084 降り注ぐ稲妻
「う、うーん……」
「おはよう。エリ」
「あ、おはようございます……マリアさん」
目を覚ましてくるまる毛布から上半身を起こした絵理に対し、小さく声をかけたのはマリアだった。他の三人もそれぞれの毛布の中でもぞもぞとしだしている。
どうやら、マリアが一番先に起きていたようだ。すでに身支度を済ませているのか、寝ぐせなどもまったくない。
絵理も今の自分の姿を見られているのが少し恥ずかしくなり、あわてて毛布から抜け出して完全に起きあがった。喉を潤すため水場に向かう。
やがて全員が起きだし、寝具を片付けて水を飲んだり朝の日課であるクレンジングの魔法を使ったりしている。
その間、マリアは特になにもせずじっと四人の様子を見ていた。
水の補給も含めた支度が終わったと見たか、透夜は皆に声をかける。
「それでは、出発しよう」
透夜を除く全員がそれぞれうなずいた。
「一旦、あの場所に戻ってそこからまた別の道だね」
「今日こそ『聖』の文字が書かれた本が見つかるといいのだけど……」
この階最初の場所であるいくつかの通路が開かれた部屋にまで戻り、そこからまた探索を開始した透夜たち。
それなりの頻度で敵と遭遇したが、今の五人が手間取るほどの相手はいなかった。
途中で休憩を挟む透夜たちだったが、マリアは昼食時も――朝食の時もだったが――自分で用意している食料を食べるからと言って、透夜たちが焼いたモンスターの肉に手をつけることはなかった。
◇◆◇◆◇
昼食を終えた後の探索の際。
やがてたどりついたある部屋は、ダンジョンの一室とは思えない広さがあった。横や奥行だけではなく、高さもだ。
そしてなぜこの部屋がこんなに広い空間となっているのか、透夜たちは即座に理解することになる。
翼を生やした一体の獣が空を飛んで現れたのだ。その獣は翼をはためかせながら透夜たちの前に着地する。
鷲の翼と上半身、そしてライオンの下半身を持つ生物だった。
透夜たちから見ると、グリフォンと言われる伝説上の獣にそっくりである。
そのグリフォンらしき生物は明らかに敵対的な気配を透夜たちへと向けてきていた。戦いはさけられそうにない。
透夜たちはそれぞれ武器を構えた。初めて見る敵だが、姿だけでもかなりの強敵だと予測ができる。
やがてグリフォンは上体を持ち上げ、爪の生えた前脚をわななかせながら鷲の口で大きな声をあげて鳴いた。
するとまるでそれに呼応したかのように、天井のあたりから数本の稲妻が降ってきた。
「うわ!?」
幸い誰にも命中しなかったものの、雷に撃たれた石の床は黒く焦げている。直撃したらただではすまなかったろう。全員に緊張が走った。
「プロテクトサンダーをお願い!」
透夜がそう叫び、片刃刀と盾を手に突進する。ソーニャも両手剣を構えて駆け出した。
「私も援護にまわろう。私への魔法は後回しでいいぞ!」
マリアの言葉を聞いた絵理と杏花がそれぞれ魔法をかける動作と詠唱を開始した。
「プロテクトサンダー!」
やがて完成した絵理と杏花の魔法が、透夜とソーニャにそれぞれかかった。防ぐ範囲は広いが、二人が動き回ると予想されるため、それぞれ個人に向けてかけたのである。
「雷魔法への守護を!」
やや遅れてマリアが、プロテクトサンダーと同種の魔法を絵理と杏花が立つ位置の中間地点にかける。注がれた魔力量とマリアの魔法力を示すように半円状の守護結界は大きく、明るい黄色で明滅している。
ありがとうと言うふうに絵理がマリアに手を振ると、マリアも小さく笑った。
その間に透夜とソーニャはグリフォンへの間合いを詰めていた。
透夜が愛刀を持って正面から駆ける。グリフォンは近づくのを待つことなく、逆に透夜に向かって飛び掛かった。
重い体重ごと、鋭い爪が生える前脚が振るわれる。さすがにこれを盾や剣で受けようとはせず、透夜は体をそらして辛くもかわした。着地したグリフォンの後ろ脚を今度はソーニャが狙う。
しかし横薙ぎに払われた両手剣をグリフォンはステップして避ける。偶然なのか攻撃を察知してかは分からないが、ソーニャはくやしさに顔をしかめた。
グリフォンはその場でふたたび前脚を振りかざした。先ほどの落雷を思い出し、透夜とソーニャはその場を離れる。
ほぼ同時に、そのあたりの一帯を数本の稲妻が蹂躙した。
プロテクトサンダーの守護があることにくわえ、直撃ではなかったことが幸いして二人が受けた衝撃はそれほどでもない。
「アースバインド!」
絵理の魔法によって生まれた土の足かせが、グリフォンの後ろ脚に重りとなって巻きついた。しかし、足かせの重量はグリフォンにとってそれほどの重荷にはならないようだ。その挙動がわずかに遅くなったにすぎない。
それでもやはり不快なのか、どうにかして足かせを外せないかとあがくグリフォン。
そこに炎の槍が走る。杏花が放ったファイアージャベリンだ。
グリフォンの下半身であるライオンの胴体に突き刺さり、その体を激しく焼いた。鷲の頭が苦痛の叫びをあげる。
よろめいたグリフォンへと透夜が距離を詰め、片刃刀の一撃を加える。その刃は獣の皮を切り裂き、肉を抉った。
しかしまだグリフォンは倒れない。瞳に大きな怒りを灯しただけだ。
鷲の爪がついた前脚が振るわれる。今度は雷を落とすためではなく、目の前にいる相手をうち払うためだ。透夜はなんとか盾をかざしてそれを防ぐが、これまで受けたことのない重みにたたらをふんだ。
「透夜!」
追い討ちしようとしたグリフォンを、横合いからソーニャが剣を突き出して牽制する。その切っ先はグリフォンにかわされたものの、追撃を防ぐという目的は成功した。
しかし、かわしたグリフォンはそのまま空中を舞い始める。そして空を飛びながらふたたび前脚を振り下ろした。たちまち落雷が石の床を襲う。
今度は透夜とソーニャだけではなく、マリア、そして絵理と杏花の側にも落ちかかる。
透夜とソーニャは完全にはよけられず、結界越しとはいえその雷撃を浴びた。歯を食いしばって痛みに耐える両人。マリアは華麗なステップで落雷を回避した。
絵理と杏花には幸い直撃することなく、さらにマリアが張った守護結界のおかげでそこまでのダメージはない。
「無事か二人とも?」
「な、なんとか……」
「ええ……」
駆けつけたマリアに、透夜とソーニャはうめきながらもちゃんと返事をした。
見上げるグリフォンは自分の庭のように空を舞っている。あそこからまた落雷を連発されてはかなわない。
「クロスボウで狙い撃つわ……しばらく牽制をお願い」
「わかりました」
「いいだろう」
武器を持ち替えるソーニャの側で、まずマリアが魔法の詠唱を開始した。いつか見たように、剣先で光る文字を宙に描いていく。
「魔力にて放つ光の矢!」
魔法はすぐに完成し、マリアのもとから光輝く矢が飛翔する。透夜たちがマジックミサイルと呼んでいる魔法だ。二文字なのでファイアーボールなどよりも早く撃つことができるうえに、多少の追尾性能を持っている。
マリアが意図した通り、追いかけるように飛来する矢をかわすことに専念するグリフォン。
「マジックミサイル!」
マリアにならい、透夜もマジックミサイルを唱えた。同じように蛇行する矢がグリフォンを襲う。
絵理からも杏花からもおなじく光の矢が放たれた。
魔法の矢を全てかわしはしたものの、うっとうしいと思ったのか、グリフォンは空を舞うのをやめて急降下してきた。
狙われたのは透夜である。そこにソーニャが準備を終えたクロスボウから矢を連続で放つ。一本は頭にも命中し、魔物はその体をよろけさせる。
グリフォンの勢いが削がれたことが幸いし、身をなげだす形でなんとか体当たりを回避する透夜。さすがに今のを喰らっていたら大怪我をしていた可能性が高い。振動と共に埃をまき散らしながら着地するグリフォン。
着地後、見失った敵を求めて振り向こうとしたグリフォンだったが、その胴体にまたも矢が突き刺さる。クロスボウを構えたソーニャが、動きを止めた獣に向けてここが勝機とばかりにトリガーを引き続けた。
連続で矢が放たれ、次々と鷲の上半身、ライオンの下半身へとそれぞれ突き刺さる。しかしまだ魔獣はまだ倒れない。
そこに氷の槍、炎の槍がほぼ同時に飛来し、獣の体を冷たく熱く抉った。絵理と杏花が放ったのである。
透夜とマリアがよろめくグリフォンへと駆け寄る。二人の振るう刃が、それぞれ獣の胴体を深く切り裂いた。
ついにグリフォンは断末魔の声をあげた。最後に稲妻を呼ぼうというのか、前脚をわななかせる。しかし、結局落雷が透夜たちを襲うことはなかった。そのまま前脚は力を失う。
ようやく、鷲とライオンの姿を合わせ持つ魔物は床にその体を横たえたのであった。
「ふう……強敵だった……」
「ええ……そうね」
なんとか撃破することが出来たグリフォンを見下ろし、透夜たちは息をつく。ソーニャは矢を回収するため床に倒れている獣へと近づいた。他のメンバーもそれを手助けしようと歩み寄る。
回収作業はすぐに終わり、透夜たちは立ち上がった。
これまで見たこともなかった恐るべき魔獣と、明らかに他と違う広さを持つ部屋。
何かがあっても不思議ではないと、透夜はぐるりと室内を見渡す。
するとそれはすぐに目についた。奥の壁の一画が明らかに他の部分と違う。そちらへと近づく透夜たち。
部屋の奥にはくぼみがあり、その場所は美しい台座のように装飾がほどこされていた。そしてとても大事なもののように、一冊の本が置かれている。厚さはそこまでではない。
透夜はそれを手に取り、めくった。全員がそれを覗き込む。
どうやらこれこそが求めていた『聖』の文字について書かれた本のようであった。
「これが……マリアさんが言っていたものですか?」
透夜はマリアに視線を向けながら言った。マリアは力強くうなずく。
「うむ、そうだ。これであの部屋を守る存在を打ち倒すことができるだろう」
魔法も、魔法の力を帯びた武器さえもまったく通用しなかった恐ろしい敵。
マリアが言う通り、この文字が切り札となるならば、この本を読み解いてその力を身につけなければならない。
「今すぐ読みましょう」
杏花の言葉にもちろん全員が同意する。
「じゃあここで小休止をとりながら、文字について調べることにしようか」
透夜たちは腰をおろし、新たな文字に対する知識を深めることにした。