深海魚
「すごい! 透きとおるような白身に、こんなに旨味がつまっているなんて。初めて食べました」
青年は、名も知らぬ魚の刺し身を口いっぱい頬張っていた。小料理屋のカウンター。遅い時間、十人ほどでいっぱいになりそうな店内に客は青年だけ。
「それにしても、あの見た目から、この旨さは想像できませんね」
この地方で、しかもこの季節しか食べられない珍味と聞いて、青年の感想も何割増しかになった。大手ハウスメーカーの営業職で地方に出張する機会が多い青年は、出張先のグルメを味わうのが趣味だった。
「見た目と味は関係ないよ。魚も人間も」
初老の主人は、店じまいの手を休めることなく、そう言った。「珍しいものを食べたい」という青年の要望にこたえ、閉店間際にも関わらずさばいてくれた。調理前の魚は焦茶色の肌に真紅の点が無数にあった。いかにも悪役という顔つき。大きさはサンマほどだが、目はピンポン玉ほどに膨れ上がっていた。その目は青年を射すくめるようだった。
「たしかにそうかもしれませんね。人だって見た目だけじゃないですもんね。それにしてもうまいなぁ。これ宣伝したら、きっと名物のひとつになりますよ。これを目当てに訪れるひともでてくるんじゃないかなぁ。あ、こっちのアラの煮付けもいいですか」
青年はこちらが答えるまえに、すでに箸をのばしていた。
「どうぞ。このへんの人は引っ込みじあんなところがあってね。宣伝っていうのはちょっと……。だからつぶやいたり、写真とかは勘弁してもらってるんだ。まぁ、いいんだよ。なんでもかんでも来る前にわかっちゃったら、つまらないだろう?」
「たしかに。新たな食との出会いは旅の醍醐味のひとつですもんね」
数分で煮付けの皿は空になっていた。
「なんだかたくさん食べたら、眠くなってきたみたいだ。行儀が悪いですね、僕。疲れたのかなぁ……」
「少しうちで休んでいけばいいよ。上の座敷があいてるから」
主人の親切が耳に届く前に青年は眠りに落ちていた。これなら、上の座敷に通すまでもないだろう。たしかに出会いは醍醐味だ。食も人間も。
その後、青年の姿を見たものはいない。その小料理屋の近くには今もこんな看板が立っている。
【危険! この海でとれる魚には神経毒を含むものがいます。誤って食べた場合、速やかに病院を受診してください。食べてしまうと、眠気のあと、呼吸困難の症状を引き起こします。見た目は焦茶色で目が大きく……】