068 せめぎ合う水と火
砲丸投げを行なった部屋から出てきた透夜たち。
通路はその部屋で行き止まりだったため、一旦元の広間へと戻ってきた後、さらなる探索を行なう。
次に進んだ通路の先にあったのは大きな部屋だった。
部屋の中央に大きな水たまりがあるのだが、周辺に水場らしきものはない。
おかしなこともあるものだと思った透夜たちだったが、室内へと足を踏み入れる。向かいの壁に、何やらボタンらしきものが見えたからだ。
透夜たちが中央にある水たまりを迂回しようとしたその時だった。
その水が重力を無視するかのように、突然すべて宙へと浮かび上がったのである。
「……え!? え!?」
「気をつけて!」
異常事態に透夜たちはそれぞれ浮かんだ水から距離をとり、身構えた。
その水は中央に集まるとやがて大きな丸い塊となって空中に停止する。
さらにいくつかの小さな水の玉がその塊を取り囲み、まるで太陽の周りをまわる惑星のようにぐるぐると回転しだす。
「な、なんなのあれ!?」
絵理の言葉に答えられる者は一人もいなかった。透夜を含めて誰も見たことがない存在だったからである。これまで戦ってきたモンスターともまったく似つかない。
周りを囲む水の玉がひとつ、動きを止めた。
ややあって、その水の玉はかなりの速さで透夜へと飛来する。それを辛くもよける透夜。
水の玉は壁に当たり、大きな音と共に弾けた。その威力がうかがえる。
しかも驚いたことに、壁に当たって弾けたはずの水の玉はそのしぶきが集まって弾ける前の姿に復元し、部屋の中央へと戻っていったのだ。再び太陽を囲む惑星の一つとなり、大きな水の塊の周囲をまわりだす。
そしてこの時気付いたのだが、先ほど入ってきた入口がいつの間にか扉によって閉ざされてしまっている。どうやら罠に誘い込まれてしまったらしい。
「み、水の精霊みたいなものなんじゃ?」
透夜がその正体を推測して言った言葉に全員が納得した。
今度は二つの玉がやはり動きを止め、いずれも剛速球となって飛んでくる。
狙われたのはソーニャと絵理。
先ほどの挙動を見ていたこともあり、ソーニャは比較的余裕を持って、絵理はぎりぎりのところでそれを避けてみせた。
壁や床に当たってはじけ飛んだはずの水玉は、やはり元の形に戻って本体らしきところへと帰っていく。
「よく分からないけど、敵なのは間違いないわ!」
「でも……どうすれば?」
あの体に剣が効くとは思えない。しかし魔法を使う隙を見いだすのも難しい。またも新たな水の玉が撃ちだされる。数は三つ。
狙われた三人はあわてて身をかわす。
透夜は試しにスローイングナイフを投げつけた。しかし、その刃は水の塊に突き刺さったかと思うと勢いをなくし、そのまま床に落ちてしまった。水の魔物はなんの痛痒も感じていないようである。
「やっぱり魔法でどうにかするしかないみたい」
透夜の声に全員がうなずく。
しかしそんなチャンスは与えないというように、今度は四つの水玉が水の魔物から放たれた。
全員にひとつずつ飛んでくる。
透夜と杏花は盾でそれを受け止め、絵理とソーニャは体をそらして剛速球をからくも回避した。
透夜は盾を構えた手にかなりの衝撃を覚え、盾で受け止めずに避ければよかったと後悔していたが、同じく盾で受け止めた杏花は訝しげな表情を浮かべていた。なんだか、水の弾丸の速度が途中で少し遅くなったような気がしたのである。
放った水の玉が戻ってくるまでの時間を待たず、水の精霊はふたたび彼らに新たな水の玉を撃ちだす準備をした。
水に効果がありそうなものといえばやはり火だが、透夜たちは魔法を使う隙をなかなか見つけることが出来ない。
そうこうしている間にまた水の玉が飛来する。
今度は落ち着いて水の玉を見据えつつ回避に専念することにした杏花。
すると、杏花に向かってきたそれは、やはり途中で勢いをそがれたように速度を落とした。また、その時自分の周囲にマジックシールドのような輝く障壁が張られたように思える。障壁の色は薄い青色だった。杏花はいくぶん余裕をもって水弾から逃れることができた。
「杏花! 今なんだかペンダントが光ってたわよ!」
偶然それを見ていたソーニャが声をはりあげる。
「ひょっとして、水の攻撃を防ぐペンダントってこと!?」
それを聞いた絵理が杏花の胸でおどる宝石を見つつ叫んだ。
かつて透夜が魔法の効果があってもおかしくないと評していたペンダント。あの大扉を開ける鍵となるだけではなく、着けている者に恩恵もあるのかもしれない。
「なるほど。完全に防ぐ……というほどの効果はないようですが、たしかにさっきから飛んでくる水の威力が多少弱まっているように思えます」
その効果のおかげで考える余裕も生まれた杏花は、透夜の側に駆け寄り、その前に立って水の精霊らしき魔物に向かい盾を構えた。前方を見据えながら杏花は後ろの透夜に呼びかける。
「透夜君、私の後ろに隠れてファイアーボールの準備をしてください」
「!? ……分かった! でも気をつけて!」
杏花がやりたいことを一瞬で理解した透夜。
危険だと伝えようとした透夜だったが、たしかに今の状況で対処できそうな方法はそれしかない。注意を促した後、魔法を行使するための準備動作を開始する。
「お願いね! 頑張ってひきつけてみる!」
「あたしも攪乱してみるよ!」
ソーニャ、絵理も杏花に応えようと動き出した。
ソーニャは無駄だろうとは思いつつも水の精霊本体に駆け寄り、側を通り抜けざま両手剣を振りぬいた。返ってきたのはそのまま水を斬ったような感触のみ。やはり手ごたえがあるとは言い難い。水の精霊も何事もなかったかのように平然としており、離れようとしたソーニャへ水の弾丸を撃ちだした。鎧の肩当てに直撃をくらい、よろけるソーニャ。
「こっちよ! 鬼さん!」
絵理もふところから投げナイフを取り出し、動きながら順次それを投げつける。
やはり効果はあがっていないものの、うっとうしいと思ったのか水の精霊は水の弾を絵理にも飛ばしてきた。距離をとっていたことも幸いしてぎりぎりのところで避ける絵理。
二人が気を引こうと尽力するものの、やはり魔物の攻撃は動きをとめている杏花、その後ろの透夜に集中した。
「……!!」
杏花は歯をくいしばり、籠手、もしくは盾を使って飛来する水の玉を受け止める。
いくらペンダントの効果により威力が弱まっているとはいえ、その衝撃はやはり並みのものではない。魔法が完成するまでの数秒が、やけに長く感じられた。
しかしようやく報われる時が来る。
透夜が詠唱の言葉を最後まで発音し終わる直前、杏花は透夜の前で身を屈め、透夜と水の魔物との間に射線を作った。
「ファイアーボール!」
ほぼ同時に透夜から放たれた火球が、見事に水の精霊へと直撃する。
大きな爆発が起こり、水の精霊の本体らしき大きな水塊もしぶきとなって飛び散った。剣や投げナイフと違い、効果があるのは明らかだ。
「やった!」
絵理が歓喜の声をあげた。
……しかし。
「ま、また水が戻っていきます!」
立ち上がった杏花がその光景を見て悲痛な叫びをあげる。
飛び散ったはずのしぶきが浮き上がり、ふたたび一か所に集まろうとしているのだ。
「透夜! もう一度お願い!」
ソーニャが言い終わる前に、すでに透夜はファイアーボールの詠唱を始めていた。
水の魔物が元の姿に戻る前に、新たな火球が生まれ、もう一度宙に浮かぶ水の塊に着弾、爆発する。
同じようにしぶきとなって散らばるも、やはりすぐにはじけ飛んだ水が中央へと戻っていってしまう。
絵理たち三人もそれぞれ火の魔法を詠唱し、透夜に続けて放った。
「ファイアージャベリン!」
「ファイアーボール!」
生み出される火の槍が、火の球が、水の魔物を貫き、あるいは吹き飛ばす。
しかし、やはり間をおいて復元が始まってしまう。ただ、戻る水の量は少しずつ減っているように思えた。
どうやら一定の効果はあるようなのだが、さすがにこのままでは四人の魔力が先に尽きてしまうだろう。
せめて継続的に効果をあげられる火の攻撃魔法があれば……と透夜は歯噛みする。そして次の瞬間、いつも使っている魔法の中に継続的な効果を持つ火の魔法があることに気付いた。
「みんな、ファイアーフロアを!」
その言葉で全員が理解した。
絵理たちは水の精霊から飛び散る水を逃さないよう、それぞれがファイアーフロアの魔法を使って、魔物が漂うそばの床一面を紅蓮の炎で包んだ。
炎の上にたたずむ水の精霊らしきモンスター。動く様子はない。
そこにふたたび着弾する透夜のファイアーボール。またも水の精霊はその体のほとんどを飛沫にされてまき散らす。
透夜の目論見通り、床で燃える炎は四散した水の雫をどんどん蒸発させていく。それでも残った水が本来の姿をかたどろうとしたが、その形は明らかに小さい。
ファイアーフロアをかけ終えた絵理たちも、透夜と一緒に水の魔物へ火の攻撃魔法を連続して解き放つ。
何度目かの魔法が命中した後、ついに散らばった水が元に戻ることはなく、水の精霊らしきモンスターは消滅したのであった。
敵が消えたのを見届けたあと、透夜は杏花を正面から覗き込んだ。
「杏花さん、怪我はない?」
「ええ。ちょっと痛むところはありますが、平気です」
「ごめん……他に方法が思いつかなかったとはいえ」
「いえいえ、私が望んだことですから」
恐縮する透夜を前に、満面の笑みを浮かべる杏花。彼女としては、むしろこれくらいでは今まで彼にしてもらった厚意にまだまだ報いきれていないと思っている。
ソーニャ、絵理も二人のところに戻ってきて杏花の体を気遣い、ねぎらった。
「今回はかなり大変だったわね」
「みんなで得た勝利って感じだったね」
ソーニャと絵理の言葉に全員がうなずく。
まだファイアーフロアで生まれた火は床の中央で燃えていたが、水の魔物によるしぶきを何度も浴びて火勢が衰えていたからか、しばらくして燃え尽きた。もう水の気配はわずかにもない。
焦げた床の上には透夜と絵理が投げたナイフが落ちている。
火にまかれてボロボロになっていたが、ダメ元で二人がリペアの魔法をかけると本来の姿へと戻った。刀身の形が残ったままだったのが幸いしたのかもしれない。
ようやく終わった戦いに、全員がほっと一息をついたのだった。