科兎山戦役
「ご存知の通り、白裂紅穂間で開戦した先の小戦は、しかし、両国において重い禍根を遺した。我が国白裂においても、芳しくなかった戦果によって殿下はご老衰なされた。更には、兵士の消耗、紅穂の無益な攻撃による国力の低迷などなど、戦による禍いは未だ遺されておる。
そもそも、開戦の次第と言えば、科兎山付近の領土及びその資源を巡って両国の関係が悪化。その後の紅穂軍による度重なる軍議上の挑発行為、無礼極まりない侮蔑行為によって、白裂は戦端を開かざるを得なくなったのだ。
それにも関わらず紅穂は自らが損害を被ったと主張……」
円形太縁の眼鏡をかけた歴史教師は、頬から顎にかけて生えた髭を摩り、得意げに時事を解説した。
広く受講生から人気を博す講義。
主に近現代において深く知れると評判だ。
しかし、受講生の一人である彼にとっては総てが出鱈目に聞こえた。
それもそのはず。
白裂では珍しい白銀の髪に、それを隠すかのような学生帽を被った少年は、その小戦における当事者の一人だからだ。
世間には知れ渡ってはいないが、『火柱』形成を目的とした白裂による侵略。
総ての黒幕は黒忍の刺客であり、白裂の宦官として居座った累陰と名乗る男。
それが先の小戦の隠された真実であった。
しかし、そのような核心は一般には歪められて伝えられるのが世の常。
この家柄重視の士官学校においても、それは変わらなかった。
無論、真実を知るのはごく一部の中枢にいた白裂軍幹部の子息たちのみである。
情報が軍事機密故、子息たちは口外を禁じられていた。
この少年もその一人である。
この白銀の少年は小戦において『火柱』となったもう一人の少年を、幾つかの罪を背負いながら支えた白裂の王子。
白裂津雲。
彼は、自らの正体すらも周囲には隠していた。
王子とは、貴族を取り纏め、その頂点に君臨する王の子息である。
そのような者が貴族と学び舎を共にすることはとても珍しいことだった。
その上、先の小戦において、白裂王及び白裂王子が関与しているという情報が少しでも流布している以上、容易に公の面前に姿を見せるわけにはいかなかった。
そのため、津雲は自身を白裂国の僻地にある凋落した貴族の生まれだと嘘をついていた。
しかし、いくら自身の出自を偽ったところで、その頭に戴く白銀の髪だけは偽りようがなかった。
白裂において、白銀の髪とは、白裂王家の血を継いでいる確固たる証拠だからだ。
それ故に、津雲には良からぬ噂が後を断たなかった。
「彼奴、実は、白裂王の隠し子らしいぜ。おい、お前ちょっと聞いてこいよ。」
「ただ、白裂王殿下に憧れているだけだぜ、あんなの。じゃなかったら灰原なんて云う落ちぶれた家の出じゃないぜ。」
「確かに、郊外には髪を白く染める術が出回っているらしいわ。全く、不敬ね。」
毎日、講義中であろうとなかろうと津雲は後ろ指を刺されていた。
しかし、津雲はこのような事態を士官学校入学前から予測していた。
白髪を持ち、白裂王家との家柄としての関わりの薄い者に対する周りの態度は容易に予想が付いた。
その上で、ある目的のために入学したのだ。
その目的とは、この由緒の正しき士官学校【王立白裂銀海学園】の設立に関わったと言われる伝説が関与していた。
現時点で既に人々に忘れられつつある白銀色の龍の伝説。
現に、時を経る事によって風化された伝説は、不明瞭な部分を多く遺していた。
津雲は学園の図書館や教師から何らかの手掛かりが得られないか、常に虎視眈々と狙っていた。
更に言えば、津雲は先の小戦を機に、白裂王子としての役割を果たすと誓ったのだ。
意識が朦朧とし、妄言を吐く白裂王の改心。
宦官累陰、ひいては、黒忍に傀儡にさせられた国家体制の復興。
それが白裂王子としての最終目的地であった。
津雲にそれを気付かせたのは『火柱』形成から幾日か経ったある日の出来事だった。