悔恨の色
洞窟内の敵の数は予想通り三人だった。戦闘に困難はなく、全員の意識を刈り取ったキリンは先ほどまで彼らが手に持っていた札を一瞥してから、内と外の七人の盗賊を拘束し洞窟の奥に運び込み自身は入り口近くの物陰に潜んだ。
夕日が沈む頃、出払っていた盗賊の残存戦力は無防備に洞窟に入っていき、後方の徒党が次々倒れていくのにも気が付かず、辺りが暗くなるころにはすべて終わっていた。
総員二十余名、袖振り山岳団という団名だった彼らは、悪は栄えず、日が出ているうちに壊滅した。
合流した二人は、簀巻きのように数人ずつまとめて縛られた盗賊どもを捨て置いて下山し、ふもとで報告を待っていた依頼人に盗賊団捕縛の旨と根城の場所を詳細に伝えて、今はその感謝の証としてあてがわれた狩人用の冬小屋で火にあたっている。
未だ夜には寒風が吹くこの季節に、雨風しのげる屋内で寝られてキリンは安心した様子で保存食のチーズを口に運んでいる。一つ目の都市ヒグレへの行程はおおよそ予定通りで、明日の昼頃には到着して食料品を更新できるので遠慮せずに保存食に手を付けているのである。
セキリンは暖炉の火に半身を照らされながら年季の入った木の椅子に座って、チーズを食べ終えて尚食糧袋に手を伸ばす少年を眺めていた。
暖気が感じられる時間がしばらく流れて、セキリンがふと口を開いた。
「王都で、やりたいことはあるか」
「えーっと、そうですね......」
キリンがは目を開けたままでまぶたの裏を見ようとするように熟考し、ほどなく答えを出す。
「学校に行ってみたいです。面白いところだとルーシャが言っていたから」
「そうか」
セキリンは肘掛けの手触りを確かめるように指を動かす。弛緩していた上体が背もたれから起き上がっていた。
「お前にはそんな時間は無かったな」
その言葉の悔恨の色を察したキリンが疑問を発した。
「でも、父さんも、そのお父さんから鍛えられたんですよね?」
彼らの護衛の技術は先祖から代々、幼年期からおよそ十年の訓練により受け継がれたものである。
「そうだ。何代も前から繰り返されてきたやり方だった。だが、おれが断ち切るべきだった」
重く言い放って、腰からゆっくりと椅子に身体を預けると、小屋にはめられている木窓を見やって黙り込んだ。黒々とした寒夜の闇を想像しているようだ。
しばらくの沈黙の後、学校の話だが、と父が口を開く。
「王都には大きな修道院があって、護衛をやりながらでも時間に縛られずに学べる」
「通ってもいいんですか?」
驚く少年にセキリンが口端を上げる。「うんと優秀なやつは外国に留学もできる。お前は要領がいいし、それも悪くないだろう」
「それではお仕事ができなくなりますよ」
「構わないさ、その学歴なら引く手あまたで困らない」
キリンは更に衝撃を受けたようすである。
生涯護衛として世に尽きる、それ以外は彼の価値観には存在していなかったところに、父であり師でもあるセキリンのその言葉のよって少年には広すぎる展望を与えられた。
そうして二の句の継げないところに、表情を崩した父が二の矢三の矢を射る。
「護衛をやっている修道院生は唯一無二だろうから人気者になれるかもな」
「ほ、本当に......」
「留学先から帰国したら王都の函算院に就職するのもいい」
「か、かんさんいん?」
「過去の遺産を分析してヨカミ国に還元するとかいう機関だ。王国が保管してる遺産を調査できる唯一の技術屋集団」
「......」情報の洪水の前に目を回すキリン。セキリンは学校に話を戻す。
「行きたければ好きにすればいいという話だ」
「......行きたいです。でも、......父さんと仕事もしたいです」
「ならそうすればいいという話だ」
「そんな好き勝手が、許されるんでしょうか......」
困惑と混乱がありありと浮かぶ顔を見て、咳払いして手を組み前かがみになったセキリンがそちらに向き直った。
「なぜおまえがそんなことは許されないと思うのか」
「なぜ、ですか?」
「それは、おまえがこれまで自由を持っていなかったからだ。おれが慣習に縛られて訓練ばかりさせていたせいだ」
二人の声が響く小屋の中で、視線と視線が重なり合う。
「ずっと後悔していたんだ。はっきり言ってキリン、お前は護衛に向いてない。戦闘の技術は一人前だが護衛をやるには優しすぎる。これまでどんな状況でも人を殺さなかっただろう」
その言葉を前にしてキリンは俯いた。
思い起こされるのは盗賊討伐の折、死者を出さず戦闘を終わらせた光景である。彼はこれまで経験した数少ない実践のすべてを卓越した能力によって支配し、その手は血に汚れておらず、それは彼の性質に依るものだと、セキリンは指摘しているのである。
「訓練もお前にはつらく苦しいものだったのだろうか、だがこれからはやりたいようにやっていい」
次の言葉はしばらく遅れた。視線が交わらないままで、やがて静かに、滞留した空気の中で言葉が紡がれた。
「もういいだろう」
キリンは頭を垂れて黙っていたが、静かにはっきりと応えた。
「了解しました、でも、訓練は好きでした」
父は僅かに驚いたがすぐに微笑み、椅子から立ち上がって寝台へと向かう途中に声をかけた。「明日からしばらくはヒグレの街だ、今夜はやりたいことでも考えるのも悪くない」
キリンも自分の寝台に動き、傍に置いた手桶から手拭いを取って、横になって顔を隠すようにそれを広げて、程なく眠りに落ちるまで未だ見ぬ街を夢想していた。