059 何者かの声
フレイムハウンドを倒した後、透夜たちは七階をひたすらに歩き続けていた。さまざまな通路を進み、点在する部屋の中も覗いてみたものの、新たなアイテムも特に発見できず、水場も見かけなかった。そして未だに下り階段も見つかっていない。
ただ、敵だけはまだいろいろな場所にひそんでいるようで散発的に戦闘が起きていた。とはいえ、あの恐ろしいフレイムハウンドの姿はなく、透夜たちはさしたる苦戦もせずにその戦いを切り抜けていた。
「一人でさまよっている時にいろんな階を歩いたって話はしたけどさ」
通路を歩いている時、透夜がふと思い出したように仲間に語り掛けた。
「たぶん、僕が行ったことがあるのはここと同じく地下七階までだと思う。一人で一番深いところまで潜った時、フレイムハウンドとジャイアントラットがその階にいたんだ。あとジャイアントバットもね」
エリアが違うとはいえ、階層が同じなら出てくるモンスターはそこまで差がない……と仮定するなら、透夜もかつて一番深く潜ったところが地下七階だと考えて問題ないだろう。
「じゃあ、地下八階以降は透夜くんでも知らない場所ってこと?」
「うん。そうなるね……」
これまでも赤騎士など見たことのない敵はたまにいたが、これからはそういった相手が出てくる可能性が高まるだろう。
この先の戦いはより厳しいものになりそうだと全員が気を引き締め直していたとき、絵理が透夜を見据えて言った。
「そういえば、透夜くんってどうしてあの時四階にいたの? まああたしはそのおかげで助かったわけだけど……」
今さらだが、なぜ地下七階までに達していた透夜が四階に戻ってきたのか。そう尋ねると透夜はなんのことはないと言いたげな表情で口を開く。
「その地下七階を色々探索したんだけど、下り階段も見つからなくてそれ以上先に進めなくてさ。だからそれを機に上に戻ってみんなと合流しようかなって考えたんだ」
「なるほど、そうだったんだ……」
ひとしきり話が終わった後、無言のまま歩を進める透夜たち。
しばらくは足音だけが辺りを支配していたが……。
「うーん、ここはこうしたほうが良かったかも」
突然聞きなれない声が聞こえた気がして、透夜は立ち止まり仲間の方を振り返った。
絵理たちにも聞こえていたのか、お互いに視線を投げかけあっている。
「絵理ちゃんの声……じゃないよね?」
「う、うん。あたしは何も言ってないよ」
「わ、私もです」
「私も……空耳じゃなさそうね」
キョロキョロと周囲を見まわす四人。しかし石で作られた床と壁と天井とが広がるだけだ。
「……しまったわね、アタシとしたことが。誰もいないと思って油断してたわ……あら?」
ふたたびどこからともなく声が聞こえる。幻聴ではないようだ。
「嬉しい。そのペンダント、ちゃんと手に入れてくれたのね」
戸惑う四人のもとに、今度は明確な意思が込められた声が届いた。明らかに自分たちを認識している。しかしやはりその姿は見えない。声の主を求めて色々な方へと視線を配る透夜たち。
「アハハッ! 悪いけど、まだ姿を見せる気はないわ」
そんな四人をあざ笑うような声が迷宮に響いた。絵理たちと同年代の少女を想起させる声音である。そして今頃になって気付いたが、先ほどから話されているその言葉は日本語ではなかった。
この世界に召喚された時から理解できるようになった、この世界の言語である。
「だ、誰なの?」
「火と水と風と土か……まあ普通にやってたら手に入るのはその四つになるかな」
日本語ではなく、この世界の言語で問いかける絵理。しかし質問を無視し、謎の声の持ち主は言葉を続けた。
「あの剣もちゃんと手放さずに持ってるのね……見どころがあるわ」
まるで間近で覗き込まれているかのような圧迫感を感じる。もはや一言も喋らず、身を守るようにお互い背を合わせてただ身構えるだけの透夜たち。
「どっちも大事にしておいてね。アタシに会いたいならね」
そう言うのとほぼ同時に、先ほどまでこの場に存在していた強烈な圧迫感が薄まった。
「最後にひとつだけ。ここはもう行き止まりだから、他の階層を探してみてね」
そんな言葉を最後に、ついに何者かの気配は完全に消えた。しばらく固唾を飲んで様子を窺っていた透夜たちだったが、もう声が聞こえることもなかった。
透夜たちはようやく胸をなでおろす。
「な、なんだったんだろう今の?」
「分からない……でもすごく怖かった……」
「私もです……」
「くやしいけど私もよ……あんな恐ろしい気配、初めてだったわ」
怖気を震うように、ソーニャは鎧に包まれる自分の肩を抱いた。
もちろん怖かったのはソーニャ以外の誰もが同じである。さきほどの存在に比べれば、苦戦したフレイムハウンドすらまさに子犬に等しいと思えるほどだ。
「そういえば変なことを言ってたね……」
「火と水と風と土……このペンダントのことですよね?」
杏花が自分と仲間の胸元を彩る宝石を見ながら言った。
「あと剣がどうとか……」
絵理は首を傾げ、何か思い当たることがあるのかそのまま沈黙した。
「ここはもう行き止まりとも言ってたわね……それが本当なら、また上の階に戻らないといけないってこと?」
あの声が言った通り、ほぼすべての場所を探索し終えたはずなのに、未だに地下八階へと下りる階段は見つかっていなかった。もしこの通路の先にも何もないとしたら、ソーニャが今口にしたように上へと戻る必要があるだろう。
「一応、調べてみましょう」
ソーニャの疑問の声に透夜がそう答えた。
四人はまだ先ほどの衝撃から立ち直れていないのか、言葉少なに歩き出す。
未踏破の範囲は思ったよりも広くはなく、そこまで時間もかからずに探索は終わったものの、先ほどの声が言っていたことを裏付ける結果となった。下におりる階段がどこにも見当たらなかったのである。
「僕が一人でさまよってた時と同じか……」
透夜がそうぼやいた。単独行動をとっていた時も、地下七階よりも先に下りられる階段は見つけられなかったからだ。
「とりあえず、六階に戻るしかなさそうね……」
「でも六階も、もう全ての場所は探索したはずなんですが……」
杏花の言葉の通り、地下六階も行ける範囲はすべて行ったはずである。
「ねえ……ちょっと気になることがあるんだけど、地下五階にまで戻ってみていい?」
絵理がやや自信なさげに、残る三人にそう言った。皆が絵理に注目する。
「どうしたの? 絵理ちゃん」
「うん……さっきの声が言ってた剣って、たぶんあたしが持ってる剣のことだと思うんだけどね」
「ああ、なんか手放さずに持ってるなんてすごい、みたいな感じだったね」
絵理が腰に下げている、この地で強制的に押し付けられた剣。実際、この剣を未だに身に着けているのは絵理だけであった。透夜もソーニャも一人で行動している時、より良さそうな剣が手に入った際に手放してしまっていた。杏花もメイスと交換する形でその場に置いてきている。
正直、戦いにおいてはそこまで切れ味が良いというわけでもない普通の剣だ。しかし絵理は敵に向けて振るったこと以外で、この剣を使ってあることをしたのを思い出したのだ。
「それでちょっと試してみたいことがあるの。だから地下五階に行きたい」
「うんわかった。五階ならたいした手間でもないし、行ってみよう」
「水も補給しないといけないものね。五階で水場にも寄りましょう」
地下七階には水場もなかった。ソーニャが言う通り、一度水を補給しておく必要がある。
「それでは行きましょうか」
杏花の言葉に全員が頷いた。