005 ポーション作りやファイアーボールよりも大事な魔法
「ついたよ」
いくつかの通路を歩いた先に一枚の扉があり、その前で透夜が振り返った。
このダンジョンでよく見かける、扉の横に開閉スイッチがあるタイプのドアだ。
透夜がスイッチを押すと、きしんだような音をたてて扉が上昇していく。
透夜が部屋に足を踏み入れると、絵理もそのあとに続いた。つい、おじゃましまーすと言いたくなってしまう。
ここに来る前に透夜が言った通り、部屋の一画には石造りの泉があった。壁に開いている穴から綺麗な水が流れ込んでいる。水があふれないところを見ると、泉の底はまた別の水路につながっているのだろう。
迷宮内にはこういった水場が点在しており、絵理もそれらを利用して喉を潤したり、水袋に水を補給したりしていた。
「好きなところに座っていいよ」
「うん……」
透夜にすすめられるまま、腰を降ろして背負い袋もその場に置く絵理。透夜も近くにどっかと座った。まるで自分の部屋のようにくつろいでいる。透夜は絵理の背負い袋を見ながら口を開く。
「ところで荷物は大丈夫? なんだかごちゃごちゃになってるみたいだけど……」
「あ、ちょっと待ってね」
先ほど、ワームに襲われそうになった時に転んだこともあり、中のものが壊れてしまっている可能性もある。絵理は不安になりながら背負い袋の中身を点検した。
幸い、多少ぐちゃぐちゃになってはいるものの、大した被害はないようである。そしてこの袋のサイドポケットに収まっている飲み水が入ったガラスビンも割れていない。腰につけていた革製の水袋も併せてチェックしてみたが、水漏れなどは起きていないようだ。
絵理はホッとし、そして同時にあることに気付く。
絵理が持っているそのガラスビンは、このダンジョンの中で手に入ったものだ。絵理のパーティーメンバーはこれと同じものをいくつか手に入れていたのだが、その中の一つを絵理が管理し持ち歩く形となっていた。
「このガラスビン、ダンジョンの中にあったものなんだけど、浅海くんが腰から下げているビンもよく見たら全部同じものだよね」
絵理がサイドポケットから取り出したビンは、やや縦長で胴部は四角いデザインである。そしてそれは透夜の腰のベルトから下げられているものと同じ形であった。もちろん透夜の持つビンの中身は水ではなく、彼がポーションと呼ぶ謎の液体が入っているが。
「浅海くんもやっぱりこのダンジョンのどこかから手に入れたの?」
「うん。落とし穴に落ちた後いろんなところをさまよったんだけど、転がってるものを拾ったり、壁のスイッチを押したら出てきたりしたものを集めてたら、いつの間にかこんなに揃っちゃった」
「いったいどんな冒険をしてきたのよ……」
「自分でも驚いてるよ」
このガラスビンは貴重なものなのか、さまざまな場所に隠されていた。場合によってはモンスターが立ちふさがる部屋の中に置かれていたこともある。よく一人でこれだけ集めたものだと感心する絵理。
「今着てる鎧みたいなものもそうやって手に入れたの?」
「うん……というかこのビンも鎧も剣も、他にはナイフとか盾とか本とかも……今持ってる荷物の大半はそうしたやり方で手に入れた」
「……ほんとうに、いったいどんな冒険をしてきたのよ……」
先ほどと同じような言葉を、しみじみともう一度つぶやく絵理。
透夜はごまかし笑いをするしかない。
そして絵理はそんな透夜を見ていてあることに気付いた。
「ところでさ、浅海くんってそんな体験してきたわりにはずいぶんと綺麗な格好してるよね?」
「うん。魔法で定期的に綺麗にしてるから」
「……はい?」
「魔法。体とか髪を洗ったり、着ている服の汚れを落としたり」
「……教えて」
「……はい?」
「教えて! その魔法あたしにも教えて!」
「ど、どうしたの急に?」
絵理は床に両手をつき、透夜の顔を正面から覗き込むように彼へと距離を詰めた。
ポーションを作ったと言った時や、ファイアーボールを使ったと言った時とあまりに違う切実な反応かつ勢いに、透夜は気おされてのけぞる。そんな透夜に絵理は必死な表情で言い募った。
「だってだって、髪だってもうずっとシャンプーで洗ってないし、下着だって……」
そこまで言ったところで自分の失言に気付いたのだろう。急に元の位置に戻って座りなおすと口を閉ざして目をそらす絵理。顔も何やら赤くなっている。
透夜も気恥ずかしさにやや目を泳がせ、少し考えたあと口を開く。
「そ、そうだね。ただ、たぶん霧島さんが実際に使えるようになるには少し時間がかかると思う。清潔にする魔法だけじゃなく、魔法そのものを使うということに」
「……うん」
「だから、霧島さんがかまわないなら今ここで僕が君にその魔法をかけたいと思うんだけど……大丈夫?」
「な、なにか変な儀式とかが必要なの?」
「僕も自分以外にかけるのは初めてだけど……君に手をかざして僕が魔法を使うだけで多分いけると思うよ」
「そ、それくらいなら平気です! お願いやってやって!」
「う、うん」
どれくらいなら平気じゃなくなるのか、ちょっと気になった透夜ではあったが、大人しく絵理に向かって左の手をかざす。
そして精神を集中し、右手の指で宙に文字を描いた。するとその軌跡が光の線となって空間に刻まれる。絵理はその幻想的な光景をまたたきもせずに見つめていた。透夜は文字を描きながら意味不明な音の響きを持つ言葉を口から発する。
「クレンジング」
透夜が文字をすべて描き終え、同時にその言葉をすべて発し終えた瞬間、宙に描かれた魔法の文字がひときわまばゆい光を放って消えた。
するとたちまち絵理の全身が無数の光の粒子に包まれた。ちいさな光たちは絵理の体をしばらくの間優しく覆ったあと、やがて霧散する。
光が消えた後には、つやつやの髪、すべすべの肌がその体に戻り、そして汚れの綺麗におちた制服を身に着ける絵理がいた。さきほどまでのくたびれた格好とは大違いである。
「ふわあ……」
「……どう?」
「すごい……シャンプーやボディソープで洗った後みたいな感じ……それに着てるのも清潔になったみたいでもうかゆく……」
また恥ずかしいことを言おうとしていたことに気付き、慌てて口を閉じる絵理。透夜も、何も聞かなかったことにした。
「と、とりあえず良かったね」
「うん、ありがとう浅海くん! それに絶対その魔法教えてね! というか今から教えて! 魔法の使い方!」
「ま、待って。とりあえずご飯にしよう? もうお腹ペコペコだよ。魔法って使うとお腹もすくし喉も渇くんだ……」
「……あ……うん……その……やっぱり浅海くんはあれを食べるの?」
あれとはもちろん、先ほど透夜がワームと呼称した巨大芋虫からはぎとった肉のことである。
「まあ、そのつもり……」
「その、あたしの食料を分けようか?」
幸い、現地で無理矢理押し付けられた荷物の中の保存食はまだ残っている。
「それをすると、霧島さんがあれを食べるまでの日数が短くなると思うんだけど、いいの?」
「うっ……」
痛いところをつかれて絵理はうめいた。手持ちの食料がなくなれば、待っているのはモンスターの肉を食べて飢えをしのぐ日々だろう。
「僕はもうワームの肉でもファンガスの肉でも平気だから気にしないで」
「ファンガス?」
「僕がさっき倒した、あのキノコの化け物のこと」
「あ、あれも食べたことあるの?」
「うん……まあ、キノコだし、いけるかなと思って……」
「ど、毒があったらどうするつもりだったの!?」
赤い傘を持ったあの化け物は素人目から見ても毒々しいとしか思えない。しかしそんな絵理に透夜はあっけらかんと答える。
「大丈夫……ちゃんとあらかじめ解毒ポーションを用意していたから」
「ぜんぜん大丈夫じゃないよっ!!」