プロローグ
「手品はお好きでしょうか?」
その日はいつも通り友人と下校した。
高架下の落書きだらけのトンネルを抜け、その先にある人通りの少ない交差点でいつも通り友人と別れた。
それは家につくまでの一瞬の出来事だった。
あからさまに目立つシルクハット。
首にまいた銀色のマフラー。
くたびれたスーツの下に派手な模様のシャツを覗かせる。
長身で白髪。
何か浮世離れした、少なくとも閑静な住宅街には似つかわしくない、いかにも不審者というべき男に声をかけられた。
交差点に彼以外の一切の人気はない。
五月を迎えた生ぬるい外気がその場を包んでいた。
「……は、はぁ?」
突然の出来事に空返事を返すと男はトランプのような白いカードを一枚差し出してくる。
よく見るとそこには水の入ったグラスが描かれているだけで数字や模様はかかれていない。
カードに視線を向けたことに気付いた男は突然名乗り始める。
「申し遅れました、私は旅のマジシャンでして修行のために各地をまわっているのです。」
背の高さ、身なりからも日本人かどうかも怪しい男は流暢な口振りで語る。
「修行中の身なのでお代はいりません。是非ともあなたを驚かして見せますのでこのカードにご注目。」
質問することも、無視することも出来ないままそのカードを見ていた。
何故かはわからないがカードの余白を見つめると引き込まれるような感覚を味わう。
カードを目にした時点で、もうすでにこの男のペースのようだ。
「今からこのカードのグラスを取り出してみせましょう!」
ありきたりな内容だ。
気付いた時には既に男の右手には絵柄の消えたカードがあった。
そして同時に左手には水の入ったグラスが握られていた。
ありきたりな内容だった。
けれど夢でも見ているように突然目の前の変化は起きた。
「どうでしょうか?驚きましたか?」
男は自慢げに問いかける。
「……凄かったです。」
男が本物のマジシャンであることを理解し、その怪しさは逆に魅力的に見えてくる。
「どうやったんですか?今の?」
目の前で見たからにはトリックが知りたい。
素朴な疑問が口から漏れる。
誰がこの場にいても同じ反応をするだろう。
「知りたいですか?」
勿論教えてはくれないのだろう。
でもそう思うのは自然な感情だと思う。
「では差し上げましょう。」
その言葉を聞いた時、魔法使いのようにみえたこの男が得体の知れない人物であることを再認識することになる。
本来ならここは「差し上げる」ではなく、「教える」なのではないだろうか?
そもそも普通マジシャンがネタを教えてくれるのだろうか?
それともやはりこの男は日本人ではなく海外から来ていて日本語が不得意なのか?
いくつかの疑問を頭に抱え、それを言葉にする前に男はグラスの水を飲み干し空白になったカードを差し出してきた。
「これで答えがわかりますよ。手にとってみてください。」
男からカードを受けとると不思議な手触りでこれがただの紙でないことを直感的に感じた。
固いのか柔らかいのかわからない、ただのカードの筈なのに、これがなにかわからない。今まで触れたことのない物体だった。
さっきまでグラスが描かれていたカードに視線をとられる。
ただの紙切れに見えるのにまるで谷底を覗くような感覚を覚える。
まとまらない頭に追い討ちをかけるように男は語る。
「上手く使ってください。」
視線を男に向けるともうそこにもう男はいなかった。
これも手品なのだろうか?
ただ確かなことは目の前で聞いた声の主はもうその場にはいないこと。
そして手元には白いカードが残っていたこと。
何故あの男がカードを渡して消えたのか。
上手く使えと言う捨て台詞。
突然現れて突然消えたこと。
何もかも訳がわからない。
狐に化かされたって言うのはこの事を言うのだろう。
けれど幻でも夢でもないことを手元のカードは主張していた。
……気味の悪いカードだが不思議と手放す気が起きない。
未知への恐怖と今の出来事への好奇心とが渦巻き、好奇心が軍配をあげる。
……これがなんなのか知りたい。
いままで感じたことのない探求心が生まれた。
上手く使えと言われたからには使ってみたいのだ。
こうして謎の白いカードを手に帰路についた。
これは後の知った話になるが同じ体験をした奴が何人かいたらしい。
あの男が何者なのか。
何が目的だったのか……、わからないことだらけだ。
確かな事はこのカードが不特定多数の人間に配られていたこと。
……そしてきっとカードを配られた人間はその不思議な魅力に魅かれ、すぐにそれを手放さなかったどろうということだ。
このカードを得たもの達は何かを得て何かを失った。
これを手にした時、それに気付いたものは少なかったろう。
確かなのはあの男に出会った皆がそうなってしまったのだということだ。