生活寮
その夜は新月だったと云う。
いつもなら、学園に設られた庭園の中央に位置する池に、白く燃える円環が映えていただろう。
しかし、今夜ばかりはその月も身を隠し、池に棲む滑らかな鱗だけが水面を揺るがせていた。
『科兎山戦役』の余波として設立された『特別軍事支援課』の生徒には、生活寮が支給された。
無論、『特別軍事支援課』以外の生徒にも、申請し家賃を払えば生活寮に住む権利が与えられる。
しかし、どうやら『特別軍事支援課』の九名は、その希望を問わず、ほぼ強制的に生活寮に入れられてしまっていた。
津雲も漏れることなく、氷雪に引っ越しを促された。
本格的な引っ越しは次の休日に行われるらしい。
今夜は皆、生活寮の見学も兼ねて寮で一夜を過ごしていた。
必要最低限の生活用品が用意された部屋の中で、津雲は白裂に伝統的に伝わる茶を飲む。
香ばしい匂いに包まれながら、津雲は『特別軍事支援課』が強制的に生活寮に入れられた理由を推測していた。
『特別軍事支援課』には『科兎山戦役』を惹起、実行した罪に問われ、その責任を追及された者たちが編入されている。
言い方を変えれば、ほとんどの生徒が戦役を勃発させられるほどの身分ということだ。
もともと【王立白裂銀海学園】自体、貴族階級に属する子息令嬢が通う学園であることは間違いない。
また、生徒そのものではなくその親が権力を握っているという者もいる。
そんな中で『特別軍事支援課』に召集された者たちは『科兎山戦役』を通して過剰な権限を発揮してしまったのだろう。
考えるまでもなく、その筆頭が僕自身なのだ。
従って、この生活寮は、突然、必要以上に肥大化した権力に対して、監視の眼を据える意味があるのかもしれない。
津雲がそこまで考えたところで、部屋の扉が叩かれた。
「はい。どなたでしょう。」
津雲は返事をするが、それに応える声はなかった。
その代わりに、戞戞と扉を叩く音だけが連鎖する。
津雲は扉の向こう側に急かされて立ち上がった。
焦るように扉を開けた。
しかし、津雲を訪問する者はおろか、人の影すらもそこにはなかった。
その代わり、地面に一通の覚書のような粗末な紙が落ちていた。