009 このダンジョンで生き延びるために
「結局、誰にも会えなかったね……」
「うん……」
あの場所からしばらく歩きまわったものの、誰とも出会うことなく探索を終えた二人。
今は昼食を取っているところだ。なお、昼食といっても今の時間が本当に昼なのかどうかは二人にもすでに分からない。
ただ、起きた後から二度目の食事なので、便宜的にそう呼んでいるだけである。
絵理はまだ残っている保存食を、透夜は自分の袋から取り出したモンスターのものらしき肉をそれぞれ食べている。もはや、絵理はその食事風景について何も言わなかった。
「さすがに大声を出して探し回るのも怖いからね……」
「うん……ぜったいモンスターも集まってくるよ……」
絵理はそう答えながら手に持つ食料をかじる。自分ははっきり言って戦闘においては足手まといだ。可能な限りモンスターとの遭遇は避けたい。
「ごちそうさま」
「あたしもごちそうさま。じゃあ、浅海くん、さっそくだけど魔法についてまたよろしくお願いします」
「わかった。ちなみに、覚えたい魔法とかってある?」
透夜の質問に、絵理は今の自分にもっとも必要そうなものが何かを考えた。
「んー。攻撃に使える魔法をひとつは覚えておきたいかな。このままじゃ浅海くんの足を引っ張るだけだから……ファイアーボールっていうのはちょっと怖いから、他ので良いのない?」
「たしかにあれは威力はすごいけどそのぶん扱いが難しいからね。僕は一番最初に覚えた攻撃魔法がそれだったけど……」
「あはは……あの爆発で巻き込まれそうになったって話?」
「そうそう。威力だけはすごいもんだったから、結局ファイアーボールばかり使って他の攻撃魔法はほとんど覚えてないんだ」
透夜はそう言いながら魔法の本をパラパラとめくる。やがてその指が二つのページを挟んでぴたりと止まった。
「これなんかはどうかな? 『魔』の文字と『矢』の文字を組み合わせて使うみたい。光の矢が狙った物を追尾して飛んでいくんだって。僕たちの世界風に言うならマジックミサイルとか、マジックアローってところかな」
「浅海くんはどっちの名前が好み?」
「僕? どちらかというとマジックミサイルかな」
「じゃあ、あたしもマジックミサイルって呼ぶことにするね」
ふたりはしばらくの間、本と格闘してその魔法について書かれていることを理解しようと努めた。絵理だけでなく透夜もである。透夜はすでに『魔』の文字のことは熟知していたが『矢』の文字は使ったことがなく、文字の形も発音の仕方も覚えていなかったからだ。
「よし、大体わかった。じゃあまずは僕が使ってみようか……あそこに落ちている石をターゲットにするね」
透夜は立ち上がり、精神を集中する。
そして先ほど記憶した魔法の文字を右手の人差し指で宙に描き、同じく記憶した正しい発音で魔法の言葉を詠唱した。
「マジックミサイル」
たちまち宙に描かれた文字がひときわ輝くとともに消滅し、代わりに一本の光る矢が飛び出す。
それはまさにミサイルが敵を追尾するような曲線を描き、離れた石ころに見事命中した。石ころは思い切り弾き飛ばされ、ころころと転がっていく。
少ない魔力しか注がなかったため今の矢に大した威力はなかったが、なかなか便利そうな魔法だというのが実際に使ってみた透夜の感想だった。爆発に巻き込まれることもなさそうだし。
絵理は魔法の実演に小さく拍手する。
「じゃあ、次はあたしが……ひっ……!」
絵理が言いかけた言葉の途中で息を飲み、おびえた視線で彼方を見ている。透夜もあわててそちらを見た。
そこにいたのはもはや透夜にとっても絵理にとってもおなじみのキノコモンスター、いわゆるファンガスである。
しかし、未だに絵理はモンスターに対する恐怖心に打ち勝つことができていない。巨大キノコを見据える瞳は怯え、その体も小刻みに震えている。かつてクラスメイトたちと一緒に行動していた時からそうだった。絵理は戦い以外で皆の役に立てばいいと思っていたのだが……。
絵理の怯えに気付いた透夜は腰に下げているポーションのビンを二つ手に取り、絵理へと差し出した。中には青い液体が入っている。
「これ、マジックポーション。疲労が激しくなったら飲んで」
「……え?」
未だ理解していない絵理に、透夜はポーションのビンを半ば無理矢理押し付ける。
「あのファンガスは、さっきのマジックミサイルを使って君の手で倒すんだ。昨日言ったとおり、あいつは大した敵じゃない」
「え? え? で、でも……」
「いつまでもあいつを一人で倒すことができないようじゃ、このダンジョンでは遅かれ早かれ死んでしまうと思う」
「……」
すがるような絵理に、透夜は心を鬼にして冷たく言い放った。絵理は何も反論できない。実際、自分が戦い慣れしていればあのワームを前にしても逃げるなりなんなり対処はできたかもしれないのだから。
「大丈夫。あいつは、ぜったい君に近づかせないから。魔法をうまく発動させることだけに集中するんだ」
落ち込んだ様子の絵理をじっと見据え、力づけるために再度言葉をかける透夜。先ほどの言葉に比べるとそれは温かいものに満ちていた。
透夜はファンガスの方に向き直り、右手で剣を抜かず左手用の盾のみを装着した。ホームベースのような五角形をしたその盾の、裏のベルトに左腕を通して最後に持ち手を握る。
さっき絵理に伝えた言葉の通り、自分の手でファンガスを倒すつもりがないのだ。
「……わ、わかった……やってみる……」
ようやく自分の手で倒すことを決意できたのか、絵理は震えながらも頷いて見せた。透夜もその言葉を聞いて、彼女を奮い立たせようと殊更に明るい声を出す。
「うん。じゃあ頼んだよ、霧島さん!」