護衛の戦闘
王国ヨカミでは北から東を回って南までサイガイ山脈と呼ばれる峰々がところどころ天を衝き、発展した主要な街々のことごとくは天然の砦に囲まれるようにある肥沃な盆地に位置する。山奥にひっそりと生活が営まれるメイアンから王都に行くためにはまず山脈を、そして三つの街を越えなければならず、傭兵の親子はその一つ目の街ヒグレに通じる下山道を稜線を越えゆっくりと進んでいた。
「依頼をひとつ、請け負っている」馬上の父が、這って地べたに顔を近づけているキリンにいきなり伝えた。
「護衛ですか?」
すぐにセキリンを見上げ尋ねた。土ぼこりが整った鼻に丸模様を作っている。
「いや」
続いた言葉にキリンの上目遣いの目が丸くなった。
「盗賊を討伐してくれと」
キリンは傭兵としてこれまで主に商隊の護衛に就き、身を休める場所を戦略的に選定し、けもの達の匂いを嗅ぎつけ報告し、その他危険を避けるためにその技術を使ってばかりで、そしてすべての依頼をつつがなく成功させた結果実戦を経験していなかった。いままでの『護衛のわざ』はいわば、敵を遠ざけるためのもの、しかしこの依頼は、その職能を排除のために振るえと言っているのである。
「王都に着く前に感覚を実戦に調整する。そのために請けた」
「やれます」キリンの言葉は少し震えていたが本心で、父とこなした仕事の中で手応えと成長を実感していたが故であった。
それに、父さんがいるし。
逸る気を落ち着かせようと心の中で呟く。
一度だけ、筋違いの恨みを持った傭兵くずれが依頼を装って襲ってきたことがあったが、後ろから暗闇を裂き飛んできた暗器を、父のきらめいた湾刀が一文字、縦に真っ二つに斬り払った。
呆気に取られた卑怯者を縄に縛り付け軍に引き渡したのだが、一片の油断もない完成された武にキリンは大層憧れた。
二人なんだからだいじょうぶ。気概を固めた少年に、父は言った。
「おれは所用があるから」
「はい」
「独りでやってくれ」
「はい?」
盗賊の根城は道から外れた、窪地に形成された谷を覆う洞窟にあり、キリンは単身近くの茂みに隠れて賊の様子を窺っている。
先刻彼が下山道の地面を見つめていたのは特徴的な痕跡があったからで、その足跡の主はつま先立ちでしゃがみ歩きをしているらしく、父と別れたあと目星をつけて追跡しこの自然のねぐらを発見していた。
ぴったりと地面に伏せて、黒髪に深緑の外套を被る少年は後景に溶け込み、聴覚に意識を集中している。
まず、すぐそこで槍の素振りをしている青年。柄にわざと傷をつけていて、時折それをなぞっている。
次に、狩りの成果であるのか、鹿の肉を谷の日陰で削いでいる二人の男たち。こちらに背を向けて同じような短剣と弓を腰に下げている。狩人をやっているんだろうか。
そして洞窟の奥で何かの道楽に興じる男たちがいるようだ。常人には絶対に聞こえない微かな笑い声をキリンの鋭敏な耳は完全に捉えている。くぐもっているから難しいけど、三人かな。紙が打ちつけられる音も聞こえるから札遊びだろう。
相手の戦力の評価を終えて、セキリンと離れ内心不安だった彼は胸を撫でおろし、腰の杖をなでた。
これならどうとでもなる。
外套を茂みに畳んで置き、自分は隠れるのを止めて青年の方に近づきはじめた。
窪地から離れた高台の、密集している広葉樹の中で一際高くそびえ立つ一本のその樹上でセキリンは筒の形の遠眼鏡を覗いている。木登りの重荷になる左腕義手は木陰で休む馬に置いて来ていた。本来日を反射するその先端部分には炭が塗られていて、見ている相手に気づかれないようにされていた。その相手とはこの場合彼の息子、たった今会敵しようとしているキリンのことである。
つまりは所用などなかった。キリンを独りにするため、独りでの実力を測るための方便だったのだ。
遠眼鏡によって拡大されたキリンは、槍を持った男に気づかれて、間合いを保って言葉を交わしているようだ。安全な拠点に突然現れた少年に混乱しているのだろう。
すぐに男は落ち着きを取り戻し、近くの二人の仲間に声をかけて、その援軍を待たずにキリンに槍で攻撃した。しかし自分が何をされたのか、理解は出来なかっただろう。
気合いを込めて胸に槍を一突き、『しようとしている』青年の動きをキリンは五感で感じていた。筋肉の動きを見、呼吸の音を聞き、視線と足の運動を深く瞬時に観察し相手より早く動き始める。
右手で杖を腰から抜き放ち、『予測される槍の軌道』から左に身をよじりそれを躱し、杖と槍の圧倒的な間合いの差をものともせず踏み込む。
槍はキリンの予測の通り動き右の脇に外れていった。攻撃に失敗した青年の体は伸びきっていて戻すことはできなかった。
キリンの間合いに青年の顎が入った。
その瞬間に杖の先端はそこにあった。
顎骨に触れた杖は一瞬だけ静止した後爆発的に加速し、青年の顔は杖が去った方向に傾いた。
ばしゅん!接触した時にそんな音を残して、杖は少年の腰にすでに戻っている。
青年はその表情を変えないまま、槍を抱えるように倒れていく。すでに意識は無い。
息子の戦いぶりを見てセキリンは小さくうなずいた。理想的な戦闘だ。
鍛えた感覚で敵の動きを『予測』、ぞの上で完璧に身体を『操作』、敵を打ち倒すのは訓練で身に付けた『技術』。これが彼ら護衛の戦闘思想である。
そして、先ほど敵の意識を刈り取ったのは、波を伝える技、顎に打撃をかすらせて脳に衝撃を伝える技術。
「『空砲の技術』は合格点だな」
セキリンがその技術の名を呟いた。
弦を引く手を観察されている以上、狩人二人が放つ矢が少年にあたることは無い。風のように近づかれ、動転して振られた短剣は杖で手をぴしゃりと打たれて取り落とし、地に直下する短剣から視線を戻す暇もなく、ばしゅん!と意識を刈られる。
着衣の乱れもなく、戦闘の前後で変化は無かった。
盗賊の体を越えてキリンは洞窟に入っていった。