072 地下八階。燃え盛る炎
ついに地下八階へと到達した透夜たち四人。
道は下りた先からまっすぐに続いていたが、やがて丁字路となって突きあたる。左右の通路を確認する透夜たち。
左は少し歩いた距離に扉があり、右は同じような石の通路が続いているようだ。
「やっぱり、扉の方から見ておこうか?」
透夜の確認に全員が頷いた。
よく見かけるボタン式の扉を開け、四人は中へと足を踏み入れる。
それなりに大きい部屋であったが、向かいの壁の一画にボタンらしきものがあるのが見えた。
いつもの習性でボタンを押してみようとそちらへ向かい始めたその時。
突然、部屋の中央に赤い炎が生まれた。
唐突過ぎる出来事に、一瞬四人の足が止まる。
それはみるみる大きくなり、透夜の身長よりも高く燃え上がった。
まるで威嚇するかのように、その炎の塊から火の柱が透夜たちのもとへ連なって走る。
迫る火柱からあわてて距離をとる四人。直撃は受けなくてもその熱気はすさまじい。
「こ、今度は火の精霊みたいなやつ?」
絵理が漏らした言葉に、やはり全員が心の中で同意した。地下七階で見たものが水の精霊なら、これは火の精霊と呼称して問題なさそうな相手である。
火の精霊らしき存在は、ここは通さないとばかりに部屋中央で燃え盛っている。奥に見えるボタンの番人と言ったところか。
あの時戦った水の精霊のように、並みの実力ではない可能性が高そうだ。
絵理は自分が首から下げるペンダントを見た。ペンダントトップには炎をかたどったような赤い宝石が飾られている。以前、杏花のペンダントが水の精霊の攻撃を防いだように、火の精霊の攻撃もこれで多少は威力を弱めることができるかもしれない。
しかし誰よりも先に、透夜が動いた。
「僕がやる。プロテクトファイアーをお願い。あとマジックウェポンも」
透夜は三人にそう声をかけると、一歩前へと出る。
ヒーリングポーションで火傷も治るとはいえ、さすがに女の子にとっては近寄りたくない相手だろうと考えたのだ。
珍しく強い語気に、絵理と杏花は迷ったものの反論はせず、透夜を援護するための魔法の行使を始めた。
ただ、ソーニャはいつものように透夜の隣に立った。その手にはすでに両手剣が握られている。ソーニャも透夜と肩を並べて戦うつもりのようだ。
しかし透夜はさらにもう一歩踏み出し、ソーニャをも背後にかばう。
「先輩も下がっててください。さすがに女の子にあれの相手をさせるわけにはいかないので」
「えっ?」
「? ……僕、何か変なこと言いました?」
先輩から返ってきたのがやや気の抜けた返事だったため、透夜は疑問を顔に貼り付けて後ろを振り返る。
「い、いいえ……その、ありがとう……」
ソーニャは少し目をそらしつつ、何やら顔を赤らめて感謝の言葉を述べた。
「プロテクトファイアー!」
「マジックウェポン!」
絵理と杏花の魔法が完成し、たちまち透夜の体を中心に周囲を赤い光が覆った。プロテクトファイアーによって生まれた火を防ぐ障壁である。同時に透夜の片刃刀が魔力を帯びて白く輝く。
マジックウェポンがかかった武器なら、ああいった相手にも通用するはずである……が、実践するのは始めてだ。
透夜は石の床を蹴って距離を詰めるとともに、火の精霊に向けて白く輝く剣を挑発するように宙で躍らせた。敵の注意が自分に向くようにである。
火の精霊はそんな透夜へと魔手を伸ばす。炎がその本体から長い帯となって届いた。
先ほどは火柱を放ってきたが、今度繰り出されたのはフレイムハウンドが口から吐いてきたのと同じような、火炎の吐息を思わせるものだった。
直撃こそはしなかったが、透夜の体はその炎でしばしあぶられた。だが体を守る障壁のおかげか、覚悟していたよりはずいぶんとマシな熱さと痛みであった。
透夜は炎が少ない場所を走り、通り抜けざまに火の精霊の本体を片刃刀で切り裂く。
魔力がのった刃が一閃すると、断たれた部分が消滅して火の精霊はゆらめき、明らかに火勢が衰えた。どうやら、マジックウェポンの効果はちゃんとあるらしい。
ふたたび伸びてくる炎を、透夜は盾をかざして己の身をかばいつつ距離をとった。すでに熱気で体中から汗が噴き出ている。
「アイスジャベリン!」
透夜が離れたのを見計らい、絵理たちが放った氷の槍が三本飛来する。
透明な槍の穂先は見事に火の精霊を抉った。水蒸気のようなものがたちまち生まれ、火の魔物は本体らしき体を揺るがせる。しかし、まだまだその火のサイズは大きい。
今度はその体から床を這うような火の柱が透夜、そして遠くにいる絵理たちのもとへと走る。
四人は向かってくる火柱からあわてて身をかわした。
ふたたび敵の気をそらそうと透夜は盾をかざして突っ込み、新たに迫る炎の帯をかいくぐると刃を振るった。
先ほどよりも深い斬撃が火の精霊の体を断ち切る。
一旦距離をとり、火の精霊の様子を窺うが、顔らしきものもないのでこちらを見ているのかすら分からない。
火の精霊はその体から広範囲に炎の波を広がらせた。透夜は飛び退ってその波から離れる。幸い炎は透夜にまで到達することなく消えた。
そこに突っ込み、熱さに耐えながら火の精霊の本体へとさらに一閃。
最初にくらべると火のサイズは衰えたが、剣で倒すには少々時間がかかりそうである。
「透夜! 離れて!」
ソーニャの声が響き渡り、透夜はすばやく火の精霊のもとから飛び退った。
そこにやや遅れて一本の矢が飛来し、火の精霊へと突き刺さる。矢はそのまま向かい側へと飛び去って行ったものの、精霊の体は大きく揺らいだ。その矢にはマジックウェポンの効果がかかっていたのだ。
「透夜くん、こっちこっち!」
透夜が声の方に視線を向けると、見えたのは手を振る絵理。
少女たち三人がいる場所には、いつの間にか三重となって床の上に立つ氷の壁があった。絵理たちがアイスウォールの魔法で生み出していたのである。物陰に隠れる狙撃兵のように、ソーニャが氷の壁から半身を出してクロスボウを構えていた。その側で杏花も新たな魔法の動作と詠唱を行なっている。
透夜は新造された氷壁の後ろへと走る。
下がる透夜を援護すべく、ソーニャのクロスボウから続けざまに放たれた光輝く矢が火の精霊を襲った。
間断なく撃ちこまれる矢が通り過ぎるたび、火の精霊のサイズは少しずつ小さくなっていく。
火の精霊が苦し紛れに火柱を走らせるが、それは一番手前の氷壁に遮られて終わった。
「アイスジャベリン!」
さらに杏花が生み出した氷の槍が弱った火の精霊を貫く。
火の精霊は負けじと火の柱を連続で放つが、その悪あがきで出来たのは氷壁をいくらか溶かすことだけであった。
矢を撃ち尽くしたソーニャ、そして絵理、安全地帯に入った透夜もそれぞれアイスジャベリンを唱える。
次々と飛来する氷槍をその身に受け、ついに火の精霊らしきモンスターは、その燃え盛る姿もあたりを焦がす熱気も失い、このダンジョンから消滅したのだった。
「大丈夫!? 透夜くん!」
戦い終わって透夜を一斉に見る絵理たち。三人はいずれも心配げな表情を浮かべている。
「うん。プロテクトファイアーのおかげか、それほどでもなかったよ」
なんてことはないという風に答える透夜。
とはいえ、その全身はあちこちに火傷の痕と思しきものが残っていた。
透夜は自分の腰からヒーリングポーションを引き抜き、飲み干す。すると透夜の体に刻まれていた痕が綺麗に消え去った。鎧などもそれなりに損傷しているが、あとでリペアを使えば直るだろうと透夜は判断した。
絵理たちは傷の癒えた姿を見てほっと一息をつく。
「ごめんね、透夜。結局途中まで一人で前衛を任せる形になっちゃって」
「ソーニャ先輩も気にしないでください。やっぱり、ああいう相手は女の子にとってはつらい相手でしょう?」
「でも……」
ソーニャに続いて口を開いたのは杏花。絵理たちは三人そろって声も表情も沈痛だ。やはり、厄介な敵の正面に透夜一人を立たせてしまったことに罪悪感があるのだろう。
「ふだんは皆にもモンスターと戦ってもらってるんだから、せめてああいう時くらいは僕がやらないと」
恥ずかしいような台詞をさらりと言う透夜。
それを聞いた三人は、さすがにもう謝罪の言葉を口にするのはやめた。
透夜もそう言ったあと少し照れくさいと思ったのか、あさっての方を向いて自分にリペアの魔法を唱えだした。
絵理たち三人はそんな透夜を見ながら小声で会話をする。
「……透夜くんってさ……」
「ええ……なんというか……」
「やっぱり無意識でやってるのかしら……」
今の三人に先ほどまでの暗い表情はもはやなく、あたたかい笑みが浮かんでいた。