026 ボタンを押して出てきた物とモノ
右手側の壁に沿って歩く三人は、やがて壁にぽっかりと開いた通路の入口へと足を踏み入れる。
何回か折れ曲がる道を進んだその先は、小さな部屋があるだけの袋小路となっていた。
こういうところには大抵何かあるもので、透夜たちは部屋の中を調べ始める。やがて杏花が壁の模様の中の一部がボタンのように押せることに気付いた。
三人はそばで顔を見合わせる。
「押してみる?」
「押そうか?」
「気になりますからね……」
杏花が言った通り、こういう仕掛けは押してみないとずっと気になってしまうものだ。
分担して周囲を警戒しつつ、代表として透夜がボタンを押すことになった。
「じゃあいくよ……えい!」
カチッという音と共に、ボタンの隣の壁がズズズ……という音と共に開いていく。
どうやら、扉のような薄い壁が空間を隠していたらしい。開いた空間の中には、一本の武器らしきものと丸い盾とが安置されていた。
「何かあったのー? ……って、わわっ!」
通路側を警戒していた絵理が素っ頓狂な声を上げる。
自分が見つめる通路の先の曲がり角から、何やら変な物体が現れたのだ。
「てっ、敵襲ー!!」
時代劇の兵士のように叫んだ絵理のもとに、透夜と杏花がやってきた。さっき見えたアイテムは気になるが、今はこちらの対処が先だ。
三人の視線の先にいたのは巨大な軟体生物らしきものだった。その体は半透明の緑色で、ドロドロとした体を引きずるようにゆっくりと透夜たちの方に向かってくる。
「スライムだ……」
透夜がつぶやいた名前は、絵理と杏花のイメージとも一致していた。サイズはかなり大きい。身長170センチほどである透夜の背と同じくらいの高さがあり、横幅も通路の約半分を占めている。
「あ、あれ剣で倒せるの?」
「倒せるかもしれないけど……何回斬りつけても効いてるのか分からなくてね、いつも魔法で倒してた」
「魔法なら効くんですね?」
「うん……ただけっこうしぶといよ。近づかれたら厄介だから、ここから攻撃して倒そう」
「分かった!」
三人はそれぞれ文字を描く動作と魔法の詠唱とを開始する。透夜はファイアーボール、絵理と杏花はマジックミサイルだ。
「マジックミサイル!」
二文字で済むこともあり、絵理と杏花の魔法が一足早く完成する。
たちまち二人から光輝く矢がほとばしり、緑色のボディーへと突き刺さる。しかし巨大なスライムは何事もなかったかのようにそのまますり寄ってくる。
先ほど透夜は剣で斬りつけても効いているか分からないと言っていたが、魔法の矢も正直言って効果があるのか判別できない二人だった。
「ファイアーボール!」
そこに透夜が放った火球が飛翔し、着弾する。衝撃に巨体はゆらめき、体液を巻き散らした。しかし、やっぱり外観では無傷のようにしか見えない。
「続けよう!」
「うん!」
「分かりました!」
経験者である透夜の言葉に従い、二人は再びマジックミサイルを撃ちこみ、透夜もまたファイアーボールを叩きこんだ。しかしまだ動きは止まらない。
同じことをあと一回ずつ繰り返してようやく緑色のスライムはぐずぐずになって崩れ、ただの液体となり果てて床一面に広がった。
「ほ、ほんとうにしぶとかったね……」
「まったくです……」
「うん……強いというか、面倒な相手だよ……」
透夜が面倒な相手と評したのも当然だと絵理は思った。これまで透夜のファイアーボールの直撃を受けて倒れなかった敵は見たことがない。あのワームですら一撃で倒していたというのに、それを二回は耐えてみせたのだから。
「あたしたちも、もっと強力な攻撃魔法を身につけるべきかな」
「そうですね。私ももっと強くなりたいです」
「たしかにマジックミサイルだけだと、そろそろきついかもしれないね……」
透夜たちがマジックミサイルと呼んでいる魔法は比較的扱いやすい上に、消費する魔力も少な目だが、そのぶん威力はそこまで高いとは言い難い。
「今日も休憩するとき、魔法の本を見せてくれる?」
「うん、いいよ。……でもこのスライムはいったいどこから来たんだろう? さっきの広間みたいな場所でも見かけなかったし」
スライムの移動速度はかなり遅い。いきなり背後の通路から現れるチャンスはなかったはずである。
気になった透夜は通路の方に出て来た道を戻ってみる。そして突き当りの曲がり角に来たところで何が起きていたのかを理解した。近くの壁が、先ほどの小部屋の壁のように開いていたのである。スライムはここから出てきたのであろう。トラップの一種と言えそうだ。
部屋に戻ってきた透夜はそのことを二人に伝えた。
「け、けっこう悪趣味な罠だね……」
「そうですね……出てきた武具に気を取られてたら、いつの間にかあいつが部屋に入ってくるってことでしょ……」
杏花が怖気混じりの声音で吐き出した言葉に、透夜も遅れてその光景をイメージする。
「……想像するとかなり怖いね……」
背筋を寒くする三人。
ただ、そんな罠を無事に乗り越えたのも事実だ。
透夜は部屋の壁に開いた空間に足を踏み入れ、武器と丸盾とを手にする。武器の方は長めの柄の先端に、ひし形に見える金属部分がついていた。その金属部分はかなりの重量がある。
「いわゆるメイスってやつかな? この盾とセットになっているのかも」
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
両手を差し出した杏花にメイスと丸盾とを渡す透夜。
「へえ……なんだか素敵ですね……」
透夜が使っている片刃刀と盾、そして絵理と杏花が持っている初期装備の剣と比較すると、いずれもずいぶんと装飾に凝っており、デザイン的に美しいと思わせるものだった。
「渡良瀬さんが使ってみる?」
「ええ……使ってみたいかも」
透夜の言葉に、杏花は武具から目をそらさずうなずいた。
「じゃあそうしようか。霧島さんもそれでいいかな?」
「うん、いいよ。あたしはこの杖があるし」
腰に差している小さい杖をぽんと叩いて微笑む絵理。
「ありがとうございます。大事に使いますね」
こうしたことが想定されているのか、現地で着けさせられたベルトには武具を追加で装着することができる。しかしメイスと盾をベルトで携帯した杏花を見て、透夜がぼそりとつぶやいた。
「……重くない?」
「……ちょっと重いですね……」
正直に答える杏花に、絵理はさもありなんと頷いている。
杏花が武器を振るって戦い続ければ、いずれそういった重さも感じなくなるほどの力もつくかもしれないが、今すぐそうなるのはさすがに難しい。
透夜はとりあえず現状での対策となりそうな方法を口にした。
「一応、筋力が増すポーションを魔法で作ることは出来るんだけど」
「そ、それひょっとして体格が大きくなったりしますか?」
「見た目は変化しないから大丈夫だよ。ただ、効果時間が永遠なわけじゃないから飲むたびに作り直さないといけないね」
「んー、さすがにそれを毎回作るのは手間ですね……この剣をもう置いていってもいいでしょうか?」
杏花が示したのはもちろん最初にクラスメイト全員に与えられた剣だ。これを手放せばいくぶん楽になるだろう。
「うん。問題ないと思うよ。僕ももう持ち歩いてないし」
「じゃあそうさせてもらいますね……メイスの代わりにさっきの場所に置いておきましょう」
メイスが置かれていた場所にその剣を鞘ごと立て掛け、透夜たち三人はこの部屋を出て元の広間へつながる道へと戻っていった。