表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

 *** 1日目 ***

作中にはリアリティー追求の為、一部実在の設定・名称に基づく表現を使用しておりますが、こちらの物語は作品全体を通してフィクションです。



 午前八時十分。石山行きの京阪電車。


 通勤通学ラッシュでギュウギュウに詰め込まれる箱の中。

 日繰(ひぐり) 東間(あずま)は自由の効かない状態で周りと一緒に揺れていた。


 そこで起こることは、単なるすれ違いだ。


 相手を認識することに要する時間を、彼は携帯画面に表示される漫画に消費していた。


 それは、すれ違った向こう側も、殆ど同じであることに変わりはない。


 ーーはずだった。



 ***



 その日は、唐突な寒気と降水確率七十パーセントという二つの事象により、ここ最近の中でも特別車内が混み合う具合だったらしい。


 それを前以て知っていれば一本遅らせたのに、と東間は自然界の気まぐれを相手に後悔した。


 反対車両も同じく混んでいるのだろう。


 サッとすれ違った一瞬の間に、こちらと負けず劣らずギュウギュウに詰め込まれている人の群れを見る。


 ……向こうからすれば、こっちのことも詰め込まれた様に見えているのだろうか。


 そう考えながら、密集した空間の息苦しさに酸素の薄さを紛らわそうと、携帯画面に意識を移そうとした。


 その間際、ゼロコンマ何秒という刹那にすれ違う車両の最後尾。


 開閉口を前にして立ったまま本を見つめる、同い年くらいの女の子に目を奪われる。


 彼女の周りには、人ひとり分ほど入れそうな半円状の空間が生まれていた。


 まるで、彼女の周りだけ、別の磁場が発生しているかのようにーーーー。



【それを物ともしない彼女の立ち姿は、とても美しかった】



 目的の駅に着いて直ぐ、俺は学校へと向かう。


 始業時間には充分間に合うのだが、どうしても先程の女の子が気になって仕方ない。


 同じ学校に向かう周りの学生達へ目を向けても、やはり見劣りするものがあった。


 明日も同じ時間に乗れば、また見られるだろうか。


 その時は、彼女と目が合ったりしないだろうか。


 俺は淡い期待を胸に、今日という1日を達成してみせることを決めた。



 ***



 彼ーー日繰(ひぐり) 東間(あずま)は、八千種(やちぐさ) 百栄(ももえ)を知った。


 彼女が乗る京阪坂本方面の電車は、天気の悪さなど関係ないかのように、今日も変わらず人の混み具合が凄まじい。


 けれど、いつもと変わらないのは彼女も同じで、お気に入りの小説にひたすら読み耽っていた。


 彼女の瞳に映えるものは、紙面上の活字だけだ。視界の端にすら、周囲の光景は投影されない。


 すれ違う反対車両からの風圧で、彼女の目前に据える開閉口がカタカタと揺れる。


 その数秒間も彼女は紙面から顔を離さず、更に数秒後、迎えた緩いカーブで車両が揺れる間も彼女は手元を見つめ続けていた。


 やがて揺れも収まり、彼女の耳には自分がページを捲る音だけが聞こえてくる。


 この瞬間が、彼女は好きだった。


 もちろん読書も好きなのだが、それだけではない。


 物語に集中していくにつれて、周りの世界が切り離されていくような感覚が、彼女はとても好きだった。



 それから程なくして、学校からの最寄り駅に着いた彼女は停車の揺れを感じて本を鞄に戻すと、そのまま目の前で開いた扉から降車した。


 駅の改札にチャージ式の定期券を翳して素早く機械の間を抜けると、その足で学校専用バスにいつも通り乗り込む。


 いつもの席に座れたことに何か有り難みを感じる訳でもなく、彼女は一旦戻した本をまた取り出し、周りの喧騒から遮断される瞬間を待った。


 暫くは、停車と発車を繰り返して同じ目的地へ向かう生徒を乗せていくバス内も、移動時間を含めて20分ほどすれば直ぐに埋まってしまう。


 けれど、彼女が座る最後尾の席に彼女以外の姿はない。


 その前列から漏れた生徒たちは吊革に掴まって立ち、誰一人として彼女には目を向けていなかった。


 彼女の周囲は、(まさ)しく切り取られているようだ。


 周りはそれを日常として認識し、けれど彼女の前ではそのどれもが無意味となる。


 彼女の日常には、何の変化も起こらない。



 東間は始業の挨拶から終業の挨拶まで、終始上の空だった。


 いつの間にか授業が終わり、いつの間にか放課後になっていた事実に「これではいけない」と自分を戒める。


 こんな調子で勉学を疎かにしていては、いざ例の彼女と何か話すとなった時に話題で困ること必至だ。


 そんな落ちで自分は面白みのない男として見られ、そして彼女に会う機会を一切合切失ってしまうだろう。


 それは悲しい。


 だからこそ、少しでもあの彼女と並んで恥ずかしくない、会話を途切れさせることのない賢い男にならなければと、俺は今朝の道中に決意したはずだ。


 しかし、と彼は唸る。


 今朝見た彼女は、自分の人生観を変えるほどに美しかった、と。


 孤高に立っていながらも、その高さに物怖じしない芯の通る凛とした姿。


 まるで、女王様のように華やかで可憐で美しく、そして……。


 とにかく、彼は彼女と話がしてみたかった。その強く芽生えた想いが、彼の荒んだ心を洗い流すように変えていく。


 それが、どんな現象を(もたら)すかも知らないで……。



試しに読んでくださった方も、ブクマしてくださってる方も、ツイートから飛んできてくださった方も、読了ありがとうございます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ