目を逸らして口を開いた。
「カ、カイル様は! その……、私に、どんな願いを?」
「!」
「カイル様からご提案されたということは、私に何かお願い事があるということですよね?
それは、私に叶えられることなのですか?」
私の言葉に、今度はカイル様が黙ってしまう。
少しの沈黙の後、カイル様は言った。
「えぇ。むしろ、貴女にしか叶えられないことです」
「そ、それはどういう……、っ!」
その言葉を制するように、私の唇に人差し指が添えられる。
それに息を呑む私に対し、カイル様は悪戯っぽく笑って言った。
「秘密です」
「……え!?」
そう言って離れた指先を一瞬目で追ってから、カイル様に向かって声を上げる。
「いくらなんでもずるいです! 私の願い事だけ聞いておいて!」
「まあまあ。それはお互いに課した目標を越えられたら、ということで」
その言葉に膨れる私を見て、カイル様はクスッと笑って言った。
「貴女の目標は、先程仰っていた“クラスが上がる”こと。
そして、僕の目標は」
そこで言葉を切ると、真剣な声音で紡いだ。
「“学年トップの成績を取る”こと」
「……え!?」
その言葉に、私は狼狽えた。
(学年トップって……、カイル様は今、確か上から二番目のクラスよね? ということは、つまり)
「カイル様の今の成績から最低40人は抜かさなければならないということですよね!?」
「実質今50番にいるので、49人抜かさなければいけませんね」
「それって可能なんですか!?」
確かに、カイル様は努力家だ。
勇者パーティーに選ばれた時だって、トップクラスにいたことは間違いない。
けれど。
(全属性で学年トップに立った方なんて聞いたことがないわ!)
驚愕に目を見開く私に対し、カイル様は笑って言う。
「大丈夫ですよ。殿下や妹さんがいる貴女の学年に比べたらトップを取ることは容易い方です」
「ですが」
「それに、貴女が応援してくれたら勝てる気がします」
「!」
そう口にしたカイル様は、本当に余裕そうな笑みを湛えていて。
そしてその言葉に驚く私に向かって、カイル様は言った。
「僕のこと、応援してくれますか」
「っ、も、もちろんです!」
慌ててそう返すと、カイル様は「良かった」と笑ってから言った。
「お互い、頑張りましょうね」
その言葉は確かに、不思議と何でも出来そうな、そんな気がして。
私はその言葉に、元気よく「はい!」と頷いてみせたのだった。
そして、この時の私はすっかり忘れていた。
この試験が、“たがため”の中で運命が大きく変わる鍵……、大事件が起きる場面だということを。




