*** 6日目 ***
作中にはリアリティー追求の為、一部実在の設定・名称に基づく表現を使用しておりますが、こちらの物語は作品全体を通してフィクションです。
翌日、俺は昨朝決めた通りの時間に家を出て、いつも通りの時間に乗車し、いつも通り最後尾の反対車両側から外を見る。
その瞬間は、すぐそこまで迫ってきていた。ひとつ、ふたつと流れるように通り過ぎる家の屋根を脳内で数える。
「……きた!」
自分が立つ側の窓が一斉にカタカタと鳴りながら、俺の方へ近付いてきた。
そして反対車両の先頭が目の前を通り過ぎる光景を、長く感じながら待つ。
自分の最後尾と相手の最後尾が交わる寸前、俺は思った。
ーー揺れろ!
ガタガタ。車両は揺れる。
その揺れに合わせて、反対車両が少し距離を詰める。
彼女の姿が近付いたような錯覚に陥り、そして彼女は軽く足を踏ん張る様子を見せた。
***
ーーはぁはぁ……。
東間は自分でも気付かないほど小さく、息を荒げさせていた。
そこに同じ道順を進む同級生が通りかかる。
それは昨日まで話しかけてきていた生徒だった。
けれど、彼は東間を心配そうに一瞥するだけで、そのまま周りと同じく距離を取って登校していく。
東間は登校中ひとりだった。一人で歩いていた。
本人は到底そのことに関心を示すはずもなく、ひとり興奮の中に身を置いている。
こんな状態ではまともに授業も受けられないと判断した東間は、保健室に直行した。
流石に朝だったこともあり保険医は在中していたが、調子を聞かれそうになり答えるのも面倒で、きっと青ざめているだろう顔を相手に見せつける。
保険医は、それ以上の追求はしてこなかった。
ーー彼女は反応を見せた。やっぱり彼女は、神様なんかじゃない。
「……もっと、良いものだ」
東間はもう、世俗には興味すら湧かなかった。
そのまま寝て過ごそうとする彼を、咎めるものはいない。
始業時間になって何も言われないことで、そう実感した東間は、それを良いことと捉えて暇を潰す。
眼が覚めると、辺りは微かに日が暮れていた。やはり誰も呼びに来ないことに、東間はもう何も思わない。
ただ素直に、彼女に狂わなくていい時間を彼は楽しんでいた。
***
叉々女は日繰 東間を知っていた。
毎朝八時十分発の京阪電車石山行きに乗ることも、その最後尾で反対車両を必ず陣取ることも、朝の彼の行動を彼女は知っていた。
私の知る彼は今日も、昨日と同じ八時十分発の電車に乗り石山方面へと行ってしまう。
昨日までは、それを見送ることしか出来なかった。
けれど、今日は違う。
今日だけは、私は彼を見続けることが出来る。
これはきっと、神様からの贈り物なのだろう。卑しい私を許してくれる慈悲深い神様がいたら、の話だけれど。
最後尾に乗って、反対車両側から外を注視する彼の綺麗な後頭部を見ながら、私はかつてないほどの幸福を感じていた。
私が近付きたかった背中は、もう目の前だ。
だけど、ここで彼に直で接近してはいけない。きっと怪しい存在だと思われてしまうから。
だから、これで最後。彼を見るのは、今日で最後。
自分に対する決意を胸にしまいながら、最後になる彼の姿を目に焼き付けようと集中していた。
ーー……?
ふと何か、ボソボソとした声が聞こえる。
意識して様子を窺えば、どうやら声の発信源は開閉口に沿う彼らしい。
不思議に思いよくよく耳を澄ませば、もう何も聞こえてこなかった。
……私の気の所為だったのだろうか?
それからずっと集中していたけれど結局声は聞こえてこず、彼がとある駅で降りたことで私は聞き取る努力をやめる。
彼は道中ひとりで歩きながら、終始なにやら呟いていた。
あまりにも小さい声で周りには聞こえていないだろうけれど、限界まで近付ける私の鼓膜は確かな音を拾う。
「…今日も美しい。彼女は美しい。きっと明日もーー」
一体何のことを言ってるのか分からず聞き取ろうとしたけれど、周囲の雑踏に掻き消され後半部分を聞き逃す。
彼以外にも似たような格好をした子が、同じ格好をした子と言葉を交わしながら、チラホラとそばを去っていく。
それらの服装はパッと見た感じでも、3種類ほどに分かれていた。
そのうちの一つには彼と同じ格好も見受けられ、きっとこれが登校風景というやつなのだと推測する。
私には学生時代という記憶がない。
どうして無いのかは明白だけれど、それよりも今は、この光景をしっかり記憶に刻まなければならない。
今日を最後に選んだのは、自分なのだから。
学校という場所に着いた彼は、白くて大きな部屋に向かった。
そこには清潔そうで鋭く鼻をつつく匂いと、それから眩しいくらい真っ白なベッドが三つ。
その真ん中に彼は進みカーテンを完全に締め切ると、途端に静寂で包まれる。
ーーここで何をするのだろう?
不思議に感じた途端に集中が切れ、そこで彼と離れてしまった。
試しに読んでくださった方も、ブクマしてくださってる方も、ツイートから飛んできてくださった方も、読了ありがとうございます。