*** 3日目 ***
作中にはリアリティー追求の為、一部実在の設定・名称に基づく表現を使用しておりますが、こちらの物語は作品全体を通してフィクションです。
今日も変わらず、午前八時十分の電車に乗ることが出来た。
そして、最後尾の開閉口もちゃんと陣取る。
昨日、精一杯考えた内容はどれを取っても冴えない上、どうも日にちが足りない気がして途中で考えることをやめた。
俺は案外せっかちなのだ、と東間は自己分析する。
出来れば、今日が外を見る瞬間であって欲しい。
東間は近付くその瞬間、ふと、揺られながらそんなことを思う。
焦る心でそう考えてしまうことは当然だった。本人に自覚はなくともーー。
***
八千種 百栄は今日も、好きな世界に入り込む瞬間を変わらず待っていた。
今日の愛読書は、『社会進路の英雄さん』という異世界移動を主軸とした物語だ。
現代人である主人公がふと迷い込んだ先は、まだ創世されて間もない世界で、争いが絶えずに殺伐とし混沌の中でその存在を更に貶めようとしていた。
そんな現状を打開しようと、画策していたギルドが開いた真空洞から顔を見せた主人公は、メシアとして崇められそうになったことで、咄嗟に「この世界を救う」と言ってしまう。
それを神託として受け取ったギルドの皆は、彼の力になると言い張って勝手に彼の身に宿り、主人公は強制的にその世界を救う羽目になる。
ーーのだが、現代人の時から優秀すぎた彼は自前の経験値を活かして、挫けることを知らずにあっさりと世界を混沌から救ってしまう。
そして役目を果たした主人公は、現代へと帰りその生を終えた。
私がそれまで見てきた異世界ものは大抵、失敗や挫折を経験しつつも心身を鍛えられていく、謂わば未完成な環境の中で共に切磋琢磨しながら成長していく話が多かった。
けれど、この話は違う。
この主人公は、ただの一度も失敗や挫折を経験しない。現代人の時から成功だけを繰り返してきたように、彼は表現されている。
なぜ彼は失敗をせずにいられるのか。
なぜ挫折を知らないのか。
この作者は何を思って、何を伝えたくてこのような物語を完成させたのか。
もしかしたら、この物語は未だに未完成なまま時を隔てているのだろうか。
何にしても、とても興味をそそられる物語なのだ。
発売時の宣伝効果もあり多少あった認知も、その不明さから次第に世間の熱は褪せていく。
ある時、それらしい専門家なる人物が言った。
「社会の認知から失せたのは、意図の不明さが読者を突き放したからだ」と。
が、百栄はそうではないと考えていた。寧ろ、突き放したのは読者の方ではないか、と。
きっと、彼女は伝えたくて書いたのではないはず。
この作者はきっと、叫んでいた。
この世界も、所詮は未完成で。
なのに現代人は宛てがわれた不確定な価値観を完成と呼び、それに従って生きているのだと。
だから、悲しい生を迎えているのだと。
人はもっと、完全なる完成を求めてーーーー。
そこまで深読みし想い耽っていたところで、電車がガタガタと揺れる。
ふと、今日は何だか揺れるな、と百栄は思った。
いつもは全く気付かないほどの揺れも、集中が途切れた事と重なり即座に感じ取る。
途端、周囲の音が雪崩のように鼓膜をつつく。
ーーうるさいな。
彼女はその美しい顔を、ほんの少しだけ歪ませた。
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綺麗な女の子がいる反対車両の最後尾とすれ違う瞬間、相手側の車両がガタガタと揺れた。
それに反応してか、目的の女の子が微かに顔を歪ませたのが見える。
それまで俯いて額しかハッキリと見えなかったが、その全体を見せてくれた。
彼女は雰囲気だけでなく、顔を含めた全ての容姿が美しかった。
「ああ……。本当にきれいだ……」
東間は、その顔を恍惚に染め上げていく。
***
「おまえ、また気持ち悪い顔をさせているぞ」
学校の最寄り駅に着いた東間は、同じように道を進む同級生に言われて、今朝できたばかりの水溜りに自分の顔を見た。
「え……?」
水面に映ったのは、明らかに自分のものではないように青ざめている顔。
彼はそこから直ぐに顔を上げ見なかったことにし、明日の朝にまた会えるはずの彼女を思い浮かべた。
退屈な授業も漸く昼間で一時休息となり、合わせて各々が弁当の包みを開き始める。
「おい。おまえ大丈夫か? 顔色悪いぞ、保健室行けよ」
自分も包みを鞄から出そうと屈んだとき、隣の席からそう声を掛けられた。
そうか。俺、調子が悪いんだ。
だから今朝、自分の顔を他人のものと見間違えたんだ。
「わかった。ちょっと休んでくるよ」
自分を気遣ってくれた同級生に頭を下げ、東間は教室を出る。
保健室に着いたものの、肝心の保険医がいなくてどうしたものか迷う。
けれど戻っても仕方ないので勝手にベッドを使わせてもらうことにした彼は、ここではない遠くへ思いを馳せた。
ーー……はあ、久しぶりにゆっくり寝た気がする。
軽く頭を振って眠気を払いつつ時計を見れば、その針はとうに午後一時を過ぎていた。
「やば、授業始まってんじゃん」
何で誰も呼びに来ないんだよ…。
彼はぶつくさと、ふて腐れながら廊下を歩く。
教室に入れば、既に担当教師が黒板と向かい合い今日の課題を書いていた。
幸いにも教室の後方に席をおく東間は、こそこそと自席につく。
ふと隣席のやつがこちらに視線を送ってきたので、小声で文句を言ってやる。
「おい、おまえが保健室行けって言ったんだから、迎えに来いよ」
そう軽く睨みつければ、向こうは悪いと感じたのか顔を顰めた。
その様子を見て、あまり責めるのもやめようと切り替え前に向き直ったら、少しだけ授業が進んでいる。
賢い男になるべく決意していた俺は、慌てて板書された内容をノートに書き写していく。
内容は教科書と変わらないのだが、何せこの担当教師はとにかく生徒に優しい。
その周知されている人格通りなのか、自分がこそこそと入ってくる様は見逃してくれた様子。
東間は、この担当教師の授業だけは真面目に受けようと、心から思った。
こうして彼は、今日の学生時間の終わりを迎える。
帰りの電車の中は退屈でしかないので、一昨日からご無沙汰にしていたネット漫画アプリのブラウザを開いて、慣性の法則に従う。
彼女のことばかり考えていたのが嘘のように、不思議と今日は落ち着いていた。
やはり、彼女も一角の人間なのだと知れたことで、更に身近に感じられたことが大きく起因しているのだろう。
電車の揺れに気を取られる彼女を見られたことは、大きな成果だった。
ーー明日は、どんな表情をするのだろうか。
「……楽しみだ」
試しに読んでくださった方も、ブクマしてくださってる方も、ツイートから飛んできてくださった方も、読了ありがとうございます。
前話に比べると長く感じたと思います。
お疲れ様でした、そして重ね重ね有難うございますm(_ _)m