076 ロシア語でデレるソーニャ先輩
先ほどの扉を抜けた先は石造りの通路が続いていた。
透夜が盾にかけた魔法の光で辺りを照らしながら二人は歩いていく。
「そういえば、このダンジョンで最初に落とし穴に落ちた時のことを思い出しました」
「ああ……単独行動をするきっかけになったっていう?」
「ええ、それです。まああの時はモンスターの真上に落下して、怪我しなかったかわりにそいつに追いかけまわされるハメになったんですが……」
「ふふ……ほんと、その時から透夜っていろいろ無茶な冒険をしてると思うわ」
「ソーニャ先輩も大したものですけどね。途中からずっと一人で戦ってたんですから……しかもポーションの存在も知らずに」
「そ、それは早く忘れなさい!」
「あはは……」
自分の恥ずかしい過去に触れられ、顔を真っ赤にするソーニャ。ごまかし笑いで応える透夜。
その時、透夜が足を止めた。あちこちを照らしていた盾も、通路の前方へとかざす。
「……何かいた?」
「ええ……動くものが見えたような……」
「念のため、ここにも明かりを生んでおくわね」
「お願いします」
すぐにソーニャが魔法を発動させるための動作を開始する。
「ライト」
ソーニャが発した言葉に導かれ、空中に光が生まれた。石の通路を広く明るく照らす。
やがて、その光の範囲に足を踏み入れたものがいる。先ほど透夜が目にしたものだ。
それはずいぶんと奇怪な姿をしていた。二足歩行で頭も腕もあるのだが、全身が太いトゲによってびっしりと覆われていたのである。目はあるのか分からないが、明らかに透夜たちを認識していた。
透夜とソーニャははるか以前、地下一、二階あたりで似たようなモンスターを見た記憶があったが、そいつはトゲが両腕にしかついていなかった。目の前にいるのは明らかに上位版といった感じの相手である。体格も大きくなっており、背丈が透夜と同じくらいだ。
「少し厄介そうね」
「確かに上で見たやつよりも強そうです……魔法で仕留めましょう」
幸い数は一体しかいない。
透夜とソーニャはそれぞれ右手のひとさし指で文字を描きだす。
奇怪な魔物も力強い足取りでのしのしと透夜たちのほうへ歩きはじめた。
「ファイアージャベリン!」
先に完成したソーニャの魔法。燃え盛る炎の槍が空中に生まれ、投げ槍のごとく敵へと飛翔する。
赤熱の槍に胸を貫かれ、よろめく魔物。しかしそれだけでは倒れない。
「ファイアーボール!」
遅れて透夜から放たれた火球がそこに命中し、爆発する。
さすがに魔法の連続攻撃は耐えられなかったのか、魔物はその直撃によりバラバラにはじけ飛んだ。
ほっと一息をつく透夜とソーニャ。
「こんな魔物がいっぱいうろついているなら、さすがにまずいですね……早く戻れる道を探さないと」
「ええ、急ぎましょう」
透夜、ソーニャは足早に石の通路を進み始めた。
◇◆◇◆◇
透夜の危惧は的中し、その後トゲトゲの魔物と何度か遭遇することになった二人。
透夜とソーニャは可能な限り遠くから魔法を撃つことでそれらを仕留めた。
やむを得ず接近戦をしなければならないこともあったが、アースバインドによる土の足かせで相手の動きを鈍らせ、マジックウェポンをかけてもらったソーニャが両手剣のリーチを活かして戦い、無傷でこれを降した。
敵をひたすら撃破しつつ歩を進める二人であったが、あることに気付いた透夜がソーニャの方を見ながら口を開く。
「ソーニャ先輩……なんだか、さっきからずっと道がゆるやかな登り坂になっていますよね?」
「そうみたい。ということは、落ちたところの近くにまで戻ってきてるのかも?」
二人の声は期待と喜びに弾んでいる。
やがて透夜たちはある一つの部屋にたどり着いた。
扉で区切られているというわけではなかったが、やや広めの空間となっている。
「何かあるかもしれないわね」
「探してみましょう」
ソーニャがライトを唱え、部屋全体を明るく照らす。
透夜、ソーニャは壁にはりつくように隅々を探しまわる。
すると、壁の一か所が違う色で小さく枠取りされていた。隠されたボタンである。
見つけたソーニャが透夜を呼んだ。
「押すわよ?」
ソーニャの確認に透夜がうなずく。
ソーニャがその小さなボタンを押すと、壁の一画がゴゴゴ……という音をたててスライドしはじめた。
開いた向こうには大きな空間が見える。先ほどまでさまよっていた石の通路とは空気の流れも違う。
二人は開いた場所から外に出た。あたりの地形には、なんだか見覚えがあるような気がする。
「ここって、あの落とし穴があった広間よね?」
「たぶんそうです……絵理ちゃんたちもまだ近くにいるかも」
落とし穴に落ちてからそれなりの時間は経っているはずだが、絵理と杏花の姿を求めて透夜は首をめぐらせる。
しかしその必要はなかった。
「透夜くーん!」
遠くから絵理の大声が聞こえたからである。透夜とソーニャはそろってそちらを見る。
そこには手を振りながら駆けてくる絵理がいた。もちろん杏花も一緒だ。
透夜も笑顔で手を振り返した。満面の笑みをはりつけたままソーニャを振り返る。
「合流できて良かったですね、ソーニャ先輩」
「……ええ、そうね」
ソーニャも笑みを浮かべて透夜に返事をした。その表情にはいくらか別の感情がこもっていたようだが、透夜は気付くことなく絵理たちの方へと歩きはじめた。
ソーニャもその後に続く。
合流できてよかったと思うのはもちろんソーニャも同じだ。
ただ、ソーニャは小さな声である言葉をつぶやいた。さきほど隠していた感情をその言葉に込めて。
それは透夜の耳にもかすかに届いたが、彼にはよく分からない音の響きを持っていた。
つぶやかれたのは日本語でもこの世界の言語でもなかったからである。
ソーニャはロシア語でこう言ったのだ。
――私はもう少しふたりきりのままでも構わなかったんだけどな……、と。