銀鉤のむすひ
「鎌士郎くん。獣の動きを止められるか?」
津雲は骸獣の動きから目を離さずに言った。
鎌士郎もその動きを捕捉しながら確かに頷いた。
骸獣を混乱させる為に、弓弦が飛び跳ねる。
攪乱の為の矢を立て続けに放った。
鎌士郎は決して骸獣の爪の餌食にならないように、鎖を振り回しながら捕縛の機会を窺っている。
「氷柱さん。僕が骸獣の脚を崩すから、その隙を突いて奴の頸を斬ってくれ。」
津雲が叫ぶ。
師匠の大剣を扱い慣れていない津雲にとって、この中で最も鋭い攻撃を与えられるのは、日々、己の愛する刀身を研ぎ澄ませているであろう氷柱以外にいなかった。
氷柱は軽く分かったわ、と言うと、精神を集中させ始めた。
冬の訪れを告げる初雪のように。
或いは、微睡の朝日を浴びる霜柱のように。
その澄み切った心象を津雲らは『銀の絃』を通して感じ取った。
いつの間にか、少年ら三人は氷柱に対して尊敬の念を感じていた。
弓弦の放つ幾つかの矢が骸獣の頭蓋骨を掠めた。
すると、骸獣はそれらの弾道を遡上し、ゆっくりと振り返りながら弓弦を睨んだ。
頭蓋骨に穿たれた二つの虚空が弓弦を見詰めている。
反撃を加える為に、骸獣は空中を舞う狩り人に向かって突進した。
今まで幾つもの相手を戦術的に翻弄してきたであろう剣弓。
それを愛用している弓弦なら、衝突を回避する為に壁を蹴って骸獣の側面へと回り込む策くらいは思い付くはずだ。
しかし、弓弦は敢えて、その場で追撃の弓を引いた。
数秒後の未来にて、鎌士郎の鎖鎌が骸獣の胴を捉えると、『銀の絃』を通して伝達されたのだ。
弓弦が骸獣の気を引き続ける限り、鎌士郎が狙われる事はない。
同時に、鎌士郎が骸獣の胴体を縛り付けるのなら、弓弦がその兇刃にかかる事はないのだ。
お互いを信頼する関係が『銀の絃』によって築かれていた。
弓弦が作った時間を使って、鎌士郎は遂に骸獣の胴体へ向けて、鎖に接続された鎌を強か投擲した。
津雲は『銀の絃』に意識を集中させ、三人の動きの把握しながら、いずれ来るであろう骸獣の脚元へと走り出した。
弧を描いた鎌は肋骨の隙間に突き刺さり、鎖が一瞬にして張り詰めた。
それを分かっていた鎌士郎は、骸獣の突進とは逆の方向へ鎖を思いっきり引っ張った。
全身の体重を乗せて骸獣の進行を相殺する…!
鎌士郎の雄叫びが図書館地下に音響した。
肋骨が圧力に負けて粉砕されるまでの間、見事、骸獣の突進は無力化された。
それは津雲が終決へ繋がる一撃を骸獣へ加えるのに、充分すぎる時間だった。
すでに辿り着いた骸獣の脚元で、津雲はかつて師匠から教わった炎をそれを教えた者の大剣に燈した。
「火禱『篝り火』」
白裂の隣国紅穂に伝承として伝わる九つの火禱。
その正体は古から一部の識者のみに継承されてきた形而上兵器『火柱』の形成因子。
複合的な火禱の奉納によって、科兎山という霊峰において『火柱』が形成された事は、津雲の記憶に今なお新鮮味を残していた。
しかし、津雲が放つそれは、幼少の時分に師匠より伝授された剣術としての奥義。
つまり、あくまでかつての幼き白裂皇太子は隣国の軍官に剣術を教わっただけなのである。
結果として、津雲の火禱は『火柱』を実際に喚起した二人の少年とは異なり、多分に自我が混載されている、謂わば、我流。
しかし、火禱に搭載された、炎に変換された気迫があらゆるものを摧剉する打撃系統の衝撃伝播機関は、我流であろうが、異端であろうが、軍事転用によって彩りを放つ事に違いはなかった。
その危険性故に、紅穂国家の軍事機密にすらならず、本質を知るものなど指折り数える程の極秘中の極秘。
一子相伝。
師匠が如何なる理由で白裂皇太子にその火禱を教えたか。
皮肉にも津雲の手によって師匠が亡くなった今、真意は闇の中であるが、津雲にとっては幼少期に単なる剣術を乞うただけなのである。
それが兵器としての本分を全うする事を彼が知ったのは、あの黒忍の刺客の入れ知恵を経てからだった。
本質を体感した今、津雲の振るう大剣は、一瞬、あの少年と同じ臙脂色に輝いた。
『科兎山戦役』の時と同じ光沢を放つ渦が、今は亡き師匠の大剣を舐める。
確かに伝承の重圧を背負いながら、津雲は骸獣の左踝に『篝り火』を放った。
大剣は白骨に触れるや否や、それを砕き、辺りに散らせた。
津雲の火禱はなるほど、不完全ではあったが、骸獣の巨体を磐石に支える健脚を貫通するほどに強靭な威力であった。
大いなる骸がゆっくりと、しかし、徐々に速度を上げながら地に伏せる。
まるで、大木がへし折れた時のように、静かさを以て上体が床へ近付いた時、総ての準備を整えた氷柱が冷たく言い放った。
「『銀氷雨流』『銀鉤』」
瞬く間に鞘走った氷刃は、刹那、月影を跳ね返し、白兎の如く輝きを放ったかと思えば、骸獣の硬く守られた頸骨を抵抗なく斬り裂き、刎ねた。




