030 毒があるトラップ
広間の右手側の壁沿いに歩いていた三人。
またも、通路らしき入口が壁に開いているのが見える。三人がそちらに向かって横並びに足を早めたその時、ガチンという音と共に杏花が踏んでいる床の一部が沈んだ。カモフラージュされていて誰も気づかなかったが、そこがスイッチとなっていたのである。
杏花、それに遅れて透夜と絵理が彼女の足元を見て何が起きたのか理解し、警戒をする前に変化が起きた。
上から、四本の足を生やした大きなものが降ってきたのである。それは杏花の正面、3メートルほど先に着地した。
落ちてきた生物の正体を知っていた透夜は、すばやくそいつと杏花との間に割って入った。それとほぼ同時に、その生物が大きな口を開ける。その瞬間にピンク色のものがその中から飛び出した。
ひとことで説明するならばそいつは巨大なカエルだった。開けた口から飛び出してきたのは長い舌だったのである。
剣先のように鋭くとがっているその舌先は、杏花をかばうように立ちふさがった透夜の体に突き刺さる。それは運悪く鎧に覆われていない箇所をえぐった。痛みに顔をしかめる透夜、さらに不快な感触がその部分から体内にあふれだした。
「浅海君!」
「大丈夫……今はあいつをお願い!」
杏花の悲鳴に対し、透夜は手短に答えてカエルが伸ばした舌を手で掴む。カエルは動きを封じられた格好だ。そこに杏花と絵理が駆け寄り、それぞれの武器を叩きつけ、あるいは突き刺す。
両者の攻撃で巨大カエルはあっさりと絶命したのか、透夜が握っていた舌も緩んだ。透夜は自分に刺さっていたそれを引き抜く。戻ってきた杏花と絵理が心配そうに顔を覗き込んだ。
「浅海君、大丈夫ですか!?」
「な、なんか顔色が悪いよ!?」
「平気……ちょっと待ってて……」
透夜は言葉少なに返事をすると、腰のベルトへと手を伸ばし、ポーションのビンを手にした。中身は緑色の澄んだ液体で満たされている。
フタを開け、その緑色をしたポーションを飲み干すと、透夜はようやく一息ついた。
「ありがとう。こいつは僕がポイズントードって呼んでるやつだ。名前の通り毒を持ってる」
「ど、毒!? 大丈夫なの!?」
「うん。今飲んだのは解毒ポーションだから。もう平気だよ」
透夜は続いて水色のポーションもベルトから引き抜き、飲み干した。ヒーリングポーションの効果で先ほど受けた傷と毒で失った体力が癒されていく。
「ごめんなさい浅海君……私をかばってくれたんですよね……罠にひっかかったのは私なのに……」
「いやあ、気にしないでよ。さっきのは仕方ない」
「そ、そうだよ。杏花ちゃんは悪くないよ。あたしだってあんなところにスイッチがあるなんて気付かなかったんだし!」
「でも……」
そう言葉をかける二人であったが、杏花は明らかに気落ちしている。
「ほんとうにそこまで深刻にならなくていいってば。カッコつけて無傷で済ませるつもりだったんだけど、ちょっとドジっちゃっただけだし……」
手をぶんぶん振り、杏花を元気づけようと、ことさらに明るい声を出す透夜。
杏花もそれを見てようやく笑みを浮かべる。
「分かりました。でもほんとうにありがとうございました、浅海君」
「うん……じゃあ、どういたしまして」
透夜も笑顔で答えた。
そんな二人の様子に少々複雑な気持ちになっている絵理であったが、風景の一部が先ほどと変わっていることに気付いた。
「ねえ、さっきまであんなところなかったよね?」
言葉と共に絵理が指さした方向に、透夜と杏花も振り向く。
壁の一画にくぼみが生まれており、そこに何かが置かれているようだ。少なくとも空のビンらしきものが二つあるのがここから見える。
三人は顔を見合わせる。たしかに絵理が言った通り、さっきまでそこはただの石壁だったはずだ。
「ひょっとしてこのスイッチで?」
「そうかも……」
床にへこんだままのスイッチを一瞥し、さきほどポイズントードが降ってきた天井も見上げる。天井の一部には穴が開いており、どうやらそこにあの巨大カエルが入れられていたようだ。
天井と壁の両方に作用するスイッチだったのだろう。
三人は新しく表れた壁のくぼみに近づいた。
まずは空のガラスビンが二つ。透夜たちが使っているおなじみのものである。
そして一緒に置かれていたのは魔法の本らしき書物であった。
地下四階でも見た似たような光景を思い出しつつ、透夜はそれをめくってみる。本は薄く、ページ数はかなり少ないようだ。
予想通り、本は魔法の使い方を解説したものであった。そこまではいい。
問題は記されている肝心の魔法の文字についてだ。数は三つ。
『毒』と『癒』と『水』だ。
その三種類の文字の組み合わせで何が起こるのか、透夜はすでに知っていた。
「これ解毒ポーションの作り方が書いてあるみたいだね……」
「……まさかとは思いますけど、さっきのカエルから毒を受けたらこのビンで解毒ポーションを作って自力で治せってことでしょうか?」
「そうなんじゃないかな……ひょっとして親切心?」
「嫌がらせとしか思えないんだけど……」
誰がやったのかは知らないが、モンスターとセットになったこのしかけを呆れるような目でしばし見つめる三人であった。
「この本とビンひとつは他の人のために残しておくけど、もうひとつのビンは持って行ってもいいよね?」
「うん。絶対その権利があるよ!」
力強く同意する絵理。杏花も頷いている。
「じゃあ、はい。渡良瀬さん」
「え?」
空のビンを差し出した透夜に、杏花がびっくりしたような表情と声を出す。
「渡良瀬さんが使ってよ。まだ一本しか持ってないし」
「うん。あたしももう二本持ってるし、杏花ちゃんが持ってて」
杏花は二人を見返し、しばし迷っていたもののやがてその厚意を受け入れることにした。
「ありがとうございます……」
ビンを受け取った杏花は背負い袋にいくつかあるサイドポケットの一つに収めた。
「あ、そうだ。肝心なことを忘れていた」
そう言うと透夜は先ほどのポイズントードの元へと歩き出した。その手にはいつの間にか大型のナイフが握られている。
「ま、まさかそのカエルも食べちゃうの!?」
「うん。けっこう美味しいよ」
「ど、毒があるんでしょう?」
杏花も顔をひきつらせて透夜に尋ねた。
「大丈夫。解毒ポーション片手にいろいろ試したけど、少なくとも足の部分に毒はなかったから」
「だからぜんぜん大丈夫じゃないよっ!!」