ひたひたひた(三十と一夜の短篇第42回)
ホラーです! ホラー苦手な作者が挑んだホラーなのであまり怖くない可能性がありますが、苦手な方は逃げてください。
作者は読み返せなくて逃げました!
「おのせんせいさようならぁ」
「はい、さようなら。気をつけて帰ってくださいね」
お迎えがきた園児を門の外まで見送り、ひんやりとした風にさそわれるままふと顔をあげて、斜陽のまぶしさに夏のなごりを感じた。
早く室内に戻ろうと門に手をかけたところでぞくり、背すじを這う寒気に身体がふるえる。
季節の変わり目だからだろうか。かぜひきさんに気をつけなくちゃと思いながら門を閉め、園のなかに入った。
室内ばきに履き替えながらくつ箱に目をやれば、たくさん並んだ棚はほとんどがからっぽで、のこっているのはちいさな靴がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
「今日は四人ね」
延長保育でのこっている園児の数をたしかめて、事務室をのぞく。
「あ、小野先生おつかれさまです。わたしここにいるから、何かあったら呼んでくださいね」
事務作業をしていた倉橋先生が、顔をあげて笑いかけてくれた。今日の延長保育の担当はわたしひとりだけれど、熟練の保育士である倉橋先生が事務室に控えてくれている。
「ありがとうございます。倉橋先生がいてくださると思うと、心強いです」
「そう? 頼りにしてもらえるとうれしいわ。小野先生は、はじめての延長保育だものね。がんばってね」
「はい、いってきます」
倉橋先生の笑顔に見送られて、子どもたちの待つ部屋へと向かう。
廊下にならぶのは腰の高さの本棚、屈まないと届かないタオルかけ、とびらのうえからのぞき込めるちいさなトイレ。
子どもの大きさに合わせられたかわいらしい物たちを見るともなく見ながら、しずかな廊下を歩いていく。走りまわるやんちゃな子も足元にくっついてくる甘えんぼうもいない廊下は、いつもよりも広くひんやりしているような気がした。
けれど気分で顔を変えていては、子どもたちが心配してしまう。意識してやわらかい表情を浮かべてから一歩を踏みだす。
「ハルくん、チトセちゃん、アヤちゃん、ミライくん」
なまえを呼びながら、子どもたちの待つ部屋へと入る。
「せんせ、おかえり」
「せんせぇほんよんで!」
「つみきしたーい」
「ぼくおそとであそびたい」
つぎつぎにかけよってくる子どもたちを見れば、さっき感じた静けさなどかんたんに吹き飛んだ。年少から年長まで入り混じった四人だけれど、どの子もみんなかわいい子ばかり。
笑顔で出迎えられ明るくあたたかな気持ちになって、子どもたちを引き連れて部屋の真ん中に座る。
「それじゃあ、まずはみんなで積み木しようか。お外はすこし寒いから、またこんど遊ぼうね。絵本はみんなのお迎えが来るころに読もうね。いいかな?」
「「「「はーい」」」」
元気に返事をしてくれる姿を見て、自然と笑顔になる。
「せんせ、これあたしのおうちね」
「くるまだよ。ぶんぶーん」
「あ、もう。こわさないでよぅ」
「みてみて、たかいたかーい!」
「ほら、ひとの作ったのこわしちゃだめよ。積み木はみんなのなんだから、仲良く分けて使ってね」
にぎやかに、ときにはすこしだけくちげんかをしながらおだやかに時間が過ぎていく。
ちらりと時計を見上げれば、延長保育の子たちの預かり時間はあと三十分。いつのまにか日が沈んでしまったのだろう。気がつけば、窓の外の景色は冷ややかな暗さをまとっていた。
「せんせぇ、おしっこ」
つい景色の暗さに見入っていると、チトセちゃんの声がしてそでが引かれる。
「あらら、じゃあ、先生といっしょに行こうか」
延長保育のメンバーでいちばん幼い年少クラスのチトセちゃんは、まだひとりで用が足せなかったはずだ。
あわてて立ち上がって、チトセちゃんと手をつなぐ。
「みんな、遊んでいられる? 待ってるあいだ倉橋先生に来てもらう?」
「んーん、いい」
「まってるー」
「ぼくたちもうおにいちゃんだから、だいじょうぶ!」
年長のふたりが積み木から手を離さずに言うと、それを真似てか年中のハルくんも頼もしいことを言う。
ちいさな身体で胸を張る姿についほほをゆるめながら、うなずいて返した。
「そう? じゃあ、先生すぐ戻ってくるからね。すこしだけ、三人で遊んでいて。さ、チトセちゃん。行こう」
子どもたちを残した部屋から廊下を玄関に向けて進み、ひと部屋はさんだところの子ども用トイレに早足で入る。
たどたどしい手付きながらも自分でやれることをしようとするチトセちゃんを手伝って、無事に用を足すことができた。子どもの成長に関心とほほえましさを感じながら、ふたり並んで流しで手を洗う。
しっとりしたちいさな手を引いて廊下に出てところで、チトセちゃんがとことこ歩いて廊下のすみに向かった。
なにをするのだろう。早く三人の園児を残してきた部屋に戻りたかったが、脳裏に園の方針が浮かぶ。
「子どもの好奇心を伸ばしていこう」。ならば、ここで急かしてはいけない。
「ねえ、せんせ。でんきけしてー」
廊下のすみにやってきたチトセちゃんは、うでを精いっぱいのばして壁の上を目指そうとしている。その細い指のだいぶ先にあるのは、廊下の電気のスイッチだ。
「ええ? でも、消したら廊下暗くなっちゃうよ。もうおひさまも沈んじゃったし……」
「でもね、つかわないでんきはけすんだって。おかあさんいってた」
「ああ、そうか。そうだね」
一生懸命に説明してくれるチトセちゃんに、ついほほがゆるむ。園児たちが帰るときにまた点ければいいか、とチトセちゃんに代わって電気のスイッチを押した。
パチン、軽い音を立てて明かりが消え、とたんにあたりが暗くなる。
ずん、とおりてきた闇に包まれた廊下は、わずかな残光を受けてぼんやりと見えるばかり。暗い光の射すほうへ視線を向ければ、園の玄関がうすら明るく、やけに遠くに見えた。
ひた。
暗がりのどこか遠くで、かすかな音がした。
ひた、ひた。
しめっぽい手足で床やかべに触れているような、やけに耳に残る音。けれど暗がりの向こうに動くものの姿は見つけられない。
冷たいものに首筋をなで上げられたような不快感を覚えながら、じっと見つめているとぎゅう、とちいさな暖かさが指にすがりついてきた。
「せんせ、なんのおと?」
はっと見下ろせば、不安げなチトセちゃんと目があい、あわてて笑顔をつくる。
「なにかな? カーテンが風でぱたぱたしてるのかもしれないね」
「チィちゃんはかえるさんだとおもう。かえるさん、あそびにきたんじゃない?」
「どうかな。だったら、みんなで楽しく遊んでたらまぜて、って来るかもしれないね。お部屋で遊んで待ってようか」
「うん!」
はやく明るい部屋に戻りたくてそう言えば、すなおな笑顔が返ってきてすこし気持ちが落ち着いた。
つないだ手を握りなおし、部屋へと歩きだしながらちらりと振り向けば、ひた、ひたとかすかな音がやはり聞こえる。
近づいてきている、そう感じる心に気のせいだと言い聞かせて、子どもたちの待つ部屋へとすこし早足で戻った。
「おともだちくるよ!」
部屋に入るなり、チトセちゃんがうれしそうに言う。積み木で遊んでいた子どもたちは顔をあげて、首をかしげたりまばたきをしたりと不思議そうな顔だ。
「えー、だれ?」
「もうゆうがただから、くるのはおむかえだけだよ」
「そうだよ。くらくなったらおともだちはかえるんだよ」
口々に言われて、チトセちゃんが頬をふくらませる。
「だって、おとがしてたの。ひたひたって」
チトセちゃんのことばに、子どもたちは黙って耳をそばだてた。思わずいっしょになって耳をすませる。まだ閉めずにいたドアのすきまから、聞こえるだろうか。さっきの音が。
そう思った次の瞬間。
ひた……ひた……。
かすかな音が聞こえた気がした。
「ほら、きこえた!」
チトセちゃんが声をあげて、視線で同意を求めてくるから、思わずかるく頷いてしまう。
「ええ? わかんなかった!」
「ぺたぺたってなあに? どんなこだった?」
「それともだちじゃないよ。よるにくるのはおばけだぞ」
部屋の真ん中にいる子どもたちには聞こえなかったらしい。
けれどわたしが頷いたことで、子どもたちのざわつきが大きくなる。そのとたん、耳に届くかすかな音は不気味な響きをまとって鼓膜をなぶる。
「おばけ、こわい」
「どんなおばけかなあ」
「くるならはやくこいよー」
ハルくんが茶化したとたん。
ひた、ひたひたひた。
音が速度をあげて近寄ってきた。
ぞっとしてドアを閉めようと手を伸ばしたところで、ざあん、思わぬところから大きな音が聞こえて体がすくむ。
「やだ!」
「ひゃあ!」
「わあっ」
「やっ!」
子どもたちの悲鳴に振り向けば、窓の外で暴れる木の葉が目に入る。強い風が吹いたのだろう、木の葉がいっせいにざわめいて、ざあん、ふたたび音がした。
「だいじょうぶ。風の音よ。ほら、見て。葉っぱがゆれてる」
ほっとして告げれば、おそるおそる顔をあげた子どもたちも窓に目を向けて、表情をゆるめた。
「なんだー」
「びっくりした」
「かぜかあ」
笑いあう子どもたちの姿につられて笑顔になったとき、ふと、ひとりだけ天井を見上げいる子に気がついた。
「チトセちゃん?」
「はいっちゃった」
声をかけてもきょろきょろと天井を見上げるばかり。
「ひたひた、おへやにはいっちゃった」
ひた。
言うが早いか、聞こえた。遠かったはずの音が明らかに部屋のなかから聞こえた。
「あっ、きこえた」
誰かが声をあげる。
ひたひた。
「やだ、こわい!」
ひたひたひた。
「なに、なに? どこにいるの、みえない!」
ぱちんっ。
叫び声とともにちいさな音を立てて、部屋の電気が突然消える。
「やだ! こっちくる!?」
とたんに音が迫ってくる。
ひたひた、ひたひたひたひたっ。
横から、上から、足元から、そこらじゅうから何かが近づいてくるような気がして、どうしていいかわからない。
「おばけに食べられる!」
叫んだのは、誰の声だろうか。
そう思ったとき。
ぱちん。
軽やかな音とともに視界がふっと白く染まる。急な光にくらんだ世界で、子どもたちの影がぱっと目に入る。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……いつつ。
「みんな、大丈夫よ!」
耳に飛び込む倉橋先生の声。すぐ横に立った倉橋先生が、子どもたちに笑顔を向けている。
「びっくりしたね。ブレーカーが落ちちゃったみたいなの。でも、もう先生がなおしてきたから、安心してね」
にこにことやさしい笑顔で倉橋先生が見つめる先では、涙を浮かべた子どもたちが並んで立っている。
その数は、四人。
「大丈夫、大丈夫。急に暗くなってびっくりしたね。もう大丈夫だからね。小野先生もいるから、ね」
おびえているハルくんと泣きじゃくるチトセちゃんのそばでひざをついてなぐさめる倉橋先生に名前を呼ばれて、あわててかけ寄り泣いているアヤちゃんを抱きしめた。そして、少し離れて立っているミライくんに手を伸ばす。
「ミライくん、もう大丈夫だか、ら……」
ひたり。
「せんせぇ、こわかったぁ」
ミライくんが言いながら歩み寄ってくる。
ひたり、ひたり。
この音はどこからしている?
「まっくらで、びっくりしたぁ」
ひた、ひた。
近づいてくるミライくんの顔は、笑っている。口のはしをにぃっとつりあげて、細めたひとみがわたしを見つめている。
ひたり。
わたしのすぐそばまできたミライくんは、動けずにいるわたしの腕にすり寄るようにして、首もとに抱きついてきた。
そして、耳元でささやく。
「おばけにたべられるかとおもった。ね?」
・
・
・
あれから四日。今日はまたわたしが延長保育の担当をする番だ。
停電騒ぎのあと、すぐにお迎えが来た子どもたちは迎えにきた保護者のかたに引き取られて笑顔で帰っていった。
どの子もいつもどおり笑顔で過ごしているし、ミライくんは「このごろおにいちゃんぽくなったね」と言われながら、元気に園に通ってきている。
あの日、ミライくんの態度がおかしいと思ったのはきっとわたしの気のせいだ。怖いと思いながら見たから、おかしなように感じたのだろう。
保護者と帰っていく園児の背中を見送って、空を見上げる。
日没はぐんぐん早まっていき、今日はもうすでにうす暗い。けれど、日暮れる空は明るさを感じさせて、嫌な気配などみじんもない。
「やっぱり、気のせいね」
おびえた自分を思い出して恥ずかしくなり、つい独りごちてから園内に戻る。今日もいつもどおり、延長保育で残っているのはハルくん、チトセちゃん、アヤちゃん、ミライくんの四人。
「みんな、お待たせ!」
意識して明るい声をだしながらドアを開けて室内に入れば、輪を作るように座って遊んでいた子どもたちがいっせいに振り向いて顔をあげた。
「せんせぇ、おそいぃ」
「まちくたびれちゃったよぉ」
「はやくはやくぅ」
「せんせぇ、まってたよぉ」
「おまたせ。なにしてたの? 先生も仲間にいれて」
無邪気な笑顔を浮かべた子どもたちの輪に踏み入れながら言ったとたん、その表情が一変した。
にたり。そんな音がしそうな笑顔が四方から向けられる。
ぞっとして固まるわたしを取り囲むように、立ち上がった四人が歩み寄ってくる。
ひた。
ひた。
ひた。
ひた。
四方から聞こえる音。
ひた。
ひた。
ひた。
ひた。
これは、あの日に聞いた不気味なあの音。
ひた。
ひた。
ひた。
ひた。
脚に、腕に、子どもたちが張り付いて身動きのできないわたしに笑顔を向ける。
口のはしをつりあげた、いびつな笑顔。手足に絡みつくちいさな指が、やけに冷たく湿ったように肌に張り付く。
逃げ出したいのに動かない手足で立ち尽くし、閉じてしまいたいのに言うことを聞かないひとみをのぞきこむようにして、四人の幼い声が言う。
「せんせぇも、なかまになろ?」
ひたり。
最後に聞こえた音は、頭のなかを這っているかのようだった。
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翌日の夕暮れ時のことでした。
「あら、小野先生。延長の担当は昨日じゃありませんでした?」
教室を見て回っていた倉橋先生が、子どもたちと遊んでいる小野先生に声をかけました。
遊んでいるのはいつもの延長保育組の四人です。
「ええ、それがこの子たちと遊ぶ約束してしまったものだから、今日の担当の先生に代わってもらったんです」
「まあ」
仕事なのだから区切りはつけないと、と頭に浮かんだ倉橋先生でしたが、子どもたちの前で言うことではありません。
延長保育が終わったあとに言いましょう、と倉橋先生が胸のうちに書き留めたときです。
ひたり。
いつ間にか近寄ってきていた子どもたちが、倉橋先生の四方を取り囲んでいます。
無邪気に笑って伸ばされた手が、倉橋先生の腕や脚に絡みつきます。
「先生」
正面に立つ小野先生に声をかけられて視線を向けた倉橋先生は、目にした笑顔に背すじをふるわせました。
いつも自信なさげに笑っていた小野先生が、粘ついたうす気味悪い笑顔を浮かべています。倉橋先生の周りを取り囲む子どもたちも、同じ笑顔を浮かべています。
目を細めて口のはしをつりあげたまま、小野先生が言いました。
「倉橋先生も、仲間に入りましょ? ね」
ひたり。
それが、倉橋先生の最後に聞いた音でした。
ホラーはだめですね。書けない。こんな怖くないやつでも読み返せない。誤字チェックやらができないから、無理です。
書いたことないジャンルを攻めるのは、無謀でした。
お粗末さまです。