006 魔法の文字が書かれた本
「じゃあ火を起こそうかな」
「分かった。あたしがやるからちょっと待っててね」
肉を焼くつもりなのかそう言った透夜に、絵理は背負い袋の中にある火口箱と薪を取り出そうとした。このダンジョン内で必死に練習したおかげで、絵理は原始的な方法で火を起こせるようになっている。
しかしそんな絵理を透夜が制止した。
「大丈夫。魔法で焚き火みたいなものを作り出すから」
「え? え? そ、そんなこともできるの!?」
「うん……そうだ、せっかくだし魔法のことについて説明しながら実演するね」
そういって透夜は自分の背負い袋をごそごそとしだした。
やがて彼が中から取り出したのは、表紙を含めた装丁に綺麗な装飾がされている一冊の本だった。
「それは?」
「魔法の本」
「えええ!?」
「正確には魔法の文字が書かれている本、かな。これを見てもらえる?」
透夜は絵理が見やすいよう、彼女の隣に場所を移動した。
絵理は少しドギマギとしながらも、透夜が手繰るページを覗き込む。
そこに書かれていたのはこの世界特有の文字であり、文章であった。
二人を含め、この世界に来たクラスメイトは召喚された瞬間からこの世界の言語が理解できていた。この本に書かれている文章は難しい表現が多いうえ、ややこしい構文になっているようだが、それでも時間をかければちゃんと読むことができる。
しかし、2~3ページにひとつという割合で紙面に描かれている大きめの文字に関しては、その意味が分からない。
目立つ形で記されているそれらの文字は、元の世界で言うなら象形文字の原型のような形状をしていた。
「特別扱いされてるこの文字は難しい言語なのかさっぱり分からないけどさ、他の文章は読めるよね。だから、この読めない文字はたぶんこの世界における上位の文字なんじゃないかな」
「つまり魔法の文字ってこと?」
「おそらく。それでこの特殊な文字には意味があってね、魔法の発動をイメージして精神を集中しながらこの文字を指で宙に描き、さらに正しく発音することで魔法の力を行使することができるんだ」
「す、すごいじゃない!」
発音の仕方については幸い透夜たちに読める方の言語で補足されていた。もしそういった記述がなかったら、透夜も魔法の力を発現させることは不可能であったろう。
「ただ、魔法を使うととても疲れるんだ。たぶん精神力とか魔力とかいったものを消費するんだと思う。さっき言ったみたいにお腹も空くし喉も渇く」
「へえ……本当に魔法って感じだね」
「それでこの魔法の文字はひとつで効果を発揮するものもあるし、二つ以上組み合わせるとまた違った魔法を発動できたりもするんだ」
「ちょ、ちょっと難しそうだね」
「大丈夫。慣れればそこまででもないよ。じゃあ今からやってみせるね」
透夜は本をパラパラとめくる。やがて目当てのページが見つかったのか紙面を指さした。
「まずこの文字は『火』を意味している。そして……こっちのページの文字は『床』って意味がある。この二つを組み合わせると……」
透夜は先ほど絵理の体を綺麗にした時のように、指を動かして宙に魔法の文字を描いた。透夜の指先からあふれる光がやがて空間に文字を二つ刻んでいく。それと同時に透夜は高らかに魔法の言葉を詠唱する。
「ファイアーフロア」
透夜が二つの文字を指で描き終え、二つの文字を口から音で発し終えたその瞬間、透夜と絵理の前の床に小さな火が起こった。
薪などの燃料もないのに、床から生まれたその炎は焚き火のように赤々と燃え、揺らめいている。
「こんな感じで、火を床に生むことができる。僕がファイアーフロアって呼んでる魔法だよ。大きさや火力も慣れればイメージ通りのものが出せるようになるよ」
「うわあ……すごい……ほんとうにすごいよ! 浅海くん!」
「どういたしまして。でも霧島さんも練習すれば使えるようになるよ」
「うん! ご指導よろしくお願いします!」
出会った時の消沈していた様子が嘘のように明るく元気になった絵理。透夜も良かったと胸をなでおろした。
「さて、じゃあ火もついたし肉を焼こうかな」
「うっ……」
絵理は少し透夜から距離をとるかのようにのけぞった。
透夜が、あのワームの肉を取り出したからである。
あの巨大芋虫は、とてもグロテスクな形状に加えてカラフルな色合いであった。透夜が取り出した肉も、食欲がまったく湧いてこない色をしている。
「まあ僕のことは気にせず、霧島さんも食事をしなよ」
「う、うん……」
気にするなと言われても難しかったが、絵理も自分の荷物から食料を取り出した。この世界に召喚された時にクラスメイト全員に渡されたものである。日持ちする処理がされているのか、このダンジョンに入って数日たった今も、特に変色したり異臭を放つということはなかった。味もそこまで悪くない。
透夜はワームの肉を荷物の中から取り出した鉄串に突き刺していく。やはり気になってしまう絵理だったが、なるべく直視しないようにしていた。
やがて透夜は鉄串を目の前の炎にさしだした。しばらくすると肉が焼ける匂いがしてくる。
その匂いは、絵理が思っていたよりは変ではなかった。
やがて焼きあがったワームの肉にかぶりつく透夜。
未だに信じられないものを見ているような絵理であったが、大人しく自分の食事に専念することにした。お腹が空いているのは絵理も同様である。
「それでさっきの話だけど……」
お互いの食事が一段落したあと、絵理は透夜に話しかける。透夜はワームの肉を追加で焼こうかどうか迷っているところであった。視線を向けて言葉の先を促す。
「あたしも魔法がちゃんと使えるようになりたい。練習って何をすればいいの?」
絵理の声には悲壮感とも思える決意が込められていた。
「このままじゃ足手まといだもの。まだ剣で戦うのは怖いけど、魔法でならきっと役に立てるようになると思う」
絵理の真剣な表情に、透夜も追加の肉を取り出すことをやめ、絵理の方へきちんと向き直った。
「うん、わかった。でも魔法を使うにあたって大事なことがある」
「なあに?」
「魔法を発動する際の、威力や範囲、生み出す場所をイメージすることについて。これをしっかりやらないと大変なことになる」
「た、たとえばどんな?」
今度は自分以上に真剣な声を出した透夜に、多少の気後れを覚えながら絵理は問い返す。
「僕の実体験で説明するね。『爆』と『火』と『球』を意味する文字を組み合わせることで、僕がワームに撃ったファイアーボールが使えるんだけど」
「うん」
「試しに初めて使った時はちょうど目の前に壁があってさ、そこに全力でぶっぱなした火球の爆発に巻き込まれて死にそうになった」
「なにそれこわい」
「あと『毒』の文字と『雲』の文字の組み合わせで毒の雲を作り出せるんだけど」
「うん」
「初めて使った時は自分がいるところに毒の雲が出来ちゃって死にそうになった」
「あ、危なかったね……」
「あとは使う文字を間違ってしまうことかな。解毒のポーションを作れたと思ったら実際は毒のポーションで飲んだら死にそうになった」
「何回死にかけてるのよ!?」
透夜は気まずさに視線をそらす。
「ま、まあ気を付けてやらないと危ないってことだよ……でもちゃんと僕がサポートするから安心して」
透夜は言葉の後半できちんと絵理を正面から見つめ、手伝うことを真摯に約束したが、正直言って一抹の不安をぬぐいきれない絵理であった。