『遺産』
「動いたら攻撃する」
右手で抜いたのは光を返す墨色の武器、台形の筒に持ち手と引き金が付いており少年にとって正体不明、男は持ち手を掴んで引き金に指をかけ筒の一端をキリンに向けていて弩の類かと推測できるが、弦も矢も見当たらない。
「得物を捨てて質問に答えろ」
父親の死と男の威嚇によってキリンは自失に陥った。震える手から杖が落ちた。男が質問を開始する。
「そいつらは死んでるか?」
「ぼ、ぼくじゃないです」セキリンについてだと勘違いしたキリンが的を外した答えを返した。男が目を細める。
「おれの名は、メイシュ」右手の武器の狙いは動く気配もない。「忍軍に所属。警告するが……、おれの右手にあるのは『遺産』だ。お前をいつでも攻撃可能だ、致死的に」
セリフの後半は理解不能だったが、聞き覚えのある固有名詞に、未だ混乱の渦中にあるキリンが反応した。忍軍は、父が会おうとしていた……。
「セキリンが会うと言っていたのは、あなただったんですね」
「お前に許されているのはこちらの質問に答えることだけだ」声が低く大きく、鋭くなる。「そこに倒れてる黒服でない男、彼を殺害したのはお前か?」
「あなたに会うと言うので買い出しに出たんです」
「お前に許されてるのはこちらの質問に答えることだけだ!」男が声を張り上げる。右手に力がこもったのが分かった。本意が伝わらないことに、キリンは焦った。
「本当です、セキリンに財布を渡されて、この革袋を、」炸裂音が轟いた。
一瞬の後、静寂が一拍を取ってもう一度、男が引き金を引いたことで音が鳴る。メイシュと名乗った男の攻撃だった。キリンが革袋を取り出すために懐に手を入れたから、警告の通りだった。彼は腕と脚を狙い、少年の左上腕と右大腿に小さな風穴が開いている。
「警告する。これは『遺産』だ……超技術を誇った旧人類は滅んだがその兵器は残った」
少年は傷を呆然と見ている。血がだらだらと流れ出す。
「彼らはこれを『セミ・オートマチックピストル』と呼んでいた」
「引き金を引くと撃鉄が撃針を介し、弾丸の火薬を爆発させる。加速されたそれが、お前を貫いたものの正体だ」
呻き声を漏らしながらうつむいて、左上腕の銃創を凝視したままでキリンは硬直している。
「忍軍の仲間がすぐに来る。話は忍軍の病院で聞こう。それまでそこで大人しく、傷を抑えていろ」
男はそう言って壁に体重を預け、左手を遺産に添え、照準は動かさずに肩を回す。うずくまったままの少年を監視して援軍を待つ構えだった。
だが男の言葉はキリンの耳に届いていなかった。少年は痛みに耐えているわけではなかった。遺産という超常の兵器の前に、理解が追い付いていないわけでもなかった。彼はただ傷を見ていた。
キリンの視界には自分の上腕の傷が映っていた。そして、セキリンの胸の傷も。
同じだった。どちらの傷も、小さく、丸く、深い。
視線は動かずその虹彩のみが、ぐぐっ、と震えた。
キリンが動いた。傷の無い左脚で床を蹴って右腕を振り、杖を掴んだ。
男が動いた。駆ける少年の身体に照準を合わせて、撃つ。しかし先の射撃よりも時間を要した。そして射撃の直前、キリンは男の方向に杖を振っていた。
炸裂音。踏ん張った右脚の大腿から血が噴き出す。
男の目が、だんだんと、見開かれる。少年の身体に風穴は二つ、射撃は当たっていない、結果として外れた。だが驚いたのはその過程、少年がやったこと、目の当たりにした光景を男はまだ呑み込めない。
ゆらりと、少年が不意に歩き始めた。男に近づこうとしているのだ。見開いた目を再び鋭くして顎を引いて、照準を合わせ直した。
もう一度引き金を引く。少年の一挙手一投足を見逃すまいとその視線を鋭くした。そして見た。
射撃の一瞬前、男が行動を変えられない瞬間、少年は動き始めた。そして杖を振った。そして何も起きなかった。射撃は当たっていない。
少年が、いつの間にか取り出した尖った短剣の柄の輪に、指をひっかけて回している。父から受け取った投擲用の短剣だ。
今度は二度続けて撃った。少年が、踊るようにまたしても杖を振った。今度も当たらない。狙いは正確だったはずだ。
男は理解した。こいつは弾丸を弾いている。
遺産の円筒部分に短剣が突き刺さっていた。最後の射撃に合わせて杖を振ったときに投げたらしい。最早使い物にならないので男は遺産を床に放って、ベルトに差したもう一方の遺産に手を伸ばした。少年が脚を引きずって間合いを詰める。
その遺産は形こそ先のひとつと同じだったが、撃鉄との接着部分に一際大きい円筒が備えられていた。それを構えて、男が声を発した。
「お前の名前は?」
「あなたには名乗らない」その声には明白な敵意の響きがある。しかし男は続けた。
「おれは技術には敬意を払うようにしている。たとえ相手が同僚を殺した奴だとしても」セリフの最後に歯茎を見せるように口端を持ち上げた。
「……敬意を払えるような技術は見えません」彼らが死んでいないことは、もちろんキリンにとって自明だった。だが説明する必要を感じていなかった。そしてこれ以降彼らの間に会話は無かった。
男は、三人を殺害したのがこの少年だという確信を持ち始めていた。弾丸を弾けるのは恐らく、銃口の角度、引き金を引く自分の指の動き、そして弾の軌道を恐ろしく深く予測しているからだ。信じられないのはその技量をこの若さで身に付けていること。これは幼年期からある種の訓練を受けていた以外に説明できないだろう、ある種というのはそれこそ暗殺術か。
この怪物を援軍到着まで近づけてはならない。さもなくば……。
男が撃って、少年が弾いた。先ほどと異なるのは弾いた際の手ごたえ。キリンは顔をしかめ、間合いを詰めながら新たな得物を警戒している。この射撃をキリンが弾いている間に男が、懐から何かを取り出し、そして接近するキリンに向けて投げつけた。指先ほどの大きさ、円環状の金属がくるくると宙を舞い、キリンには当たらずその周囲で踊っている。
指輪、だった。
キリンが戸惑う。男が指輪を投げたことではない、遺産の銃口が指輪に向いていることに。遺産の角度、男の筋肉の動きを観察し、射撃の瞬間と軌道が見えた。明らかにキリンの身体ではなく指輪を狙っている。彼我の距離は縮まっている、キリンは杖を振らない。男が撃った。
炸裂音と共にキリンの身体が横に吹き飛ばされた。
壁に激突して肺の中の空気を吐き尽くし喘ぐ。何が起きた?
眼球が事態を掴もうとして激しく動く。
第二射を放たんとするメイシュとかいう男、ぼくの身体を貫通して床に落ちた弾丸、壁にもたれて動かない父、宙にある指輪、……、いつまで経っても指輪が落ちてこない!
指輪は回転し、宙にあり続けている。あの男は指輪を撃った。ぼくの身体の左側で回転していた指輪を、そしてぼくは、右側に吹っ飛んだ……。
男が引き金を引く前に、キリンが跳ねるように立ち上がって構えた。左腕の出血が勢いを増している。男が後方の指輪を狙っているのが見える。射撃の瞬間にくるりと回転して、指輪に向けて杖を振った。
手ごたえがあった。芯を捉えられず左腕に着弾した。糸の切れた人形のように回って倒れた。
空気を求めて喘ぎながらもキリンは理解した。放たれた弾丸は指輪によって曲げられてぼくに当たったんだ。メイシュがそうしたのは何故か、ぼくが軌道を予測しにくい攻撃をするためだ。ぼくがどうやって弾いているのかばれている。
どんな技術、どんな技量なんだろう。指輪の回転と軌道と標的の位置関係を見極め、指輪に射撃を当てているんだ。敬意を払うような技術はどうやらあったみたいだ、あの指輪は落ちない特別製なのだろう、あの人に近づくのは無理そうだ……キリンは千々に乱れる思考の中でそう考えた。
「加速……、してますよね」
その言葉が発されたとき、メイシュは第三射を慎重に用意していた。指輪による射撃に反応したのには正直肝が冷えた、一度の射撃では足りない、複数の反射で仕留めなければ。最初に投擲した指輪はすでに回転を失って落下した。もう一度数個の指輪を投げた。
彼は返答せず時期を待っている。キリンが言葉を継いだ。
「指輪で曲がるとき、弾丸が加速してる……。違いますか」メイシュは無言で集中を深めている。
キリンは満身創痍、この戦闘の開始から一分と経っていないが出血によって床面が褐色で染まろうとしている。メイシュが照準を定めた。キリンの手には、密かに弾丸が握られている。身体を貫通して床に落ちた弾、拾ったそれを親指の爪と中指の腹で挟んでいる。
メイシュが引き金を引く。その直前、キリンが爪で弾丸を上に弾いた。
「ぼくの名前は、キリン」
ぼそりと名乗った。メイシュが指輪に向けて射撃した。同時にキリンが杖で弾丸を打った。
キン、という打撃音が炸裂音にかき消されそれぞれの射撃が同じ指輪に向かう。
それらは入れ違いに指輪で反射し、加速し、それぞれ左腕に着弾した。メイシュが驚愕と灼けるような痛みで呻いた。キリンがまた吹き飛ばされた。
起き上がるのは同時だった。その時には指輪は落下していた……一つを除いて。二人がうちこんだ指輪だけは回転し続けている
メイシュの左手が懐の指輪を掴もうとしたが、弾丸は親指と人差し指の付け根に着弾していた。この左手では指輪を投げられない。右手で指輪を投げるなら遺産を離さなければならない、そこまで考えてキリンに目をやった、血液を振りまきながら接近するさまは鬼のようである、その暇はない。銃口を残った指輪に向けた。
およそ一分ほど前、革袋を取り出そうとした少年に放った射撃の片方は貫通しておらず未だ彼の脚の中にある。そして散々っぱら撃ったこの遺産は事前に圧縮した空気を射撃する『空気銃』、奴にもう弾は無い。引き金にかけた指に力を込める。
発射できる弾丸が周囲に見当たらない事に気づいて、キリンは両手で杖を掴んでいる。このままでは近づく前に射撃を食らうだろう。力が入らない左手で脚と挟んで杖を固定し、右手で捻り振ると奇術のように抜き身の短刀が右手に現れた。
仕込み刀!短刀を見た焦燥からメイシュが射撃した。
炸裂音と同時に短刀が唸り紫電がきらめき、脚の弾をきれいに抉り出す。そのまま上にはじかれた弾丸を刀の背で弾いた。直後に圧縮空気弾によってキリンの華奢な身体が吹き飛ばされた。
メイシュが二発目を射撃、その空気弾と弾丸が指輪の円環内で交差し、また逆の軌道を通る。倒れているキリン、その下腹部に空気弾が着弾した。がはぁ、キリンが絶息寸前の唸り声をあげた。
十秒近く、キリンは動けなかったが、その間に攻撃はなく物音もしなかった。ようやく動けるようになってうつ伏せになり、右拳を床に突いて顔を上げる。
メイシュは取り落とした空気銃の遺産、その持ち手に手をかけたまま身動きしない。顎を引いて目を閉じている。
弾丸は右手の手首辺りに着弾していた。両手の操作を失い、頭を垂れている。
キリンの傷も深いが、右腕は無傷、歩行可能である。ゆっくりと体を起こし、短刀を拾い上げる。呻きながら直立して近づく。メイシュが顔を上げた。キリンの目を鋭く見て逸らさない。キリンが間合いに到達した。
顎下に短刀を、ピタリと添える。メイシュが少しだけ目線を上げた。両者口を開かなかった。キリンが息を整える。
短刀が爆発的に加速、ばしゅん!という音と同時にメイシュの眼球がぐるりと上を向き、倒れる長身を、身を翻して躱した。
倒れ伏した男を顧みらず、セキリンに歩み寄り、キリンは傷口を検めはじめた。